血みどろの営業をしてました。
数週間前に、職務質問をうけた。
人のいない海辺で、いつものように絶望に満ちた顔をしながら、胸ポケットにしのばせたWi-Fiの恩恵をうけて、オリンピックの中継を見ていたときの話だ。お巡りさんがやってきて、ぼくの自転車を見る。番号を調べて、さらには何をしていたのか聞いてくる。
「これは、仕事用の自転車でして」
「仕事中なんですが、その、サボっているわけでして」
「人がいないところのほうが、休みやすいので」
もろもろの質問に、なんともぎこちなく答える。お巡りさんも大変だろうが、こっちもいろいろ大変なんだ。でも、気持ちは分かる。
ショッキングピンクの自転車で、こんなところに座り込んでいる人がいたら、怪しいのは当然だ。心配されてもいる気がする。ご迷惑をおかけしましたと、そう今なら言える。
さて。
お巡りさんにお世話になってからも、毎日の生活は変わらない。朝は営業でいちばん早く支店を飛び出し、いつもの海辺に座りに向かう。サボりにはじまり、仕事で終わる。えらそうに言うなら、ルーティンだ。情けなく言うなら、心の頼りだ。
今日も、いつもとおなじように、自転車を走らせて、いつもの場所へ向かっていた。天気がよく、日差しが暖かい。花粉がとんでいるそうだが、ぼくには関係ない。なんと、心地の良い朝なんだ。
う~ん、なんだか、鼻がむずがゆい。何かホコリが入ったか、ちょっとむずがゆい。手の甲で、鼻をこすると、そのかゆさは消える。と同時に、なぜか鼻水が垂れてくる。とどまることを知らないその液体は、ぼくのネクタイを真っ赤に染めた。
・・・鼻血や。
なにがどうなってかは分からないが、鼻からドボドボと血が出てくる。別に、エッチなことを考えていたわけではないのに、漫画のように流れ出る。とりあえず、鼻をティッシュでふざぎ、いつもの海辺へダッシュ。カバンを置いて、いったん落ち着く。
ボトボトボトッ!
ネジがゆるんだ水道管のように、一定のリズムで血は生成される。持っていたティッシュは、そろそろ無くなる。しかし、動くにも動けない。両手は、殺人犯のように血まみれ。顔は、不良漫画のように赤い。そして周りには、部屋の汚いA型の血液が散乱している。
どうしよう。どうすればいい。
今日にかぎって、アポイントが入っている。それも、あと20分。ネクタイは当然はずせるが、カッターシャツはぬげない。いまから支店に帰ったとしても、何も変わらないし、せっかく取れたアポイントを無駄にはできない。明日もサボるためには、日々の積み重ねが大切だ。
行こう、行くしかない。
近くのコンビニで手を洗う。しかし、落ちない。落ちてくれない。ドラマでよくある、一心不乱に人を殺してしまった犯人が、焦って手を洗うシーンを、いま自分がやっている。爪のあいだまで、ゴシゴシ洗う。もちろん、顔面もびしょびしょだ。身に染みて思う、悪いことはすぐばれる。殺人なんてするもんじゃない。
真っ赤なカッターシャツを身にまとい、10時30分。
意を決して、インターホンを鳴らしました。
「あんた、それ・・・どうしたん?」
お客さんは、目を丸くして言った。
「すいません、鼻血を出しちゃいまして」なんて、頭をポリポリかきながら話をする。洗濯をどうするか、どうやって血をとめるのか、本題を置いてそんな話ばっかりが続く。
そして、おまけのように、仕事の話をしました。すると、驚くことにその場で成約になっちゃいました。天気が良かったからか、鼻血を流してまで営業にくるぼくを不憫に思ったのか。
こんな簡単でいいの?って思うほどあっさりで、なんか、こんなことなら、毎日血だらけで営業するスタイルを確立してみようかなんて、文字通り血迷ったことを考えたりしました。
さて、問題は支店に帰ってから。
血だらけで、ボロボロになって帰ってきた営業を、窓口担当の女性陣は心配そうに見つめます。よもや、これがぼくの鼻から出たものだとは思っていないようで、なにか事件に巻き込まれたのかという憶測が飛び交う。しかも、その営業は成約をとって帰ってきていると言う。
ちょっとしたダイハードだ。
血まみれになってでも、事件を解決してビルから降りてくるジョン・マクレーン警部のように、ぼくはいま仕事をしている。そう思うと、もう鼻血ってことは黙っておきたくなってしまう。テロリストと戦ってきたと言ってしまいたい。
「とりあえずさ、ワイシャツとネクタイ買っておいでよ」
上司の低いトーンでの一言に、警部は一瞬で、入社3年目の営業行員にもどる。成約よりも、まずは着替えろとのこと。おかしい、映画ならかっこいいエンドロールが流れるはずなのに。それでも営業は続くのだ。パート2ではない、まだ1の途中なのだ。
血みどろの成約よりも、見てくれが問題なのだ。
コンビニに売ってある無印良品の一式に身を通す。Tポイントが46もつく。店員さんの目線が、確実にぼくの血痕に向かっている。頼む、何も推測しないでくれ。
いつもなら、そんなに入っていないアポイントが、今日はまだある。
13時半、本日ふたつ目のインターホンを鳴らす。
このお客様は知らない。ぼくのカッターシャツが新品で、朝には青色だったネクタイが、ふだんは絶対に着けない赤色になっていることには気づかない。芸能人でもないのに、午前と午後で衣装をかえて、仕事をしていることにツッコミは入れてくれない。
「今日はあったかいですねぇ」
「せやね、でも明日は雨やで」
午前とは一転して、うまく営業はすすまない。話は盛り上がるが、成約にはどうやらつながりそうもない。でも、なんとなく、別日にまたお時間をもらえそうな感じで1時間ぐらい経った。
「これでも、飲んでいきなさい!」
たっ・・・・
タフマン!
だめだ、こんなもん飲んだら絶対にやばい。どんな効能があるのか知らんけど、もうこれ以上に鼻血を出したら倒れるに決まっている。元気がないけど、元気を出したくもない。タフになったら、死んでしまう。飲めない。絶対に飲めない。
普段は絶対に出してくれたものを拒まないのですが、さすがに今はパスしたい。お客さんは、不思議そうな顔をします。
「じつは、鼻血がブーでして」
大爆笑、そして大爆笑。今日の午前中の話をすればするほど笑っていました。成約はなかったですが、まぁ、鼻血のおかげでいい営業をしたと思います。
ちなみに、タフマンの効能を。
こんなことが書いてましたが、いやぁ、飲めません。頭がなんかクラクラしてたんだから。やばいやばい。
今日はそんな一日で、はちゃめちゃで。つかれたなぁと思いながら夕方へ。
「・・・ちょっと待てよ」
帰り道、ふと思う。
大量の血痕を掃除していない。いつもの海辺にのこされた、殺人現場のような血を、そのままにしている。あまり人が来ない場所だけど、なんだか気分が悪い。
そして、あそこには、たまにお巡りさんが来る。
やばすぎる。事件になってしまう。DNA検査をしたら、確実に被害者はぼくだ。
誰にやられたって、完全に加害者もぼくだ。
証拠を隠滅しないといけない。完全犯罪には程遠いが、あまりにも証拠が多すぎる。どうしよう、水でも汲んでブラシでこすったらいいのだろうか。
・・・・いやちょっと落ち着こう。
さっきのお客さんの話が頭をよぎる。
「明日は雨やで」
!!!
明日は雨なのだ。そうだ。天気予報は完全に雨マーク。恵みだ。すべてを洗い流す雨だ。予報をあてにする殺人犯なんて、今までにいたのだろうか。この時点で、完全犯罪はかなり遠のいているが、ここは雨に任せよう。それでも落ちなきゃ、自分で掃除をしよう。
支店に戻ると、幸運がひとつ。
「今期の有給休暇を消費出来てないからさ、とってや~」
ぼくの鼻血があまりにもかわいそうだったのか、上司から思いもよらない一言が。来週には祝日があり、再来週は年度末。もはや、明日しか有休をとる日はないのです。
「いやぁ・・・明日ぐらいしか休める日がなくて」
気まずそうに言うぼくに、上司は即答でOKサインを出しました。
いやぁ、鼻血っていいもんですね。たまには、出してみるもんです。
さて明日は、何をしようかなぁ。せっかくのお休みなので、ゆっくりしたい。買い物でもいいなぁ、本屋さんとか。近くのスーパー銭湯もありだ。なにせ、のんびりしていよう。
あっ、散歩がしたいなぁ。ゆっくり歩く日にしようかなぁ。
「明日は雨やで」
そうだ、明日は雨やった。