『ジュブナイル』を感じて。
ぼくが知っている言葉のなかで、いちばん洒落ている英語を使いたい。
少年期という意味の英語です。
日本では、小学校から中学校ぐらいの少年少女たちが、冒険をしたり、恋をしたりして成長していく文学作品を、ジュブナイル作品とジャンル分けされていた時期があったそうです。最近はあまり耳にしません。ぼくも、今回、この言葉を思い出したときに調べて初めて知ったことです。
そもそも、どうしてジュブナイルという英語を思い出したか。
レンタルDVD屋さんで、ひょんなことから手に取った映画が『ジュブナイル』だったのです。
その映画を、ぼくは小学校のときに一度観たことがありました。ストーリーは覚えていなかったけど、作品に出てくるロボットのセリフ「テトラ、ユースケニ、アッタ」という音だけはずーっと頭に残っていて、気づけばレジに並んでいました。
物語は、テトラというロボットと、少年少女たちの出会いから始まる。
主人公の部屋には、4人のともだちが入りびたる場所になっている。床にはミニ四駆や、コロコロコミックが転がっていて。少年たちは並んで線路の上を歩いたり、自転車にまたがって坂を駆け上ったりする。
夏休み、タイムトラベル、ロボット、恋、線路、自転車。
そこにやってきた謎の宇宙人。主人公とテトラは、地球を守るために戦うことになります。唯一の、大人として彼らの味方である研究者を演じるのは、香取慎吾さん。あの頃、この映画を観ていたぼくにとって、香取さんはものすごく大人に見えました。
いまでも、彼はずっと大人だ。
とにかく、少年期がどどどっと詰まったこの映画に、ぼくは15年ぶりぐらいに出会いました。
話はとつぜんに変わるが、ぼくはドラえもんが大好きだ。
この絵は、ぼくが社会人になって、いちばん満足のいくお金の使い方をしたと思っている、劇場版『ドラえもん のび太と銀河超特急』の複製原画。
のび太とドラえもんたちが、ヤドリという敵に立ち向かうワンシーンが描かれています。
毎朝、ぼくは、この絵を見てから会社へ向かう。勇敢に立ち向かう彼らの姿、銀河超特急の色の鮮やかさ、そしてドラえもんという存在。すべてが、ぼくに勇気や活力をくれている気がしていて、もしかしたら、見るというより眺めるといったほうがいいかもしれません。
『ジュブナイル』という言葉をひさしぶりに目にして、その意味を再確認したとき、ぼくは「あぁ、そういえば、ぼくが生きていたいと思える場所はここだった」とスキップしたいぐらい嬉しくなっていた。
何気なく、ドラえもんの絵を眺めてしまっていた行動の意味を、ようやく理解することができたからなのです。
ぼくは、『ジュブナイル』を感じていたい。
社会人になって、言うことじゃないかもしれない。
でも、少年たちのひと夏の冒険や、恋の香りがする場所に、自分はいるのだと思いたい。できない自分への葛藤や、成長していく自分をもっと、劇場型としてみていたい。
『仕事をして、お風呂に入って、疲れて眠ってまた明日。土日は、いろいろやろうと思うけど、月曜日のことを考えるとちょっとしんどい。でも何とか明るく生きなきゃと思って、どこかに出かける。』
そんな生活こそが、これからの人生なのかもしれないと、うっすらと感じている自分にちょっと嫌気がさしてきていた。
なにも、田舎の港町でくらして、25歳にもなって半袖短パンで野球帽をかぶり、自転車にまたがって、宇宙人を探したり、花火大会に女の子を誘ったりしたいわけじゃないです。
映画の世界にずっといたいとか、ドラえもんが近くにいて冒険がしたいとか、そんな気持ちは無いわけじゃないけど、実現しないのはちゃんと分かってます。それなりに、社会的な大人だし・・・・。
でも・・・・。
例えば仕事をしていて、お客さんの話にすごく心が動かされた自分がいたら、その機微をもっと大切にしたい。とっても小さなことだったかもしれないけど、成長できたことを、喜んでいたい。それが、何に繋がるかは分からないけど。
帰り道に、とても綺麗な月があったら、もっと純粋に喜びたい。そのときには、会社のことなんか、ぜんぶ忘れていたい。
半額のシールが貼ってあるお寿司を持ってレジに並んでいて、前の奥さんのカゴに3割引きのシールのお寿司があったことを、もっとモヤモヤさせたい。そこに何かあるんじゃないかと、じーっと立ち止まりたい。何も、なかったとしても、いい悩み方をしたなぁと余韻に浸りたい。
いつの間にか、大人になって、成長の先に具体的な報酬を求めるようになってきている。それは、お金だったり、地位のようなものが多い。
昨日、会社の組合の集まりがあって、そこで出てきたのはボーナスの要求額や、役職手当の話題だった。もちろん大切だ。ぼくもいつか、そのことをもっと意識しないといけない立場になるかもしれない。
でも、でも、やっぱりそんなことだけを悩んで、生きていきたくはない。
もっと、無意味にワクワクしたり、モヤモヤすることを楽しみたいんだ。
当たり前のように、なにかを捨てていくことだけは絶対に嫌だ。
しんどいことも、うれしいことも、ぜんぶ一度は部屋に転がしたい。あの頃、自分の部屋にあったミニ四駆や、コロコロコミックのように。
会社の上司を、ノルマを求めてくる敵じゃなくて、宇宙からやってきた謎の生命体として立ち向かいたい。当たり前の存在として、受け入れたくはない。どうして、こんなにしんどいことをしないといけないんだと悩みながらも、あの手この手を考えたい。
好きな本を読んで、好きな映画を観て、そこで感じたことをパワーにして、どうせなら敵をやっつけたい。
一般的な大人はこうやって乗り越えるとか書かれたマニュアルはいらない。
成長の先に何があるか分からないけど、でも、もっと冒険する気持ちで24時間を過ごしたいし、1年を生きたいと本気で思っている。
ぼくがドラえもんの絵を眺める理由は、そこにある。
玄関の外に続く、不確定な世界を、一般化させて終わらせないためだ。
ここ数ヶ月、そんなことを考えつつ、下書きにためていたことが、1つの言葉で集約されました。この言葉に、出会えてよかったなぁ。
じつは、映画の『ジュブナイル』は、ドラえもんと深い関係があるのですが、そこはまた別の機会にでも。話がながーーくなりますので。