普通のゼミ室にいる、すごい大人。
「美味しんぼを読むのが好きです」
大学生になって、文学部社会学科という、なんとなく深そうな学部を選択しました。社会について学ぶって、なんだか幅広そうだし、人間観察が趣味だし、楽しく学べそうだと思って。
実際に、授業はとってもおもしろかった。
映画をみて、核家族のありかたを学ぶと言いながら、「あぁ、ダスティンホフマンかっこいいなぁ」とほれぼれしたり。フジロックの映像をみながら、「あぁ~、自由って最高だなぁ、清志郎に会いたいなぁ」とか言ってみたり。かと思えば、どろどろにかんがえて、人間の心理を論理的に説明してみたり。みんなで、おそろいのシャツとジーパンを着用して、謎の行進をするような、ちょっと危ないんじゃないのって授業を受けました。
そんなたくさんある特徴的な授業をする先生を、ぼくは選びませんでした。NPO・NGOや、ネットワークについてを専門的に研究している先生のゼミを、ぼくは選ぶことにしたんです。「美味しんぼを読むのが好きです」は、ゼミに入れてもらうための用紙に、趣味や特技のらんがあって、ぼくが書いた一行でした。
部屋は、特になにか珍しいものはない。隣のゼミ室には、とある民族の仮面みたいなのがあったけど、ここにはない。ただ机があって、たくさんの本が並んでいる。それだけでした。先生は、おしゃべりでもなければ、物静かでもなく、やってきた生徒とそれなりの会話をしてくれる人で。「おっ俺のもとで学びたいんやな」みたいな教授風もいっさい感じない人でした。
その、ちょうどいい大人の感じにひかれて、ぼくはその日のうちにゼミの志望用紙を書きました。社会学をどうして学びたいのかと、美味しんぼを読むのが趣味ってことをサラサラっと。
あとから聞いた話では、そのゼミはどうしてか理由は分からないけど、結構人気だったみたいで。落ちた友達もいたそうです。理由は分かりません。ぼくも、なんとなくで選んだから。で、なんでか分からないけど、ぼくはゼミに入れてもらった。どうしてなのか、美味しんぼの効力があったのか、じーっと考えたけど、答えは出ませんでした。
「お久しぶりです、2015年卒の中村です」
先生にメールを送るのは、卒業する前が最後だったから、2年半ぶりでした。いまやっている仕事に疲れきっていて、やっぱりやりたいことがあって。でも、これからどうすればいいか分からなくて。すがるような思いで、文章を書きました。
返信はすぐにきて、「じゃあ、ぜひ、ご飯でも行きましょう」でした。東京の大学に転勤になった先生は、たまに神戸にも来ているそうで、時間をとってくれることになったんです。ゼミ室で、ふたりきりで話をしたことはあったけど、ご飯を食べに行くのは初めてで、ぼくはちょっと緊張していました。
先生が泊っている高そうなホテルのロビーで、仕事帰りにスーツで座っているぼく。エレベーターからは、高貴な人がたくさん出てきて、ちょっと居心地がわるく、ソワソワしていたんです。そしたら、見たことのある人が降りてきました。
「久しぶりやねぇ」
どちらからでもなく、なぜか握手をしました。ちょっと欧米的なのでしょうか。それとも、そのホテルの雰囲気がそうさせたのかは分かりません。でも、先生は何も変わっていなくて、おしゃべりでもなく、寡黙でもなく。ふつうにぼくと話をしてくれました。場所をうつして、ちかくのトンカツ屋さんへ歩いていって。
ふだんあんまり飲まないほうなんです。でも、その日は、なんだか飲みたい気持ちになりました。先生に弱音を吐きたかったから。なんというか、はじめて先生と生徒という関係になってみたいと思ったから。
大学教授と生徒の関係ってちょっと不思議で。高校ほど近くなく、でも、1対1で話ができる大人でもある。その不思議な関係に、ぼくは、いまの弱っている自分をゆだねてみようと思いました。
いま悩んでいることを、ぶわぁーっと先生に聞いてもらったんです。そしたら先生は、ぼくの仕事の話を聞きたがりました。なので、銀行でどんなことをしているのか、どんなことを苦しみながらやっているのか、ふだんの胸の内をさらに吐き出して。トンカツを食べながら、先生は聞いていました。
「君はコミュニケーションというものに、いま全力で向き合っているんだよ」
ひとしきりぼくの話を聞いて、先生は言いました。毎日、お客様のもとで、信頼を大切に会話をしているぼくを、肯定してくれた。それも、「全力」と言ってくれた。自分の仕事を、誇りに思ったことなんて一度もなかったし、頑張っていると褒められても、ちっともうれしいことがなかったけど。先生に言われて、すごくうれしかったんです。それに加えて先生は言いました。
「君が頑張っていることは、
本当に頑張ってきたことなんだから、
ちゃんと胸をはって言えばいいんだよ
選ばれようとすると、
どうしても相手にあうように話をする
だけど、選ぶのは向こうなんだから、
いろんなことを考えてしまうぐらいなら
ちゃんと胸をはれることを堂々と言ったらいいんだよ」
先生は、すこしだけ強い口調で、ビールで顔がほてってきたぼくに向き合ってくれました。そうだ、ぼくは、コミュニケーションだけは本当に大切にやってきた。それだけは、この2年半で胸をはれることなんだ。たくさんのお客様と、いろんなくだらない話をしているときも、どんなに周りが「時間の無駄」と捉えるような話をしていても、それだけは大切にしてきた。
心がすっと楽になったと同時に、なんだか、とてつもない勇気のようなものがわいてきたんです。
その日の帰り道、ぼくは、「書くこと」をもっともっと切望することをきめて、いま挑戦している『ほぼ日の塾』へ応募を決めました。
もっといろんなくだらないことも、話しましたよ。先生の旅行の予定とか。ゼミの友達の近況報告とか。あとは、就職活動に病んでしまったぼくが、ぜんぜん卒論を提出しなかった話とか。泣きついてこられて、先生も対応に困っていた話とか。
4年生の12月まで就活をしていたぼくは、ゼミの先生にたくさん迷惑をかけて、ぎりぎり卒論を完成させたから。そういう意味でも、先生には頭が上がらないんです。
「もう一度、卒論を書いてみたい気持ちがあります」
トンカツ屋のはいったビルが、閉店間際の『蛍の光』を流しはじめたときに、ぼくは言いました。先生は、笑っていて。でも、本心でそう言いました。自分の書いたものに、真剣に向き合ってくれて、添削をしてくれて、考えを述べてもらえることはすごくしあわせだと今思うから。だから、ぎりぎりでしのいだ卒論への後悔を先生に伝えました。
それから、1か月後にぼくはもう一度先生へメールを送りました。内容は、いまぼくが一生懸命になれている、『ほぼ日の塾』で書くことができるようになったこと。
先生は、すぐにメールをかえしてくれました。とても祝福してくれました。
「公開されたら、すぐに連絡をください」
と最後に書いてあって。
先日、はじめて編集をした対談が公開されたとき、先生からメールが来ました。そこには、卒論の時と同じように的確に、厳しくもなく、やさしくもなくコメントが書いてありました。
「ざっくり読みましたが、空気感がすごくいいと思いました
でも、接続詞の使い方が、難しいでしょうね、いろんな意味合いをもつから」
そうです。そうなんです。
あっさりとメールでそんなことを言われてしまって。
ざっくりで、そんなにすぐにコメントをくれるなんて。
でも、もっと、先生に面白いと思ってほしいなぁ。
先生は論文のテーマや、分析の方法を、生徒に強要することはありませんでした。NPOについて書けとか、ネットワークについて論じろとか。それは、先生自身がぼくたちの論文を刺激にしたいという思いがあったそうで。
どうして、「美味しんぼを読むのが好き」と書いたぼくを選んでくれたのかは、分かりませんが、でも、恩返しはしたいなぁとぼくは思ってるんです。
あっ、ぼくはいま、
卒論の続きをしているのかもしれません。