まぼろしの唐揚げ屋さん。
営業に配属され、自転車に乗ることを知ったとき、仕事してるだけでダイエットになるぞと喜んだ。
となりにいる、そんなぼくを笑った先輩は、入行してから体重が20キロ増えたと聞く。
ほかの先輩もおなじことを言う。どうやら、そんなにうまくはいかないらしい。
あれから2年。ぼくはいま、営業に出る前から5キロほど体重が増えた。
毎日おなじ町に行き、延々とノルマに追われる生活のなかで、なによりも変化をつけられるのが食事なのだ。
新規顧客を獲得するのはめっきりだが、お昼ごはんの新規開拓はどんどん進む。
工事中の看板が建ったら、定点観測のように新しい店ができるのを眺め、楽しみに待つ。
ひとつ、紹介したい店がある。
名前は言わないけど、その店の話をしたい。
名前をつけるなら、『まぼろしの唐揚げ屋』がちょうどいい。
唐揚げが5つ、オニオンリングが1つお皿にのっている。ごはんと味噌汁は自分でよそい、食べ放題。
となりにある、テレビに出るぐらい人気のうどん屋さんがグループとして出したお店で、素材にもこだわっているそうだ。
これがうまい。
何が特別ってわけじゃないが、満足感がすごい。気づけばご飯をおかわりしてしまう。衣がぼくの好きなサクサクのやつだ。片栗粉を使ってると思われる。
「どんっどん、食べてくださいねぇ」
お店を任されているおじさんは、とにかく声が大きくよく喋る。イヤホンを付けるタイミングがちょっと遅れた日には、食べ終わるまで会話をするはめになる。
フードファイターみたいな女の人が、ご飯を五合食べていったことを、おじさんは楽しそうに語る。料理の自慢というより、とにかく雑談が好きなのだと思う。
気づくと、週に一度は、そこで唐揚げをたべて、おじさんの大きな「いってらっしゃーーい!」を聞いて仕事に戻るようになっていた。
さて、どうしてその店は『まぼろしの唐揚げ屋』なのか。
昨年末、とつぜんお店は不定営業になった。不定休ではない、いつ開店してるのか分からないのだ。
いつ行っても、看板にはclosedの文字。開いていない唐揚げ屋を求めていても仕方ない。となりのうどん屋へ行く。
そこに、おじさんがいた。
お店の端っこで、ネギを切っている。その姿には、ひとりで唐揚げを作ってる威勢の良さはない。ただただ静かに、うどんに乗せるネギを刻んでいる。
なんだかとても、寂しかった。
したっぱサラリーマンをやっている自分の姿を、おじさんに重ねてしまったのかもしれない。
話を聞けば、唐揚げ屋はメインであるうどん屋の人員不足により、営業ができない状態にあるらしい。
「また、いつか開けますんで」
おじさんの声は、となりの唐揚げ屋の時に比べて弱々しかった。
それから、数ヶ月経ったある日。
OPEN!!
唐揚げ屋が、開いていた。
ドアを開けると、「いらっしゃいませ!」とおじさんの声が響く。数ヶ月ぶりに食べた唐揚げは、やっぱりうまい。ご飯も、味噌汁もうまい。
でも、静かに食べたいからすぐにイヤホンをつける。そんなことも変わらない。
これだよこれ!と思って、周りを見渡すと、同じように作業着やスーツの人が、山盛りのご飯を食べていた。
食器を返却し、店を出る。
「いってらっしゃーーい!」
おじさんの声を背中に店を出る。この声の大きさ、うるさいけれど、悪くない。そんな感じで、またいつもの日常がひとつ戻ってきたと思ったわけです。
そして、今週の月曜日。
誘われるように行った唐揚げ屋、そこにはまたclosedが寂しくかけられている。
うどん屋をのぞけば、おじさんが机を拭いている。同一人物とは思えないぐらい、テンションが違う。
でも、よかった。一度は再開したんだから。
たった数日だったかもしれないけど、人員不足が解消された時、あの店はたしかにopenしていた。
『閉店した唐揚げ屋』じゃなくて、
『まぼろしの唐揚げ屋』になったんだ。
ネギを刻んだり、机を拭いている物静かなおじさんは仮の姿で、本当のおじさんをぼくは知っている。このギャップを、楽しめるのは観光客ではなく、毎日ここに来ている人間の特権だ。
結局その日は、うどん屋には行かず、別の中華料理屋さんへ行った。じつは、そこにも独特なおばちゃんがいて、それはそれで話になる。
あぁ、体質改善しないといかんなぁと思いながら、今日も電動自転車のアシストで前へ進むのです。