得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

これからも、ずっと甘いよ。

 

太鼓の達人をみていた。

家族でわいわい楽しんでいる、家族の達人を。

 

お父さんと、娘さんが2人で最初にゲームをしていて、

ノルマをクリアしたから二曲目はメンバーがかわった。

お母さんと、娘さんがトライする。

 

いまどきの流行のミュージックにあわせて、

ドンとカッが鳴り響く。

 

お父さんは、手持無沙汰。

うしろでボーっと家族を見ている。

 

ぼくも、特にすることがなくて、

ボーっとその家族を見ている。

 

こうやって書くと、

なんだか本当にヒマな不審者のようだが、

まぁそこまで間違っていない。

 

お父さんの手には、謎のハンマー。

これは、ワニワニパニックという、

もぐら叩きみたいなゲームのやつだけど。

 

どうして、男はハンマーとか、棒とかを握りたくなるんだろう。

 

お母さんと娘が、

星野源の恋をノルマ達成するまで、

お父さんはひたすらボーっとハンマーをぶらぶらと振っていた。

 

その姿を、たぶん、

ぼくだけがボーっと観ていた。

 

その後、

もうワンコインが投入されて、

お父さんとお母さんが、

カップルに戻りかんたんモードをフルコンボしていた。

 

娘はそれを、ボーっとみていた。

 

ぼくは、その頃にはもう家族をみるのをやめて、

となりにあったアンパンマンをみていた。

 

バイキンマンを叩くゲームなのでハンマーがある。

 

握ってみる。

うん、なんとなぁく手に馴染む。

さっきのお父さんの気持ちがよく分かる。

 

上からのぞいてみる。

バイキンマンはほとんど頭がはみ出ている。

 

 

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お、ひとりだけおサボり上手がいるぞ。

休憩時間に駄菓子なんかたべちゃっている。

 

スコアボードがある。

叩いたバイキンの数で、コメントが変わるんだね。

 

 

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まだまだあまいな!

 

だってさ、

 

これからも、ずっと甘いよ。

だって、アンパンだもん。

 

ひとりでおかしくなってしまった。


阪神が負けても、酒がのめるぞ。

 

酒がのめる 酒がのめる 酒がのめるぞ~

阪神が勝ったら 酒がのめるぞ~

 

という歌があったけど、

ぼくの父もそんなところがあった。

阪神が負けると本当に機嫌がわるい日があった。

 

年間140試合以上もある競技で、

1回負けたぐらいで不機嫌になられたら、

子どもからしたらたまらない。

 

逆に、勝った日にぼくたちに何かいいことが起こるかと言えば、そうでもない。

酒がのめる のめるぞ 酒がのめるぞ

なのであーる。

 

いま考えると、ふしぎだ。

大人が、好きな球団が試合に負けたぐらいでそんなに不機嫌になるものだろうか。

どうして、父はあんなに阪神の勝敗に左右されていたんだろう。

 

ぼくも、いまは父とおなじように毎日仕事へ行き、家へ帰る生活。

大学生の時とはちがい、平日はほとんど同じようなことの繰り返し。

 

毎朝眠たいのに会社にいって、ありえないノルマを課され、

お客さんには無理を言われ、上司には気をつかう。

ストレスはどこかに蓄積されて、睡眠したら、またおなじことのくりかえし。

 

こんなものと、親は毎日戦っていたのか 親ってすげぇ

と、社会人になっていちばんはじめに思いました。

 

 

火 水 木 金 土 日

 

これは、プロ野球の試合が行われる曜日。

 

月曜日をのぞく、ほとんど毎日です。たまに月曜もあるけど。

春から秋ぐらいまではつづきます。

 

週休2日制の会社に勤務していたとしたら、

勤務するほかの5日は、

かならず何かが起こります。

 

仕事で失敗したり、理不尽な目にあったり。

かと思えば、

うまく物事がすすんだり、ラッキーが舞いこんできたり。

 

その一日の最後のほとんどに、

野球の試合があったのです。

 

 

モヤモヤしながら仕事から帰ってきて、

テレビをつけたら阪神が負けている。

 

なんやねん…どいつもこいつも…

一日抱えていた気持ちを

家族には出さないように、出さないようにしていた父の緊張がきれる。

 

だけど、

仕事がうまくいかないから機嫌がわるい が、

阪神が負けたから機嫌がわるい に、

形をかえて出てきていた。

 

だから、

ぼくはなんでお父さんは阪神が負けたらあんなに機嫌がわるいんだろうって、

今日まで思い続けられていた。

 

阪神が試合に勝ったぐらいで、喜びすぎな日もあった。

それはそれで、何か良いことがほかにあったんだろうと思う。

 

 

それはそれで、良かった気がする。

父親が、父親らしくあるために、阪神の試合があったのだ。

 

べつに、机をひっくり返したり、

ベロベロに酔ってお母さんに手をあげたりすることもなく、

誰とも話さず眠りにつくだけだった。

 

そして、また次の日も、

なにくわぬ顔で仕事へ出ていく。

今日がどんな日になるか、分からないまま。

 

いま気づいてよかった。

心からそう思う。

 

 

 

なんで気づけたかというと、

ぼくは、ぼくで、

大好きな広島カープが負けた日は、

ちょっと悔しかったりするからだ。

 

たった140試合ぐらいのうちの、1試合なのに。

 

でもその1日は、

ぼくにとって、誰かにとって、

とてもしんどい1日だったり、

すごくしあわせな1日だったりする。

 

その感情を、うまく解消できない立場の人が、

世の中にはいっぱいいる。

 

 

大丈夫、野球が待っている。

今日を悔しがったり、喜んだりできる理由づくりに待っている。

 

 

実家に帰ったとき、

阪神タイガース 対 広島カープの試合を父が観ているときがあった。

 

その日は、カープが圧勝したんだけど、

父は平気なかおをして、

酒がのめるぞ~をしていた。

 

そうか。

 

あの頃から時間はたっぷり過ぎて、

今度は、ぼくが悔しがる番なんだなと思って、

 

すこしだけ、さびしかったなぁ。


バイキングは、夢である。

 

食べ放題が好きだ。

 

小さいころ、はじめてバイキングへ連れて行ってもらった日、

まさにそこは夢のような場所だった。

ここぞとばかりに、から揚げやお肉を皿に盛る。

好きなものを、好きなだけ。

気持ちばかりのサラダで、お母さんの様子を伺ったりした。

 

この大きなお皿に、何を乗せても怒られない。

すこしだけ、大人になった気分で、

 

おっこれはええな

ここにちょっとだけ色味をつけておくか

 

みたいな感じで、すこしだけアーティストちっくな雰囲気まで湧き出てくる。

 

 

 

なぜ、こんなことを思ったかって、

昨日ぼくは食べ放題へ行ったんです。

 

しゃぶしゃぶとお寿司が食べ放題というお店。

 

・・・もう一度。

 

しゃぶしゃぶとお寿司が食べ放題。

夢です、夢。

大人のぼくにも、まさに夢のようなお店。

 

お肉とお寿司は、店員さんにオーダーする。

牛を何枚、豚を何枚、お寿司は何と何とを2貫ずつといった感じで。

数分もしないうちに、テーブルの上には夢が広がる。

 

 

野菜はといえば、サラダバーのように、

たくさん盛られたコーナーから好きなものを収穫する。

 

白菜、しいたけ、えのき、ねぎ、豆腐、じゃがいもスライス、だいこん、中華めん。

そのほかにも鍋に入るお肉以外のものが並んでいます。

 

おっきなお皿を持って、たくさんの人たちが、

鍋にいれる具材をえらんでいくのですねぇ。

 

 

土曜日の夜は、たくさんの家族連れ。

ぼくも、ウキウキでおっきなお皿を持って列に加わります。

 

 

あ、ぼくバイキングで必ずすることがあって、

それが、頭のなかで実況をするってことなんです。

 

 

ちょっと大人の顔をした少年の、

バイキングっぷりを観察したり。

 

トングを持って子どものような目をしたおじさんの、

バイキングっぷりを観察したりするんです。

 

そして、その動きを頭のなかで実況する。

 

 

 

さぁ、ケンちゃん(仮)がいま、ポケモンのトレーナーに身をつつみ、

堂々と入場してまいりました。

左手には自分の顔よりも大きなお皿。

右手にはカチカチと鳴らす黒いトングです。

なにをとるのか、ファーストタッチはなにか。

 

う~ん、ここは最初は白菜に手をつけるのが一般的ですが、

まだまだ若いルーキーです。

その風貌にまどわされて、じゃがいもスライスに手を出すのではないでしょうか。

 

どうする。どうするんだ。

 

なんと、まさかの中華めんだぁ。

中華めんを何回も何回もつかんで盛っている~。

そして、横においてあるうどんも、乗せたぁ~。

 

出来上がったのは、中華めんとうどんの山。

 

しかし、ケンちゃん(仮)は動かない。

まだいく、まだいくのです。

絶妙なバランスで成り立っている山に、さらに麺をのせていく。

 

 

ぼく、あなどっていました。

彼のかりそめの姿にまどわされていました。

ケンちゃんは、うどんや中華めんをとった。

つまり、食べ放題の〆へとやってきている。

 

ぼくなんかより、ずっとずっとベテラン選手だったのです。

だからこそ、あんなに絶妙なバランスのパフォーマンスを披露できるのです。

 

 

何食わぬ顔、麺食う顔をして、

彼はどこかへ消えて行きました。

 

 

圧倒的なバイキングを目の当たりにして、

 

 

ぼくはと言えば、

白菜やしいたけを皿にのせ、

じゃがいもスライスをすこしだけ。

色味を気にして、にんじんを気持ちばかり。

 

 

だめだ、完全に負けている。

好きなものを堂々とやってきてかっさらっていく、

あの少年の姿が忘れられない。

 

 

にんじんをそれだけ乗せても、ほとんど意味がないのに、

色味なんかを気にして置きにいってしまっている。

どうせ席にもどったら、そのまま鍋の中に消えていくのに。

もっと、もっと、自分のためのバイキングをしなけりゃいけない。

そうだ、ここはぼくの夢だ。そしてみんなの夢だ。

誰かに見られているから、食べる物を選ぶなんて間違っている。

 

 

ぼくの夢は、ぼくが作るんだ。

 

 

待ってろ野菜たち。

次のタームで来るときには、

驚きのパフォーマンス見せてやる。

 

Mr.バイキングであるケンちゃん(仮)に負けてたまるか。

 

 

 

並々ならぬ決意を抱き、席へ戻ろうとすると、

 

 

 

自分の顔ぐらいの大きなお皿に、

お花のようにお野菜を綺麗に盛り付けている、

シゲオさん(仮)(50代)がにんじんを刺し色に使っていました。

 

 

白玉の先に。

 

帰り道の電車で聞こえてきた言葉。

 

「調理実習を乗り越えないとあかんわ」

 

なんてことだ。

調理実習は、乗り越えないといけない壁になってしまったのか。

 

ぼくは、好きだった、調理実習。

エプロンつけて、バンダナを巻いて、

忘れた人は給食当番の服を着て。

 

先生の言われたとおりに作るのに、

美味しくできる班と、できない班があったりして。

 

みんながおなじように進んでいるのに、

片づけが早い班と、昼休みにまで突入する班がある。

 

気になる女の子と、おなじ班になってたりすると、

「料理って素晴らしい」って思い続ける時間になる。

 

隠し味とか言ってちがう料理につかう調味料を、

調子に乗って使って、まわりに白い目でみられるやつがいる。

 

 

調理実習が乗り越えないといけない壁なのか。

乗り越えた先に何があるんだろうか。

あんなに楽しい時間なのに。

 

みんなでダラダラつくる、

ミートソースのスパゲティに勝てるものはあるんだろうか。

 

きっと、彼らにはもっと楽しい時間がいっぱいあるんだろう。

 

カラオケ行ったり、USJに遊びにいったり、

LINEでやりとりしたり。

 

それでもやっぱり、

白玉フルーツポンチを作るのはめっちゃ楽しいんだけどなぁ。

 

白玉の先に、いったい何が待っているんだろう。

 

そんなことを、ボーっと考えていると、

さいごにまた聞こえてきた。

 

 

 

「ふふふ、あの白玉地獄を乗り越えないとあかんよなぁ」

 

「うん、あれは地獄や」

 

 

なんやねん、

ボルダリングみたいに、

楽しそうに壁を登っとるやないのよ。

 

あ。

 

まっすぐな壁に、

石をたくさん貼り付けたら、

ボルダリングになるな。

 

ってことは、

いろんな壁が自分の前に立ちはだかったら、

たくさんのポイントを作っておいて、

どこに進むか、足を置くか、手を伸ばすかを考えながら登ると、

とても楽しめるんじゃないだろうか。

  

それにしても、

来月のノルマという壁は高いし、

なかなか石が貼りつかないのである。



午後9時の妖精。

 

不思議な位置関係だ。

 

 

なにかが起こりそうな気配を感じとって、

数人がおなじように立っている。待っている。

 

 

それは、ネットの情報で、

ゲリラLIVEの場所を嗅ぎ付けたファンが、

「そろそろ来るんじゃないか…」と待っている様子にすこし似ている。

 

話すこともしないが、

それぞれがなぜそこにいるかは分かっている。

 

ぼくも、待っている。

 

閉店を15分前にひかえた食品売り場は、

そわそわが止まらない。

ちらちらと周囲を見渡しつづける。

 

 

店員さんが、たった一枚の黄色のシールを貼るだけで、

その一瞬で商品の価格は半減する。

 

 

まるで、魔法だ。

『半額』と書かれたシールを貼ったとたんに、

たくさんの手が伸びて、一瞬でお寿司は売り切れる。

 

さっきまで、ぜんぜん知らないフリをしていた人が、

とおい野菜売り場から、カートをとばしてやってくる。

 

 

負けてたまるか。

いそいで手をのばす。

 

 

なんのためらいもない。

1000円のものが、500円で売られていたら、

すこしぐらい怪しんでもおかしくないけど、

今回の場合は、話はべつだ。

 

たった一枚シールを貼っただけ。

1秒で、お寿司が半額になった。

理由は、閉店が近いから。それだけ。

知っているんだ、それが1000円だった時の輝きを。

 

 

妖精のように、

店員さんは売り場をめぐり、

たくさんの商品を半額にしていく。

 

主婦の目は、血走る。

ラディッシュと紫キャベツを買っているような奥様でさえ、

おどろくような手の動きだ。

 

 

そして、さっきまでガラ空きだったレジに、

突如として長蛇の列ができあがる。

 

みんな一様にして、妖精の恩恵をうけていて、

レジ打ちのお姉さんは当然のように50%OFFのボタンを押す。

 

勝ち誇った顔をして、

おおぜいの人間が店を出ていく。

 

大きなレジ袋をもって、

割り箸を人数分もらって。

 

 

ぼくも、割り箸を2本もらって店を出る。

ひとりで食べるんだけど、

半額だからって欲張ってしまった。

2パックも買ったお寿司をひとりで食べると思われるのが恥ずかしかった。

 

 

そんなところで恥ずかしさを感じるよりも、

そわそわしながら妖精の出現を待っていたことのほうが、

よっぽど恥ずかしいことに気付く。

 

 

次は、しっかり割り箸はひとつだけもらおう。

せめて、いさぎよくあろう。

 

てなことを考えながら、蛍の光を背中に感じて帰る。

 

 

 

うん。

 

 

午後9時、お寿司売り場には妖精がいる。

 

 

どうせ切れちゃう充電なので。

 

電動自転車の電池が、あっというまに切れる。

 

支店を出て、ひとつめの信号をわたるときには、残量はメモリが1。

もうすこし先の、みじかい橋を渡るころには、電池は0。

ECOモードを押して、スタートしても何も変わりがない。

気づいたころには、自転車を押しながら坂道を登っているのです。

 

だから、最近、充電するのをやめることにしました。

 

きっと、最初の数メートルが軽いから、

充電が切れた時の反動がでっかいのだなぁ。

 

 

あっ、もしかしたら、

日々の生活も充電をするから、

その反動がしんどいんじゃなかろうか。

 

 だったら、休むことを変えよう。

 

座椅子という充電器に、じっと座って一日を過ごすことなんてやめよう。

たのしいことをしよう。

 

いま、一日この部屋にいることはとっても楽だ。

体力もまったく削れないし、食べ物を買い込めば、

もう他に何もいらない。

 

 

疲れているから、充電しなきゃ

そう思って、部屋にこもってるんだけど、

次の日はどうせすごくしんどい。

 

月曜日の朝には充電は切れる。

 

充電するのをやめよう。

しんどい一週間だったなら、

つかれる休日をすごそう。

 

ヘロヘロになって帰ってきて、

充電器に戻って来よう。

 

どうせすぐに、充電なんて切れるさ。

 

疲れること、充電が切れることを理由に、

たのしいことから逃げないように。

ただただ、たのしいことをしよう。

 

充実感のある休みは、充電切れの休みでもあるのかもしれない。

月曜日の朝に後悔しても、

数日後には、その休みの思い出があなたを元気にしてくれるかもしれません。

 

なにかの足しに、できればそれで。

 

 

血液3本分の解放感。

 

朝は、いつもより1時間もながく寝てからの出勤。

寝坊ではなく、夜の段階で目覚ましを一時間ずらす。

金曜日は、最高の朝であった。

いったいどうして、朝寝坊して出勤できたかというと、

朝いちばん、健康診断に行けと会社に指示されたからです。

 

 

一度、会社へ行ってから向かうという方法もあるですがね。

しょうがない、朝いちばんに会社が行けと言うのだから、

いつもより一時間長く寝てから家を出ることにしたわけです。

 

 

こんな朝は、しっかり朝ごはんを食べて、

新聞を読んで、ニュースにも目をやり、

珈琲なんかをたしなんでスーツに着替えたい気分。

しかし、残念。

塩分、糖分をあまり摂取して、

なにかに引っかかったら、色々ややこしいのです。

 

だから、とっても残念だけど、ぎりぎりまで寝るしかなかったのですね。

あぁざんねんだ。しあわせだ。

 

 

余裕に、余裕をもって、健康診断へ。

 

 

身長体重をはかる。

最近のやつは、身長を測るあいだに体重も測られている。

自動であたまの上にバーがおりてくるのを、検査院の女性が見守る。

そして、昨年度からの変化を教えてくれる。

だいたいの人は、身長の話はされない。

 

成長期をとうにすぎた大人にとって、

変化がおきるのはカラダの重みだけである。

タテには伸びずに、横に増えるだけなのです。

 

「ちょっと体重が増えているので、気をつけてくださいねぇ」

 

機械的なお姉さんのお話。

測定結果を見ると、たしかに3キロぐらい増えている。

だけどお姉さん、5ミリぐらい身長も伸びてるじゃないの。

 

大人にとって、3キロ増えることよりも、5ミリ伸びることのほうが、

ずっと珍しいことだと思うんだけどなぁ。

たしかに体重は増えてるよ。増えている。そうだな、痩せないとな。気を付けよう。

 

 

そこから、胸のレントゲンなんかをとったり、トイレで何かを採取したり。

あとは、聴力検査に視力検査。

 

 

ベッドに横になって、

カラダ中に、布団を干すときの洗濯ばさみを挟まれる検査もあった。

胸のあたりには、ペタペタとなにか吸盤をつけられて。

あとは、ジーッと天井を見上げる検査。

 

なんだろう。

 

すこしだけSF映画に出ているような気分なんだけど、

自分で表現してしまった「布団用洗濯ばさみ」が台無しにしている気もする。

結局、なんのこっちゃなく検査は終了。

はだけたシャツをなおして、次の場所へ行かされる。

 

 

 

そして、とうとう、

採血の部屋へとやってきたのです。

ぼくだって、もう立派な大人だ。

 

お会計はクレジットカードを使うし、

 

銭湯にひとりで何にも持たずにいけるし、

 

新聞はテレビ欄以外をちゃんと読んでいるし、

 

誰かに人生相談をされても無責任なことは言わないし、

 

髭だって毎日ちゃんとしっかり剃っている、

 

眠たい日は寝転びながらネクタイを結ぶこともできる。

 

 

だけど、やっぱり、

腕に針を刺すのは緊張してしまうじゃないの。

どんなにそんなに、痛くないって分かっていても、

どうしても緊張してしまう。というか、怖い。

 

ベンチには、他にもぼくと同じような大人がたくさん並んでいた。

 

採血を担当している看護婦さんが3人いる。

 

物静かに仕事をこなす仕事人、

まだ手際がぎこちないルーキー、

そしてパフォーマンスが豊かなベテラン。

 

 

ここは、ルーキーはお断りしたい。

分かっている、最初はみんなそうだったことは。

でも、こんなに大人がいるんだから、

ぼく以外の腕で練習してもらえたらなぁと心の中でお願いする。

 

 

「大丈夫、大丈夫やで~」

 

大きな声が聞こえてくる。

ベテランの看護婦さんの声が聞こえてくる。

 

 

「はい!力をぬいてやぁ~、そんな緊張せんと

 わたしの目を見といてくれたらおわるから~

 ほら、あと一本、血ちょうだいねぇ~ そんな痛くないでしょう?」

 

 

ベンチに、どことなく緊張感が走った気がする。

あんなに大きな声で話されるとは、

もしかしたら、とても痛いんじゃないだろうか。

子どもときに、予防接種を受けにいったときに、

看護婦さんがよく話しかけてくれたけど、

めっちゃ痛かったのをしっかり覚えているぞ。

 

しかも、なんだろう。

 

ビクビクしていることが、あれじゃ丸わかりじゃないのよ。

 

さっきも言ったけど、

お会計はクレジットカードを使うようなぼくなのに、

あんなに話しかけられたら、

周りの人たちはぼくの壮絶なビビりっぷりを想像するに決まっている。

 

そうなると、出ていくときにバツが悪いし、

おなじ会社の人なんかがいた時は、

どんな顔をして挨拶したらいいのか分からない。

 

 

散髪屋で、じぶんが希望しているおじさんが周ってくるのを祈った小学生時代と、

おなじように天明を待つぼくと、たくさんの大人たち。

 

「〇〇さ~ん」

 

 

名前を呼ばれて座ったそこには、

必殺仕事人がいた。

 

物静かに、力を抜いてくださいと言われ、

針が一瞬のうちにぼくの血管をつく。

チクッとしたけど、あとはボーっと自分のぬかれていく血液を眺める。

 

あぁ、こうやって殺してくれるなら、悪代官をやるのもわるくない。

中村主水に切られるよりも、ずっといいぞ。

 

となりからは、やっぱり、

「大丈夫、大丈夫やで~」が聞えてくる。

 

 

採血が終わった。

 

ちょっとだけカラダが軽くなった気がする。

気持ちのいい解放感だ。

たぶん抜かれた血液3本分の重さに違いない。。

 

 

注射が怖くて、

その緊張から解き放たれた、

そんな情けない解放感では絶対無いのである。

 

 

おなかが鳴る。

朝から何も食べていない。

そうだ、でも、気を付けよう。

 

なんてたって3キロ太ったんだから。

5ミリ伸びたけどね。




今夜は、明日の前夜。

 

就職前夜、結婚前夜、退職前夜。

前夜という言葉が好きだ。

 

何かが起こるまえの夜。

どんなことを考えて、どんな音楽を聴いて、

どんな本を読んで過ごしているのか。

考えるとすごく楽しい気分になる。

 

結婚前夜の家で食べるごはんは、

はじめて夫婦で食べるごはんよりも忘れられない気がする。

 

明日からの仕事でドキドキしながら読んだ本は、

初日の帰り道に読んだ小説より忘れられない気がする。

 

 

今夜は、明日の前夜。

 

そう考えたら、べつに明日の予定が白紙でも全然いいような気もしてきた。

明日、たとえば突然プロポーズされるとしたら。

明日、たとえば誰かの目にこのブログがとまったら、

今、この時間は一生忘れられない前夜だったことになる。

 

だから、なにを食べたとか、どんなことを考えたとか、

いちいち覚えておきたい。いちいちです。

 

もしかしたら今日書いたことが、

ぼくの人生が変わる日の前夜に、

考えたことかもしれない。

 

わくわくしてきた。

なにもないのに、遠足前夜のような気分だ。

 

ちなみに、

晩ごはんは、野菜を多めにいただきました。

 

いわゆる今夜は、

健康診断前夜なのです。

はなれていく、青い色のなにか。

 

駅のホームに、彼女はいた。

たくさんの人たちが、仕事へ向かう朝の駅。

ちょっと肩がぶつかっただけで、睨まれたり、舌打ちが出たり。

春のあたたかさが、まだ、朝のどんよりとした気分をかき消してくれるけど、

これが梅雨になると、もう最悪の一日がはじまっていく。

夏になると、ほとんどの人がハンドタオルを片手に、吊り輪をつかむ。

 

 

四季折々のサラリーマンが一年を通して行き交う駅に、

彼女はひとりベンチにいた。

 

 

 

ヨーグリーナがひとり、ベンチに座っている。

まだ、ひとくち飲んだぐらいで、ほとんど中身の入った彼女。

 

たくさんの人が殺気立つ駅に、

そこに座った誰かに、忘れ去られたヨーグリーナ。

 

駅の改札をぬけて、階段を上がったところで彼女をみたとき、

そこだけ時間が止まっているような感じがした。

まぁ、ほんとうに何も動いていないから、時間が止まっているんだけど。

 

「もったいないなぁ」って思うより先に、

なぜか、そのポツンと置かれたペットボトルに色気を感じてしまった。

それは、ヨーグルトの風味が香る飲料水だったからなのかもしれない。

たとえば、ビックルだったらちょっと違う感覚になったのかも。

 

 

ちょっとおしゃれなことを言っているが、

これが普通のおっさんがブチュって唇をつけて飲んだペットボトルだったら、

もうそれは最悪な置き土産でしかない。

できれば、きれいなお姉さんの忘れ物であってほしい。

 

 

持ち主は、いったいどこで忘れたことに気付いたんだろう。

つぎ、喉がかわいた時に、カバンの中にヨーグリーナがいない。

さっき買ったばっかりで、一口しか飲んでないのに、

どこかに忘れ去ってしまったことに気付く。

 

「あ、忘れてきた」

 

きっと、それぐらいの話で、

自販機やコンビニはそこらじゅうにあるから、

もう一本、おなじ飲み物を買うか、

生茶のあたらしいやつを買うか自由だ。

 

置いてけぼりになったペットボトルが、

あんなにも寂しそうに誰にも触れられず、

駅のベンチに座っていることは考えないだろうなぁ。

 

 

 

昨年、夏の休日。

ぼくは神戸に向かう電車を待っていた。

とってもあつ~い日だったので、つめた~いポカリを駅のホームで買った。

 

 

なんとなく、ポカリを飲んだら水分が体にいきわたる気がするから不思議だ。

小さいころ、水泳終わりにいつもアクエリアスを飲んでいたが、

母はインフルエンザになるとポカリを買ってきた。

どうして、違いがあるのか色々考えたけど、

やっぱり母も、なんとなくだと思う。

 

 

電車を待ちながら、ポカリをひとくち。

スマホをひらいて、

ツイッターでくだらんことをつぶやく。

覚えてないけど、つまらないことだけは分かる。

なぜって、つまらないことしか書いていないから。

 

保冷剤しか入っていない冷凍庫には、

どんなに期待して帰ってもハーゲンダッツは入っていないもんね。

 

 

 

新快速がついた。

休日のお昼、いちばん後ろの車両に乗る。

友だちとの約束の時間より、ちょっと早く着きそうだ。

 

 

ぼくは、動き出した電車の、いちばんうしろから景色を眺めていた。

 

ん、さっきまでぼくが座っていたベンチに、

青い色のなにかが置いてある。

 

バンに手をやった瞬間に、

その青い何かが、ひとくちだけ飲んだポカリだったことに気付く。

 

気付く。気付くんだけど、電車はもう動いている。

 

さっき、5分ぐらい前に自販機で買ったところのポカリ。

ほとんど、からだに水分を行き渡らせることなく、

その役目を終えたポカリ。

 

 

ポカリを忘れたなんて理由で、電車は止められず。

ポカリを忘れたなんて理由で、友だちを待たすわけにもいかない。

もったいないなぁって気持ちもあったけど、

それよりも、なんだか切ない気持ちになった。

 

 

目の前に、ぼくの買った飲み物がある。

まぎれもなく、さっきまでぼくのところにあった物が、

じょじょに離れていく切なさ。

ポツンとのこされた青い色のなにかをボーっと見つめる。

 

やがて、駅はまったく見えなくなって、

その瞬間、ポカリはぼくの飲み物じゃなくなった。

 

 

 

 

 

駅のホームで、恋人を見送る。

新幹線にのって、恋人に見送られる。

東京に出ていく瞬間の気持ちって多分こんな感じなのだろう。

目の前にいるのに、離れていくもどかしさ。

飛び出して、その場所へ行きたいけど、

どんどん離れていく切なさ。

 

 

ロマンチックすぎるだろうって思いますかね。

嘘だと思って、一回やってみて下さいと言えないことが残念です。

 

 

 

ぼくが神戸について、

ポカリをまた買ったかと言われたら、

たぶん缶コーヒーぐらいを買ったと思うから、

とんだ偽ロマンチックなのだけど。

 

ん~。

ぼくの忘れたポカリに、

色気を感じた人はいたんだろうか。

 

いたとしたら、きっとその人は、

きれいなスポーティーなお姉さんの忘れ物だと思っているんだろうなぁ。

仕方ないよ、

人間って都合がよくてロマンチックなんだから。 

 

 

牛乳石鹸ぐらい、おおきなきんつば。

 

自転車にのって、プラプラと「赤いスイートピー」をうたっている。

坂道をのぼるときには、松田聖子さんに申し訳ないような、

赤いスイートピーになる。

 

 

あぃうぃ~る ふぉろ~ゆぅ~~ うぅ~~~

登りきるまでのうめき声は、

心の岸辺にというより、岸壁といったところである。

 

 

のぼるときは立ちこぎ。

足をついたら負けという自分ルールを勝手に制定してしまったので、

仕方なく自分と遊んでいるのです。

 

 

帰り道は、ヘロヘロと「世界中の誰よりきっと」を歌っている。

もちろん、気分はWANDSではなく中山美穂

いちばん好きなところは、

まぁ~たぁ めぐりあえ~たの~は~ である。

何回めぐりあうのか、それはぼくのさじ加減で、

一日に何度もめぐりあわせを生んでしまっています。

 

 

そんなかんじで、小雨の中、かっぱを着ながらの帰り道。

ぼくのソロコンサートをさえぎるように、おばあさんの会話が飛び込んできた。

 


 

「うわぁ、こんなんボートに乗ってこないとあかんわ」

 

「そうですねぇ~、うき輪も持ってきてくださいね」

 

 

なんの会話だろうか、声のしたほうを振り向く。

整骨院の玄関の前に、とても大きな水たまりができている。

そこを、おばあちゃんがまたごうとしている。


水たまりの大きさを、ボートが必要なぐらいであると表現したみたいだ。

たぶん、「でっかい水たまりやなぁ」だったら振り向いていないと思う。

また、洪水レベルの雨だったとしても、振り向いていないと思う。

 


ボートで来ないといけない。

 


おばちゃんのボケにたいして、

おねえさんのかえしも素早い。

 


うき輪を持ってきてください。

 

 

営業にでて最初に恥ずかしかったのが、

お客様のフリに、反射的に言葉をかえすこと。

何も考えてないように思われたくなかった。


ああ言えば、こう言うというやり取りをしていると、

どんな人に対しても同じように接していると思われるんじゃないかと、

考えてしまった。というか、いまも思っている。

 

 

どこかで、おっ、こいつはちょっと違うなって思われたい。

とくに、銀行員は転勤が多いので、

今回の担当者はちょっと面白いぞって思ってほしい。

だけど、現実はそう上手くはいかない。

何人におなじ話をしても、

全員からおなじ反応がほしい人だっている。

絶妙な空気感で、やりとりを楽しむ必要がある。

 

 

たとえば、ぼくの場合は、

「ボートに乗ってこないといけない」

ってお客さんに言われたらどう答えていただろうか。

 


うき輪なんて言葉を出せていただろうか。

 


明日も雨がふるのかどうか とか、

小学校の時に長靴をはいて飛び込んでいた という話をするだろうなぁ。


でも、お客さんはそんな話をもとめていない時もある。

 

「次は、うき輪をもってきてくださいね」

 

いろいろ考えたら、こうかえすのが一番なのかもしれない。

でも、それじゃあなんだか、味気が無いような気もするんです。

 

どうでしょう。

ノリツッコミにすらなっていないので、

お客さんのボケをほうったらかしにしている気がしませんか。

かと言って、「って何を言ってますねん!」ってツッコむのも違う。

 

 

 

ちょうどいい答えは何か。

お客さんのボケをほうったらかしにせず、

お話をしっかりとできる答え。

 

 

帰りの電車でずーっと考えていたんです。

 

 

最後にぼくが辿りついたかえしを。

 

 

 

「ふふふ。そういえば、北海道の摩周湖って、

 湖じゃなくてでっかい水たまりなんですって」

 

 

うん。これぐらいが、ちょうどいい。

どうでもいいことだけど、

お客さんのお話をしっかり聞いてそのうえで、

ちょっとだけ面白い話を引きずり出してみる。

めっちゃ難しいのだけど。

 

 

たくさんのことを考えて、営業をしているけど、

やっぱりいちばん力をいれるべきところは、

お客さんとのやりとりを、いかに楽しくしてみるかなんだと思う。

 

 

本当に楽しんでもらえているかは分からないけど、

今日は牛乳石鹸ぐらい大きなきんつばを2つももらったから、

今のところは、できていると思っておこう。

 

 

 

花粉症のお客さんから、

「鼻とって歩きたいわぁ~」

って言われたらどうしたらいんだろうか。

 

どうしようか。

 

 

とりあえず、ふふふと笑って、

出されたきんつばを口にほおばるしかない。