ティファールのスイッチをいれる父。
黄金のような金曜日。
いつだって金曜日は特別だ。
あしたが休みだと思ったら、すこしだけ肩が軽くなる。
仕事のことよりも、あした何をしようか考えていたい一日だ。
それにしても今日は、
いつにもまして、街はピカピカと輝きをはなっていた。
主役は、背中をおおい隠すぐらい、
大きなランドセルをせおった一年生。
朝9時に、いつも通り営業へ飛び出すと、
街にはたくさんの一年生がいた。
服装は、よそいきのお洒落なワンピースやブレザー。
渋さはまったくない革製品をせおった彼らは、
とても楽しそうに、すこし雨模様の外を歩いている。
どの道を走っても、彼らがいる。
次の角をまがっても、信号の向こうにも。
みんなが1つの場所を目指して歩いている。
そうか、今日は入学式なんだね。
少子高齢化が激しいと言われるぼくの営業エリアにも、
こんなにもピカピカの一年生がいたなんて。
うかうか、絶望のような顔をして自転車に乗っていられない。
見ているだけで、しあわせが伝わってくる。
あぁいいなぁ、彼らはこれから何年もかけて、
恋をしたり、遊んだり、悔しい経験をしたり、
すべてやりたい放題なんだなぁ。
それにしても、なんて楽しそうに学校へ行くんだろう。
そして、その隣には、
もっと嬉しそうな人たちが側にいる。
いつもは、ぼくと同じママチャリにまたがって、
スーパーへ走っていそうなお母さんも。
いつもは、ぼくと同じ満員電車に乗って、
汗をダラダラ流していそうなお父さんも。
みんなが、お子様以上によそいきの格好をして、
一年生と学校へ向かって歩いている。
歩いては立ち止まり、写真を撮る。
また歩いては、桜の木の下で写真を撮る。
入学式に間に合うのかと思うスピードで、
ゆっくりと今日からの通学路をすすんでいく。
中には、ネクタイ姿があまり様になっていないお父さんがいる。
なんとなく、よそいき具合が他とは違う。
ぼくの父は、サラリーマンではない。
空調関係や水道関係を設置する仕事をしていて。
いわゆる職人である。
だから、ぼくは、父がスーツを着て会社に行っている姿を見たことがない。
小さい頃は、父親は社長だと思っていた。
個人事業主なので間違ってはいないが、
大きな部屋にドンっと座るような社長ではなく、
夏も冬も、外で汗をながして仕事をする職人だ。
朝の5時に仕事へいって、夜の6時に帰ってきて、
リビングに座って焼酎を飲んでいる。
お湯割り用にティファールのスイッチをいれて、テレビをつけて、
あとは知らないあいだに夜がすぎて寝ている。
どこかネクタイの似合わない、よそいきのお父さんをみて、
ぼくは父親のことを考えた。
そういえば、父親のネクタイ姿をみたのはいつだろうか。
昨年の春に、おじさんが亡くなった時に、
喪服をきて黒いネクタイを結んだ姿が最後だろう。
その前は、親戚のお葬式だったので、
ぼくは父親のネクタイ姿を喪服でしかほとんど知らない。
父がどんなセンスでネクタイを選ぶのか。
ウィンザーノットで結ぶのか、もっとアレンジを加えた結び方をするのか。
なんにも知らないのだ。
たしか、7年ほど前に、ぼくが大学生になったときに、
母親と父親がよそいきの格好で入学式を見にきたと思うけど、
そのときのことは、ほとんど覚えていない。
やっぱり覚えているのは、リビングで焼酎を飲んでいる父の姿だけだ。
仕事をさぼって、いつもの隠れ家で、
ただただゆっくりと揺れる海を眺めながら、
自分はサラリーマンだなぁってつくづく思った。
革靴で足をむらして、
上下一緒のスーツを着て、
首にはストライプのネクタイ。
パンパンの営業カバンをもって、
社用携帯をポケットに忍ばせている。
いまのこの時間も、父は汗をながして、
よく分からない設備をどこかへ設置している。
ぼくは今年で25歳になるが、自由に、ほんとに自由に生きている。
なんの責任感も無く、出世する気もなく、
ノルマからのプレッシャーを無視するように、
革靴をぬいで、だれもいない海辺のベンチに座っている。
スズメや鳩は、ぼくの存在を無視するように、
一心になにかをつついている。
18歳でパパになった友人もいる。
ちょうど小学生ぐらいの子どもがいるはずで、
去年か今年に、ピカピカのお父さんとして入学式へ出たはずだ。
はたして、友人はぼくみたいにサボっているのだろうか。
仕事なんてどうでもいいやって開き直って、
海辺でスズメと波を眺めていられるだろうか。
父親になるというのはどういうことなのだろう。
そんなことを、ボーっと考えていたら、あっという間に一日は終わっていた。
支店への帰り道、
朝にピカピカだった一年生が、別のよそいき一年生とどこかへ向かっていた。
いきなりできた友だちなのだろうか。
よそいきの服をあんまり汚さないようにしないとねぇ。
お父さんお母さんは、どんな気持ちで今日を迎えて、
いまは家で何をしているんだろうか。
もしかしたら、さっそく写真を印刷してたりするのだろうか。
半休だけもらって、仕事に行っている人もいるんだろうな。
ぼくの父はいま何をしているんだろうか。
きっと、リビングに座って、
ティファールのスイッチをいれて、
テレビをぼーっとみているんだろう。
そして、次に父親のネクタイ姿をみるのはいつだろう。
きっと、妹の結婚式なのじゃないかな。
そんな予定はないのだけど。
ぼくは、まだまだ、
革靴を脱ぎ捨てて、
スズメと波を眺めていたいのです。