得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

嗚呼、8を止めたい。

 

トランプや、ボードゲームが嫌いな時期があった。

 

中学校ぐらいまで属ししていた水泳のクラブチームは最悪だった。力がちょっと強いやつが、カードを配って罰ゲームを決める。しっぺや、でこぴんで泣かされる子とかもいて、それをケラケラと笑っている時間、あの頃、ぼくは大富豪も七並べも、ババ抜きだって大嫌いだった。なんだったら、UNOも嫌いだったし、人生ゲームも嫌いだった。

 

 

高校生になって、とつぜん、それらのゲームが大好きになる。手札を眺めて、どうしようか悩む。そこには、勝利への願望はなく、いかにダイナミックに周りを驚かせた勝ち方をするかを企む空気があったからだ。

 

罰なんて存在しない。負けた人が、つぎのカードを配るぐらい。

 

誰かが、高校生のでこぴんをくらって泣く姿を見るために開催されるような、幼稚な遊びはもうしない。『たのしい時間』を作るために、みんなで企んでいる空気が、大人のすごす遊びなんだろう。

 

 

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『七並べ』を楽しい時間にできる人になりたいと、最近思っている。

 

 

ルールを先に説明しておきますね。

 

 

・1~13まであるトランプのカードを、人数でふりわける

・ひろばには全てのマークの7だけが置かれている

・その数字に繋げるように、みんなが順番にカードを出していく

・手札がなくなった人が勝ち

(出せるカードがなくて、パスが3回になったら負け)

 

地域ごとに違うかもしれませんが、ざっくりこのようなルールです。

 

 

七並べには、8を止めるという技がある。

 

 

7に繋がっている数字を最初に出すところからゲームは動き出す。つまり、6と8を持っている人だけが手札を減らすことができる。

9を持っている人は、8を出してくれる人がいないと、ずーっとそのカードを出すことができずに順番が回ってくる。

「誰やねん、ハートの8をとめてるやつ!」みたいなことを、中盤で誰かが言い出します。

 

 

振り返って気づいたことだけど、ぼくが一緒に何かをしていて楽しいなぁって思う人は、この8を止める技がとても上手い。

戦術としては、小学生でも思いつくこのポピュラーな技。誰かが8を止めていることはすぐに分かってくるし、ゲームが終わるころには犯人は当然ばれる。

 

 

おなじ技を使っていても、「あぁ~やっぱりお前かぁ、やりやがったな笑」と笑って言われている人と、「なんやねん、おもんないわぁ」と思われる人の2種類がある。

 

 

ぼくは、中学校の頃、8を止めている人を心底下劣な奴だと思っていた。ぼくたち弱い人が、9しか持っていないことに気づくと、罰を与えるために絶対に8を出さない。「誰だよ、出さないやつ」とか言いながら笑っている姿が、とても醜く見えていた。そんな空間がとても嫌で、つまらなかった。

 

しかし、高校生になってからというもの、8を止めることはこんなにもゲームを楽しくする技なのかと気づきはじめる。

 

 

負けても、罰がないからだ。

勝っても、報酬がないからだ。

 

じゃあ、なんのために友だちが8を止めるか。

それは、『たのしい時間』を作るため以外にない。

自己の勝利での喜びではなく、心理戦のやりとりや、悪い顔をしてふざけあう時間を一生懸命に作ろうとしているのだ。

 

 

「おまえ、ほんまに七並べ強いなぁ!」ってみんなに褒められても、そんなもの何にもならない。それよりも、「こいつと遊んでると、ゲームが面白くなるなぁ」と内心思ってもらいたいし、「あぁ楽しかったなぁ~」とみんなで共有したい。

 

 

 

空気を作れる人というのは、8を止めるのがうまい人だと思っている。

 

言葉、雰囲気、笑い方、節度、すべてのカードのきりかたがうまい。

嫌がらせにならないように、うまく8を止める。脱落する人が出ないように、ちょうどいいタイミングで8を出す。そうやって、周りを盛り上げてくれる人。そんな人は、やっぱりみんなに誘ってもらえる。

 

 

七並べをうまくなりたい。

 

うまいというのは、「たのしい時間」にすることについてであって、ゲームでの勝利のことじゃないんです。

 

 

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嫌味がある人と、一緒にいて楽しい人は、実はやってることはそんなに変わらない気がする。

 

その行為の先に何を見ているのかで、周りが感じる印象は変わる。

 

 

「自己の欲求を解消するため」にするか、「みんなで楽しい時間をつくるため」にするか。その違いが何気ない表情や、言葉に現れるのじゃないだろうか。不器用だから伝わらないとかは無い。中学生でも、七並べで察することができる話だから。ぼくたちは、もっと丁寧に、誰かといる時間を過ごさないといけない。

 

 

「今日ひま?」というお誘いが友だちから来たことが、どうして嬉しいのか。

 

 

それは、「あなたと一緒にいると、『たのしい時間』が作れる気がする」と言ってもらえているからだと、ぼくは思っている。8を止めることで、みんなを楽しませる人になれたら。普段の何気ない会話でも、いつでも、みんなで楽しもうと思っている人になれたらと、いつも思っている。

 

 

おなじように、大富豪をでも色んな戦術があるのですが、今日はここまでにしようと思う。

 

 

大人になってもトランプを一緒にできる人は、いいですよね。きっと、トランプがなくても、ずーっとくだらない話で笑いあえる仲間なんだろうなぁと、しみじみ思ったりするんです。

 

 

嗚呼、8を止めたい。