得も損もない言葉たち。

日常をひとます、休まず。

あなたのクスッとをください。

マジックは1

広島カープの優勝マジックが、あと1に迫っている。

広島で停まって、新大阪へやってきた新幹線は、優勝をおあずけにされたカープファンをたくさん乗せている。東京までご一緒している、となりの知らない人もそうみたいだ。

今日、勝てなかったけど、カープはおそらく、明後日ぐらいには優勝するだろう。なんとまぁ、三連覇である。

ぼくが、プロ野球に興味を持ち始めた頃、広島と横浜は5位と6位が定位置だった。それが、昨年は広島と横浜がクライマックスシリーズを戦っているのだから、驚きである。

ぼくのおじさんは、カープファンだった。

5位と6位で椅子取りゲームをしている頃、関西が「阪神優勝や!」と騒いでいる頃、おじさんは広島を応援していた。

3年前、おじさんは亡くなった。カープが優勝し、緒方監督が宙を舞う日の、半年ぐらい前に息を引き取った。

おじさんは、面白い人だった。シニカルとか、ウイットが効いたとか、そういう「なんだかよく分からないけど、クスッと笑ってしまう」という言葉は、おじさんのためにあると思っていた。

おじさんは、お酒が好きすぎた。いや、嫌いだったのかもしれない。でも、とにかくよく飲む人だった。

飲んでなければ、いま、カープの三連覇を一緒に心待ちにしていただろう。

おじさんが亡くなって、家を掃除に行った時、お酒が家のそこら中から出てきた。当時、中学生だったいとこの部屋からも、何本も出てきた。

「お酒に負けた」と言ってしまえばそれまでだけど、ぼくはシニカルで、ウィットが効いてるおじさんをよく知っている。小さい頃から、よく遊びに連れて行ってもらったからだ。

プロ野球も、漫画も、音楽も、おじさんの影響を受けていると思う。日曜の昼下がりに遊びに行ったら、奥田民生が流れてるような、そんな家だった。

昨日、いとこの子が遊びにきた。実家に来て、一緒に手巻き寿司パーティーをした。

母親が言う。

「あんたら、何か手伝いぐらいしなさいよ」

「うーん。ほんなら、好きなネタ選んで巻く係をやるわ」

「そんなもん、手巻き寿司は、巻いたらすぐ食べるやないか」

いとこの子は、そのやりとりを気に入ってくれた。同じように、「巻く係」を担うと手をあげた。
おじさんのように、すこし理屈っぽくふざけてみたら、笑ってくれた。

そして、一緒にBSの広島カープの試合を観た。今日は優勝しないけど、とか言いながら、巻く係をまっとうして、食べる係も兼任した。

おじさんは人生の最後のほう、すこし家族に迷惑をかけていたようだ。だから、いとこの子からしたら、その印象が強いままになっている。

ぼくにできることは何か。

たぶん、理屈っぽくふざけて、広島カープの優勝を喜ぶことなんじゃないだろうかと思っている。
面白いおじさんに、たくさん影響を受けたぼくが、楽しそうに生きてれば、それでいいんじゃないだろうか。

そうやって、形がなくなっても、人は繋がって存在していく。終わり方がどうであれ、変えていけるはずだと思う。


実家に帰るときは、ちゃんと連絡をしておこう。次に帰る頃は、カープの日本一について語り合える気がするのだ。

仕事に、へこたれてなんかいられない。

頑張れカープ、優勝だ!
今年は、日本一まで行ってくれ!

タイムトラベルを雑に使うなら。

なめていた。完全に、なめきっていた。

東京から新大阪へ向かう新幹線のなかで、ぼくは立ち尽くしていた。立つしかなかった。

 

三連休の予定がまっしろだったことには、金曜日の朝に気づいた。かといって、今から何か無理やり遊びに行く予定を詰める気もおきなかった。

疲れている。朝起きたら、体が動かない。髪の毛をセットする気力もあまり起きない。

 

そんなこんなで、「実家へ帰ろう!」と決めて家を出た。

職場からそのまま、出張帰りのサラリーマンように、駅弁を買って、のんびり眠りながら家へ帰ろう。ポケットWiFiを持ち込んで、好きな番組でもみながら、連休前の夜を楽しもう。そんな心持ちで、仕事に挑む。

 

あの時に、なぜ、インターネットで指定席を取っていなかったのだろうか。もしも、タイムトラベルを雑に使うなら、朝のぼくに夜のぼくが会いに行き「指定席を取っておけ!」と必死に語りかけただろう。

 

連休前の新幹線は、ぎゅうぎゅうのぎっちぎちだったのだ。指定席、自由席ともに満席。溢れかえった乗客が、車両のあいだに立ち尽くす。

ぼくも完全にその一人になった。

 

満員電車ならぬ、満員新幹線にカバンを抱きかかえて乗る。そこには、朝に描いていた優雅な夜は、一ミリもなかった。 

 

周りを見渡すと、みんなスマホを触っている。座れず、体も拘束されたなかで、できることはそれぐらいだった。

「そう甘くはないぞ」

心のなかで、周りの同志たちに語りかける。2時間半も同じ体勢で、スマホをいじることは、かなり無理のある行為だとぼくは思った。

 

飽きたらどうする。スマホを触ることは、いわば最終手段だ。なんでもできるからこそ、なにもできない可能性もある。この動けない状態で、スマホで遊ぶことさえ飽きてしまったら、もう何もできることがないじゃないか。

まして、充電が切れたらどうする。君にはもう、無言で立ち尽くすしか残っていないのだ。そこからやってくる時間は長く、そして険しい。

 

胸の奥で、専門家口調のじぶんが、机に膝をつきながら話している。

 

「じゃあ、何をすりゃええねん!」

観客の中から、そんな声があがる。

 

ひとりで盛り上がりながら、かばんをごそごそして、ぼくは文庫本を取り出した。

 

満員のこの状態でも、読めるサイズの小さい本。偶然だけど、ぼくは今日の朝、そんな本をチョイスしていた。

 

「きみたちが、スマホに飽き出すころに、ぼくはこの本を読み終わるだろう」

得意げに、小説を読み始めた。

 

 

もしも、タイムトラベルを雑に使うなら、ここにも飛んでいきたい。君が適当に選んだその小説は、一度読んだことのある推理物だということを。

 

そして、そのあと、満を持して取り出したスマホは、充電をし忘れていて五分で電源が切れるということを。

 

もひとつ、そこから周りがスマホをいじってる中、君はなす術もなく、ただただ2時間立ち尽くすということを。

 

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昨日のぼくを救いたい。あぁ、まだ疲れてる。

明るい病室

病室が嫌いだ。

入院したことはないが、病室には何度も来たことがある。テレビがあって、ベッドがあって、景色が綺麗で。一階には喫茶店があって、売店もある。そうきたら、もはやホテルなのだけど、病室とホテルの部屋は全然違う。

明るくしようという空気が、病室には流れている。

共通の認識として、矢印はマイナスのほうを向いている。だけど、50%いや1%の可能性を信じて、みんなが明るくなろうとする。悪いことじゃないし、ぼくもそうするけど、全員の頭のなかに不安は浮かぶ。



母が手術をすることになった。そのことを知ったのは、転職して、東京での生活がはじまって2週目のことで、ちょうど「入社してすぐだから、夏休みは取れへんわ」とLINEを打とうとしてた時だった。

電車に乗っていたから、かかってきた電話は取れず、「入院」「手術」という単語を読んだ。

その場で上司に連絡をしたところ、有難いことに、夏休みが生まれた。次の日には新幹線に乗り、関西に帰った。

はじめての帰省。帰省と言えるほど、東京での生活をしてないのに、頭のなかには「帰る」という動詞が強い筆圧で書かれていた。



阪急電車に乗った瞬間に、なんだかじんわりとくる。それは、母が心配だからということにしておく。センチメンタルなんて、そんなことを言えるほど、東京に染まってもいないのだ。

「実家」という存在が、際立つ。


新しい生活をはじめてから、色んな夢をみた。出てくる景色、登場人物は関西。
夢に見るほど、まだ東京のことを知らないから当然なのだけど、それがまた寂しいを助長する。



あっ、寂しいって言ってしまった。というか書いてしまった。
そうなんだよ。いや、そうやねん。

寂しいねん。

母の病気が発覚してようと、していなかろうと、夏休みはほしかったし、実家に帰りたかった。阪急電車にじんわりしたいし、「関西ええなぁ」と言いたかった。

26歳というと、もっと自立した大人だと思っていたが、自分はかなり弱いほうの大人だった。

弱いからこそ、いろんな人に支えてもらっていたのだと実感した。それが、東京で一人の夜にみる夢だった。



2度目の休みをもらって、新幹線に乗りこむ。
手術がとうとう明日に迫ってきていたからだ。

病状は分からなかった。開けてみないと、それが悪者なのか、お騒がせ者なのか、判断がつかないと先生は言う。

9時からの手術を控えたその病室は、ぼくが嫌いなあの空気に包まれていた。不安をかき消したい空気。明るく振る舞いたいけど、そうもいかない、息がつまる状態。

こんな時に面白いことを言えるような大人になりたいと、そう思いながらも、うまく言葉も出てこない。

母の友人が持ってきた、あだち充の『みゆき』を無言で読んだ。



主人公の若松真人が、血の繋がらない妹に恋をしながらも、その気持ちを必死におさえつけているその時、父の電話がなる。

予想していたよりも、1時間もはやい、手術の終了を告げるお知らせだった。

電話ではまだ、それが悪者だったのか分からない。漫画をとじて、物々しい雰囲気の部屋へいそぐ。

先生が父を呼ぶ。その間、叔母とふたりで待つ。悲しいかな、病院にいる以上、考えは常に最悪のケースを向いてしまう。

『みゆき』の続きが気になる感情が、心の奥底に浮かぶ。それを「アホか!」とハリセンで叩く。

不安な時にどうでもいいことを考えてしまうことは、許さざるを得ないことだと思う。それはなんか、自己防衛本能が働いてるんだと思う。

漫画とか、映画とか、多少のエロとか、そういうものが、人を救う瞬間ってこんな時にあるんじゃなかろうか。

つまり、エロは人を救う。というようなアプローチの企画は成立するはずだ。最後の晩餐みたいなことで、最後のAVは何を観たいかという、そんな話ができるはずだ。



手術を終えた母が戻ってきている。


おそらく、『みゆき』とか言い出したぐらいからご察ししたかもしれないが、母の手術はうまくいった。

悪者の可能性が高かったやつも、お騒がせ者だったらしい。

いま、この病室は明るい。
母から取り除かれたものと、同じぐらい、僕たちからも不安が消えた。

病室の窓から見える景色は、さっきと同じだけど、ちょっと美しくみえる。



ただ、隣の部屋ではどうだろうか。

ほとんど同じ角度で、この晴れた日を見渡しながらも、朝の僕たちとおなじ感情の人がいるだろう。朗報を聞いてエレベーターに乗ったとき、同席していた人も、不安でいっぱいかもしれない。

祖父に電話した待合室でも、それを気にして、とても小さい声で話した。なるべく淡々と。だってここは、病院だから。



いつ、またわが家に不安がやってくるかは分からない。それは、先生の言葉とおなじで「開いてみないと分からない」のだ。

いまはすこし、東京に帰りたくない。

ホッとした気持ちに隠れて、また東京で一人暮らしをすることに、ビビっている。毎日、慣れないオフィスワークに苦しんでいるのだ。営業でバンバンとまわっていたころと、仕事の仕方も、スピード感もちがう。

会社の規模も違うから、また違う緊張もある。

弱った時に逃げたい場所は、一人暮らしの家から新幹線で2時間半も離れている。



長くなった。というか、長く書ける結果になってよかった。

全5巻ある、文庫版の『みゆき』を読み終えた。
大好きな歌の、大好きな歌詞がラストシーンで出てきた。

 

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よかった。本当によかった。

炭作り

忘れていた悔しいことがあった。

 

忘れているぐらいだから、そこまで大したことではないかもしれない。

 

だけど、この間、母からその話をされて、そうだそんなことがあったと思い出した。ぼくよりも、両親が悔しかったことらしい。

 

 

小学三年生の頃、特別授業みたいなものがあった。田植えをしたり、古くからの物作りを学んだりして、文化を勉強することを目的とした授業だったと思う。

その中で、「炭作り」という時間があった。木を持ってきて火にかけ、自分たちで炭を作り、その大変さを学ぶ。

 

その日の授業、ぼくは担任の先生に、クラスメイトみんなの前で言い詰められた。

 

 

「火にかけるなんて、木が可哀想やんか」

 

 

こんなことを、先生にぼくが言ったからだ。炭作りをわざわざ学ぶためだけに、木を燃やす必要があるのかと意見してしまったのだ。

 

当時の担任の先生は、これに対してすごく怒り、「君がそういうなら、もうこのクラスは炭作りはしません」と言う。そして「もし、火にかける以外で炭を作れる方法があるなら、それをみんなでやってもいい」と付け足す。

 

まるで一休さんとお殿様のようなやり取りをして、ずいぶん落ち込んだ顔で、ぼくは家に帰ってきたそうだ。

 

 

自分のせいで授業が止まったこと、そして、先生に言い負けてしまい何もできなかったこと。そのへんの悔しさは、この話を聞いてムクムクと思い出す。

 

 

「火にかけず、炭を作る方法を教えてほしい」

 

その日の夜、今日のことをすべて話し、父母に相談した。

 

ふたりに怒られた覚えはない。むしろ一緒になって炭の作り方を調べてくれた。まだ、インターネットも完全に普及していない時代、うちの家には調べる手段が少なかった。それでも、どこで調べてきたのか父が答えをくれた。

 

 

「木は、何千年も時を経て、炭になるんや」

 

 

つまりそれは、石炭の生まれ方だった。

 

次の日、先生がぼくに聞く。

 

「何か方法はありましたか?」

 

ぼくは父から教えてもらった話をした。ここからは、はっきりと覚えている。先生はこう言った。

 

 

「そんなねぇ、何千年もかかるような方法をどうやってやるのよ。できないでしょ」

 

とにかくショックだった。『火を使わずに、炭を作り出せる』という方法は、授業でやれるかどうかというものさしで一蹴されたからだ。

 

友だちはみんな、ぼくを励ましてくれた。「まちがってないで。先生に言い返したのがすごい!」と肩を叩いてくれた。

 

みんなの時間を奪ったことには変わりない。肩を落として、ぼくは家に帰った。変なことを言った自分が悪かったと思ったりもした。

 

でも、父母は違った。先生に手紙を書いてくれたのだ。木に対して感情を抱くことを、否定せず、意見をぶつけてくれた。

 

クラスで目立つほうではなかった。中心には立たず、静かに毎日を過ごすタイプだった。だけど、どうしても木の気持ちを言いたかった。

 

 

あの日、父母が一緒になって闘ってくれたからこそ、そのまま大人になれた。どうでもいいようなことにも感情移入して、考えすぎてしまう。

 

いい教育をしてもらったなぁと、今でも思う。周りのクラスメイトには迷惑をかけてしまったから、決して良いことだとは思わないけど。

 

でも、ふたりが未だに、あの炭作りの話を「悔しかった」と言ってくれることが、自分のこれからを肯定してくれているような気がしている。

 

 

西村さんに教えてもらった夏。

 

昨年の夏、月に一度、東京へ行った。

 

コピーライター養成講座60周年を記念して、特別に開講された授業に出席するためだった。

講師を務めていらっしゃったのは、西村佳也さん。

西村さんは、ウールマークの「触ってごらん、ウールだよ。」や、サントリー山崎の「なにも足さない。なにも引かない。」を書かれた人でした。

 

特に、ぼくが西村さんのコピーで大好きなのは、日本生命の「不器用ですから」という言葉です。高倉健さんと言えばの、このフレーズは、実は生命保険のCMで使われた言葉だったのです。

 

保険の販売をしていたこともあり、この「不器用ですから」という人間の愛らしさが深く刺さりました。世の中には不器用な人たちがたくさんいる。お金の話をするのは、なんだか嫌らしいけど、でもしなくちゃいけない。

 

たくさんの不器用な人たちの、家族への想いを聞いて保険を販売できた。自分の仕事をすこしだけ肯定できたのは、西村さんのコピーのおかげでした。

 

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毎度のことになるのですが、周りの人たちはみんな、広告業界や言葉を扱う仕事をしている人たちばかりでした。まして、関西から夜行バスに乗って、それも銀行で働きながら通ってる人なんて、ぼくだけでした。

 

最初の自己紹介、名前を言った瞬間に西村さんは「あぁ…君が…」とボソッとつぶやきました。「はい…」と言いながら、いつものように仕事の話をすこし。

 

半年にかけて、月に一度行われたその講義。ぼくは朝に東京に着くので、いつも一番乗りで教室に座っていました。西村さんは、静かに入って来られ授業の準備をします。

 

「あの…不器用ですからは、どうやって生まれたんですか?」

 

緊張しながらも、先ほどの想いを伝えて聞きました。

 

「あれはね…高倉健さんは決まっていて、健さんの人柄から生まれた言葉なんだよ」

 

西村さんは、微笑みながら返してくれました。そこから、すこしだけ銀行の話をしたり、ぼくの営業エリアが、サントリーのトリスの絵を手がけた柳原良平さんの所縁ある場所だったという話をしたり。

 

 

講義は、課題が出ます。

 

西村さんからは、クライアントと一緒にブランドを作り上げていく人になってほしいと、教えを受けました。

ボディコピーもしっかりと隅々まで読んでもらい、点数とコメントが書かれた用紙が返却されます。時に、厳しいことも書かれていました。

 

最後の課題は、とある製薬会社の企業広告。

 

「これは、とても面白いので読みますね」

 

西村さんがいつもの静かな声で読み上げたのは、ぼくが書いたものでした。『なにも足さない。なにも引かない。』そんな風に、たんたんと。

 

返された用紙には、85点と「面白い!」そう書かれていました。100点には程遠い。だけど、それでも、嬉しかった。

 

 

講義が終わると、何人もの生徒が西村さんのもとへ行きました。中には、サインをもらってる人も。ぼくの悪いとこなのですが、輪に入れず、そーっと教室を出る。

 

挨拶しとけばよかった、なにか話したかった。そんなことを思っていると、お腹が痛くなってくる。便意までやってきて、宣伝会議のトイレでうなっていました。

 

 

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すっきりして、ビルを出る。東京も、もう来ることもないなぁと思いながら、駅まで歩く。

 

すると、目の前に西村さんがいました。便意のおかげで、帰りのタイミングが同じになったのです。これほどまでに、うんちに感謝したことはありません。

 

「ありがとうございました!もう…ほんと大切な時間になりました、でも、コピーライターに

なりたいけどなれなくて…」

 

「そうだよね、銀行で働いてるんだもんね。…だけど、書くことを続けてくださいね。きっと、君の今の経験が活きてくるから」

 

駅までの数分間、西村さんと話をした時間は、講義の時間よりも濃密でした。

 

 

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あれから一年ぐらい経つ。ぼくは、コピーライターになったわけじゃない。言葉を専門に扱う仕事についてもいません。

 

でも、あの時に教えてもらったこと、夜行バスに乗り込んで東京へ行った日々が、今のぼくの話すことや、考え方に影響を与えているのは確かです。

 

「いつかまた会いましょう」

 

西村さんはそう言ってくれました。

 

 

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最初の課題は自己紹介のキャッチコピー。いくつか提出したコピーの中で、二重丸がついていたものがありました。

 

「片手の感覚で、物の重さがほぼ分かります」というもので、お肉屋さんのバイト経験についてボディコピーを書いたものでした。

 

 

どうしても働きたい会社の書類選考、ぼくは履歴書の特技の欄にこのコピーを書きました。

 

面接をしてくれた方は、開始早々にこのことについて触れてくださいました。書類選考を通過した理由のひとつに、この特技が引っかかったようです。

 

「では、今日はここにお肉を用意してるので実演をしてもらって…」なんて冗談を言われて焦ったりしまして。

 

「あぁ、西村さんのおかげだ」なんて、心の中で思いながら受けたその会社で、来月からぼくは働きます。

 

 

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西村さん、ありがとうございました。覚えているか分かりませんが、またいつか、お会いしたいです。これからも、書き続けたいと思います。

 

 

ありがとう、家。

 

玄関を写真に撮りたい日があった。

 

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あふれかえった靴を、うれしく思った。整理整頓ができてないわけじゃない、この靴たちの持ち主は、みんながみんな違う人だ。

ぼくが一人暮らしをしている家に、10人以上の友人がやってきた夜があった。部活の何かがあった後だろう。騒がしい部屋の写真よりも、この玄関の状態がしあわせの全てだと思って、こっそりとスマホをかまえた。

 

祖父が亡くなってから、家の管理はぼくがしている。相続云々が終わるまでと言いながら、はや4年以上も一人でいる。

 

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実家は、この家から電車で30分ぐらいの距離にある。帰ろうと思えばいつでも帰れる。それでも、どうしてぼくはこの家にいたのか。大学生でお金も無く、バイトでもらったお肉で生き延びながら、光熱費を払って、通帳残高を50円にしながら、それでも生活をつづけ、今でもそうしているのには理由がある。

 

 

ここには、思い出がありすぎる。悩んだ時間が、多すぎる。

 

水泳の練習から帰ってきた夏休み、お昼の『大好き!五つ子』を楽しみにしていたこと。高校に通うのがしんどくてたまらない時、二階のベッドで、ずーっと漫画を読んだこと。花札を祖父から習って、母に呆れられながら遊んだこと。野球中継を眺めながら、一度好きと言って以来、毎週のように出てきたナスの田楽を食べたこと。それから、一人暮らしになって、たくさんの友人が家に来たこと。節分の日には豆をまき、実家サイズの鍋でパーティー、誰かの恋愛話を聞いたりなんかもした。

 

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就活がうまくいかなくて、一人で泣いたこと。

仕事で悩みが絶えなくて、家がぐちゃぐちゃになり、ゴキブリがいたこと。

大量の原稿用紙に、何度もキャッチコピーを書いて、そのまま寝落ちしたこと。

朝が来て、絶望を感じながら仕事へまた行ったこと。

自己PRとは何か、自分のことについて一人で考えるしんどさと向き合ったこと。

 

 

どうしても働きたい会社が見つかり、その応募用紙をニヤニヤしながら、いつもの席にすわって書いたこと。書いては消してを繰り返し、郵便局に行く前に仏壇に手をあわせたこと。

 

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奇跡が起きて、夢にまで見ていた仕事ができるようになり、ガッツポーズを枕にたたきつけたこと。

 

 

 

この家には、あまりにも色んなぼくの感情が入っている。喜びも、葛藤も詰まっている。

 

 

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この夏、ぼくは東京へ行く。

新しい職場は、残念だけど、この家からは通えない。

新幹線で毎朝始発に乗れば、可能かもしれないが、それは無茶だ。

 

 

この家を出ないといけない。

 

 

家は、人が住まなくなると荒れる。営業で個人宅をまわっていたから、その言葉がよく分かる。人が住んでいない家は、インターホンを押さなくても何となくわかる。温かみというか、生活の気配がしてこないのだ。ポストや、扉、窓のさん。じーっとしているものは、色褪せたり、ヒビが入ったりする。ぼろいというより、眠っている。

 

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友人もみな、「あの家はどうなるん?」と聞く。おめでとうよりも先に、そのことを聞く人もいた。

 

どうなるのか、それはぼくが決められることじゃない。相続は順番だ。銀行員生活で学んだ。固定資産税を払って、いつかぼくが定年退職をして戻ってくるまでのこしておけるならそうしたいが、40年以上先の話は、あまりにも未知でどうしようもない。人に貸すのか、それとも潰して現金化するのか。選択肢はいくつもある。

 

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できれば、ずっとこの家にいたい。でも、夢がある。やりたいことがある。

新しい葛藤が、この家の中に浮いている。いつもと同じパターンだ。

 

ただ・・・・、どうするべきか、いつも答えは決まっている。祖父がいたらこう言うに決まっている。

 

「お前の好きなようにやったらいい」

 

 

もう一度。

 

この夏、ぼくは東京へ行く。

ひとまず、ありがとう、家。

 

また帰ってくるさ。

拝啓、酸素カプセルより

 

こんにちは。いま、酸素カプセルの中から、この文章を書き始めています。人生初の酸素カプセル。閉所恐怖症の気が若干あるぼくですが、大丈夫みたいです。

 

どうして、こんなところにいるのか。

 

それは、この酸素カプセルが銀行員生活で、お金を融資した、最初で最後の設備だったからです。

 

気圧の変化を、耳が感じとる。鼻をつまみ、耳抜きをしないといけない。つづきは出てからにしなければ、このままでは耳がきびしい。

 

 

 

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突然の訪問

 

インターホンを鳴らすことには慣れている。

 

なんの躊躇いもなく、ボタンを押す。そして、明るい声で挨拶をする。すると、ドアは開き、家へ招き入れてもらえる。これを繰り返して、営業をやってきた。

 

でも、今日ぼくはインターホンを鳴らすのが怖かった。はじめて営業に出た頃のような感覚で、馴染みのお客さまの家を数ヶ月ぶりに尋ねた。

 

転勤になって以降の訪問だ。有給消化の身で、やってはいけないこととは知りながら、前の店のお客さんに退職することを報告しに行った。

 

ドアは開けてもらえるのか。どんな顔をされるのか。ビクビクしながらも、でも、ちゃんと報告がしたくて懐かしい町の駅に降りる。マンションをまわる。一軒家の門をあける。

 

 

 

 

「お久しぶりです、……その、前の担当の…」

 

歯切れの悪いあいさつ。なんと言えばいいのか分からない。ぼくにはいま、申し出る身分がない。

カメラ越しにうつる顔を見てか、「あぁ〜どうしたん?」とみんながドアが開く。

 

突然現れて、退職の話を報告に来たぼくを、お客さんは迎え入れてくれた。そして、変わらず、リビングの席に座る。

 

 

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痩せると思っていた

 

 

営業で担当エリアを与えられたとき、ぼくは痩せると思った。自転車で一件ずつ家をまわる。ご飯なんて食べる時間もなく、汗水垂らして仕事をする。だから、痩せるはずだと思った。

 

2年経ったいま、ぼくはすこし太った。理由は分かっている。仕事の時間に、お菓子やらご飯を食べてまわっていたからだ。お客さんの家をまわるごとに、食べ物が出てくる。お土産がある。

 

遠慮せずにごちそうさまをしていたぼくは、いくらか重くなった。

 

 

今日、ぼくの体はすこし重い。

 

胃袋の中には、夕張メロンモナ王、そして何杯ものコーヒーが入っている。お客さんの家をまわるたびに、体が重くなった。

 

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そして、腕には時計がある。

 

会社に行かなくなって、時間に追われなくなった結果、時計をつけていなかった。それを見たお父さんが、家の奥から箱を持ってくる。

 

コレクションの腕時計から、好きなものをくれると言われた。ぼくは、物の価値がわからない。ただ、秒針として円盤をまわる飛行機がかわいくて、プレゼントにもらった。ブランドなのかどうか、それは知らない。安物でもかまわない。

 

 

 

鞄のなかには、広島カープの選手のサイン色紙がある。お客さんの店によく来ている選手のものだ。大好きなチームだとよく話をしていたので、ぼくが来たときのためにもらってくれていたそうだ。

 

そして、生ビール。顔が真っ赤になる。営業をしていた頃には、ウーロン茶をもらっていた。本日はアルコールだ。顔が真っ赤になり、心配される。お酒に弱いことは、言ってなかったみたいだ。

 

 

「あんたに相談したいことがあるねんけど」

 

もう銀行員じゃないぼくに、運用の相談をされる。酔いながら、後任の子に連絡を送る。とんでもない先輩だと思いながらも、ネタを譲る。

 

もういっか。ぼくには身分がないんだから。

 

 

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身体中に酸素が行き渡る。足取りがすこし軽い。ぼくのお金で買えたわけじゃない。頼まれたことを懸命に聞いて、なんとか融資につなげた酸素カプセルだ。

 

地域のスポーツ少年たちを支えたいと言っていた先生の話を聞いて、取り組んだものだ。

 

先生は退職について「それで良かったんじゃないかな?」と、笑いながら言った。ニヤリとしながら、お金を払おうとしたら、財布はポケットにしまわされた。

 

 

尿意がやってくる。酸素カプセルを終えた後は、トイレに行きたくなるそうだ。そんなに飲んでないのに不思議でしかたない。理由は、まだ調べていない。

 

 

ただ一つ言えるのは、次の職場で誰かが酸素カプセルの話をしたとき、「あれって、終わったらおしっこに行きたくなるらしいですね!」と笑いながら話すことだろう。

 

そうやって人と人を、話題と話題を繋いでやってきた。いろんな人の人生や、話すことをたくさん吸収して、今のぼくがある、

 

 

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「食べてかえりなさい」「持ってかえりなさい」そんなことを、たくさん言われた1日だった。そして、どこに行っても言われたことは、「がんばりなさい」だった。

 

がんばりますと言う。がんばれると思う。胃袋にたくさんのコーヒー、腕には時計、部屋にはサインがある。そして、思い出もある。

 

 

ノルマを達成したことはほとんどない。営業成績も良いわけでもなかった。

 

 

間違った銀行員だったと思う、でも、間違ってなかったとも思う。それが、大げさだけど、いまのぼくの誇りだ。

 

 

坂田三吉をやめよう。

 

「普段、関西弁はどのような感じで話をしてるんですか?」

 

面接の場で質問をされた。どうやら、敬語の中に、関西弁がちょっとだけ見え隠れしているらしい。どういう時に、「〜やなぁ」が出現しているのか自分なりに考えてみた。

 

たぶん、じぶんの感じたことを振り返る瞬間に、ぼくは関西弁が出る。

 

「となりのおじさんの発言が、〇〇だったので、あぁええなぁと思いました」

みたいな感じで、じぶんをさらけ出して、分かってもらいたいとき、ほんの少し関西が顔を出す。

 

 

だけど、ぼくの関西弁は、そこまで関西弁ではないらしい。じぶんのことを「わて」なんて言わないし、相手のことを「われ」なんて言えない。「なんでやねん」は言うけど、「でんがな」も「まんがな」も使わない。

 

大阪の知人にも言われたが、ぼくの関西弁はコテコテの関西人とはすこし違うらしい。兵庫県で生きてきたからなのだろうか。最近、そのことを指摘されて、なぜかすごく嬉しかった。

 

 

そうか、ぼくは関西人じゃなくて、ええんや。

 

 

 

スポーツ漫画を読むのが大好きだ。地区予選を闘う主人公たちは、ライバルを倒し全国大会へ進む。すると、各地域の代表がぞくぞくと登場する。

 

各県の人柄のイメージを、そのまま体現したかのようなキャラクター達が現れる。

 

ドカベンに、坂田三吉という選手が出てくる。

 

大阪の通天閣高校のピッチャーである彼は、とにかく関西弁をこれでもかと使う。甲子園の優勝旗をマニアに売ろうと、商売人の根性をみせたりする。

 

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金にがめつい関西人。情にもあつい関西人。そんなイメージを体現したかのような存在だ。

 

 

 

昨年は、頻繁に東京へ行った。周りの人たちは、当然、ほとんどが関東の人だ。

 

言葉のイントネーションがちがうだろう。マクドナルドをマックと言うだろう。きっとジャイアンツのファンだろう。たくさんの憶測をもとに、なんとか自己形成を図ろうとしていた。

 

そういう場所の中で、何かひとつ爪あとをのこして帰ろうと、そう思って夜行バスに乗る。そんなもんだから、会話の中に、すこしだけ意図的に関西を匂わすことを混ぜたりした。

 

どことなく、自分は坂田三吉であることを意識していた。

 

じぶんだけが違う環境、全国大会に出てきた気分になっていた。そうなると、肩に力が入りまくる。じぶんで決めた制約に、なんとなくしんどさを感じたりした。

 

 

 

知人に、「コテコテの関西弁じゃない」と言われた時、うれしかった理由は分かっている。いっぱしの関西人という属性の外で、じぶんは形成されてるということに、気づかせてくれたからだろう。

 

職業や生まれた場所や、そんなところにすがりたくなるけれど、でもなんとなく違う。

 

 

ぼくの関西弁と、となりの人の関西弁は違う。おなじ人なんていないし、属性なんてない。

 

 

坂田三吉は大好きだ。人情にあつく、そして、通天閣打法なんていう奇想天外な技を披露する。ひょろっとした容姿で、すばらしいストレートを投げるし、大谷翔平よりずっと前から二刀流だ。だけど、じぶんじゃない。おなじ関西人だが、ちがう。ぼくじゃない。

 

 

そろそろ、東京へ行くらしい。

 

どうやら、坂田三吉をやめていいようだ。自然に出てくる関西弁や、ふとした瞬間に活きる銀行での経験を胸に、何ものでもない人として行こうと思う。

 

 

 

 

 

 

銀行員じゃなかったら。

 

「誰かに背中を押されないと進めない夢なら、諦めたほうがいいです」

 

これは、去年の春ごろに、とある人にぼくがかけられた言葉です。やさしい文面の中に紛れ込んだ、この言葉を読んで、その日から、「誰かのおかげで」とか「あの日のあれがあったから」とか、強く意識しすぎないようにやってきました。

 

 

それでも、いま思うと、有難い経験をくれた人や場所に感謝しかありません。

 

 

なぜ、いまこんな気持ちになっているかというと、この度、転職することになったからです。銀行員でいる時間はあと半月ほど。ようやく、スタートラインに立つことができました。

 

 

 

もし、銀行員じゃなかったら、いま自分はどこにいるのだろうか。そんなことを、最近よく考えています。なぜなら、この3年間、ぼくはこの肩書きに随分と救われてきたからです。

 

 

「どうして、銀行で勤めてるような人がここに?」

 

 

コピーライター養成講座や、ほぼ日の塾、そして転職活動の場においても、まず最初に聞かれるのはそれでした。

 

そしてぼくは、すこし得意そうに「いや…実は…」と、この道を選んだ話をする。目にとまるという意味で、ぼくはいいように銀行員を使いました。

 

 

今年の正月に、かなり凹んだことがあります。

 

「仕事変えたい…って嘆くことが趣味みたいになってきてる」

 

このままじゃ、ずっと、なにか一時的な物に喜んで、銀行員という肩書きの意外性で、みんなの反応を伺って、気づけば30歳になってるに違いない。休日にしてることが、ぜんぶ趣味なのだとしたら、ぼくの3年間は、ほとんどが「仕事を変えたい」だったのです。

 

 

なんて、情けないのだろうか。

 

毎年、初詣で祈ることが思いつかない自分が、なんだかすごく嫌になって、自分で自分の背中を無理やり押していこうと決めました。「ちょっとまってよ、いま仕事が忙しくてさ」とか言う自分を、無視して押しました。

 

 

アコヤガイって知ってますか?

真珠がとれる貝です。

 

真珠の作り方は、アコヤガイの中に石ころなんかを入れておくんです。そして、じっくりと時間をかけて、それはピカピカにかわる。何か、決定的な魔法がかかって、光りだすわけじゃないんです。

 

誰かにピンポイントで感謝を伝えるというよりも、この3年間そのものに、もっと感謝しなきゃいけないと、今はそう思っています。

 

なぜなら、すべての経験が、少しづつだけど繋がって、人生経験になっていると感じているからです。アコヤガイが真珠を作ってくれるように、ぼくの中に転がっていた石ころが、時間をかけて変わっていった。例えるなら、そういう話です。

 

 

どんな石ころだったのか。それはきっと、「悔しさ」とか「もどかしさ」とか、そういったドロドロの尖った石ころだったと思う。だからこそ、楽しそうにしてる人を見ると、お腹の中の石が弾けてチクチクと痛かった。「銀行員から、コピーライターを目指してるんだ!」と発言する瞬間は、その痛さを忘れたけど、じきにまた元どおり。

 

更新するように、なにかのセミナーに行ったり、講座に通うようになった。

 

 

 

でも、ある日以降、石ころの角が取れたんじゃないかと、そう思えるようになってきました。

 

 

それは、ほぼ日の塾に通った日です。

 

すべてを洗いざらいに書いて、「銀行員だから」ではなく、「銀行員だけど」という思いでエントリーシートを書きました。お金の話をするより、やっぱり、旅行・食べ物・趣味、いろんな話をぼくはしたい。

そんな感じのことを書いたと思います。

 

 

たくさんの同期の人たちと、並んで同じようにコンテンツを作る。周りの人たちは、みんなぼくが憧れていた業界で働いている。「やったるぞ」と意気込んで、書くこと、考えることに挑みました。

 

結果は、御察しの通り、悔しいものです。

 

 

でも、今回の「悔しい」は、自分を痛めつけるようなものではありませんでした。銀行員という肩書きを捨てて、塾生という同じ場所で学ばせてもらった。厳しい言葉をもらえた。

 

「銀行員だから」と強く言うのはやめようと、その時に思いました。

 

 

転職の面接では、やはり現職の話をたくさん聞かれました。以前のぼくなら、ここぞとばかりに「銀行員ならではっ」みたいな話を持ち出していたと思います。

 

 

でも、あの日のぼくは、肩の力がやけに抜けていて。出てきたのは、3年間でのお客様への感謝。たくさんの人生と関わりあってきたことの、すこしだけの誇り。あとは、しんどいところで、頑張ってやってきたという事実ぐらいでした。

 

 

名前の由来を面接官の人に聞かれたとき、ぼくはすんなりと答えることができました。それは、仕事でよく、お子様の名前について語り合ってたことがきっかけです。自分の名前について、よく「いい名前やな」と言ってもらったことを思い出しながら話をしました。

 

銀行員じゃなかったら、どうなってたか分からないけど、でも、銀行員でよかったと、今ならそう思えます。(退職願を書いた後だからこそ言えるけど)

 

 

 

自分の背中を自分で押したと、さっき書きましたが、結局ぼくは、たくさんのものに背中を押してもらってたのだと思います。

 

それは、このブログもそう。読んでくれる人がいる。何かコメントをしてくれる人がいる。そういった、毎日の時間の経過が、じんわりとぼくのお腹の中で石ころを光らせた。

 

 

次は、出来上がった真珠で、何かを作っていこうと思います。大切にしてきたこと、たどりつけた想い、繋がったたくさんの人たち。特定の誰かに「背中を押してもらった」と責任をなすりつけるわけじゃなく、時間の流れに感謝します。

 

取り急ぎ、ブログにこのことを書こうと思っていたのですが、うまく言葉にできず、時間がかかりました。

 

 

新しい仕事については、ちょうどいい言葉がありません。ふわふわしてるけど、たくさんの人たちをワクワクさせるものを考えていける場所だと思います。

 

 

これからも、ここで、色んなことを書いていこうと思います。なぜなら、また新しい石ころが生まれたとき、光らせてくれる時間の中に、ブログを書くことが含まれているからです。

 

長々と、ありがとうございました。

 

 

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『NHKのど自慢』を観てほしい。

 

カンカンカーン

カ カカカカ カーン

 

日曜の12時14分、テレビの前に座る。そして、時計の針が15分になった瞬間、いつもの鐘の音が響く。

 

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NHKのど自慢』がはじまるのだ。

 

あっと、この番組への愛語る前に、先に言っておきます。ちゃんと受信料は払ってます。というか、これを観るために払っているわけです。

 

みなさん、のど自慢は観ていますか?観ている人も、観ていない人も、たぶん知っている番組内容をすこしだけ。

 

 

オーディションを通過した素人が、歌を披露する。うまい人には、たくさん鐘が鳴り響く。いまいちな人には、ちょっとだけ鐘が鳴る。

 

 

シンプルなこのルールのもと、45分の放送時間で、何人もの素人さんたちが自慢の歌を披露するのだ。

 

ぼくはこの番組が、大好きでたまらない。いつ観ても面白く、いつ観ても笑えて、いつ観ても心温まる。なもんで、今日はぼくがちょっとした、『NHKのど自慢』の楽しみ方を書き留めておきます。

 

 

 

1. 鳴る人は、第一声で分かる。

 

世の中には、ほんとうに歌がうまい人が沢山いる。のど自慢に出てくるぐらいだから、当然みんな、自分の歌声に自信があるわけだが。その中でも、特別にうまい人がいて、歌い出しの時点で「あぁ、こりゃ鳴るな!」と思うような人が出てくるのだ。

 

 

2. 鳴るべく人が、鳴らない時がある。

 

たまに、鳴るはずの人が、鐘ふたつで終わることがある。どんなにアマチュアの耳でも、さっきの人よりもずっと上手くて魅力的なのに、評価されない時がある。そんな時は、メジャーリーグのファンのように、「おい!なんでだよ!」なんて言いながらブーイングをする。評価の基準は、鐘を鳴らす秋山さんすら知らないのだ。

 

のど自慢のルールで、鐘が鳴り響いた人にのみ、どこから来たのかと、名前を語ることができます。自分がうまいなぁと思った人でも、名前を知ることなく終わってしまう寂しさが、時に生まれるのです。

 

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3. 役場枠に耳を傾けよう。

 

のど自慢は、全国各地を毎週まわっている。先週は、山口県下関市。今週は、香川県高松市といったように、キャラバン隊のように巡っていく。いわゆる、町おこし的な役割も担っているのだ。そんな中、かなりの確率で、町役場の若手が登場する。若さをいかしたパワフルな歌を披露するが、たいていの場合、鐘はふたつ。でも、彼らの本当の仕事はここからなのである。

 

「この町の魅力はなんですか?」

司会の人の質問に、若手の職員は地域の魅力を汗を流しながら語る。その姿を見ていると、なんだか『町』っていいなぁと思えてくる。

 

 

 

4. だれが誘ったのか見極めよ。

 

出場者は、なにもソロで歌うだけではない。夫婦で手を取りあい、練習してきた歌を披露するふたり。近所のママ友が集まって、往年のアイドルの曲を歌って踊る。たいてい、鐘はふたつなのだけど。

そんな時、最初に注目する点があります。それは「いったい、だれが誘ったのか」です。

 

キャンディーズモー娘。になりきれていない人を探す。奥さんのノリに、ついていけてない旦那さんの目を見る。そこに「照れ」を垣間見た瞬間、本番までの誘われた側の苦悩に、とてつもない愛らしさを感じるのです。

 

 

 

5.  約40秒の攻防

 

のど自慢の出場者に与えられる時間は、限られています。たいてい、1人40秒。ほとんどの人が、サビに入る前に鐘の音を聞くことになります。AメロBメロがあって、サビに入っていく曲が多いので、盛り上がって盛り上がって、さぁ!というタイミングで「カンーコーン」と音楽は終わる。

 

先日、『トイレの神様』を歌っていた女性なんて「おばぁちゃんがこう言った」で時間が来ていました。「トイレには、それはそれは綺麗な女神さまがいるんやで」は、聞かせてもらうこなく終了です。歌い出しから、サビまで間に合うか、妙なハラハラ感がのど自慢にはあります。

 

 

 

6. ゲストの歌をうたう度胸

 

スタジオには、毎週ゲストの歌手がふたり出演します。ご本人の目の前で、その人の歌を披露する。そんな度胸のある素人さん枠が、必ず登場するのです。上手い、下手。そのへんは無視してもらって、カメラで抜かれるゲストの表情を見てください。

やっぱり、自分の曲を歌ってもらえる嬉しさがあるのでしょうか。にこやかな顔で、手拍子をしている姿は、いいもんです。上手い、下手は抜きにして。

 

…たいてい、結果は良かないんですが。

 

 

 

7. 家族に届けたい。

 

会場には、たくさんの観客が来ています。出場者は、それぞれ家族を呼ぶことができるのですが、応援団のように垂れ幕なんかを用意してる人たちもいます。中・高生の出場者が出たときは、両親の顔を見て、「あ、お父さん似やなぁ」とか思ったりできます。

 

ご家族の頬に、時に涙が流れているのは、歌をうたう理由が「育ててくれた家族への感謝」だったりするからです。出場者の数だけ、ドラマがある。ひとりひとりに、歌う理由があるのがのど自慢です。

 

 

 

8.  プロはプロ。

 

すべての出場者が終わると、のど自慢は一気にクライマックスへ向かいます。本日の優勝者と、特別賞を決めるまでの時間は、ゲストの特別ライブが始まります。

パフォーマンスがはじまった瞬間に、ぼくたちは、「あぁ、歌でご飯を食べてる人はちゃうなぁ」と感心してしまいます。それは、やっぱり、素人とプロの違いを如実に感じることができるこの番組ならではの魅力です。

 

ただね、毎週観てると思うんです。

上手すぎて物足りない。…完成されてるって物足りないんです。すべてが完璧で、音も外れなくって。

 

「そこはちょっと下手なステップを踏んでほしい…」なんてことを、求めてしまう自分になってしまいますよ。

 

 

 

 

…のど自慢とは

 

 

わが町に、のど自慢がやってくる。

 

 

それを知った、どこかの町のおばあちゃんは、昔着ていたドレスを探す。おじいちゃんは、娘に仕立ててもらったタキシードに蝶ネクタイをつける。友だちと一緒に、ダンスを練習する。応援団はアイドルのファンのように、自分の家族を応援するグッズを作る。町役場の若手は、周囲の期待を一身に背負う。

 

そして、

 

家族への想いを、歌にのせようとする。

長年愛した歌で、人生を、披露しようとする。

 

鐘の数ではない。何を想い、何を伝えるか。ぼくたち視聴者は、それをじーっと見守ることができる番組。それが『NHKのど自慢』です。

 

 

もし、自分に勇気があって、運が良くて、のど自慢に出場できたら。

考えてみてください。あなたは、何を歌声に乗せるか。誰のために歌うのか。なんだか、いいですよなぁ。ワクワクしたり、ドキドキしたり勝手にできる。

 

 

 

そろそろ、あなたの町に、のど自慢がやってくるかもしれません。