いつも、ななめ上を向いて。
どんな理由で、仲良くなれたか。きっかけを辿ると、たいてい理由はしょうもない。
少年漫画のように、1年を超える大長編を終えた後に、仲間に加わるような、そんな人間関係をやっていたら人生で仲の良い人は数人しかいなくなる。
それでも、今日もどこかで誰かが、誰かと出会い、仲良くなっている。人と人の関係が生まれることは、終わりではなくスタートラインだ。
だとしたら、そのきっかけに、そこまで大きな理由は必要ない。しょうもなければ、しょうもないほど、その膨らみようにワクワクできる気がしてきます。
前の店で、いちばん良くしてもらったお客さんがいた。団地の散らかった部屋に、独り暮らしをしているおじいさんだった。
そこに行った日の帰りは、スーツによくわからない汚れがたくさん付いたり、通帳を探すために2時間かかるような、そんな環境でその人は暮らしていた。
きっかけは、ピーナッツの4コマ漫画だ。
初めてその人の家に行き、座る場所を作るために部屋を整理した時、一枚の新聞の切り抜きを見つけた。
それは、スヌーピーと仲間たちが、淡々と何かを話をしている短い漫画だった。英語で書かれたセリフを、読む間もなく、その人はぼくが拾った切り抜きを棚にしまった。
ぼくは、この切り抜きを見た瞬間に、「あぁ、仲良くなれそうやなぁ」と嬉しくなった。
それは、スヌーピーに顔が似ていると昔言われていたからとか、そういう理由ではない。言われていたが、違う。目が細いだけやと思うが、そういうことじゃない。醸し出してる雰囲気がって言われると、それはそれでうれし…
はい、理由です。
なんだか、こうやって好きなものをひっそりと切り抜きしようと思う心の動きに、嬉しくなってしまったのです。小さなことかもしれないけど、好きな4コマをみつけて、ひとりでハサミを持った。自分がふだんからそういうことをやってることもあり、おじいさんとぼくは、波長がすごく近いところで動いている気がしました。
ぺらぺらのたった一枚の切り抜きから始まった関係性は、2年続く。その間に、おじいさんの住む場所は、2度変わりました。
彼は、パーキンソン病という病気だったのです。
大好きな俳優マイケル・J・フォックスが、その病気に苦しんでいたことから、ぼくがその病名を聞くのは初めてではありませんでした。そして、その病気を治すことは、まだ難しい世の中であることを知っていました。
フォックスの著書に「いつも上を向いて」という自叙伝がありますが、そこまで前向きじゃなくとも、とりあえず、ななめ上ぐらいを向いて生きる。そんな力強さを、ぼくは感じていたんだと思います。
それは、施設の部屋がどんどんと、好きなもので散らかっていったからなのですが。工具やら、将棋盤やら、はたまた沢山の本やら。あの日、新聞の切り抜きを見つけた時と同じように、また何かが見つかるようなワクワクがありました。(施設なので、適度に整理はされていましたが)
今年の3月。親戚の人から突然連絡が来て、おじいさんは施設を移ることになりました。それは、別の県の山奥にある施設で、親族の人が近い場所にあるそうで。
どんどんと、自由な場所から離れていく生活を、彼はどう思っていたのでしょう。それでも、楽しみを見つけて、ななめ上ぐらいを向くのかなぁ。
「いままで、お世話になりました」
不思議なことに、最後にお礼の挨拶をした翌日、ぼくに転勤の辞令が出ました。
それが、おじいさんの施設の近くなら、ドラマティックなのだが、全然関係ない遠い場所。
「無理せず頑張ってくださいね」
彼のかけてくれた言葉に、仕事を辞めようか悩んでいる話は、相談をしたかった。でもできなかった。となりに上司が座っていたからだ。ぼくが仲良くなったおじいさんは、実はすごくお金持ちだったから。
会社に戻ると、どこからか聞こえてきた。
「お金を持ってる人を見つける嗅覚があるよね」
ふざけるなと。きっかけはすべてしょうもないんだ。一枚の切り抜きなんだ。しょうもないものにしてくれ。汚いものにしないでくれ。
そんなことを思いながら、無性に腹が立った日がありました。
今もどこかで、部屋を散らかしているのだろうか。ひとつだけ言いそびれていたのは、おじいさんの部屋よりも、ぼくの部屋の方が散らかっているんだよってことなのです。
ぼくはフォックスや、おじいさんのようにパーキンソン病の辛さを身をもって知らない。でも、おなじように、上を向いて。いや、ななめ上を向いてぐらいで、進んでいこうとそう思いながら、明日からの仕事に怯えつつ、今日を生きています。