エッセイを書くことへの憧れ。
「エッセイを書いていい」
ということを、人生で言ってもらえることが、
あるなんて思いませんでした。
三谷幸喜さんのエッセイが大好きで、
東海林さだおさんのエッセイも大好きで。
ぼくも、短い話であんなに面白いものを、
書いてみたいとずっと思いながらも、
そんなチャンスなんてないとあきらめていました。
エッセイを読みたいと思ってもらう人には、
それだけじゃない何かがある。
人間性が面白いと思ってもらうきっかけがないと、
文章を読んでもらえないことに気づいて、
ぼくはとても凹んでしまって、
憧れからはちょっと目をそらうようにしてました。
エッセイが面白い人は、きっと喋っていても面白い。
その人に対して、興味がどんどんわいてくるし、
もっともっと知りたいと思ってしまう。
そんな共通点があると思います。
何気なく書かれている文章にも、その人が出ていて。
ちょっとした人生経験や、想ったことにも、
その人らしさが見えてくる。
だから、エッセイを書いていいと言われることって、
すごく難しいし、夢のような話だけど、
その書いたものに対して、誰かが笑ってくれることは、
とてもしあわせなことなんだろうなと。
人間として、認めてもらえることに、
つながっていくんだろうなと。
だから、ぼくは、エッセイが書きたかった。
何について書けるか分からないけど、
書きたいとおもっていたんです。
銀行員だから、銀行のことを、
吐き出すように書けば読んでもらえる。
そんなことを考えていた時期もありました。
ベールに包まれたところを、
面白おかしく書けば興味を持ってもらえると。
でも、結局それって、
ぼくが書いてるけどエッセイでもない。
銀行員が書いているちょっとした小話なんだなと気づいて。
だんだんと、書くことが落ち着いてきているのを、
自分でも感じている途中です。
ほぼ日の塾で、2つめの課題が出ました。
自由にエッセイを書く
こんなにしあわせなことがあっていいのかと、
ぼくは思いました。
うれしくてうれしくて。
課題をわたされて、東京から帰ったその日に、
ぼくは書ききってしまったんです。
テーマとか、内容とかは、
公開されるまで内緒ですが。
でも、本当にしあわせな時間でした。
いまは、公開されるまでの時間をしずかに過ごしています。
仕事には、あまり手がつきません。
こんなにたのしいことを仕事にできたらと思うばかりで、
毎日をすごすほど、平日の自分が、
どうしようもなく、飛び出せと言ってくる。
いまは課題に一生懸命だけど、
これが終わった時、
ぼくには何が残るのか。
それが怖くて仕方ないです。
また、何もない日常がはじまっていくのかなぁと、
ふっと思った瞬間、偏頭痛がはじまります。
だけど、とっても大切な経験を、
ぼくはいまかみしめています。
「書きたい」という気持ちが、
「伝えたい」という気持ちになって、
「いい時間を作りたい」に変化してきている。
誰かと話すとき、「書きたい」という気持ちは、
あまり関係なかったけど。
でも、「書きたい」が「いい時間を作りたい」になってから、
会話というものを、
もっと真剣に考えて誰かと接している気がします。
ぼくだけの文章とか、文体とか。
ぼくだけの経験とか、特技とか。
そういうのを見つけたいけど、見つからなくて。
でも、今回のエッセイに対して、
全力でぶつかっていきました。
良い文章かどうかは、
判断できないものだし、
面白いかどうかも分かりません。
厳しい言葉をもらっても大丈夫です。
書いたことに対して、誰かに言葉をもらえることは、
こんなにもうれしいことなのかと前回の課題で実感しました。
ほんとうに、貴重な時間をすごしているなぁ。
公開されるのは、もうすこし先ですけど、
また読んでくれたら嬉しいです。