手を繋ぐ理由について。
若い女性と、年配のおじさまが手をつないで歩いていると、
「あっ、この人たちはよからぬ関係なのかもしれないなぁ」
なんて心の中で2人の出会いとかを想像してしまう。
では、男性と男性が手を繋いで歩いていたらどうだろうか。
先日、遠足に来ていた幼稚園の子たちが隣を通り過ぎた。水族館に遊びに来ている彼らは、みんなぼくのほうを不思議そうに眺めていく。
至極当然の行いだ。彼らのパパが汗水たらして働いている時間に、遠足でやってきた楽しい場所で、スーツを着たおじさんが絶望のような顔をして座り込んでいるからだ。
「どうだい、これが天然のサラリーマンだよ」
なんてメッセージをのせて、いつも以上にしんどそうな顔を心がけてみる。すると、みんながみんな、こちらを一度見て、何だったらスマートフォンをのぞき込んだりしてくるわけです。そうなると、隊列が乱れて、幼稚園の先生方がとんでくる。「はいはい!よそ見しないの!」と注意をして、彼らをぼくから引き離す。
水族館よりも、こっちのほうがよっぽどリアルな生き物の日常であることは、幼稚園児には知らなくていいことなようだね。
さて。
幼稚園の子たちは、たいてい二列で歩く。となりの子たちと手を繋いで、お話をしながら先生の後を追う。
手を繋ぐってなんかいいじゃないですか。恋愛感情が、すでに生まれていたりするのかなぁとか、ちょっとした妄想をしてしまうわけですよ。悪い癖なのかもしれないけど、彼らの会話や表情とかから、それを読み解こうとしたりして。あぁ、大人になったなぁとかちょっとしみじみしながら、手を繋いでいる姿を眺めるんです。
彼らの並ぶ順番は、背の順なのか、名前の順なのか、それは知りません。でも、たまに男の子と男の子が手を繋いでいるときもあるんです。
そこに対して、何も疑問を抱かない自分にちょっと違和感がありました。
「おいおい、男同士で手を繋がせてるのかよ」みたいなことじゃないです。むしろ、幼稚園の子たちが同姓で手を繋いでいても、それは『仲良し』の象徴だなぁと勝手に解釈している。そこがちょっと変だなぁと、そう思ったんです。
もしかしたら、彼らには恋愛感情があるのかもしれない。
それを、幼稚園児という属性に基づいて、都合よく、手を繋ぐ理由を、もっと広い範囲にしていることが、違和感の元な気がしてる。
彼らが成長して18才になったとして、手を繋いで歩いていたら、ぼくはその理由を『仲良し』の象徴だなぁと思って見守ることができるのだろうか。
もっと浅はかに、『恋愛』という狭い範囲に、見えている二人の関係を放り込んでしまわないだろうか。
たとえば、片方の彼が、ひとりでは歩けない状態だったらどうだろう。『介護』という理由を、自分の中で作ってしまうのだろうか。
それってすごく、嫌なことだなぁと思ってしまった。
同性愛について、なにも個人的な感情はありません。愛の形はそれぞれだし、いいじゃないかと思うほうです。それでも、ふたりの手を繋ぐ理由を、勝手に『恋愛』に落とし込んだり、『仲良し』という理由でほほ笑んでいる。
人間観察が大好きです、どんな感情で人が動いて、日常をすごしているのかを想像して、「ふふふ」と笑えることがすごく好きです。
だから、冒頭の年齢差があるカップルが歩いていると、いろんな妄想をしてしまいます。不倫なのか、それともキャバクラの同伴出勤なのか。いろんな情報を集めようとしてしまいます。
でも、同性同士が手を繋いで歩いていることに対して、枠組みを勝手に決めても、ぼくは笑えない。「ええなぁ」と素直に思えていない。
もしかしたら、ぼくはまだ同性愛というものについて、自分では何とも思っていないつもりでも、すんなりと当たり前のことにできていないのかもしれません。
たぶん、手を繋ぐ理由は、大きい範囲で「相手のことが好き」でいい。
それ以上に、細分化して『恋愛』とか『義理』とか、そんなことまで追及をしなくてもいいのかもしれません。
その先に、なんの気兼ねもなく、「ええなぁ」と笑えるものがないのなら、理由を探求する必要は無いんじゃないかと。無理に枠組みを作ってしまうのは、よくない。それはちょっとした差別だ。
理解しきれていないけど、分かろうとはしている。そんな状態だったら、むしろ、もっと大きな枠組みで物事を捉えておくのがいい気がする。そうしないと、考えても答えは出ないし、分かったつもりで何かを言うことは、恥ずかしすぎる。
誰かと誰かが手を繋ぐ理由は、「好きだから」それだけでいい。
介護をしているのも、好きだから。
義理で繋いでいても、好きだからが隠れている、きっとある。
ただ、好きだから手を繋いでいる。それでいい。
そんな気がしています。
・・・・でもやっぱり、年の差でえらいお金持ちそうなおじさまが、若い女の子と手を繋いでいたら、いろいろ考えちゃうんですけどね。愛人なのかなぁとか思ってしまうんですけどね。
こりゃ、難しい問題ですよね。
でも、なんか今日から、考えないことで考えるということが、できそうな気がしてます。