得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

椅子のある場所で会おう。

 

 

f:id:heyheydodo:20180105101943j:plain

 

 

実家の近くにある大学に進学した。

 
周りにはたくさんの下宿生がいて、中四国や関東からやってきた彼らは、一人暮らしを堪能していた。出会ったことのないイントネーションの方言や、ちょっと合わない笑いの感性を楽しみながら、僕たちはおなじ場所で数年間を学んだ。
 
 
高校まで公立でずっとやってきたから、どこかに必ず知っている人がいた。小学校の同級生が、高校のクラスメイトだったりもした。その子と仲が良いのかは別として、妙な安心感があった。
 
 
大学も地元だったため、蓋を開けたら幼なじみとおなじ学生団体にいるような生活を送った。そんなわけでぼくは安心し続けている。
 


 
就職して3年目にもうすぐなる。結婚や転職などのワードが、会話の中で出てくる年齢になってきた。子どもが生まれて、しあわせそうだったり、プロポーズをして、毎日を誰かのために頑張っていたり、何にも変わってなかったりしている。
 


 
東京に転勤する友だちがいた。
 
 
彼の出身は関西ではない。大学で神戸へやってきて、4年間をすごし、大阪で2年勤め、東京へ行くことになった。
 
きっと、東京に呼ばれることは素晴らしいことで、会社の中でステップアップをしたのだろう。おめでとうと言いたい。
 
なのに、妙に寂しい。なんで、こんなに寂しいのだろうか。
 

 
「次、僕たちはどこで会うのだろうか」
 
 
そうだ。ぼくが引っかかっていたのはそこだ。彼の地元は、神戸ではない。ここじゃないんだ。そうなると、例えば、お正月やお盆休みに、「おかえり」と言いながらお酒を飲むようなことは無い。
 
 

僕たちがいる兵庫県を通り越して、彼は別の場所へ帰っていく。
 
 
またここで集おう!なんて、背中をポンっと押して送り出すことは、すごく勝手な話になっている。俺はここで待っている、なんてかっこいい一言は、なんだかすごく上から目線だ。
 
 


そういえば、ぼくはずっと会う理由に、甘えてきた気がする。何かの団体に所属して、当たり障りのないことを言い、誘ってもらえるような立ち居振る舞いをする。
 
 
お盆休み、正月休み、大型連休なんかになると、「飲みに行かない?」と大勢の1人として誘ってもらい、「仕方ないなぁ」なんてことを言って内心嬉しそうに家を出ていた。
 
 
 
でも、これからは違う。
 
 
そんな簡単に僕たちは、いつもの場所では会えないのだ。いつもの場所なんて、無くなったのだ。
 
 
何が残っているんやろう。



…。


そうや。


 
そういえば、僕たちの会う場所には、いつも笑いがある。みんなで、グダグダ話しながら、行き着く先も分からない雑談がある。
 
 
東京にもたくさん椅子がある、神戸にもたくさん椅子がある。座れる場所があるならば、いつもの場所なんて大して問題ではない。名古屋とかでもいい。

どうして、立ち飲み屋じゃダメかっていうと、ぼくはとてもいま腰が痛いのだ。
 

 
まったく違う場所で生まれ、偶然に数年間をすごした僕たちが、これからも笑いあうためには、いつもの場所で会うことから、どこでもいいから会うってことに変わっていかなきゃきけなきね。
 


 
また、椅子のある場所で会おう。



行ってらっしゃい。