得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

25年目のサプライズ【ショートショート】

 

宇宙人ご一行は、ずっとその男を見てきた。

男が、少年だったころからずっとである。

今までに、たくさんの人間を見てきたが、これほど長く見てきたことはないようだ。

どれぐらい長いというと、男が32歳になるので、

だいたい25年程は見てきた。

 

 

男は、宇宙人を見ていなかった。

というより、見ることができなかった。

ただ、彼らがこの世に存在するということだけは信じていた。

周りの人間が、男の発言をどれだけ馬鹿にしたって、信じることをやめなかった。

たくさんの本を読み、平日の夜に時たま流れる、

一般的に『うさんくさい』と呼ばれる番組を録画し擦り切れるまで見た。

そして、時おり空を見上げては、

空にうかぶ謎の物体を探すことに人生を注いだ。

 

 

彼らは、男のことが興味深かった。

とにかく、自分たちの存在を否定する人間が多いなか、

男だけが、ロマンを感じてくれている。

それも、25年間ずっとである。

 

小学生は、自由研究をU.F.O.の図鑑を作成。

中学生は、天体望遠鏡をのぞき、星を観察。

高校生は、青春を放ったらかし、宇宙の研究に。

大学生は、もう一度、宇宙人の存在を肯定するための調査に全力を投じた。

卒業後は、NASAでの仕事を熱望していたが、願い叶わず、地元の役所で土地の調査を担当した。

やりたいこととは全く違う仕事をしていたが、それでもなお、

家に帰ると、宇宙のこと、そして宇宙人のことについての勉強を続けた。

そして、宇宙人と出会うことを夢見て25年目。

職場で出会った女性と結婚し、子どもを授かった。

 

 

「あの子も、とうとう結婚して、子どもが生まれたぞ」

 

「こんなにめでたいことは、ほかにないよ」

 

「ほんとうだ。しかし25年もあっという間だなぁ」

 

宇宙人たちの間で、いつも自分たちの存在を信じつづけてくれた男に、

何かプレゼントを贈ろうと会議が行われた。

文明の存在を示すような道具を贈ろうという案も出たが、

そういったことは、彼らの星では犯罪に値する行為であった。

 

悩みに悩んだ結果、ひとつの贈り物がきまった。

それは、『ロマン』である。

存在するのかもしれない。出会えるのかもしれない。

そんな希望が、男をつねに前へ前へと進ませてきた。

我々が存在するかもしれないというロマンこそが、

彼のエネルギーとなっていると宇宙人たちは定義した。

 

サプライズの方法も決まった。

彼が撮った写真に、こっそりと写り込むという手法だ。

シャッターを押した時には気づかれず、

男の趣味であるフィルムカメラの現像が仕上がった瞬間、

そこには宇宙人の存在をかすかに示す『ロマン』が現れる。

突然に現れた未確認飛行物体 U.F.O. に男は喜び、

より強いエネルギーになるに違いない。

 

 

そしてとうとう、宇宙人が起こす小さなサプライズは実行された。

男がシャッターをおろした瞬間に、

写真の真ん中を、未確認飛行物体が横切る。

男は気づかない。それぐらい早いスピードで前をよこぎった。

 

 

数日後、フィルムカメラの現像が完成した。

宇宙人たちは、男を今まで一番楽しそうに観察した。

男がどんな反応を示すのだろうか。

発狂して飛び跳ねるんじゃないだろうか。

写真を宝物にしてくれるんじゃないだろうか。

もしかしたら涙を浮かべるかもしれない、だって25年も信じてきたんだから。

 

 

男は、写真を眺めた。

にこにこしながら写真を順番に眺めていった。

フィルムカメラのいちばん楽しみな時間だ。

出来上がりを順番に眺めていく。

 

そして、手が止まった。

 

男の顔がゆがむ。

 

 

「なんだこれ。ワケの分からん影が入っちゃってるよ・・・最悪だ」

 

 

男の手に握られていた写真は、

娘がはじめて自分で立ち上がった瞬間の写真であった。

一度しかない、たった一度しかこない、

はじめてのあんよの写真だ。

そして、その真ん中には、

まぎれもなく宇宙人たちの仕掛けた、

「よく分からない物体」が前を横切っていたのである。

 

 

 

その日、

25年間追い続けた『ロマン』でさえも、

子を想う親の愛にはかなわないことを、

宇宙人たちは人類から学んだのであった。

そして、サプライズは慎重に行うべきことも、

しっかりと自分たちの星へ持って帰ったのである。

にんげんらしさを、使いこなす。

 

お仕事をさぼるとき。

中で仕事をしているときは、トイレに入る。

いつも通り、便座にてしばらくボーっとする。

 

たぶん、一日に相当な量、ぼくはトイレに行く。

ブルーレット置くだけを、いちばん仕事をさせているのは、きっとぼくだ。

 

頭がこんがらがったら、トイレに行って手を洗うし、

ちょっとイラッとしたら、洗面台で顔を洗う。

 

とにかく嫌なことがあったら、

トイレでぜんぶ水に流してあげる。(あっ・・・ちょっとうまい)

 

仕事にもどったら、堂々としている。

 

 

「どうも、お腹の調子がゆるゆるで・・・」

 

 

うんちってすごいですよ。

うんちの話になると、

みんなすこしだけ対応がゆるくなる。(あっ・・・これも)

 

 

にんげんをすこしだけ、

ゆるくする言葉ってあると思う。

ぼくは、それはすこしお下品だけど、

うんちだと思っている。

 

絶対にみんながするもので、

生理的な現象だから仕方ないもの。

汚いようで、

みんながすこしだけ笑えるちょうどいいとこに、

うんちってあると思うんです。

 

うんこ、じゃだめですよ。

うんちと、うんこの違いは、

かわいらしさがあるかどうか。

 

「どうも、下痢が続いていて」

「どうも、お腹の調子がゆるゆるで」

は全然違って。

 

きっと前者は、うんこ。後者は、うんち。

 

トイレをうまく使う術は、

いかに「うんち」でやりくりするか。

 

あ、もう一個、ぼくは人をゆるくする言葉を知っている。

そうそう。たぶん、今日みんなが一度はしているだろうもので。

 

うんちじゃないですよ。

ぷぅってやつです。おならです。

 

「あぁ、こんなに偉そうに言っている人も、家でおならしてるんやろな」

 

そう思えたら、変にかしこまらずに、

相手の言っていることをすんなりと受け入れることができる気がします。

 


びっしりと書き込まれた新聞記事を読んでいてもそう。

すごく難しいことや、偉そうなことを誰かに言われてもそう。

すごく自己嫌悪に陥らなくてもいい。

 


所詮、おならをする人間の言ってることよ。

ぷぅーってしてるのよ。

 

そんな風に思ってしまったら、

つまらない感情は、吹き飛ばしてしまえる気がします。(おならだけに・・・)

 

おならと、うんち。

2つの、人や気持ちをゆるくする言葉を使ってやってくださいね。

 

 

お下品なんじゃなくて、にんげんらしいと思ってください。

 

 

政治家だって、

アイドルだって、

気難しい上司だって、

 

みんなみんな、

おならもするし、

うんちもするさ。



にんげんらしさを、

使いこなすとは、

こういうことじゃないかと思っています。


はなげ も、

もしかしたら、そうなのかもしれない。


鼻毛じゃなくて。はなげ。


死んでも、いい名前でありたいな。

 

 色々わけがあって、じいちゃんが住んでいた家に住んでいる。

 なんだかんだで、ひとりで暮らすことがしあわせ。

 好きなものを食べて、好きなものを飲んで、

 好きな本を読んで、嫌々な出社。

 帰ってきたら、好きな映画を観て、あんまりな野菜ジュースを飲む。

 気づいたら朝がきていて、また、嫌々な出社。

 

 出社さえなければ、もはや楽園ともいえるこの環境を、

 のびのびと生きています。

 おかげで、体重は増えるし、部屋は本だらけ。

 積み上げられた雑誌のタワーが崩壊をはじめます。

 そして、放ったらかしにされたガス代の未払い通知に気付かず、

 至福の時間をもとめて裸になってひねったシャワーからは、

 冬のつめたさでキンキンに冷えたお水が降ってくることになります。

 

 お風呂のぬくもりと、髪のうるおいを求めて、

 コンビニへ走る瞬間はもう慣れたもので。

 今シーズンは2度目のランニングに思考はいたって冷静です。

 お金を払って、サポートセンターに電話をして。

 契約者の名前を言って、供給を再開。

 しばらくしたら、鼻歌まじりに湯船につかっています。

 

 

 で、変えないといけないのだけれど、

 ぼくの住んでいる場所の公共料金の契約者は、

 祖父の名前になっている。

 ひとりで暮らしていると、人の名前を口に出すことはそうない。

 

 「ガッキー可愛いなぁ」とか、

 「糸井さんやっぱり、あぁ~好きだ~」とか、

 そういった類は別としていただきますが。

 コールセンターの人に契約者の名前を聞かれたときに、

 何か月ぶりだろうか祖父の名前を言った。

 

 「そうだ、じいちゃんって、こんな名前だったなぁ」

 20秒10円もかかる、供給再開の電話をかけながら、ボーっと考えていた。

 

 1月に祖父母が眠っているとこに、手をあわせに行った。

 カラスに蹴飛ばされたコップに水をそそいで、

 生命力がはんぱじゃない草をひっこぬいて。

 ヘビースモーカーの祖父に、すこしだけ線香の煙をあびせて、

 すこしのあいだ二人に手をあわせた。

 

 「いったい、いつになったらぼくは報われるんだよ」

 「いいこと全く起きないんだけど、なんでなのよ」

 

 あてつけのように、もやもやしている悩みを訴える。

 

 「いつも、ありがとうございます」

 「これからも、お守りくださいよろしくおねがいします」

  

 敬意を持って、素直なきもちで感謝をのべる。

 

 じいちゃんばあちゃんに愚痴を言う孫と、

 ご先祖に敬意をしめす一人の子孫と。

 2種類の接し方を、ぼくはしていた。

 

 ガスが停まるまで、名前を口にすることは無いし、

 今後、ひとり言でも絶対言わないと思うけど、

 ぼくは祖父母の戒名をしっかり覚えて帰った。

 なんとなくだけど、戒名ってすごくいい風習だと思ったからだ。

 

 手を合わせると、

 そこには確かに、じいちゃんばぁちゃんがいるんだけど、

 もっと尊い存在がいるような気がして。

 いろいろ思い出して馬鹿にしてるような、

 そのくせに感謝してるような。

 2つの感情を、2つの名前が受け止めてくれてるような気がしたんです。

 

 

 関係ないけど、大好きな夢路いとし・喜味こいし師匠の漫才で、

 鶏は死んだら戒名が「かしわ」

 猪は死んだら戒名が「ぼたん」というやりとりがあった。

 牛は死んだら戒名が「牛肉」なわけで、

 「BEEF」になったらそれは宗教が違うから戒名みたいなのがあるのだろうか。

 どうなのでしょうね。

 

 

youtu.be

 

 

 

 戒名をメモして、家に帰って意味を調べてみる。

 なんと、すごくいい名前を祖父母はつけてもらっていた。

 お葬式のとき、いつもお経をあげてくれるお坊さんがつけてくれたそうだ。

 センスがいいと思ったんだけど、ここには書くのはやめておく。

 戒名であれ、プライバシーというものが多分ある。きっと。

 特定されたらたまらないものね。

 

 ぼくも、いい戒名がついたらええなぁとしみじみ思いました。

 

 

 先日、珍しく部屋を掃除したときに、

 引き出しの奥底から1つのCDが出てきた。

 ジャケット写真には、どこかで見たことのある顔。

 あんまり楽しい時に出会う顔じゃなくて、

 なんとなく悲しい時や、眠たい時に会っていた人の顔。

 

 そうだ、これはあのお坊さんだ。

 

 きっとええ声にちがいないのだけど、

 とりあえずそのままぼくは引き出しにCDをもどした。

 ラベルの付いたまんまの新品のCD。

 

 もうちょっと眠れない夜が続いたら聴いてみようと思う。

 たぶん、重量感のある声なのだろうな。

 星野源とかそういったタイプの声とはまた違う、

 漬物石のような重みのある声なんだろうな。

 

 

 また、忘れたころに出てきたら、

 今度は開けて聴いてみよう。

 

 うちのじいちゃんばあちゃんに、

 あんなに良い戒名をくれる人は、

 いったいどんな詩をきかせてくれるのか、

 ちょっとワクワクしているのですが、

 なおした引き出しを忘れてしまって、

 結局いつもの音楽をたれながしている、

 ひとりの夜になりました。

 

 あぁ、あと数時間で嫌々な出社だ。

 

 

 

そこに触れておく。こと

 

そこに触れておく

 

オーシャンズ13のはじめにマットデイモンが、ブラッドピットに対して、

前作に登場した彼女について尋ねるシーンがある。

 

「彼女はどうした?」

 

「関係無いね」

 

たった一言のやりとりなんだけど。

このやりとりがあるからこそ、そのあとのシーンで彼女は今作に関係の無い存在になる。

ということに、最近やっと気付いた。

 

というのも、ドラえもんのコミックを読んでたときに、

おなじようなシーンが登場したんです。

のび太が、その学力からは到底生まれない疑問をドラえもんにぶつける5コマ。

 

雲を固めることについて、読者が抱く違和感。

 

「その説明は長くなるからやめておこう」

 

「なるほど」

 

たった5コマで、その後ずっと付きまとうである疑問を吹き飛ばしてしまう。

本作とは一切関係ないことにしてしまう。

たった数秒のシーンに製作者の意図があって、すごく好き。

 

誰かと何かを話すときに、

引っかかってほしくないことは先に言う。

 

「そこに触れておく」という手法は、

コミュニケーションに欠かせないものだと気づきました。

 

中村 駿作さんの写真

 

無力で悔しくて、泣きながら自転車に乗った金曜。

ぼくがいちばんお世話になったお客さんが施設に入った。


運用商品のお話を熱心に聞いてくれて、いつも助けてくれたお客さんだった。


もとより、いつも訪問したら一緒に部屋の片づけをしたり、アイスを買っていって食べたり、そんなことをしていた。


昨年の12月30日、ぼくは一年の最後、そのお客さんの家へ行った。


体調がとても悪そうだった。風邪なのか持病なのか分からない。

ぼくにできることは、正月が明けて4日からのデイサービスまでの食料品を買ってきてあげることと、いざという時のために病院の電話番号を大きく書いてあげることぐらいだった。


結婚をしていないので、家族はいない。

親族はいるが、普段は連絡がなく、

お金が必要になったらせびりにくると聞いていた。


お正月が明けて、いちばんにそのお客さんの家へ行った。

やっぱり親族は誰も連絡すらなかったようだった。

その日は、家を掃除して帰った。


数日後から、突然、電話が繋がらなくなった。

毎日通ったが、いつも留守。


そして、今週の月曜日、

お客さんの姪から電話が入った。


「おじが施設に入ったので、お金のことを相談したい」


支店長と一緒に施設へ行った。

とても豪華な施設で、毎日おいしい手作りの料理が出るような場所。

よかったなぁってちょっと思った。

ここなら、生活はとても快適だって思った。


「で、遺言のことでお聞きしたいのですが」


姪の口から、そんな言葉が飛び出たことにぼくはビックリした。

本人の口からではなく、相続人の口から出てきた言葉に、

ぼくはとにかくビックリした。


お客さんは、一切顔をあげてくれなかった。

ただただ、病人あつかいされて体をかかえられて、

「おっちゃん、おっちゃん」と声をかけられていた。


そこから、毎日電話がかかってきた。

もちろん、本人からではなく、相続予定人から。


「おじは、施設からもう出れないので貸金庫に通帳を預けたい」

「鍵とかは、貴重品なので私たちが預かる」


何を言ってるんだと思った。

ようやく元気に生活できるようになりそうな人に、

遺言の話を持ちだし、資産は貸金庫に封印する。

すべてを取り上げて、もはや軟禁状態にされてしまうわけで。

本人の口から、運用の話をされたが、ほとんど無視だった。


許せなかった。

だから、上司にたくさん相談した。

なにか、お客さんと繋がっていられる方法は無いか考えた。


ぼくにできることは何もなかった。

自分の身を守るためには、

ここは言うことを聞かないといけないと言われた。

怒涛のように毎日かかってくる電話。

手続きについての問い合わせ。


今日、お客様の貸金庫の手続きが完了した。


なぜか分からないけど、

手続きに全く関係のない姪の旦那や、娘まで来た。

バタバタと押しかけて、金庫に全てをしまって帰って行った。


印鑑を金庫にしまうと、鍵をなくした時に再発行が大変だということを本人に伝えた。

これがぼくができる唯一の、お客さんを守る方法だった。


もちろん、ぼくみたいな下っ端の発言は流されて、金庫に印鑑はしまわれた。

姪の旦那が、こっそり言ったことが忘れられない。


「印鑑だけあっても、銀行員も何にもできんからええんちゃう?」


悔しくて、久しぶりに泣いた。

久しぶりというか、初めてかもしれない。


結局ぼくは、なにもできず、いちばんお世話になったお客様を施設に帰らせてしまった。

机をひっくり返せなかった。

指さして、「おまえらな」って言えなかった。


一生忘れない悔しいになったと思う。


お金の話をすると、

嫌なことばっかりだ。


つらくてつらくて、嫌になって、

それでもノルマがあるから他のお客さんの家を訪問した。


帰り際に、

「これ息子に買ったついでに、

 あなたにって買ってきたわ。営業は靴下が消耗品でしょ?」


三足の靴下をもらった。

救ってもらった気がした。


ほんとうは、ここに書くかすごく悩んだ。

でも、やっぱり、こうやって書かないとどうしても消化できない自分がいて。


明日から、また、つらいけど自転車にまたがります。


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青春の楽しみ方は、何通りもあるさ。

 

 すこしだけ、特殊な高校生活をおくりました。

 学校の保健室、もしくは、クラスのはじっこにいることが多い高校生活でした。

 サボることもよくあって、家のリビングにいることも多かったです。

 

 学校にも行かず、家にも帰れない日には、

 駅前の漫画喫茶ドリームに夕方までいました。

 仲の良い友達と、そこでバッタリ会って、

 そこで会話しながら漫画を読んだりもしてました。

 個人でやっている小さな漫画喫茶だったので、

 店主のおばさんも何も関与せずにボーっとした時間を楽しんでました。

 夜にはサボりがばれて、親に説教を食らうのですが、

 気づいたらまた、漫画喫茶ドリームにいる高校生活でした。 

 

 文化祭の日には、友達が出ているバンドを見たら、

 囲碁将棋クラブの解放している場所で、

 なにをするでもなく友達と喋っていました。

 だから、囲碁将棋クラブにいることの多い高校生活でした。

 

 

 金曜日に、高校時代の友達と会った。

 休み時間に、大富豪をやっていた友達。

 すごく楽しかったなぁ。

 なんとなく、学生生活を辿るんだけど、

 修学旅行とか文化祭とか、夏休みとか普通の日とか。

 案外いろんなことをぼくはやっていたと思い出しました。

 

 

 真正面から青春に向かっていった日々ではなかったけど、

 それはそれで、すごく楽しかったなぁ。

 友達と話せば話すほど、いろんなことを思い出してきて、

 こんなに早い23時はひさしぶりでした。

 

 

 ぼくは、みんなの中でもとびきり陰気だったので、

 途中は学校に行かなくなったりしたけど、

 いまは卒業して、こうやっておなじ居酒屋にいる。

 

 ひとりでいた時間が長かったぶん、

 ろくな学生生活を過ごしてなかったと勝手に思っていたけど、

 なんだよ案外楽しい3年間だったじゃないかと気づいてしまった夜だった。

 

 

 球技大会の日に、ともだちと2人で映画館へ行った。

 アバターが公開されてすぐの頃で、

 どうしても3Dメガネをかけたいぼくらは学校に行かずに、

 平日の映画館のど真ん中にいた。

 

 その日、ふたりで呪文のように何回も唱えた言葉は、こうです。

 

 

 「ぼくたちが行っても、チームの戦力がさがるから

  そういう意味では、クラスの優勝に貢献している」

 

 

 

 2年ぶりに会った友達だった。

 今度はまた、すぐ会おうと思った。

 

 

 

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宣伝会議賞のせいで、一年でいちばん本屋が怖い日。

 

 2月1日が、なんの日かって言われたら、

 一部の人間はこう答えるのです。

 

 宣伝会議賞の1次審査通過が発表される日

 

 なんの賞かって言うと、

 キャッチコピー、CM案のコンペなのですが。

 ぼくも、毎年何かを掴みたくて必死に応募をしています。

 

 1次審査があって、2、3、ファイナリストと、

 ふるいに沢山かけられて、

 その年のグランプリが決まる非常に大きなコンペなのです。

 

 はじめて応募したのは、大学三年生の時。

 「自分はちょっと面白い」

 こんな漠然とした自信を持って、

 500個ぐらい自信満々のコピーを書いて応募した。


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 結果は、たったの2本。

 1次審査の通過率は、1%ぐらいなのですが、

 ぼくの書いたコピーはそれを大きく下回り、たったの0.4%。

 しかも通過したコピーも、書いたことすら覚えていなかったもの。

 ECCと、学習塾のコピーが1つずつ。

 

 恥ずかしかった。

 折れた鼻が恥ずかしかった。

 なのに、ちょっとだけ雑誌に名前がのって喜んでる自分がいたりして、

 自分はなんてツマラナイ人間なんだろうと心底思った。

 ファイナリスト、グランプリのコピーをみて、

 自分の「面白い」は、なんの意味もない言葉遊びだと気づいた。

 

 

 

 

 次の年は、4本が通過した。

 宣伝会議から発売される本をたくさん読んで。

 ツイッターで〇〇のコピーというお題が出されるアカウントがあって、

 たくさんの人の発想を盗もうとした。

 憧れるようなコピーにもたくさん出会った。

 もちろん、結果は出ず。

 4本のコピーは、あっさり1次審査で終わった。

 

 その時に書いたコピーで、ひとつだけ自分が好きなもの通った。

 

 ・横綱は、自分で学んだから強い。

  (ECCで外国語を学びたくなるコピー)

 

 相撲が大好きで、特に好きなのが取組後のインタビュー。

 海外出身の力士は皆、通訳なしで素晴らしく綺麗な言葉を使います。

 

 稀勢の里横綱に昇進しましたが、、

 その頃は白鵬が負けなしだった時代です。

 

 「あぁ、きっと、海外で活躍する人は、

  自分で言葉を学んだからこそ、精進するし、必死に頑張れるんだろうな」

 

 そんなことを考えて書いたのを思い出します。

 

 

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 昨年度は、9本の通過でした。

 2→4→9と、倍ずつ増えてきた通過数。

 それでも、20本30本通過する人がいるなかで、

 ぼくはアマチュアのアマチュアにはかわりません。

 なにせ、完治不可能なぐらいボッキリと鼻を折られているので。

 

 嬉しいことに、

 結果としては、3次審査まで進むことができました。

 

 通ったコピーは、

 地方銀行で営業をやっているのですが、

 まさかの、ゆうちょ銀行の課題でした。

 

 悶々としていた仕事への気持ちが、

 すこしだけプレゼントをくれた感じがしました。

 あぁ、無駄になってなかったって思いました。

 



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 そこから、宣伝会議賞のコピーライター養成講座に半年通って、

 4度目の、2月1日を昨日迎えたわけです。

 

 

 15本の通過でした。

 昨年よりも、ちょっとだけ前へすすめました。

 

 広告のことに全然興味のない友達に話をしたら、

 「続けてたらやっぱり成長するねんなぁ。それを4年で体現してるんちゃう?」

 って言ってもらえて、スキップしたいぐらい嬉しかったです。

 

 

 今年のぼくは授賞式に行けるのだろうか。

 贅沢を言うならば、行きたい。

 ぼくの1460日は、すこしだけ目標へ近づいていることを願うばかりです。

 

 

 恥ずかしくても、書くぞ。

 ダメダメでも、やるぞ。

 そんな気分で、教わったことや聞いたことを何とか吸収しようとしています。

 たぶん、汚い食べ方ですが、それでもいいのです。

 粘って、粘って、のびたいのです。

 

 ここから、ここから。

 まだまだ勉強の毎日を過ごしていこうと思います。

 

 ちなみに、いまは、

 コピーライター養成講座の上級に通っていまして。

 課題の〆切が明後日に近づくなか、

 自分のブログに逃げてきたのでありました。

 

 

 

ぼくは「従兄弟のお兄ちゃん」であり続けないといけないのだ。

 

 

 もし、あなたの親に兄弟がいて、

 その兄弟に自分より年下の息子や娘がいたら、

 あなたはいとこのお兄ちゃんお姉ちゃんになるわけです。

 

 お兄ちゃんもお姉ちゃんもいなかったので、

 いとこの兄ちゃんはすごく大人に見えていて、

 カードゲームやレゴブロック、ポケモン、何をやっても敵わない存在でした。

 

 何回やっても勝てないカードゲーム。

 圧倒的に強そうなマシンを組み立てるレゴブロック。

 通信ケーブルを持っていることで引き連れているゲンガー、フーディン

 

 何をしても、その強さを見せつけられていました。

 「なにをさせても、すごいなぁ~。大人だなぁ~」って、

 今思うと、ゲームが強いとか、レゴがうまいとか、

 なんとも簡単な理由で羨望の眼差しを向けていたものです。

 

 

 数年がたって、ぼくもいとこの兄ちゃんになった。

 10歳も年下の男の子とよく遊びに行った。

 自転車に乗る練習を手伝ったり、水泳を教えたりした。

 もちろん、カードゲームやポケモンもやった。

 

 

 自転車や水泳は、圧倒的にぼくが教える側。

 全くできない少年に、見本を披露して、ポイントを伝える。

 これは、なんだか気持ちがいい。

 ちょっとずつ上手くなっていく姿を見守ってるのが楽しい。

 

 

 ただ、カードゲームやポケモンは必死だった。

 偶然だったとしても、負ける可能性があるのだ。

 手札がまったくダメで、ボコボコにされたり、

 会心の一撃がヒットして負けてしまう可能性が潜んでいるのだ。

 もし、負けてしまったら、どういう顔をしたらいいのか分からない。

 「大人な、いとこのお兄ちゃん」であり続けるには、

 あらゆる遊びの勝負で負けることは許されないのだ。

 小学生の子に、高校生は「大人やなぁ~」って思われないといかんのだ。

 

 

 …いろんなズルをした。

 手札をばれないように入れ替えたりした。

 負けそうになったらゲームボーイの電池が切れたフリをした。

 レゴは、使いやすいブロックを最初に独占したりした。

 そうやって、「大人な、いとこのお兄ちゃん」として、

 立ちはだかる壁となったのだ。

 

 

 

 社会人になって2年。

 去年から、いとこにお年玉をあげるようになった。

 ぽち袋を買って、親には内緒でそっと渡す。

 もちろん、かわいいから渡すという理由がいちばんだけど、

 

 「いつまでも、俺は立ちはだかる壁だぞ、

  いとこのお兄ちゃんとして崇めるのだぞ 」

 

 なんていうメッセージをこめているのです。

 

 

 もうぼくは、高校生の彼にどんな勝負を挑まれても、

 ズルをせずに確実に勝つ方法を見つけられないなぁ。

 こうなったら、賄賂を出すしかあるまい。

 

 お年玉ってもしかしたら、こんな感じで生まれたのじゃないのかなぁ。

 違うか。

 

 そういえば、今年の正月。

 渾身のジョークを、鼻で笑われたのですが、

 あいつにはまだ分からない笑いだと言い聞かせたわけで。

 お年玉の金額が少なかっただなんて、

 思いたくないわけです。

 

 流石に、そりゃないなぁ。

タイ古式マッサージって、どう古式なんだろ。

 

 マッサージというものに行ったことがない。

 

 スーパー銭湯には頻繁に行くのですが、

 そこにあるマッサージコーナーには一度も入ったことがなくて。

 アカスリも一回もない。

 

 

 肩こりをするほど、パソコンに向かったりしていないし、

 体がバキバキになるほど、肉体労働をしているわけでもない。

 適度に体がしんどくて、精神的にしんどい仕事をしているので、

 なんとも、頑張りをアピールできない日々を過ごしている。

 

 

 なので、どんなマッサージがあって、どんな施術をされて、

 効果はどれぐらいあるのか、値段はいくらぐらいなのか、

 まったく分からない。

 

 先日、いつものようにスーパー銭湯に行った時、

 どうしても気になるマッサージを見つけてしまった。

 

 「タイ古式マッサージ

 

 古式ってなんだろう。

 タイ式マッサージがあるのだろうか、

 比べるとどこがオールドスタイルなんだろうか。

 なにか柔術とか、技名とかがあるのだろうか。

 そんなこんなで興味がグングン湧いてきてしまって、

 だけど、体はそんなにバキバキじゃないし、お値段もそこそこ。

 結局、お風呂のジェットバスの勢いだけで体を癒してきたわけです。

 

 帰ってきても、まだまだタイ古式マッサージへの興味はつきないので、

 タイ古式マッサージの歴史について調べてみた。

 

 なんとまぁ、タイ古式マッサージの創始者は、

 インドのシワカ・コマラパという人だそうで。

 タイなのに、インドなのです。

 そして、このシワカ・コマラパさんは、あの仏陀の主治医であったとのこと。

 精神の病を治すのが仏陀、身体の病を治すのがシワカ・コマラパであって、

 仏教の伝来と共に、タイへとその技が伝わったとされています。

 

「シワカコマラパ」の画像検索結果

 

 

 はじめて、施術を受けた時、仏陀はどんな気持ちだったのだろう。

 

 宇宙人が地球にやって来て、長旅を癒すために、

 施術を受けたらどんな気持ちになるんだろう。

 

 ぼくが、なんの知識もなく初めてタイ古式マッサージを受けたら、

 どんな気持ちになっただろう。

 

 

 気持ち良ければすべてよし。

 案外、結果オーライから生まれてたりして。

 痛いと、気持ちいいは、すごく近くにあったりして。

 

 気になって仕方ないのです。

 なんで、こんなに気になるかって、

 

 

 

 

 

 

 

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    おいてあった写真が、

 どうみても、格闘ゲームのトリッキーな何かにしか見えなかったからなのですが。

 

インターネットと、のらくろの思い出。

 

 

ぼくは、のらくろを、小学校の時に知った。

祖父が、ぼくに教えてくれた漫画。

ほかにもいくつか教えてくれたのだけど、

特にしっかり覚えているのは、のらくろ

 

 

のらくろ という名前の黒い犬の兵隊が、

知恵をしぼって出世していく話だということは、

語り部役である祖父の話で伝わりました。

ちなみに、

話が進むたびに「のらくろ伍長」「のらくろ軍曹」というように、

どんどん出世していくスタイルなので、

今で言う 島耕作シリーズ のようなものだと気づいたのは最近の話です。

 

 

ただ、インターネットがまだ側に無かった小学生。

のらくろの顔が分からない。

黒い犬で兵隊、体はそんなに大きくなくて、知恵をしぼって出世する。

主人公なのだろうけど、どんな顔でどんな言葉を話すのか気になって仕方なかった。

 

 

ある日、家へ行った時に一枚の紙を手渡された。

それは、祖父が描いた、のらくろの絵でした。

ただ、その絵が下手なのか、上手なのかすら分からない。

 

思っていたより体が大きいが、本当なのだろうか。

もっと子どもだと思っていたら、随分おとなのような顔をしているぞ。

 

いろんなことを想像しながら、

その絵が、ぼくの頭の中で「のらくろ」の顔になった。

 

いつもその話を聞くのが日常になっていたので、

作者は田河水泡という人だと聞いていたが、

もはや、作者はおじいちゃんなのではないかと思うぐらいでした。

もしぼくに孫ができたら、バレるまでは、

ワンピースはぼくが作ったことにしようかなぁ。

 

 

 

いつもふたりで近くの古本屋へ行っていた。

ぼくは、こち亀が大好きで、

一冊100円の単行本を2冊買ってもらうのがお決まりになっていた。

その店のレジで、ぼくたちは驚きの出会いをした。

 

 

大特価!のらくろ漫画全集1万6000円!

 ※田河水泡のサイン入りです

 

はじめて出会った、黒い犬だった。

200円しか使わない予定の古本屋で、

祖父はすぐに1万6000円の漫画を買ってくれた。

辞書より分厚い漫画。

あんなに嬉しそうに物を買い与えてくれたのは、初めてだった気がする。

戦時中の自分を支えてくれた漫画家のサインが入っていて、

それを孫と読む時間ができたという嬉しさだったんじゃないだろうか。

だから、即買だったのだろうなぁ。

 

 

あれから、10数年の時が経った。

家の本棚では圧倒的に大きくて重いその漫画全集は、

いまもたまに、ぼくの好奇心をくすぐる。

語り部役だった祖父はもういないけど、

こうやって作品とは出会うことができる、

もっと知りたいと思えばネットで購入だってできる。

思い出と、近い世の中になっている気がする。

 

 

 

今は、インターネットがたくさんの情報を教えてくれる。

漫画全集と奇跡の出会いがなくたって、

その人との思い出に繋がる瞬間はたくさんある。

それってすごいことだなぁって思いながら、

いまぼくは、のらくろを検索して、

こんな話があったんだ!とか、

こんな登場人物いたっけ?とか考えたりしている。

田河水泡という人物にも興味がわいてきた。

 

すべての根っこには、教えてくれた人がいる。

 

語り部って素敵だなぁ。

インターネットってすごいなぁって改めて思いました。

 

 

あぁ、じいちゃんの書いた のらくろ は、

もっとスリムでモデルみたいな体型だったなぁ。

顔もぜんぜん違ったなぁ。



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