K先生、ヤクザやん。
「われ、あんまなめとったら痛い目みるぞ」
土曜のお昼に、再放送で『ミナミの帝王』をよく観た。裏の世界の人間が、ポケットに手を入れ、ゆっくりと相手に近寄りポツリとつぶやく。吉本新喜劇のチンピラ役が、借金をした兄弟を探しにやってきたときに叫ぶ。
確かに迫力があるのだけど、でも、まぁドラマや舞台の上でのお話なので、小学生でもせんべいをかじりながらボーッと眺めることができた。
ぼくは一度も、「われ」という呼称で言い寄られたことは、幸運なことにまだない。でも、いつかあるような気がする。
悪意なくルール違反を行なっていたり、誰かを傷つけたりしたら、「われ、ええ根性しとるな」なんて言われて胸ぐらを掴まれるかもしれない。
どうして、その「われ」と呼ばれる可能性に怯えているか。それは、リアルに言われてる人を見たことがあるからだ。
小学5年生の担任のK先生は、とても明るい人だった。身長は190センチ、アントニオ猪木の名言が大好きで、鉄拳の漫画をみんなに貸してくれたり、嘉門達夫のCDを流したり、とにかく生徒から好かれる先生だった。
たぶん今のぼくと同じぐらいの年齢(25歳)だと思います。
周りのクラスに比べ、おなじ6時間目まですごしていても、とにかく笑いの耐えない教室で、ぼくはK先生の作り出す空気が好きでした。
その先生が、齢10才の少年に、190センチの体で、見たこともないような目つきをして言いよったことがありました。「われ」という言葉を、現実で見たのはそれが最初で最後です。
「われ、あんまり調子のっとったら許さんからな」
K先生、ヤクザやん。
もう、無条件にビビりました。
教室は凍りつき、言われてる当人は目に涙を浮かべてうなずきました。今なら、PTAとかにボロボロに言われるような出来事だったと思います。
どうしてこんなことになったのか。
進学塾に通っていて、中学受験をする予定だった男の子が、勉強ができない子をあざ笑ったのです。
「こんなのも分かんねぇの?」
班のみんなで考える授業をしていた時、彼の発言にK先生はブチ切れました。
怒られてないのにこっちまで震えるぐらいで、大人として子どもに叱るというか、人間として人間に怒っているような気がしました。
その男の子にどこまで悪気があったか分かりませんが、何気なく溢れた言葉がどれだけ人を傷つけるかを、先生は教えたかったのだと思います。やりすぎなのかもしれないけど、でも、ぼくは今でもその「われ」を思い出すのです。
あれから15年ぐらい経つ。
「われ」と呼ばれないためにも、人を傷つけないためにも、あの時のK先生の人間としてのブチ切れを忘れることなく毎日を生きている気がする。
数年前に、小学生の何十周年かの記念で、卒業生が集まるイベントがあったそうだ。
Facebookで友達経由でまわってきた写真には、当時の先生たちから今のぼくたちへのメッセージが書いてあった。
この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ。
アントニオ猪木だ。
40才のK先生もかわってないなと、うれしくなってしまった。同時に、いまでも「われ」と言えているのか気になった。
教師が生徒を叱れない世の中になっている。ぼくはギリギリ、そうじゃない頃に教育を受けれたことに感謝したい。
これからも、ぼくは「われ」に怯えていたい。
適当になにかを言おうとしたら、あの日の教室がチラついて背筋がピシッと伸びている気がします。