ラジオをはじめてみました。
考え事が好きだ。でも、政治の話や、社会問題について、いろいろ考えることが好きなわけではない。
だから、なんてことないことを考えることをつづけてきた。
となりのおじさんが話してたこととか、いつもおなじ場所で会う鳩のこととか、もしも自分がゾンビになったらどんなゾンビだろうとか。こんなのは序の口だ。
本当に、取るに足らないことを考えて生きてきた。
新聞は読んでいるし、世の中でいま何が起きているかも分かっている。
ただ、分かれば分かるほどに、そうじゃないものを見つめたくなる。流行りの何かに決して取り扱われないもののなかから、何かを見つけたいという気持ちが強まってくる。
そういうことを、もっとしたい。そういうことから、自分だけが見つけた光る何かを持って、世の中を歩いていきたい。
ということで、友人とポッドキャストのラジオをはじめてみました。
https://open.spotify.com/show/79WMX6e9qknj906qzSblfg?si=LLT_ENdySIuqMla1S0a7OQ
一緒に話をしてくれるのは、
エッセイストでライターの中前結花さんという方です。
中前さんは、ぼくがまだ銀行員の頃、ほぼ日の塾という文章を学ぶ学校で出会った人で、書く仕事の先輩。温かい目で世の中を見つめて、うねりをあげるような文章で読者を巻き込んでしまうような人です。
そんな中前さんをお誘いして、番組を作ってみました。
番組名は「答えは無いのですが…」。
答えの無いことについて、あーだこーだ話す番組です。
編集の仕方も知らないし、設備もしっかり整っていないのですが、話したいことは尽きません。1時間は長いと分かっているのに、現段階で2回とも1時間。今週からは、もうちょっとお手軽に聴けるサイズにしようかと思っています。
ぼくのこのブログ。記事を更新するのは数年ぶりです。ただ、今でもたまに読んでくださっている人がいる。
いまもまだ、何者でもないぼくですが、あの頃なりたかったコピーライターをやっています。その、何者でもなかった頃のぼくを知っている人に、よかったら聴いてほしいです。
もしよろしければ、聴いてくださるとうれしいです。
電車の並走が好きな理由
晴れた昼下がり、電車に乗っている。
席はうまっているが、車内は比較的空いているようだ。
ドアの近くに立って、外をぼーっと眺める。
すると、となりから別の路線の電車がやってくる。
ふたつの電車が、一時的に並走する。
となりの車両に乗ってる人の顔が、判別できるぐらいの距離。
しばらくすると、さけるチーズのように道は分かれ、2両はそれぞれの目的地へ向かう。
そして、遠ざかっていく、見知らぬ人たち。
ぼくは、この光景がすごく好きだ。
今日も、電車に乗っていて、この一瞬を見つけた。
もし、ここがぼくの通勤路だとしたら、毎日ドアの近くに張り付いて、その瞬間を待ちわびるだろう。
どうして、好きなのか。
それを今日、いくつかの観点から書いてみることにする。
①電車たちのコミュニケーションが見えてくる
機関車トーマスを思い出してほしい。トーマスはともだちのパーシーやゴードンや、エドワードやトビーやヘンリーやエミリーや(うーん、あと誰がいただろうか)…まぁそのへんの乗り物仲間とよく並走する。
雑談を交わしながら、「おぉ、ゴードン!今日の調子はどうや?」「ぼちぼちでんな」みたいな会話をして、「ほな行ってくるわ!」と手を振って分かれていく(機関車に手はないが)。
そういった、無機質なもの同士のコミュニケーションが、この並走には潜んでいると思うのだ。
もしこれが、別の会社の電車同士ならもっと面白い。
「あれ?阪急はん、えらい遅いでんな」
「阪神はん、最近事故が多いと聞いてまっせ」
「…お先に失礼しまっさ」
勝手に会話がはじまっていくのだ。
近しいもので言えば、バスの運転手さんが、向かいからくるバスの同僚に、笑いながら手を挙げる瞬間だろう。
「あっ、やりとりしてる」と思えてくる。それが妙に人間っぽい気がする。
だからぼくは、電車の並走が好きだ。
②見えなかった日常が車両の中にある
電車が並走する時、向こうの車両が丸見えになる。
スマホを触っている女子高生、漫画を読んでいるサラリーマン、寝ているおじさん。赤ちゃんをあやすお母さん。
いろんな人間模様がそこにはある。
なんだったら、サラリーマンが読んでいる今週のジャンプを覗きこんで、ハンターハンターの連載が再開したことに気づくことだってできる。
普段、こんな顔してスマホをいじっているのだろうか。寝ているとこんな姿なのかなぁ。
向こうの電車に乗っている人は、完全なる別世界を生きている。
向かう先もちがう。乗ってる電車もちがう。
だからこそ、ドキュメンタリーのテレビ番組を見ているように、扉ごしの日常をのぞくことができる。
「じぶんも、こんな感じで生きているのか」と、一瞬のあいだに思うことができる。
だから、ぼくは電車の並走が好きだ。
きっと、あれは数秒の日常を眺めることができるドキュメンタリー番組なのだ。
③向こうの車両にはロマンがある
SF小説なんかでよくある話だが、われわれ地球人も別の星の住人からしたら、異星に住む宇宙人であるという捉え方をひっぱり出してきます。
遠い遠いどこかの星で、地球人とは異なるカラダのかたちをした生物が、望遠鏡で地球を見ている。
「パパ、あの星には宇宙人がいるんかなぁ」
「そうやなぁ、おったらええなぁ」
その頃、地球のどこかの家の庭。
「パパ、あの星には宇宙人がいるんかなぁ。
「そうやなぁ、おったらええなぁ」
お互いにおなじようなことを思って、宇宙の何万光年はなれた場所から互いに見つめあっている。なんだか、壮大なロマンを感じませんか。宇宙人が関西弁なのは、ひとまず置いときましてね。
こういうロマンを、ぼくは並走する電車にも感じているのです。
車両は星です。中に乗ってる人たちは、その星の住人です。
ぼくが、「あっ、あんな怖い顔で電車に乗ってる人がいるんや!」とか、「気持ちよさそうに寝てるんやなぁ」とか、「仕事で悩んでるのかなぁ」とか、そういったことを考えながらとなりの電車を眺めている時、おなじように、こっちの車両を眺めている人がきっといる。となりの星の住人をみて、クスクスと笑ったり、なにかを思う人たちがいるはずなのです。
おなじ時、となりの別世界に、おなじことを考えている人がいるかもしれない。
その瞬間は、わずか数秒。
ぼくも、誰かが眺める日常の一部になる。
それを信じることに、とてつもないロマンを感じてしまうのです。
これらの3つが、ぼくが電車の並走が好きな理由だ。
もし、これを読んだ人が、どこかで電車の並走に出くわした時、こう思ってほしい。
あなたがこっちを眺めているとき、どこかであなたのいる日常を眺めている人がいる。
あなたの眺める日常に、ぼくがいるかもしれないし、ぼくが眺める日常に、あなたがいるかもしれない。
マジックは1
広島カープの優勝マジックが、あと1に迫っている。
広島で停まって、新大阪へやってきた新幹線は、優勝をおあずけにされたカープファンをたくさん乗せている。東京までご一緒している、となりの知らない人もそうみたいだ。
今日、勝てなかったけど、カープはおそらく、明後日ぐらいには優勝するだろう。なんとまぁ、三連覇である。
ぼくが、プロ野球に興味を持ち始めた頃、広島と横浜は5位と6位が定位置だった。それが、昨年は広島と横浜がクライマックスシリーズを戦っているのだから、驚きである。
ぼくのおじさんは、カープファンだった。
5位と6位で椅子取りゲームをしている頃、関西が「阪神優勝や!」と騒いでいる頃、おじさんは広島を応援していた。
3年前、おじさんは亡くなった。カープが優勝し、緒方監督が宙を舞う日の、半年ぐらい前に息を引き取った。
おじさんは、面白い人だった。シニカルとか、ウイットが効いたとか、そういう「なんだかよく分からないけど、クスッと笑ってしまう」という言葉は、おじさんのためにあると思っていた。
おじさんは、お酒が好きすぎた。いや、嫌いだったのかもしれない。でも、とにかくよく飲む人だった。
飲んでなければ、いま、カープの三連覇を一緒に心待ちにしていただろう。
おじさんが亡くなって、家を掃除に行った時、お酒が家のそこら中から出てきた。当時、中学生だったいとこの部屋からも、何本も出てきた。
「お酒に負けた」と言ってしまえばそれまでだけど、ぼくはシニカルで、ウィットが効いてるおじさんをよく知っている。小さい頃から、よく遊びに連れて行ってもらったからだ。
プロ野球も、漫画も、音楽も、おじさんの影響を受けていると思う。日曜の昼下がりに遊びに行ったら、奥田民生が流れてるような、そんな家だった。
昨日、いとこの子が遊びにきた。実家に来て、一緒に手巻き寿司パーティーをした。
母親が言う。
「あんたら、何か手伝いぐらいしなさいよ」
「うーん。ほんなら、好きなネタ選んで巻く係をやるわ」
「そんなもん、手巻き寿司は、巻いたらすぐ食べるやないか」
いとこの子は、そのやりとりを気に入ってくれた。同じように、「巻く係」を担うと手をあげた。
おじさんのように、すこし理屈っぽくふざけてみたら、笑ってくれた。
そして、一緒にBSの広島カープの試合を観た。今日は優勝しないけど、とか言いながら、巻く係をまっとうして、食べる係も兼任した。
おじさんは人生の最後のほう、すこし家族に迷惑をかけていたようだ。だから、いとこの子からしたら、その印象が強いままになっている。
ぼくにできることは何か。
たぶん、理屈っぽくふざけて、広島カープの優勝を喜ぶことなんじゃないだろうかと思っている。
面白いおじさんに、たくさん影響を受けたぼくが、楽しそうに生きてれば、それでいいんじゃないだろうか。
そうやって、形がなくなっても、人は繋がって存在していく。終わり方がどうであれ、変えていけるはずだと思う。
実家に帰るときは、ちゃんと連絡をしておこう。次に帰る頃は、カープの日本一について語り合える気がするのだ。
仕事に、へこたれてなんかいられない。
頑張れカープ、優勝だ!
今年は、日本一まで行ってくれ!
タイムトラベルを雑に使うなら。
なめていた。完全に、なめきっていた。
東京から新大阪へ向かう新幹線のなかで、ぼくは立ち尽くしていた。立つしかなかった。
三連休の予定がまっしろだったことには、金曜日の朝に気づいた。かといって、今から何か無理やり遊びに行く予定を詰める気もおきなかった。
疲れている。朝起きたら、体が動かない。髪の毛をセットする気力もあまり起きない。
そんなこんなで、「実家へ帰ろう!」と決めて家を出た。
職場からそのまま、出張帰りのサラリーマンように、駅弁を買って、のんびり眠りながら家へ帰ろう。ポケットWiFiを持ち込んで、好きな番組でもみながら、連休前の夜を楽しもう。そんな心持ちで、仕事に挑む。
あの時に、なぜ、インターネットで指定席を取っていなかったのだろうか。もしも、タイムトラベルを雑に使うなら、朝のぼくに夜のぼくが会いに行き「指定席を取っておけ!」と必死に語りかけただろう。
連休前の新幹線は、ぎゅうぎゅうのぎっちぎちだったのだ。指定席、自由席ともに満席。溢れかえった乗客が、車両のあいだに立ち尽くす。
ぼくも完全にその一人になった。
満員電車ならぬ、満員新幹線にカバンを抱きかかえて乗る。そこには、朝に描いていた優雅な夜は、一ミリもなかった。
周りを見渡すと、みんなスマホを触っている。座れず、体も拘束されたなかで、できることはそれぐらいだった。
「そう甘くはないぞ」
心のなかで、周りの同志たちに語りかける。2時間半も同じ体勢で、スマホをいじることは、かなり無理のある行為だとぼくは思った。
飽きたらどうする。スマホを触ることは、いわば最終手段だ。なんでもできるからこそ、なにもできない可能性もある。この動けない状態で、スマホで遊ぶことさえ飽きてしまったら、もう何もできることがないじゃないか。
まして、充電が切れたらどうする。君にはもう、無言で立ち尽くすしか残っていないのだ。そこからやってくる時間は長く、そして険しい。
胸の奥で、専門家口調のじぶんが、机に膝をつきながら話している。
「じゃあ、何をすりゃええねん!」
観客の中から、そんな声があがる。
ひとりで盛り上がりながら、かばんをごそごそして、ぼくは文庫本を取り出した。
満員のこの状態でも、読めるサイズの小さい本。偶然だけど、ぼくは今日の朝、そんな本をチョイスしていた。
「きみたちが、スマホに飽き出すころに、ぼくはこの本を読み終わるだろう」
得意げに、小説を読み始めた。
もしも、タイムトラベルを雑に使うなら、ここにも飛んでいきたい。君が適当に選んだその小説は、一度読んだことのある推理物だということを。
そして、そのあと、満を持して取り出したスマホは、充電をし忘れていて五分で電源が切れるということを。
もひとつ、そこから周りがスマホをいじってる中、君はなす術もなく、ただただ2時間立ち尽くすということを。
昨日のぼくを救いたい。あぁ、まだ疲れてる。
明るい病室
病室が嫌いだ。
入院したことはないが、病室には何度も来たことがある。テレビがあって、ベッドがあって、景色が綺麗で。一階には喫茶店があって、売店もある。そうきたら、もはやホテルなのだけど、病室とホテルの部屋は全然違う。
明るくしようという空気が、病室には流れている。
共通の認識として、矢印はマイナスのほうを向いている。だけど、50%いや1%の可能性を信じて、みんなが明るくなろうとする。悪いことじゃないし、ぼくもそうするけど、全員の頭のなかに不安は浮かぶ。
。
母が手術をすることになった。そのことを知ったのは、転職して、東京での生活がはじまって2週目のことで、ちょうど「入社してすぐだから、夏休みは取れへんわ」とLINEを打とうとしてた時だった。
電車に乗っていたから、かかってきた電話は取れず、「入院」「手術」という単語を読んだ。
その場で上司に連絡をしたところ、有難いことに、夏休みが生まれた。次の日には新幹線に乗り、関西に帰った。
はじめての帰省。帰省と言えるほど、東京での生活をしてないのに、頭のなかには「帰る」という動詞が強い筆圧で書かれていた。
。
阪急電車に乗った瞬間に、なんだかじんわりとくる。それは、母が心配だからということにしておく。センチメンタルなんて、そんなことを言えるほど、東京に染まってもいないのだ。
「実家」という存在が、際立つ。
新しい生活をはじめてから、色んな夢をみた。出てくる景色、登場人物は関西。
夢に見るほど、まだ東京のことを知らないから当然なのだけど、それがまた寂しいを助長する。
。
あっ、寂しいって言ってしまった。というか書いてしまった。
そうなんだよ。いや、そうやねん。
寂しいねん。
母の病気が発覚してようと、していなかろうと、夏休みはほしかったし、実家に帰りたかった。阪急電車にじんわりしたいし、「関西ええなぁ」と言いたかった。
26歳というと、もっと自立した大人だと思っていたが、自分はかなり弱いほうの大人だった。
弱いからこそ、いろんな人に支えてもらっていたのだと実感した。それが、東京で一人の夜にみる夢だった。
。
2度目の休みをもらって、新幹線に乗りこむ。
手術がとうとう明日に迫ってきていたからだ。
病状は分からなかった。開けてみないと、それが悪者なのか、お騒がせ者なのか、判断がつかないと先生は言う。
9時からの手術を控えたその病室は、ぼくが嫌いなあの空気に包まれていた。不安をかき消したい空気。明るく振る舞いたいけど、そうもいかない、息がつまる状態。
こんな時に面白いことを言えるような大人になりたいと、そう思いながらも、うまく言葉も出てこない。
母の友人が持ってきた、あだち充の『みゆき』を無言で読んだ。
。
主人公の若松真人が、血の繋がらない妹に恋をしながらも、その気持ちを必死におさえつけているその時、父の電話がなる。
予想していたよりも、1時間もはやい、手術の終了を告げるお知らせだった。
電話ではまだ、それが悪者だったのか分からない。漫画をとじて、物々しい雰囲気の部屋へいそぐ。
先生が父を呼ぶ。その間、叔母とふたりで待つ。悲しいかな、病院にいる以上、考えは常に最悪のケースを向いてしまう。
『みゆき』の続きが気になる感情が、心の奥底に浮かぶ。それを「アホか!」とハリセンで叩く。
不安な時にどうでもいいことを考えてしまうことは、許さざるを得ないことだと思う。それはなんか、自己防衛本能が働いてるんだと思う。
漫画とか、映画とか、多少のエロとか、そういうものが、人を救う瞬間ってこんな時にあるんじゃなかろうか。
つまり、エロは人を救う。というようなアプローチの企画は成立するはずだ。最後の晩餐みたいなことで、最後のAVは何を観たいかという、そんな話ができるはずだ。
。
手術を終えた母が戻ってきている。
おそらく、『みゆき』とか言い出したぐらいからご察ししたかもしれないが、母の手術はうまくいった。
悪者の可能性が高かったやつも、お騒がせ者だったらしい。
いま、この病室は明るい。
母から取り除かれたものと、同じぐらい、僕たちからも不安が消えた。
病室の窓から見える景色は、さっきと同じだけど、ちょっと美しくみえる。
。
ただ、隣の部屋ではどうだろうか。
ほとんど同じ角度で、この晴れた日を見渡しながらも、朝の僕たちとおなじ感情の人がいるだろう。朗報を聞いてエレベーターに乗ったとき、同席していた人も、不安でいっぱいかもしれない。
祖父に電話した待合室でも、それを気にして、とても小さい声で話した。なるべく淡々と。だってここは、病院だから。
。
いつ、またわが家に不安がやってくるかは分からない。それは、先生の言葉とおなじで「開いてみないと分からない」のだ。
いまはすこし、東京に帰りたくない。
ホッとした気持ちに隠れて、また東京で一人暮らしをすることに、ビビっている。毎日、慣れないオフィスワークに苦しんでいるのだ。営業でバンバンとまわっていたころと、仕事の仕方も、スピード感もちがう。
会社の規模も違うから、また違う緊張もある。
弱った時に逃げたい場所は、一人暮らしの家から新幹線で2時間半も離れている。
。
長くなった。というか、長く書ける結果になってよかった。
全5巻ある、文庫版の『みゆき』を読み終えた。
大好きな歌の、大好きな歌詞がラストシーンで出てきた。
よかった。本当によかった。
炭作り
忘れていた悔しいことがあった。
忘れているぐらいだから、そこまで大したことではないかもしれない。
だけど、この間、母からその話をされて、そうだそんなことがあったと思い出した。ぼくよりも、両親が悔しかったことらしい。
小学三年生の頃、特別授業みたいなものがあった。田植えをしたり、古くからの物作りを学んだりして、文化を勉強することを目的とした授業だったと思う。
その中で、「炭作り」という時間があった。木を持ってきて火にかけ、自分たちで炭を作り、その大変さを学ぶ。
その日の授業、ぼくは担任の先生に、クラスメイトみんなの前で言い詰められた。
「火にかけるなんて、木が可哀想やんか」
こんなことを、先生にぼくが言ったからだ。炭作りをわざわざ学ぶためだけに、木を燃やす必要があるのかと意見してしまったのだ。
当時の担任の先生は、これに対してすごく怒り、「君がそういうなら、もうこのクラスは炭作りはしません」と言う。そして「もし、火にかける以外で炭を作れる方法があるなら、それをみんなでやってもいい」と付け足す。
まるで一休さんとお殿様のようなやり取りをして、ずいぶん落ち込んだ顔で、ぼくは家に帰ってきたそうだ。
自分のせいで授業が止まったこと、そして、先生に言い負けてしまい何もできなかったこと。そのへんの悔しさは、この話を聞いてムクムクと思い出す。
「火にかけず、炭を作る方法を教えてほしい」
その日の夜、今日のことをすべて話し、父母に相談した。
ふたりに怒られた覚えはない。むしろ一緒になって炭の作り方を調べてくれた。まだ、インターネットも完全に普及していない時代、うちの家には調べる手段が少なかった。それでも、どこで調べてきたのか父が答えをくれた。
「木は、何千年も時を経て、炭になるんや」
つまりそれは、石炭の生まれ方だった。
次の日、先生がぼくに聞く。
「何か方法はありましたか?」
ぼくは父から教えてもらった話をした。ここからは、はっきりと覚えている。先生はこう言った。
「そんなねぇ、何千年もかかるような方法をどうやってやるのよ。できないでしょ」
とにかくショックだった。『火を使わずに、炭を作り出せる』という方法は、授業でやれるかどうかというものさしで一蹴されたからだ。
友だちはみんな、ぼくを励ましてくれた。「まちがってないで。先生に言い返したのがすごい!」と肩を叩いてくれた。
みんなの時間を奪ったことには変わりない。肩を落として、ぼくは家に帰った。変なことを言った自分が悪かったと思ったりもした。
でも、父母は違った。先生に手紙を書いてくれたのだ。木に対して感情を抱くことを、否定せず、意見をぶつけてくれた。
クラスで目立つほうではなかった。中心には立たず、静かに毎日を過ごすタイプだった。だけど、どうしても木の気持ちを言いたかった。
あの日、父母が一緒になって闘ってくれたからこそ、そのまま大人になれた。どうでもいいようなことにも感情移入して、考えすぎてしまう。
いい教育をしてもらったなぁと、今でも思う。周りのクラスメイトには迷惑をかけてしまったから、決して良いことだとは思わないけど。
でも、ふたりが未だに、あの炭作りの話を「悔しかった」と言ってくれることが、自分のこれからを肯定してくれているような気がしている。
西村さんに教えてもらった夏。
昨年の夏、月に一度、東京へ行った。
コピーライター養成講座60周年を記念して、特別に開講された授業に出席するためだった。
講師を務めていらっしゃったのは、西村佳也さん。
西村さんは、ウールマークの「触ってごらん、ウールだよ。」や、サントリー山崎の「なにも足さない。なにも引かない。」を書かれた人でした。
特に、ぼくが西村さんのコピーで大好きなのは、日本生命の「不器用ですから」という言葉です。高倉健さんと言えばの、このフレーズは、実は生命保険のCMで使われた言葉だったのです。
保険の販売をしていたこともあり、この「不器用ですから」という人間の愛らしさが深く刺さりました。世の中には不器用な人たちがたくさんいる。お金の話をするのは、なんだか嫌らしいけど、でもしなくちゃいけない。
たくさんの不器用な人たちの、家族への想いを聞いて保険を販売できた。自分の仕事をすこしだけ肯定できたのは、西村さんのコピーのおかげでした。
毎度のことになるのですが、周りの人たちはみんな、広告業界や言葉を扱う仕事をしている人たちばかりでした。まして、関西から夜行バスに乗って、それも銀行で働きながら通ってる人なんて、ぼくだけでした。
最初の自己紹介、名前を言った瞬間に西村さんは「あぁ…君が…」とボソッとつぶやきました。「はい…」と言いながら、いつものように仕事の話をすこし。
半年にかけて、月に一度行われたその講義。ぼくは朝に東京に着くので、いつも一番乗りで教室に座っていました。西村さんは、静かに入って来られ授業の準備をします。
「あの…不器用ですからは、どうやって生まれたんですか?」
緊張しながらも、先ほどの想いを伝えて聞きました。
「あれはね…高倉健さんは決まっていて、健さんの人柄から生まれた言葉なんだよ」
西村さんは、微笑みながら返してくれました。そこから、すこしだけ銀行の話をしたり、ぼくの営業エリアが、サントリーのトリスの絵を手がけた柳原良平さんの所縁ある場所だったという話をしたり。
講義は、課題が出ます。
西村さんからは、クライアントと一緒にブランドを作り上げていく人になってほしいと、教えを受けました。
ボディコピーもしっかりと隅々まで読んでもらい、点数とコメントが書かれた用紙が返却されます。時に、厳しいことも書かれていました。
最後の課題は、とある製薬会社の企業広告。
「これは、とても面白いので読みますね」
西村さんがいつもの静かな声で読み上げたのは、ぼくが書いたものでした。『なにも足さない。なにも引かない。』そんな風に、たんたんと。
返された用紙には、85点と「面白い!」そう書かれていました。100点には程遠い。だけど、それでも、嬉しかった。
講義が終わると、何人もの生徒が西村さんのもとへ行きました。中には、サインをもらってる人も。ぼくの悪いとこなのですが、輪に入れず、そーっと教室を出る。
挨拶しとけばよかった、なにか話したかった。そんなことを思っていると、お腹が痛くなってくる。便意までやってきて、宣伝会議のトイレでうなっていました。
すっきりして、ビルを出る。東京も、もう来ることもないなぁと思いながら、駅まで歩く。
すると、目の前に西村さんがいました。便意のおかげで、帰りのタイミングが同じになったのです。これほどまでに、うんちに感謝したことはありません。
「ありがとうございました!もう…ほんと大切な時間になりました、でも、コピーライターに
なりたいけどなれなくて…」
「そうだよね、銀行で働いてるんだもんね。…だけど、書くことを続けてくださいね。きっと、君の今の経験が活きてくるから」
駅までの数分間、西村さんと話をした時間は、講義の時間よりも濃密でした。
あれから一年ぐらい経つ。ぼくは、コピーライターになったわけじゃない。言葉を専門に扱う仕事についてもいません。
でも、あの時に教えてもらったこと、夜行バスに乗り込んで東京へ行った日々が、今のぼくの話すことや、考え方に影響を与えているのは確かです。
「いつかまた会いましょう」
西村さんはそう言ってくれました。
最初の課題は自己紹介のキャッチコピー。いくつか提出したコピーの中で、二重丸がついていたものがありました。
「片手の感覚で、物の重さがほぼ分かります」というもので、お肉屋さんのバイト経験についてボディコピーを書いたものでした。
どうしても働きたい会社の書類選考、ぼくは履歴書の特技の欄にこのコピーを書きました。
面接をしてくれた方は、開始早々にこのことについて触れてくださいました。書類選考を通過した理由のひとつに、この特技が引っかかったようです。
「では、今日はここにお肉を用意してるので実演をしてもらって…」なんて冗談を言われて焦ったりしまして。
「あぁ、西村さんのおかげだ」なんて、心の中で思いながら受けたその会社で、来月からぼくは働きます。
西村さん、ありがとうございました。覚えているか分かりませんが、またいつか、お会いしたいです。これからも、書き続けたいと思います。
坂田三吉をやめよう。
「普段、関西弁はどのような感じで話をしてるんですか?」
面接の場で質問をされた。どうやら、敬語の中に、関西弁がちょっとだけ見え隠れしているらしい。どういう時に、「〜やなぁ」が出現しているのか自分なりに考えてみた。
たぶん、じぶんの感じたことを振り返る瞬間に、ぼくは関西弁が出る。
「となりのおじさんの発言が、〇〇だったので、あぁええなぁと思いました」
みたいな感じで、じぶんをさらけ出して、分かってもらいたいとき、ほんの少し関西が顔を出す。
だけど、ぼくの関西弁は、そこまで関西弁ではないらしい。じぶんのことを「わて」なんて言わないし、相手のことを「われ」なんて言えない。「なんでやねん」は言うけど、「でんがな」も「まんがな」も使わない。
大阪の知人にも言われたが、ぼくの関西弁はコテコテの関西人とはすこし違うらしい。兵庫県で生きてきたからなのだろうか。最近、そのことを指摘されて、なぜかすごく嬉しかった。
そうか、ぼくは関西人じゃなくて、ええんや。
スポーツ漫画を読むのが大好きだ。地区予選を闘う主人公たちは、ライバルを倒し全国大会へ進む。すると、各地域の代表がぞくぞくと登場する。
各県の人柄のイメージを、そのまま体現したかのようなキャラクター達が現れる。
大阪の通天閣高校のピッチャーである彼は、とにかく関西弁をこれでもかと使う。甲子園の優勝旗をマニアに売ろうと、商売人の根性をみせたりする。
金にがめつい関西人。情にもあつい関西人。そんなイメージを体現したかのような存在だ。
昨年は、頻繁に東京へ行った。周りの人たちは、当然、ほとんどが関東の人だ。
言葉のイントネーションがちがうだろう。マクドナルドをマックと言うだろう。きっとジャイアンツのファンだろう。たくさんの憶測をもとに、なんとか自己形成を図ろうとしていた。
そういう場所の中で、何かひとつ爪あとをのこして帰ろうと、そう思って夜行バスに乗る。そんなもんだから、会話の中に、すこしだけ意図的に関西を匂わすことを混ぜたりした。
どことなく、自分は坂田三吉であることを意識していた。
じぶんだけが違う環境、全国大会に出てきた気分になっていた。そうなると、肩に力が入りまくる。じぶんで決めた制約に、なんとなくしんどさを感じたりした。
知人に、「コテコテの関西弁じゃない」と言われた時、うれしかった理由は分かっている。いっぱしの関西人という属性の外で、じぶんは形成されてるということに、気づかせてくれたからだろう。
職業や生まれた場所や、そんなところにすがりたくなるけれど、でもなんとなく違う。
ぼくの関西弁と、となりの人の関西弁は違う。おなじ人なんていないし、属性なんてない。
坂田三吉は大好きだ。人情にあつく、そして、通天閣打法なんていう奇想天外な技を披露する。ひょろっとした容姿で、すばらしいストレートを投げるし、大谷翔平よりずっと前から二刀流だ。だけど、じぶんじゃない。おなじ関西人だが、ちがう。ぼくじゃない。
そろそろ、東京へ行くらしい。
どうやら、坂田三吉をやめていいようだ。自然に出てくる関西弁や、ふとした瞬間に活きる銀行での経験を胸に、何ものでもない人として行こうと思う。
『NHKのど自慢』を観てほしい。
カンカンカーン
カ カカカカ カーン
日曜の12時14分、テレビの前に座る。そして、時計の針が15分になった瞬間、いつもの鐘の音が響く。
『NHKのど自慢』がはじまるのだ。
あっと、この番組への愛語る前に、先に言っておきます。ちゃんと受信料は払ってます。というか、これを観るために払っているわけです。
みなさん、のど自慢は観ていますか?観ている人も、観ていない人も、たぶん知っている番組内容をすこしだけ。
オーディションを通過した素人が、歌を披露する。うまい人には、たくさん鐘が鳴り響く。いまいちな人には、ちょっとだけ鐘が鳴る。
シンプルなこのルールのもと、45分の放送時間で、何人もの素人さんたちが自慢の歌を披露するのだ。
ぼくはこの番組が、大好きでたまらない。いつ観ても面白く、いつ観ても笑えて、いつ観ても心温まる。なもんで、今日はぼくがちょっとした、『NHKのど自慢』の楽しみ方を書き留めておきます。
1. 鳴る人は、第一声で分かる。
世の中には、ほんとうに歌がうまい人が沢山いる。のど自慢に出てくるぐらいだから、当然みんな、自分の歌声に自信があるわけだが。その中でも、特別にうまい人がいて、歌い出しの時点で「あぁ、こりゃ鳴るな!」と思うような人が出てくるのだ。
2. 鳴るべく人が、鳴らない時がある。
たまに、鳴るはずの人が、鐘ふたつで終わることがある。どんなにアマチュアの耳でも、さっきの人よりもずっと上手くて魅力的なのに、評価されない時がある。そんな時は、メジャーリーグのファンのように、「おい!なんでだよ!」なんて言いながらブーイングをする。評価の基準は、鐘を鳴らす秋山さんすら知らないのだ。
のど自慢のルールで、鐘が鳴り響いた人にのみ、どこから来たのかと、名前を語ることができます。自分がうまいなぁと思った人でも、名前を知ることなく終わってしまう寂しさが、時に生まれるのです。
3. 役場枠に耳を傾けよう。
のど自慢は、全国各地を毎週まわっている。先週は、山口県の下関市。今週は、香川県の高松市といったように、キャラバン隊のように巡っていく。いわゆる、町おこし的な役割も担っているのだ。そんな中、かなりの確率で、町役場の若手が登場する。若さをいかしたパワフルな歌を披露するが、たいていの場合、鐘はふたつ。でも、彼らの本当の仕事はここからなのである。
「この町の魅力はなんですか?」
司会の人の質問に、若手の職員は地域の魅力を汗を流しながら語る。その姿を見ていると、なんだか『町』っていいなぁと思えてくる。
4. だれが誘ったのか見極めよ。
出場者は、なにもソロで歌うだけではない。夫婦で手を取りあい、練習してきた歌を披露するふたり。近所のママ友が集まって、往年のアイドルの曲を歌って踊る。たいてい、鐘はふたつなのだけど。
そんな時、最初に注目する点があります。それは「いったい、だれが誘ったのか」です。
キャンディーズやモー娘。になりきれていない人を探す。奥さんのノリに、ついていけてない旦那さんの目を見る。そこに「照れ」を垣間見た瞬間、本番までの誘われた側の苦悩に、とてつもない愛らしさを感じるのです。
5. 約40秒の攻防
のど自慢の出場者に与えられる時間は、限られています。たいてい、1人40秒。ほとんどの人が、サビに入る前に鐘の音を聞くことになります。AメロBメロがあって、サビに入っていく曲が多いので、盛り上がって盛り上がって、さぁ!というタイミングで「カンーコーン」と音楽は終わる。
先日、『トイレの神様』を歌っていた女性なんて「おばぁちゃんがこう言った」で時間が来ていました。「トイレには、それはそれは綺麗な女神さまがいるんやで」は、聞かせてもらうこなく終了です。歌い出しから、サビまで間に合うか、妙なハラハラ感がのど自慢にはあります。
6. ゲストの歌をうたう度胸
スタジオには、毎週ゲストの歌手がふたり出演します。ご本人の目の前で、その人の歌を披露する。そんな度胸のある素人さん枠が、必ず登場するのです。上手い、下手。そのへんは無視してもらって、カメラで抜かれるゲストの表情を見てください。
やっぱり、自分の曲を歌ってもらえる嬉しさがあるのでしょうか。にこやかな顔で、手拍子をしている姿は、いいもんです。上手い、下手は抜きにして。
…たいてい、結果は良かないんですが。
7. 家族に届けたい。
会場には、たくさんの観客が来ています。出場者は、それぞれ家族を呼ぶことができるのですが、応援団のように垂れ幕なんかを用意してる人たちもいます。中・高生の出場者が出たときは、両親の顔を見て、「あ、お父さん似やなぁ」とか思ったりできます。
ご家族の頬に、時に涙が流れているのは、歌をうたう理由が「育ててくれた家族への感謝」だったりするからです。出場者の数だけ、ドラマがある。ひとりひとりに、歌う理由があるのがのど自慢です。
8. プロはプロ。
すべての出場者が終わると、のど自慢は一気にクライマックスへ向かいます。本日の優勝者と、特別賞を決めるまでの時間は、ゲストの特別ライブが始まります。
パフォーマンスがはじまった瞬間に、ぼくたちは、「あぁ、歌でご飯を食べてる人はちゃうなぁ」と感心してしまいます。それは、やっぱり、素人とプロの違いを如実に感じることができるこの番組ならではの魅力です。
ただね、毎週観てると思うんです。
上手すぎて物足りない。…完成されてるって物足りないんです。すべてが完璧で、音も外れなくって。
「そこはちょっと下手なステップを踏んでほしい…」なんてことを、求めてしまう自分になってしまいますよ。
…のど自慢とは
わが町に、のど自慢がやってくる。
それを知った、どこかの町のおばあちゃんは、昔着ていたドレスを探す。おじいちゃんは、娘に仕立ててもらったタキシードに蝶ネクタイをつける。友だちと一緒に、ダンスを練習する。応援団はアイドルのファンのように、自分の家族を応援するグッズを作る。町役場の若手は、周囲の期待を一身に背負う。
そして、
家族への想いを、歌にのせようとする。
長年愛した歌で、人生を、披露しようとする。
鐘の数ではない。何を想い、何を伝えるか。ぼくたち視聴者は、それをじーっと見守ることができる番組。それが『NHKのど自慢』です。
もし、自分に勇気があって、運が良くて、のど自慢に出場できたら。
考えてみてください。あなたは、何を歌声に乗せるか。誰のために歌うのか。なんだか、いいですよなぁ。ワクワクしたり、ドキドキしたり勝手にできる。
そろそろ、あなたの町に、のど自慢がやってくるかもしれません。
いつも、ななめ上を向いて。
どんな理由で、仲良くなれたか。きっかけを辿ると、たいてい理由はしょうもない。
少年漫画のように、1年を超える大長編を終えた後に、仲間に加わるような、そんな人間関係をやっていたら人生で仲の良い人は数人しかいなくなる。
それでも、今日もどこかで誰かが、誰かと出会い、仲良くなっている。人と人の関係が生まれることは、終わりではなくスタートラインだ。
だとしたら、そのきっかけに、そこまで大きな理由は必要ない。しょうもなければ、しょうもないほど、その膨らみようにワクワクできる気がしてきます。
前の店で、いちばん良くしてもらったお客さんがいた。団地の散らかった部屋に、独り暮らしをしているおじいさんだった。
そこに行った日の帰りは、スーツによくわからない汚れがたくさん付いたり、通帳を探すために2時間かかるような、そんな環境でその人は暮らしていた。
きっかけは、ピーナッツの4コマ漫画だ。
初めてその人の家に行き、座る場所を作るために部屋を整理した時、一枚の新聞の切り抜きを見つけた。
それは、スヌーピーと仲間たちが、淡々と何かを話をしている短い漫画だった。英語で書かれたセリフを、読む間もなく、その人はぼくが拾った切り抜きを棚にしまった。
ぼくは、この切り抜きを見た瞬間に、「あぁ、仲良くなれそうやなぁ」と嬉しくなった。
それは、スヌーピーに顔が似ていると昔言われていたからとか、そういう理由ではない。言われていたが、違う。目が細いだけやと思うが、そういうことじゃない。醸し出してる雰囲気がって言われると、それはそれでうれし…
はい、理由です。
なんだか、こうやって好きなものをひっそりと切り抜きしようと思う心の動きに、嬉しくなってしまったのです。小さなことかもしれないけど、好きな4コマをみつけて、ひとりでハサミを持った。自分がふだんからそういうことをやってることもあり、おじいさんとぼくは、波長がすごく近いところで動いている気がしました。
ぺらぺらのたった一枚の切り抜きから始まった関係性は、2年続く。その間に、おじいさんの住む場所は、2度変わりました。
彼は、パーキンソン病という病気だったのです。
大好きな俳優マイケル・J・フォックスが、その病気に苦しんでいたことから、ぼくがその病名を聞くのは初めてではありませんでした。そして、その病気を治すことは、まだ難しい世の中であることを知っていました。
フォックスの著書に「いつも上を向いて」という自叙伝がありますが、そこまで前向きじゃなくとも、とりあえず、ななめ上ぐらいを向いて生きる。そんな力強さを、ぼくは感じていたんだと思います。
それは、施設の部屋がどんどんと、好きなもので散らかっていったからなのですが。工具やら、将棋盤やら、はたまた沢山の本やら。あの日、新聞の切り抜きを見つけた時と同じように、また何かが見つかるようなワクワクがありました。(施設なので、適度に整理はされていましたが)
今年の3月。親戚の人から突然連絡が来て、おじいさんは施設を移ることになりました。それは、別の県の山奥にある施設で、親族の人が近い場所にあるそうで。
どんどんと、自由な場所から離れていく生活を、彼はどう思っていたのでしょう。それでも、楽しみを見つけて、ななめ上ぐらいを向くのかなぁ。
「いままで、お世話になりました」
不思議なことに、最後にお礼の挨拶をした翌日、ぼくに転勤の辞令が出ました。
それが、おじいさんの施設の近くなら、ドラマティックなのだが、全然関係ない遠い場所。
「無理せず頑張ってくださいね」
彼のかけてくれた言葉に、仕事を辞めようか悩んでいる話は、相談をしたかった。でもできなかった。となりに上司が座っていたからだ。ぼくが仲良くなったおじいさんは、実はすごくお金持ちだったから。
会社に戻ると、どこからか聞こえてきた。
「お金を持ってる人を見つける嗅覚があるよね」
ふざけるなと。きっかけはすべてしょうもないんだ。一枚の切り抜きなんだ。しょうもないものにしてくれ。汚いものにしないでくれ。
そんなことを思いながら、無性に腹が立った日がありました。
今もどこかで、部屋を散らかしているのだろうか。ひとつだけ言いそびれていたのは、おじいさんの部屋よりも、ぼくの部屋の方が散らかっているんだよってことなのです。
ぼくはフォックスや、おじいさんのようにパーキンソン病の辛さを身をもって知らない。でも、おなじように、上を向いて。いや、ななめ上を向いてぐらいで、進んでいこうとそう思いながら、明日からの仕事に怯えつつ、今日を生きています。