得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

もやし大好き。

 

もやしについて書きたい。

彼にはずいぶんと、長い間めんどうをみてもらっている。

一袋30円ほどで手に入り、味付けをこれでもかと吸収してくれるもやし。

 

何かを食べたいというより、その味をいただきたいという気持ちが強い。

だから、ポテトチップスやカップラーメンには、

たくさんの味付けの商品が出ていると思う。

 

もやしには、ずいぶんいろんな味付けをしてきた。

それは、別にもやしを食べたいからではない。

味付けそのものを食べたいからなのです。

もちろん、シャキシャキとした歯ごたえも好きだけど、

大切なのはいかに、邪魔をせずに味をくれるかなもんで。

 

そういう意味では、もやしはぼくを一度も裏切ってこない。

ぼくの調理の腕は、ぼくの舌を裏切ることはたくさんあるけど。

その失敗を、もやしはそのまま教えてくれる。

ひいき目なしに、うまくできたらおいしいし、

まずくできたら、食えたもんじゃない。

それを、たった30円で教えてくれるなんて、すばらしい。

 

自分の書いたものが、面白いかどうかを判断するものさしが、

ぼくには全くなかった。

ほぼ日の塾に通うまでは、たくさんに人に見てもらうものを

考えるような機会がなかった。

「いいね!」という簡単に押せてしまう反応を、

ただただ素直に喜んでいた時期もあったけど、

結局何にもなれずに凹むような日々を送っていた。

 

書いたものが、おもしろいのかどうか。

食べたものが、おいしいのかどうか。

第三者の目線で、作ったものを判断するのは難しい。

では、どうして、もやしを食べたときにぼくは、

その判断をしっかりできていたんだろう。

 

それはきっと、生きていくために食べているからだ。

おなかが空いてどうしようもない状況で、

じぶんのために作ったごはんがひどかった時、

素直な一般的な感想をじぶんにぶつけることができた。

あと、30円のもやしを使っているということが、

なにかと文句を言いやすい理由でもあるだろう。

 

お金をもらわずに、好きなことを書くということに、

ぼくはきっと甘えていた。

生きていくために書いていないし、

だれも読まなくても困らないから、

別に第三者の目線にならなくても大丈夫だと思っていた。

 

でも、いざ書く人として発信する舞台に上がった時、

ぼくの書いたものは、失敗した味付けを施していたことに気づかされた。

直さないといけないことばっかりで、もっとこうしてれば良かったと、

反省つづきの毎日だった。

 

いま気づいたことがある。

 

書くということは、もやしを調理することに似ている。

じぶんが言葉にしたことだけが、味になる。

それ以上でも、以下でもない。

ぼくのことを知っている人は、

「あぁ~なかむら君らしいね」とか「良い話だね」と言ってくれるけど、

それは神戸牛を食べたら文句が言えないのと似ている。

ぼくは、もちろんそんなに高い食材じゃないです。

調子に乗っているわけではなくて、たとえばの話です。

 

だからこそ、思ったけど、

もっと生きるために書いてみようと思う。

そうすれば、もやしを食べて、

「う~わ、最悪」と思えたように、

自分の書いたものを判断できるんじゃないだろうか。

 

ちなみに、ぼくは食べ物を残すのは嫌いだ。

いままで、どんなにまずいもやしも、

ゴミ箱にはいかずすべて胃袋に入れてきた。

だからこそ、失敗してしまった書いたものも、

それを全部受け入れようと思っている。

そうしないと、反省もできない。

 

もやしを料理して、生活をしていくように、

書くということをしていこうと思う。

 

もやし大好き。

書くのも大好き。

 

でも好きなだけじゃダメだとも、

今思っている。

日経平均と、「小さい言葉」。

 

昨日、きづいたことがあって。

 

「書くこと」を仕事にしている人たちといる時、いつも自分は、日経平均株価を確認している。

 

金曜日の終わり値なんて、当日の15時に分かってるし、投信の価格も確認済なのですが。とっくに分かってるものを、ごく自然に確認する行為をしてる。なんだったら、日経新聞を開いたりしようとしてる時もある。

 

どうしてこんなことを、してしまうんだろう。

 

 

会社の研修の昼休みには、絶対にそんなことはしない。むしろ、真逆で。日経新聞を読まないときもある。周りはみんな相場の話や、上司のグチを吐いてて。時には、「あいつは使えへん」と同期の友だちのことをエラそうに批判したりしてる。

 

その時に、ぼくは糸井さんの「小さい言葉」が載っている本を開く。周りの流れに乗りたくなくて、必死に耳を塞いで、言葉を読む。そしたらなんか泣けてくるときがあって。

 

「なに読んでるん?」

 

先日、そんな感じで研修で本を読んでたら、偉いさんが声をかけてきて。エッセイですと答えたら、本をひっくり返して。しばらく沈黙して、そのまま去っていった。財務の本を読んでいたらよかったのだろうか。

 

 

最初の日経平均の話と、いまの「小さい言葉」の話は、真逆のように思えるけど、やってることは同じだ。

 

ぼくは、いつも逃げてしまっている。所在がない感じがして、その時に、周りのみんなが知らないものに逃げ込んでしまっている。だから、日経平均を確認するし、電車で何回も読んだ「小さい言葉」を見返してるんだと思う。

 

現実から目を背けてるというか、壁を自分で作ってるんじゃないかと、昨日気づいた。せっかく、憧れの場所にいれるのに、どうしてぼくは日経平均を気にしてしまうんだと、すごく落ち込んだ。

 

「銀行員です」というものに、なんの意味もないのに、そこに必死にすがろうとしてる自分がすごくすごく情けなく感じてしまった。

 

それでも、気がつけば相場のページを開こうとしていて、手を叩きたくなったりする。

 


 

状況を変えたら、良いことでもあるのかもしれない。自分を守るために、自分だけが知ってるものに逃げ込むというのは、よくあることなのかもしれない。ぼくの場合は、それが日経平均であり、「小さい言葉」で。

 

イヤホンをつけてないけど、イヤホンをつけているような感覚で。VRを見てないけど、装着しているような感覚で。

 

それに救われてるときもある。研修の休み時間は、本当につらいから。だからぼくは、逃げ込んでるんだと思う。

 

でも、憧れの場所にいるのに、同じようなことをしている自分は、本当に嫌いで。帰り道にひどい自己嫌悪になる。


 

怖いところに行くとき、カバンに好きな本を入れてしまうのは、そういうことなんだと思います。

 

支えにもなるし、ただの逃げ道にもなるのが、自分だけが知ってるものなのかもしれないなぁと、思っていて。


ごちゃごちゃした話になりましたが、絶対に次は日経平均を見ないで、好きな場所にいたいです。


 

 

普通のゼミ室にいる、すごい大人。

美味しんぼを読むのが好きです」

 

大学生になって、文学部社会学科という、なんとなく深そうな学部を選択しました。社会について学ぶって、なんだか幅広そうだし、人間観察が趣味だし、楽しく学べそうだと思って。

 

実際に、授業はとってもおもしろかった。

映画をみて、核家族のありかたを学ぶと言いながら、「あぁ、ダスティンホフマンかっこいいなぁ」とほれぼれしたり。フジロックの映像をみながら、「あぁ~、自由って最高だなぁ、清志郎に会いたいなぁ」とか言ってみたり。かと思えば、どろどろにかんがえて、人間の心理を論理的に説明してみたり。みんなで、おそろいのシャツとジーパンを着用して、謎の行進をするような、ちょっと危ないんじゃないのって授業を受けました。

 

そんなたくさんある特徴的な授業をする先生を、ぼくは選びませんでした。NPONGOや、ネットワークについてを専門的に研究している先生のゼミを、ぼくは選ぶことにしたんです。「美味しんぼを読むのが好きです」は、ゼミに入れてもらうための用紙に、趣味や特技のらんがあって、ぼくが書いた一行でした。

 

部屋は、特になにか珍しいものはない。隣のゼミ室には、とある民族の仮面みたいなのがあったけど、ここにはない。ただ机があって、たくさんの本が並んでいる。それだけでした。先生は、おしゃべりでもなければ、物静かでもなく、やってきた生徒とそれなりの会話をしてくれる人で。「おっ俺のもとで学びたいんやな」みたいな教授風もいっさい感じない人でした。

 

その、ちょうどいい大人の感じにひかれて、ぼくはその日のうちにゼミの志望用紙を書きました。社会学をどうして学びたいのかと、美味しんぼを読むのが趣味ってことをサラサラっと。

 

あとから聞いた話では、そのゼミはどうしてか理由は分からないけど、結構人気だったみたいで。落ちた友達もいたそうです。理由は分かりません。ぼくも、なんとなくで選んだから。で、なんでか分からないけど、ぼくはゼミに入れてもらった。どうしてなのか、美味しんぼの効力があったのか、じーっと考えたけど、答えは出ませんでした。

 

 

 

お久しぶりです、2015年卒の中村です」

 

先生にメールを送るのは、卒業する前が最後だったから、2年半ぶりでした。いまやっている仕事に疲れきっていて、やっぱりやりたいことがあって。でも、これからどうすればいいか分からなくて。すがるような思いで、文章を書きました。

 

返信はすぐにきて、「じゃあ、ぜひ、ご飯でも行きましょう」でした。東京の大学に転勤になった先生は、たまに神戸にも来ているそうで、時間をとってくれることになったんです。ゼミ室で、ふたりきりで話をしたことはあったけど、ご飯を食べに行くのは初めてで、ぼくはちょっと緊張していました。

 

先生が泊っている高そうなホテルのロビーで、仕事帰りにスーツで座っているぼく。エレベーターからは、高貴な人がたくさん出てきて、ちょっと居心地がわるく、ソワソワしていたんです。そしたら、見たことのある人が降りてきました。

 

 

「久しぶりやねぇ」

 

どちらからでもなく、なぜか握手をしました。ちょっと欧米的なのでしょうか。それとも、そのホテルの雰囲気がそうさせたのかは分かりません。でも、先生は何も変わっていなくて、おしゃべりでもなく、寡黙でもなく。ふつうにぼくと話をしてくれました。場所をうつして、ちかくのトンカツ屋さんへ歩いていって。

 

ふだんあんまり飲まないほうなんです。でも、その日は、なんだか飲みたい気持ちになりました。先生に弱音を吐きたかったから。なんというか、はじめて先生と生徒という関係になってみたいと思ったから。

 

大学教授と生徒の関係ってちょっと不思議で。高校ほど近くなく、でも、1対1で話ができる大人でもある。その不思議な関係に、ぼくは、いまの弱っている自分をゆだねてみようと思いました。

 

いま悩んでいることを、ぶわぁーっと先生に聞いてもらったんです。そしたら先生は、ぼくの仕事の話を聞きたがりました。なので、銀行でどんなことをしているのか、どんなことを苦しみながらやっているのか、ふだんの胸の内をさらに吐き出して。トンカツを食べながら、先生は聞いていました。

 

 

「君はコミュニケーションというものに、いま全力で向き合っているんだよ」

 

ひとしきりぼくの話を聞いて、先生は言いました。毎日、お客様のもとで、信頼を大切に会話をしているぼくを、肯定してくれた。それも、「全力」と言ってくれた。自分の仕事を、誇りに思ったことなんて一度もなかったし、頑張っていると褒められても、ちっともうれしいことがなかったけど。先生に言われて、すごくうれしかったんです。それに加えて先生は言いました。

 

 

「君が頑張っていることは、

 本当に頑張ってきたことなんだから、

 ちゃんと胸をはって言えばいいんだよ

 選ばれようとすると、

 どうしても相手にあうように話をする

 だけど、選ぶのは向こうなんだから、

 いろんなことを考えてしまうぐらいなら

 ちゃんと胸をはれることを堂々と言ったらいいんだよ」

 

先生は、すこしだけ強い口調で、ビールで顔がほてってきたぼくに向き合ってくれました。そうだ、ぼくは、コミュニケーションだけは本当に大切にやってきた。それだけは、この2年半で胸をはれることなんだ。たくさんのお客様と、いろんなくだらない話をしているときも、どんなに周りが「時間の無駄」と捉えるような話をしていても、それだけは大切にしてきた。

 

心がすっと楽になったと同時に、なんだか、とてつもない勇気のようなものがわいてきたんです。

 

その日の帰り道、ぼくは、「書くこと」をもっともっと切望することをきめて、いま挑戦している『ほぼ日の塾』へ応募を決めました。

 

 

もっといろんなくだらないことも、話しましたよ。先生の旅行の予定とか。ゼミの友達の近況報告とか。あとは、就職活動に病んでしまったぼくが、ぜんぜん卒論を提出しなかった話とか。泣きついてこられて、先生も対応に困っていた話とか。

 

4年生の12月まで就活をしていたぼくは、ゼミの先生にたくさん迷惑をかけて、ぎりぎり卒論を完成させたから。そういう意味でも、先生には頭が上がらないんです。

 

 

「もう一度、卒論を書いてみたい気持ちがあります」

 

トンカツ屋のはいったビルが、閉店間際の『蛍の光』を流しはじめたときに、ぼくは言いました。先生は、笑っていて。でも、本心でそう言いました。自分の書いたものに、真剣に向き合ってくれて、添削をしてくれて、考えを述べてもらえることはすごくしあわせだと今思うから。だから、ぎりぎりでしのいだ卒論への後悔を先生に伝えました。

 

 

それから、1か月後にぼくはもう一度先生へメールを送りました。内容は、いまぼくが一生懸命になれている、『ほぼ日の塾』で書くことができるようになったこと。

 

先生は、すぐにメールをかえしてくれました。とても祝福してくれました。

「公開されたら、すぐに連絡をください」

と最後に書いてあって。

 

 

先日、はじめて編集をした対談が公開されたとき、先生からメールが来ました。そこには、卒論の時と同じように的確に、厳しくもなく、やさしくもなくコメントが書いてありました。

 

 

「ざっくり読みましたが、空気感がすごくいいと思いました

 でも、接続詞の使い方が、難しいでしょうね、いろんな意味合いをもつから

 

そうです。そうなんです。

あっさりとメールでそんなことを言われてしまって。

ざっくりで、そんなにすぐにコメントをくれるなんて。

でも、もっと、先生に面白いと思ってほしいなぁ。


先生は論文のテーマや、分析の方法を、生徒に強要することはありませんでした。NPOについて書けとか、ネットワークについて論じろとか。それは、先生自身がぼくたちの論文を刺激にしたいという思いがあったそうで。

 



どうして、「美味しんぼを読むのが好き」と書いたぼくを選んでくれたのかは、分かりませんが、でも、恩返しはしたいなぁとぼくは思ってるんです。

 

 

あっ、ぼくはいま、

卒論の続きをしているのかもしれません。

エッセイを書くことへの憧れ。

 

「エッセイを書いていい」

ということを、人生で言ってもらえることが、

あるなんて思いませんでした。

 

三谷幸喜さんのエッセイが大好きで、

東海林さだおさんのエッセイも大好きで。

ぼくも、短い話であんなに面白いものを、

書いてみたいとずっと思いながらも、

そんなチャンスなんてないとあきらめていました。

 

エッセイを読みたいと思ってもらう人には、

それだけじゃない何かがある。

人間性が面白いと思ってもらうきっかけがないと、

文章を読んでもらえないことに気づいて、

ぼくはとても凹んでしまって、

憧れからはちょっと目をそらうようにしてました。

 

エッセイが面白い人は、きっと喋っていても面白い。

その人に対して、興味がどんどんわいてくるし、

もっともっと知りたいと思ってしまう。

そんな共通点があると思います。

 

何気なく書かれている文章にも、その人が出ていて。

ちょっとした人生経験や、想ったことにも、

その人らしさが見えてくる。

だから、エッセイを書いていいと言われることって、

すごく難しいし、夢のような話だけど、

その書いたものに対して、誰かが笑ってくれることは、

とてもしあわせなことなんだろうなと。

人間として、認めてもらえることに、

つながっていくんだろうなと。

 

だから、ぼくは、エッセイが書きたかった。

何について書けるか分からないけど、

書きたいとおもっていたんです。

 

銀行員だから、銀行のことを、

吐き出すように書けば読んでもらえる。

そんなことを考えていた時期もありました。

ベールに包まれたところを、

面白おかしく書けば興味を持ってもらえると。

 

でも、結局それって、

ぼくが書いてるけどエッセイでもない。

銀行員が書いているちょっとした小話なんだなと気づいて。

だんだんと、書くことが落ち着いてきているのを、

自分でも感じている途中です。

 

ほぼ日の塾で、2つめの課題が出ました。

 

自由にエッセイを書く

 

こんなにしあわせなことがあっていいのかと、

ぼくは思いました。

うれしくてうれしくて。

課題をわたされて、東京から帰ったその日に、

ぼくは書ききってしまったんです。

テーマとか、内容とかは、

公開されるまで内緒ですが。

でも、本当にしあわせな時間でした。

 

いまは、公開されるまでの時間をしずかに過ごしています。

仕事には、あまり手がつきません。

こんなにたのしいことを仕事にできたらと思うばかりで、

毎日をすごすほど、平日の自分が、

どうしようもなく、飛び出せと言ってくる。

 

いまは課題に一生懸命だけど、

これが終わった時、

ぼくには何が残るのか。

それが怖くて仕方ないです。

また、何もない日常がはじまっていくのかなぁと、

ふっと思った瞬間、偏頭痛がはじまります。

 

だけど、とっても大切な経験を、

ぼくはいまかみしめています。

「書きたい」という気持ちが、

「伝えたい」という気持ちになって、

「いい時間を作りたい」に変化してきている。

誰かと話すとき、「書きたい」という気持ちは、

あまり関係なかったけど。

でも、「書きたい」が「いい時間を作りたい」になってから、

会話というものを、

もっと真剣に考えて誰かと接している気がします。

 

ぼくだけの文章とか、文体とか。

ぼくだけの経験とか、特技とか。

そういうのを見つけたいけど、見つからなくて。

でも、今回のエッセイに対して、

全力でぶつかっていきました。

 

良い文章かどうかは、

判断できないものだし、

面白いかどうかも分かりません。

厳しい言葉をもらっても大丈夫です。

書いたことに対して、誰かに言葉をもらえることは、

こんなにもうれしいことなのかと前回の課題で実感しました。

 

ほんとうに、貴重な時間をすごしているなぁ。

 

公開されるのは、もうすこし先ですけど、

また読んでくれたら嬉しいです。

いいことばかりじゃないけれど、でも、いいこともある。

 

夏がようやく終わった。

来週からはネクタイ着用で、仕事になる。

クールビズという言葉すらなくして、Tシャツで仕事がしたいなぁ。

 

先週はついてなかった。

1年半乗っていた仕事用の自転車が壊れてしまって。

どう壊れたかというと、後輪が破裂したのです。

パンクというより、破裂。自転車屋さんで空気を入れてたら、パンっと。

 

飛びました。あまりの驚きに、後ろへ飛びました。

耳はキーンっとなって、

あぜんとした顔の、自転車屋さんとぼく。

 

電池が2分できれる電動自転車は、

電池が2分できれて後輪が破裂した自転車になりました。

 

支店まで、えっさほいさと自転車を運ぶことになって。

もうめっちゃ重たくて、例のごとく、汗だくでした。

 

で、月末から月初へそのまま突入したわけですが、

なんだかとても疲れてしまいました。

 

からだは、すっごい重くて。まぶたも、すっごい重い。

うつむきながら座っていると、

いつのまにか寝ていて、ボーッとしている日中が増えました。

 

それでも、お客さんの家へ行けば、お昼ご飯があったり、

お土産があったりするので、ありがたい限りなのですが。

 

 

で、いま、ぼくは何を頑張って生きているのか。

どんなことを考えながら、毎日を過ごしているのか。

 

それは、

相場がどうとか、定期の金利がどうとか、

明日の天気がどうとか、稟議書がどうとか、そんなことじゃないんです。

 

 

やさしく、つよく、おもしろく。

 

ほぼ日刊イトイ新聞というwebサイトを、知っていらっしゃいますか?

 

コピーライターだった、糸井重里さんが社長をされており、

たくさんの人をやさしい気持ちにしてきた会社、

『ほぼ日』が運営するインターネットの場所です。

 

ぼくは、いま、そこで「ほぼ日の塾」というものに通わせてもらってます。

 

高校のときに、進学塾へ行きましたが、親に内緒で3か月で辞めました。

でも、いま、ぼくは塾へ通っています。大人になってから。

 

これから年末にかけて、3つのコンテンツを自分で作成して、

ほぼ日という大好きな場所で発表できるチャンスをもらいました。

 

だから、毎日つらくて、ねむたいけど、でも楽しくもあります。

帰り道は、「さぁ、帰って編集するぞ!」と明るくなります。

会社では、ほんと、魚の干物のような眼をしているに、

家では、独り言で「たのしい」とか言ってます。

 

もし、ぼくのブログをたまぁに見てくれている人がいましたら、

ぜひ、ほぼ日にもやってきてください。

大きなwebサイトの片隅で、ちょっとだけ、

ぼくが考えたり、書いたことがのこってるかもしれません。

 

 

「いい時間」を過ごしてもらえるようなものを、

一生懸命考えていきたいです。

 

報告だけになってしまいますが、

でも、

報告したかったんです。

 

いつも、読んでくださってありがとうございます。

このブログのおかげで、いま、ぼくは「たのしい」と独り言ができています。

 

それは、読んでくださる人がいるおかげでもあります。

 

だから、報告したかったんです。

カローラにのって、どこまでも生きたい。

 

 

カローラⅡにのって

買いものに出かけたら

サイフないのに気づいて

そのままドライブ

 

 

 

youtu.be

 

 

トヨタカローラⅡのCMに使われた曲です。

小沢健二さんが歌っていて、軽やかでのどかな雰囲気が伝わってきて。

なんというか、乗ってる時間がすべて日曜日になるような気がしてきます。

こんな、のどかな生活をおくれるなら、車に乗ってもいいなぁ。

できたらカローラに乗りたいなぁ。

そんな気分になりながら、今日も家に引きこもっているのですが。

 

 

 

ぼくは、一応、免許は持っているのですが。

最後に乗ったのが卒業試験の教習車で。

もっぱら助手席が指定席になってる、

典型的なペーパードライバーなんです。

仕事で、車にのったり、原付にのったりしないのかと言われたら、

なんでかそういう縁もなく、

2分で充電の切れる電動自転車にのって仕事をしています。

 

 

電動自転車のって

営業にでかけたら

電池ないのにきづいて

そのまま失速

 

 

というような日常が、ぼくの『電動自転車にのって』の歌詞です。

 

車にもあんまり興味が無くて。

周りがどんな車を買おうか悩んでいるときに、

ドラえもんの原画を買うかどうか、

和田誠さんの画集を取り寄せるかどうか、

真剣になやんでいたりするので。

これからも免許証は身分証明書の域を、なかなか脱出できないのですが。

 

 

一枚のカローラ

 

 

先日、写真のフォルダをなんとなく振り返っていたら、

一枚の車の写真が出てきました。

どうしてぼくが、その車がカローラだと分かったかと言うと、

その車に休日はいつも乗っていたからです。

 

 

おじいちゃんっこだったので、休日はほとんど祖父の家へ。

友達とそんなに遊んだりもせずに、基本的に祖父の運転でどこかへ行ってました。

野球を観に行ったり、いとこの家へ行ったり、近くのゲームセンターへ行ったり、

そんなことを高校1年生まで続けているような、だめな孫だったのですが。

 

 

祖父は、タクシーの運転手をしていたので、

仕事をやめて、今度は孫の運転手をやってることをどう感じていただろなぁ。

でも、いっしょに遊んでる感じはすごいあったんですよ。

 

 

カローラの中では、いつも、カセットテープから昭和の名曲が流れてきてました。

クレイジーキャッツとかも、そこで知ったんですよね。

小林旭自動車ショー歌とか、小学校で歌えてましたし。

阪神タイガースの試合や、大相撲の千秋楽があった時は、

中継が流れてたりもしたんですが。

雑談しながら車を運転するのは、祖父にとっては当たり前だったので、

そこでいろんな話を聞いたりしながら。

 

 

たぶんなんだけど、

ぼくはゲーセンに行く楽しみ、

祖父にはドライブをする楽しみ、

その両方をカローラに乗せていたんだと思うんです。

 

 

ぼくは左のほほに、そばかすみたいなシミがあって。

母親が言うには、助手席にずっと座ってたからだそうで。

たしかに右のほほには無いんです。

ずっと、左からさしこむ太陽光を浴びたからなんちゃうかなぁ。

 

 

 

後ろの席は移動ベッド

 

 

後ろの席には、枕とたくさんの漫画が積んでありました。

水泳をやっていたときに、祖父はたまに迎えに来てくれてたので、

疲れはてたぼくにとって、カローラは移動ベッドでした。

枕をおいて、寝転がって漫画を読む。

BGMは昭和歌謡で、

いつのまにか眠っていて、気づいたら家についている。

 

 

「着きましたで」

 

と祖父は、メーターのついていないカローラを止めてぼくに言うんです。

もちろん、タダ乗りですよね。

で、家に泊まって、また次の日どこかへ出かけてました。

 

 

 

 

動かなくなったカローラ

 

 

祖父は、病気になって、車の運転をやめました。

そうですよね、危ないですから。

ぼくも電車に乗ってどこかへ行くことが増えて、

休日は祖父の家にいるんですけど、

一緒にどこかへ行かなくなって、

お土産を買ってくるような生活でした。

 

 

でも会話は、やっぱり、カローラに乗っていた頃と変わらなくて。

相撲中継になればテレビをつけるし、

高校野球は、試合が終われば球児がかわいそうなので電源を切りました。

 

音楽は、いまもクレイジーキャッツが大好きだし、

自動車ショー歌はカラオケで歌います。

 

 

で、そうだ。思い出したんです。

 

 

 

写真フォルダから出てきた、

さして車に興味のないぼくが撮ったカローラは、

別れの日の姿だったんです。

 

 

祖父が病気になった高校2年から、

つかれて眠ってしまった大学2年生の冬の夜まで。

もうかなりの距離を走ったカローラは、

役目を終えてずっと車庫で休憩していたんです。

 

 

ぼくは、そのカローラに乗りたいなぁと思っていたんですが、

どうやらもう一度いろんなところに連れて行ってもらうには、

難しい状態だったみたいで。

維持費を考えた結果、「おつかれさま」を言う必要があると、

父親が判断しました。

 

 

 

おつかれさん

 

 

 

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この写真は、廃車になるカローラの最後の出発を撮ったんです。

画質は、ごめんなさい。当時の携帯の限界です。

 

 

 

夜に、父親の知り合いの業者の人が来て。

長い間ねむっていたカローラを何とか動かして。

ルームランプをつけてもらって、

ぼくはちょっと遠いところでシャッターをきりました。

「おつかれさん」を言いました。

 

 

片づけをしていると、

いつも使っていた枕と、

こち亀の単行本が5冊も出てきました。

そして、大量のカセットテープも。

ぜんぶ、祖父の字で曲名が書かれていました。

 

 

 

 

カローラと別れてから5年ぐらいになります。

たまたま、写真の中で再開して、

いろんなことを思い出してました。

 

 

 

カローラの中は、高校生のぼくにはちょっとせまかったけど、

でもいろんなものに触れることができたと思います。

音楽、スポーツ、祖父の話、漫画。

で、連れて行ってもらったたくさんの場所。

 

一枚のブレた写真は、大切にしようと思いました。

 

 

 

 

 

最初の歌には、こんな歌詞があります。

 

 

カローラⅡにのって

どこまでも行きたいな

ずっとずっと

どこまでも

道はつづくよ

 

 

 

ぼくが、カラオケで自動車ショー歌をうたって、

こち亀を読んで、大相撲中継をみて、

高校野球は試合が終わったらテレビを消して、

映画は『大脱走』を好んで、

クレイジーキャッツに影響をうけた星野源を聴いて、

まいにちをそれなりに生きていることは、

カローラにのった毎日が、

いまも続いているからなんちゃうかなぁと、

 

そう思っているんです。

 

 

 

祖父はヘビースモーカーでした。

ぼくはたばこを吸いません。

祖父は車の運転が上手でした。

ぼくはペーパードライバーです。

 

運転席と、助手席。

その関係性は、しばらくは変わりそうもないのです。

 

 

 

これからも、

カローラにのって、どこまでも生きたいです。

ぼくはいつまでも、妹には適わない。

 

妹は、ぼくよりもずっと泳ぐのが上手だった。県大会に行けるか行けないかで、結局行けずに夏を終えるぼくとは違って、全国大会に出場していた。

 

ぼくよりもずっと根性があった。練習が嫌でとなりのマクドで寝ている兄をよそに、必死に練習をしていた。

 

ぼくよりもずっと人と話すのがうまかった。やる気もないし、人付き合いも苦手なぼくとは違って、コーチとも友達とも楽しそうに会話をしていた。

 

 

7月のはじめに、妹から突然電話がかかってきた。いつもと変わらない、ふてくされたような話し方で、ぼくに聞きたいことがあると。大学四年生の彼女が、この時期に電話をかけてくるなんて理由は1つしかない。就活にきまっている。

 

 

 

聞きたくなかった。

 

妹が就活に悩んでいることは、母親から聞いていた。何かアドバイスをしてあげてほしいと言われて、直接話すのが嫌で、LINEでやりとりを少しだけした。9月になっても、内定が0だったぼくが、何を妹にアドバイスできるのか分からなかった。まして、泳ぎも、人付き合いも上手で、根性もあって、大学生活も水泳をがんばった妹が、就職活動で失敗する理由が、どうしても見当たらなかった。だから、ぼくよりもずっとがんばって、ずっとしっかりしている妹が、就職活動に負けている話は聞きたくなかった。

 

 

「どうやって就活をしたらええのか分からへんねん」

 

 

はやく就職を決めろと言ってくる父母と毎日けんかをしていること。友達がみんな就活を終えていて、自分だけ決まっておらず焦っていること。面接で、どんな話をしたらいいのか、失敗が続いて分からなくなっていること。

 

駅のホームかと思われる音が後ろで聞こえる中、妹は泣き出した。たぶん、どこかの駅のベンチで泣きながら電話をしてきたんだろう。泣いている妹と、話をしたのは小学生の頃にケンカした以来じゃないかと思う。電話になると、きっとはじめてだった。

 

 

申し訳なかった。

 

 

ぼくの妹には、兄がぼくしかいない。10月になっても就活を続けて、入った会社がつらいと毎日嘆いているぼくしかいない。具体的なアドバイスなんて、ひとつも出てこない。就活のことは、もう消し去りたい過去で、思い出すだけでしんどくなってしまう。面白いことを言ったら内定をもらえるとばっかり思ってて、でも、自分は何もない普通の人だと気づいたぼくの就職活動を、妹にさらけ出したくなかった。

 

最終選考の結果を待っているあいだ、家でずっと仏壇の前で祈って、ならない電話をずっと待ったこと。それだけならまだしも、罰当たりに「なんでやねん」と言いながら、チーンを鳴らすやつを叩きまくったこと。友達に会いたくなくて、家か面接かだけの毎日を何か月も続けて、それだけで4年生のほとんどを消費してしまったこと。いつも誰かのせいにして、独り言で自分をなぐさめていたこと。ぜんぶ、言いたくなかった。でも、言わないと、ぼくが就活について何かを言ってあげることが、何にも無かった。

 

 

言いたかった。

 

 

何かをしてあげたかった。というか、負けるなよと言いたかった。ぼくよりも、ずっと一生懸命に頑張って生きてきたくせに、そんな就活なんてくだらないことに負けるなよと言いたかった。ぼくが練習にも行かず家で寝てるあいだも、あんなにしんどい練習を頑張ってたくせに。友達もいっぱいいるくせに。ケガして、競技者としてはしんどくなってしまったけど、それでも水泳が好きで、こどもを教える時給の低いアルバイトを選んだくせに。毎日楽しそうに大学生やってたくせに。負けるんじゃないよと言いたかった。

 

 

 

「ごめん、どういうことを言えば内定をもらえるかは、分からへん」

 

 

電池の減ってきたスマホを充電器にさして、言いました。そして、どうして妹が就活に負けているのか分からないと伝えた。一生懸命やってきたことがこんなにあるのに、胸張ってひたすら言えばいいんだよと伝えた。

 

「ぼくよりもずっと、一生懸命やってきたやん」と付け足した。まぎれもない事実を伝えた。

 

妹は「うん、うん」と聞いていた。「そんなことないよ」とは言わなかった。言わへんのかいとちょっと思ったことは内緒だ。でも、ぼくが兄として伝えることができるのは、すごいなぁといつも思っていた、妹のこれまでの人生についてぐらいだった。

 

 

「がんばるよ、ありがとう」

 

妹の求めているアドバイスはたぶんできなかったけど、無言の時間がちょっと続いて、電話は終わる。そして、それから連絡はまたパタリと止まりました。その間のぼくはというと、特に気にすることもなく、自分の毎日の生活がしんどがることに精一杯でした。

 

 

 

おめでとうを言いたかった。

 

 

先週の金曜日、平日の昼。妹から電話がかかってきた。そのときぼくは、お客様の家にいて、スマホがブーブー鳴っているのを放置して仕事をしていた。着信を告げる振動がとまって、LINEを通知する振動が2回。

 

 

「内定をもらった!」

 

お客さんの家をでて、スマホを開くと、メッセージとスタンプが届いていた。しばらくして、母親からも連絡がきた。

 

 

「おめでとう!」

 

それだけぼくは返信した。本当は電話して、おめでとうを言いたかったけど、なんだか必死でかっこわるいなと思ったし、うれし泣きされても、それはそれでしんどいなと思ったからだ。ぼくにそんな、重く話をしなくていいよと思っていたし。でも、うれしかった。ぼくよりも一生懸命な妹が、負けなかったことが、ただただうれしかった。

 

 

 

 

 

「さっき連絡があって、ぼくの妹が内定が出たらしいんですよ!」

つぎのお客さんの家で、ぼくは思わず話をした。

 

 

「あらそうなの、ほんならまぁ、お祝いぐらいしてあげないとなぁ」

こんなに話が早く進むのかというぐらい、かんたんに成約につながった。

 

 

その日は何も成果が無くて、もどったら上司に怒られるかぁとか思っていたから、すごく救われた。妹に助けてもらった。

 

 

 

もっと内定をとってほしい。

もっと高望みをしてほしい。

どんどん内定をとって、

どんどん良いことを報告してほしい。

 

そして、その良いことをお客さんに報告して、

ぼくも楽して成約を稼いでいきたい。

 

妹よ、兄のためにもっと頑張ってくれ。

 

 

 

そんな、ダメダメなことを考えながら、ヘラヘラしながら支店に戻った金曜日だった。

ぼくはいつまでも、妹には適わない。

高校二年の夏休みは、ひとより1週間長かった。

 

 

クラスメイトが、まだ抜けきらない休み気分に打ち勝って授業に出ているとき、ぼくは家の近くにある漫画喫茶ドリームにいた。個人で経営しているその漫画喫茶は、小さなビルの2階にあって。いつもやる気の無さそうなおばちゃんが、ひとりで店番をしていた。平日のお昼に行っても、補導されるでもなく、制服で行っても何も言わずブース席へ案内してくれた。帰るときには、次回の割引券もあった。で、次の日にすぐ、その割引券を使った。そして、また割引券をもらった。「学校へ行かないとなぁ」って思いながらも、気づけばドリームで『将太の寿司』を読んでいた。

 

 

とにかく、学校へ行くのが嫌だった。なつやすみが終わっても、ずっと、なつやすみでいたかった。だから、とりあえず、人よりも長い休みにすることに決めた。学校へ行くふりをして、自転車は駅前のドリームへ向かう。担任の先生から電話がかかってきそうな夕方に、家へ帰ってきて、築き上げたしんどそうな声で対応する。明日はちゃんと行こうと思って眠っても、目が覚めたら、もう今日は休もうと家を出る。

 

 

将太の寿司』の続きが読みたい。究極の寿司職人 大年寺三郎太と、主人公 将太の料理対決がみたい。割引券をつかって、ボーッとリクライニングに座って寿司漫画を読んだ、延長戦のなつやすみだった。ほんと面白いんですよ、この漫画。もう学校なんて行かなくても、寿司がどれだけ洗練された料理なのか学びたいと思った。どんな困難にも、努力と天才的発想で乗り越えていく将太の姿を見守っていたかった。

 

 

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誰にも何も言われず、フローズンと漫画の生活をつづけた3日目に、母の携帯に先生が連絡した。家に帰ると、激怒して早帰りした母が、まだ明るい時間に晩ごはんの準備をしていた。なぜ学校へ行かないのか、どうしてなにも相談しないのか、嘘をついて何処へ行ってたのか。母は、続けざまにいくつも質問をぼくにした。でも、そんなに特別な理由がなかった。あるとしたら、将太と佐治安人のサバを使った、光り物対決が気になって仕方ないぐらいだった。すごいんですよ。知ってます?関サバって。黄金のサバって。お米の洗い方に、拝み洗いってあるんですよ。タコは大根でなぐって煮込むと、すごい柔らかくなるんですよ。小豆とかもいいです。お茶っ葉もいいです。

 

 

 

 

9月1日は、子どもの自殺がいちばん多いらしい。

 

ニュースで読んだ。気持ちも分からなくはない。いじめにあってる子だったら、そりゃ最悪な月初ですよね。二度と顔を見たくない人と会わないとダメだし、学校は守ってくれないですもんねぇ。登校するというのは、すごく力がいることだし、クラスにいることは、すごく心が苦しいことだろうなぁ。

 

そうだよ、ドリームへ行けばいんだよ。個室にこもって、フローズンを食べながら、『将太の寿司』を1巻から最後まで読んでほしい。読み終わったら、全国大会編を1巻から最後まで読んでほしい。すごく面白くて、学校に行きたくない理由が「読みたい漫画があるから」になるから。

 

 

学校に行きたくない理由を、嫌いなやつのせいにするのはもったいない。

 

 

いまごろ、絶望的な気持ちで夏休みをすごしている人がたくさんいると思うんです。ぼくも、もう四捨五入したら30歳になる立派なおとなですけど、それでも会社の夏休みが明けた月曜日は絶望していました。でも、仕事が嫌とか、上司と会いたくないとか言いたくないんですよね。「どうしても、観たい映画があるから」「もっともっと、夜中までラジオを聴いていたいから」そんな理由で、会社に行きたくないと叫びたい。

 

 

何が言いたいか、ごちゃごちゃしてきました…。

 

 

どうせ嫌なことなら、自分の好きなことを理由に、拒否してみたらいいんじゃないかと思うんです。こんなに、世の中に楽しい物とか、面白い物とか、かわいいアイドルとかがいるのに、自分が好きなものでもっとワガママを言えばいいと思うんです。

 

「嫌いな人たちがいるから学校に行きたくない」と言うよりも、「将太の寿司のつづきが読みたいから学校に行きたくない」と言ってやったらいいんです。イジメられていようが、何もやる気がなかろうが、せめて、好きなものを理由にしてあげないと、自分がかわいそうじゃないですか。すごい面白いんですよ、全国大会編も。将太のクラスメイトに、すげぇ性格の悪いやつがいて、いっつも邪魔するんです。市場の魚をほとんど買い占めされたりするんです。それでも将太は負けないんですよね、あきらめない。

 

 

「将太の寿司 敵」の画像検索結果

 

 

で。

 

ぼくが一週間夏休みを延長して、何を得たのかと言われたら、とくにありません。お寿司をうまく握るための知識と、フローズンは食べ過ぎたらおなかを壊すことを知ったぐらいです。みんなが勉強しているときに、うたた寝したり、親に怒られたりしてました。何一つ、おすすめなんてできません。本当はちゃんと学校に行って、勉強して、内申点を上げたほうが絶対いい。

 

 

でも、それでも、やっぱり学校に行くのがちょっとしんどいなぁと思った人は、漫画喫茶に行ってください。できればドリームという店を探してください。やる気のなさそうなおばちゃんに、個室ブースを依頼して、フローズンを食べながら漫画を読んでください。もちろん、何を読むのかわかってますよね。

 

 

 

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寿司を食べれないから興味がないとか、漫画は読まないとか、そんなお金がないとか、近所にドリームが見つからない人は、もっと楽しい何かをたくさん探してください。YouTubeみて、大好きなアーティストを増やしてみるとか、あこがれる人を見つけて、その人に近づくためにできること探すとか。今ならまだ、間に合います。

 

 

夏休みを延長するなら。学校をちょっとサボるなら。どうせなら、好きなことをしよう。その好きなことは、たぶんだけど、学校の先生から両親に電話がかかってきて、無理やり学校へ行かないとダメになって、本当の気持ちを誰にも相談できなくなったときに、絶対に自分を助けてくれるものになると思うんです。

 

 

ちなみに、将太の苗字は、関口です。

あと、柏手のヤスという人にも注目ですよ。

ぼくはエビ対決の下山が好きなんですが。



いい夏休みを、延長してください。

元気出して、サボろう。

 

百貨店の地下街には、かっこいい大人がいた。

 

大学生活で、アルバイトをいくつか経験した。

 

家庭教師は向いてなかったみたいで、3か月経ったある日、「すいません、来週から夏季講習に通います」と事実上の解雇を宣言された。

 

そのあと、警備の派遣バイトをやった。時給1000円で休憩が1時間に1回あると聞いて、最高だった。はじめての現場で、運転免許も持っていないのに観光バスの誘導を命じられた時は絶望だったけど。神戸ルミナリエの警備では、お子様をかたぐるましているパパを注意する仕事をした。なでしこジャパンが、ワールドカップで優勝した年、澤選手たちをフーリガンから守る警備もあった。結局、なでしこのファンはとてもマナーがよく、ぼくは1人で誰もいない広場に立ちつづけてお金をもらった。19歳で、神戸の成人式の警備もした。自分より、確実に年上の人を注意していいという特権も貰ったにもかかわらず、そんな出番は来ず、きれいな女性の振袖姿をさがしてお金をもらった。

 

 

それからしばらくして、大学の先輩の紹介で、しっかりとシフトを出してタイムカードを押すバイトをはじめた。それが、百貨店のお肉屋さんでの接客販売だった。地下にある食品街で、透明なケースに入った高そうな牛肉、豚肉を量って販売する仕事。時給は下がったけど、とにかく忙しいお店だったから、時間が過ぎるのがとても早かった。3年間続けたことで、手の感覚は成長し、グラム誤差を5g以内で、一発で量ることができるようになった。

 

 

アルバイトをするってことは、誰かに雇われるということです。現場に行けば、たくさんの大人がいるし、百貨店の地下街も大人の社会でした。たくさんの大人に出会って、いちはやく『コンプライアンス』という言葉を耳にするような経験をしたし、煙草を吸って絶望のような顔をした人生の先輩を見てきたわけで。でも、お肉屋さんで出会った店長はとても良いひとでした。正しく言うと、2人目の店長が良い人でした。

 

 

「ちゃんと飯食ってるの?」

「光熱費払ってる?」

 

 

はじめて店長にご飯を連れて行ってもらった日は、まったく覚えていない。だけど、基本的にラストまで仕事をした日は、かならず店長とご飯に行った。もちろん、頻繁に電気が停まるような生活をしていたので、ぼくがお金を出すことは一度もなかった。実家から送られてきた、10㎏のお米を家まで持ってきてくれたり、お肉をご馳走してくれたり。金欠で、コンビニに行くお金がないとき、黒毛和牛のステーキを食べて学校へ行くような訳のわからない学生生活を過ごしました。

 

 

ぼくがコピーライターを目指していると聞いたら、百貨店のチラシの言葉を書く仕事をくれたこともあった。渾身の1行は、きれいに赤ペンでありきたりな言葉に変えられて「ありきたりじゃないと、お客さんは買わないよ」と笑われたり。大量のステーキ肉を渡されて、「これ全部売ったら、晩飯にステーキ食えばいいじゃん」なんて煽られて、晩ごはんは豪華な外食だったり。

 

 

先日、店長と2年ぶりに会った。いまは、ちがうお店に移動していらっしゃるようで、会議でこちらに来ていたそうだ。お誘いを受けた時点で、おごってもらえることは分かっていたのですが、分かっていながら喜んでいける大人って就職してからもいないなぁと思ったりしながら、大阪駅で待ち合わせ。

 

 

「ちゃんと飯食ってるの?」

「光熱費払ってる?」

 

 

会ってすぐに、あの頃とまったく同じ質問を店長はしてきた。「一応、収入はあるので…」と苦笑いしながら返すと、そりゃそうかと悪い笑いをしてはった。お寿司がいい?と聞いてきたのは、ぼくがバイト中にいつも「肉より、魚のほうが好きなんです」とぼやいていたから。相変わらず、なんでも言えるような雰囲気で、結局なんだかんだで数時間後お話をさせてもらった、もちろん、ご馳走になって。

 

 

「そういえば、マスコミ志望だったもんねぇ」

 

 

仕事の話をいろいろしていると、就活時代の話になった。岡山の放送局を受けるとき、交通費がないぼくに「岡山の友だちに会いに行くからさぁ」と車に乗せて連れてってくれたことがあって。その日の晩は、岡山の魚屋さんの店長と、店長とぼくでご飯を食べるという変な組み合わせでご馳走になった。結局、就活はぜんぜんうまくいかなくて、何か月かバイトを休んでいたが、卒業前に復活したときには、また頻繁にご馳走になった。

 

 

ノルマに追われていた店長だったけど、一度もぼくたちにそのプレッシャーは出さず、それなりに仕事をすることだけを求めてくれた。だからこそ、ステーキは全部売ろうと思ったし、雑談するのがすごい楽しかった。「それなり」という力加減を、ぼくに教えてくれたのは店長でした。頑張りすぎず、のらりくらりでも生活は続くし、それで楽しいならいいじゃないのという生き方。

 

 

いま、ぼくは、毎日ノルマに追われている。できるわけのない数字を課せられ、変なプレッシャーをかけられて仕事をしている。同期の子は、パワハラを受けて、何人も会社を辞めた。のらりくらりで、やっていけない状況の子もたくさんいるのだ。店長だって、たまにボロクソに電話で怒られている姿を見た。

 

 

「やる気あんのか?って聞かれたんだよ。あるわけないじゃんか~」

 

 

関西の人じゃないので標準語に近いイントネーションで店長は笑う。ぼくも、対等の立場(おごってもらってるけど)で話をできるようになった。バイトと店長という関係とは、また違った関係性で仕事について話す。ふだん、ぼくがどんな営業をしているのか、上司はどんな人で後輩はどんな子か話す。

 

 

 

「いっつも、誰かにごはんご馳走してもらってるじゃん」

 

 

関西の人じゃないので標準語に近いイントネーションで店長は爆笑した。たしかに、ぼくはいつも誰かにごはんを食べさせてもらっている。営業をしていても、お客さんの家でお昼ご飯をご馳走になるし、お土産があったりだってする。誰かに助けてもらって、生きていると実感する。お肉屋さんで働いていた頃と、誰かにしてもらっていることは変わらない。

 

 

「よかったんじゃないの?うちでバイトしてて」

 

 

ぼくもそう思った。たくさんの大人と接することで、嫌な思いもいっぱいしたけど、良い大人にも出会った。お肉を切る職人さんにもかわいがってもらって、卒業祝いに大量の使わなくなったネクタイをもらったし、パートの女の人には旦那さんが着なくなった服をもらった。父親が着ていますが…。人当たりが良かったら、もっと就活がはやく終わっていたはずなので、理由はよく分からないけど、運が良かっただけなのかもしれないけど。でも、コミュニケーションを大切にするということを、お肉を量りながらぼくは学んでいたのかもしれない。店長に教えてもらったのかもしれない。

 

 

 

「お前はさぁ、とにかく今の営業のことを本にして、放送作家になれよ」

 

 

二軒目に行った、落ち着いた珈琲をグイと飲み干して、店長は立ち上がった。お酒は、ぼくがあんまり得意ではないので、いつも食べ物がおいしい場所か、静かな場所に行くことが多い。店長は、転職する気はないみたいだが、ぼくにはやりたいことをやれと言った。親でもないから、言いやすいのかもしれないけど。だけど、割り切って仕事をしてプライベートを楽しめとは言わなかった。お前の夢なら、どうやって近づけるか考えたらいいし、お前は面白いからやれるんじゃないのかと、「それなり」のテンションで話をして。また遊ぼうと、言って。

 

 

 

「売り場にさぁ、友達がいないんだよ。

 バイトに波瑠に似たかわいい子がいたんだけどさぁ、

 卒業しちゃってさぁ。

 いまはシフトにうるさいはおばさんしかいないんだぁ~」

 

 

頭を抱えながら、苦笑いしながら伝票を持ってレジへ行く。もちろん、ご馳走になって。ぼくは神戸行きの電車に乗って、店長は北陸行きのサンダーバードで北陸へ帰って。

 

 

ぼくが大学時代に出会ったいちばん信用できる大人は、

かっこいい人です。

「劇場版 ぼくと夢の国」 

 

幼稚園のころに、はじめてディズニーランドへ行った。連れて行ってもらった。母に起こされたら、布団で寝たはずが、なぜか車の中にいて。「まっすぐ見ときや~」と父に言われて、高速道路をぼーっと眺めていた。どこにいるのか、なぜ車の中にいるのか、何もわからずしかも眠たい。しばらくして、ぼくの目の前に現れてきた建物が、シンデレラ城であると気づいて、驚きはしゃいだ。

 

 

「え、ディズニーランド?」と聞いたら、

「ちがうで似たような建物やで」と父は言った。

 

 

あの時は、何がなんだか分からなかったけど、きっと父も母もニヤニヤしていたに違いない。なんてたって、前日に一緒にディズニーランドの雑誌を読んでいたからだ。どんな乗り物があるかとか、ミッキーの家がどうとか。とにかく、「ディズニーランドに行きたい」と叫んだ覚えがある。しっかりと、ネタふりをした上で、布団で就寝したぼくをこっそり車に乗せて、夢の国まで運んできたのだ。あの頃の、ふたりの顔や会話を知りたくて仕方ない。ぼくが寝ているあいだ、どんな会話をしていたんだろう。そういう意味では、100点満点のリアクションをした自信がある。

 

 

 

 

 

なつやすみ、神奈川県川崎市。JR登戸駅から出るバスに乗って、となりの席に座った家族を見て、ぼくはディズニーランドにはじめて連れて行ったもらったことを思い出していた。

 

 

ドラえもんがいっぱいなんだよね!」

「これパーマンでしょ?」

「あっ、あっちはコロ助だ~」

 

 

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パーマンで統一された夢のようなバスは、たくさんの家族連れとウキウキのぼくを乗せて進む。「いまから通る橋には、ドラえもんが隠れているんですよ~」運転手さんの案内で、みんなが窓の外を見た。ぼくも、ドラえもんを探す。そして、わぁ~とみんなで言う。

 

 

10分ほどバスに揺られて、徐々に近づいてくる建物。「あっ、あれや~」ぼくが幼稚園に通っていたら、きっとはしゃいで小躍りをしているはず。つきました、兵庫県からやってきまして。

 

 

 

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川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

 

 

 

「SF…すこしふしぎな世界をお楽しみください」

運転手さんが、またぼくの心を躍らせてくる。バスを飛び降りたのは、いつぶりだろう。もう、大好きで、大好きでたまらない藤本先生のミュージアム。ずっと来たくて来たくて、ようやく念願をかなえました。

 

 

 

ちょうどいま、コロコロコミックが40周年を迎えるため、原画展をやっていました。ぼくが小学生の頃に、毎月発刊を楽しみにしていた漫画雑誌。その表紙には、いつもドラえもんがいます。劇場版ドラえもんの連載は、いつもコロコロでされていて、その原画がたっくさん飾られていました。ドラえもんの映画は、ほんと大好きで、どれがいちばんかなんて選べないぐらいで。その実際の原稿が、各作品の解説といっしょに並んでいる。

 

 

「劇場版 ぼくと夢の国」

というタイトルがついてもええんちゃうかと思うぐらいの時間。

 

懐かしい…

 

しばらく、父とはじめてふたりで観に行った映画『のび太と銀河超特急』を見つけて、その絵をずーっと眺めていました。母と映画を観に行くと、いつも感想文を書かされる変わった教育を受けていたので、父と観に行ったときはすごく気楽だったなぁと思い出したりしました。パンフレットも買ってもらったことを覚えているし、すごくワクワクした作品だったなぁ。

 

 

 

Fシアターはタイムマシン

 

 

展示を抜けると、そこにはFシアターというものがあって、小さな映画館でドラえもんたちが出てくるアニメが上映される場所があります。日曜日だから、シアターはぎっしり詰まって、夏のちびっこ上映会と言っていいような状態でした。

 

 

「だれがタヌキだぁ!」

 

「ドラえも~ん」

 

 

ドラえもんがタヌキに間違われたり、のび太君がドタバタで転んだり、小学生たちはとにかく大うけです。つられてぼくも楽しくなる。そっか、いつの間にか、ひとりでドラえもんを観ていて声を出して笑わなくなっていたんだな。小さい頃は、タヌキって言われただけで、大爆笑だったなぁ。小学生と一緒にアニメを観ていると、その時間、ぼくも同じ年になっていたみたいで、しあわせに笑いました。

 

きっと、あのシアターはタイムマシンなのです。

 

 

 

 

グルメテーブルかけ、ほしい。

 

 

ミュージアムには、もうひとつ目玉がありまして。それがカフェなんですよね。今でいうところの、SNS映えしそうなかわいいメニューがたくさんあって、開門と同時に整理券へ走ってる人もいました。ぼくはと言うと、とにかく展示が観たくて、ひとり別ルートを進んでいたので、今回は外から食べてる人たちを眺めるだけで我慢。グルメテーブルかけが欲しいもんです。

 

 

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一緒に昼寝したかった

 

 

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あ、黒べえ

 


自撮り棒、ほしい。

 

 

庭をぶらぶらして、たくさんの仲間たちを見つけて、写真を撮って。ほんとうは、一緒に写りたいけど、シャッターを押してもらう勇気もなくて、外で買ったどら焼きを食べながら川崎市の空を見上げました。と同時に、階段の下を見下げました。

 

あ…

 

 

 

 

 

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映画にも出てきた石化されたドラえもんが、ミュージアムのはじっこにありました。月の光が当たると、呪いが解けて動けるようになるはず。のび太魔界大冒険、怖かったなぁ~。これ、トラウマになった人もいたんちゃうかなぁ。

 

 

 

四次元ポケットが、ほしい。

 

 

満たされて、満たされて、最後にお土産コーナーに行きました。すべての商品が大好きなF先生の作品のグッズ。ほしいものが、ありすぎる。どうしよう。カゴがどんどん重くなってしまう。あぁ、社会人でよかった。好きなものが、買えるというしあわせを初めて感じた瞬間でした。今年の夏は、ほんとうに暑くてつらかったけど、ぜんぶ今日のためにあったんやなぁと自分に言い聞かせて、その手をとめなかった。

 

 

 

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「すいません、これは郵送できますか?」

 

「ごめんなさい、やっていないんです…」

 

 

レジに行く前に、10分悩んだものがあった。どうしよう、大きすぎる。帰りの夜行バスで、どうやって持って帰ったらいいんだろう。お菓子や雑貨はいいけど、これはさすがに買えないかも…。四次元ポケットは、ぼくには無いし…。でも、でも、どうしてもほしくて、買ってしまった。

 

 

 

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父と観に行った、はじめての映画の複製原画です。展示で思い出にひたって動けなくなった絵を買ってしまいました。とっても大きくて、重くて。物流が発展するまえの画商のような格好で、横浜観光をすることになりました。帰りのバスも、たいへんでたいへんで。

 

でも、いまぼくの部屋に置かれたこの絵が、ぼくを元気にしてくれている。あのワクワクをぼくも作ってみたい。夢を忘れないでいようと、眺めるたびに奮起できる気がしています。あの頃に帰れないけど、でも、帰れるような。それは自分の気持ち次第。これからもずっと、あの頃の映画館の自分でいようと思うんです。

 

 

 

藤本先生ありがとう。

 

 

 

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ミュージアムの中庭、あまり人が寄ってこない場所に、この像がありました。

藤本先生がじぶんの作った仲間たちと手を取り合っています。

 

 

 

ウォルトディズニーのように。

ディズニーアニメと雰囲気はちがって、

すこしふしぎな世界だけど、

おなじようにいつまでも夢をくれる。

ドキドキさせてくれる。

 

藤本先生は、いつまでもぼくの憧れで、

たくさんのキャラクターは、いつまでもぼくの友達で、

一緒にすごしてきた時間は、いつまでもぼくの思い出です。

 

 

それにしても、絵を持って旅行するのは、たいへんでした。

 

 

また行きます。

どこでもドア、ほしい。