得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

聖夜は照れ隠し

 

 赤い服が好きな男がいた。

 赤い服が好きな男は、白いひげを生やしていた。

 そして、一頭のトナカイを飼っていた。

 彼の職業は、サンタクロース。

 クリスマスの日の夜に、世界中をかけまわり子供たちの枕元にプレゼントを置く。

 年に一度の仕事であるが、大変な仕事だ。

 もちろん、彼はそれだけで飯を食っているわけではない。

 平日は、普通のサラリーマンをしている。

 とは言っても、白いひげをたくわえても怒られないような職業だ。

 個性的な服装や、髪型が許される職業。

 彼のとおいとおいご先祖様が、クリスマスという日をつくり、

 世界中の人々へプレゼントを配るという宣言をした。

 おかげで、とにかく目立たずお堅い仕事が気質にあっている彼は、

 白いひげをたくわえても怒られないという基準で

 就職活動をしなければいけなかったといつも嘆いているのである。

 まぁ、ご先祖が初代サンタクロースという話は、

 面接官の興味を独り占めしたわけで。

 かなりの就職難だった時代をくぐりぬけ、一流のIT企業へ入社したようだ。

 

 

 

 

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 クリスマスという日がどういう意味を持っているかご存じだろうか。

 『イエス・キリストの誕生を祝うための日』

 一般的にはこの説が浸透しているだろう。

 しかし、事実はちょっと違ったようだ。

 今日は、それをお教えします。ただし、本当かどうかは分かりませんけど。

 

 

 

 彼のご先祖である初代サンタクロース(以下:サンタ)は、

 1人の女性へ特別な感情を抱いていた。

 名前が伝わっていないことをみると、結婚をしなかったのだろう。

 ひと夏の恋というより、ひと雪の恋といったとこかな。

 彼はその女性になんとか振り向いてもらいたくて、

 いろんなことをしていたそうだ。

 演劇にさそったり、手紙をかいたり、とにかく色んなことをね。

 12月25日が誕生日である彼女には、もちろんプレゼントを用意した。

 でも、ただ贈るだけじゃ彼女の心をひきつけられない。

 つまり、サプライズをしたのである。

 安心してほしいのは、彼が寝ている彼女の家に忍び込んで、

 こっそり枕元にプレゼントを置くとか、

 そういう犯罪的な行為をしたわけじゃないってこと。

 

 

 「今日は特別な日だから、君にプレゼントを用意したよ」

 

 

 サンタは、食事に誘った彼女に対して、こう切り出してプレゼントを渡した。

 しかし、12月25日が何の日だったか、彼女は全く分からない様子であった。

 つまり、こういうことである。

 どこでどうやってこうなったか、12月25日だったと思っていた誕生日は、

 なにがなんとやらで、12月26日であったわけで。

 

 こぼれたミルクはコップに戻らないように、

 出したプレゼントは懐にしまえないわけで。

 まさか、愛する人の誕生日を間違えてたなんて言えず。

 追い詰められた彼は、こう言ったのです。

 

 

 「今日はさぁ、イエス・キリストの誕生日だろ。

  そんな記念日にたくさんの人に愛を届けるのは素敵だろ」

 

 間違えを隠したと同時に、照れ隠しでもあった。

 誕生日を間違えたことと、彼女への気持ちを、

 イエス・キリストの誕生日という格好の理由でごまかしたのである。

 しかし、話は思わぬ方向に、プレゼントは思わぬ方向へ。

 いろいろあるけれど、いちばんの理由はこうだ。

 

 

 彼女の仕事が、シスターであったこと。

 

 

 私なんかよりも、もっとたくさんの子どもたちにプレゼントを贈ってほしい、と

 まじめな彼女はサンタに懇願したのである。

 たった一人へ贈るつもりだったプレゼントが、

 1つの言い訳から大きな運動を生み出した。

 サンタは彼女を愛していた。

 そして、彼女はたくさんの子どもたちを愛していた。

 クリスマスという日は、かくして生まれ、

 サンタクロースという仕事は、こうやって始まったのである。

 

 

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 今年も、クリスマスがやってくる。

 たくさんの少年少女と、プレゼントをリストアップしながら、

 第150代サンタクロースの男が頭をかいている。

 色々大変なことはあるだろうが、彼はこの1年に1度の仕事が好きみたいだ。

 世界中の子どもたちからの手紙を読んで、口元がゆるんでいる。

 

 

 「本当はこんな仕事したくない」

 彼は、よくこんな愚痴を友達に吐いている。

 そのくせ、クリスマスの日の夜は1人でソリにのって、

 一生懸命に世界中を周るのである。

 

 たぶん。きっとこの愚痴は、ご先祖からお得意の照れ隠しなんじゃないだろうか。

 

 

 

I LIKE YOU. の日本語訳って。

 

 「 月がきれいですね」

 

 夏目漱石は、I Love You をこう訳した。

 有名な話ですね。ご存知な方には、ごめんなさい。

 でも、知らなかった方には、ちょっと洒落た情報です。

 

 ぼくが訳したと言えたら、超がつくほどにかっこいいのですが。

 

 

 

 では、 I Like You を訳してみます。

 ぼくは、こうかなって思うのです。

 

 「今宵のホームアローンも、最高でしたね」

 

 

 

 

 12月3日、午前1時30分~3時20分

 地上波で、ホームアローン2が放送されていました。

 クリスマスの季節を舞台に繰り広げられる、

 少年と泥棒のたたかいが描かれる映画。

 

 大好きなんです。

 

 戦争映画や、西部劇が好きなじいちゃんから、

 面白い映画があるって買ってもらって15年程たちますが、

 いまだにTUTAYAで探す毎年です。

 

 

 放送がおわって、10分。

 いま、心にあるしあわせを書き残したくて、いまです。

 いまいまです。

 

 

 コメディであり、ハートフルである。

 だれもが、少年の心をくすぐられると思うのは僕だけなのでしょうか。

 厳格なうちのじいちゃんでさえ、面白いと孫に薦める映画だったということは、

 ワクワクか、ほっこりか、どちらかが必ずひっかかるお話のような気がします。

 

 

 おもちゃや、家にある物で、ピンチを乗り越える。

 そんなアイデアで、泥棒とたたかうのかって思うような仕掛け。

 クリスマスで活気ずく街並みに、一人でいるようでそうじゃないあったかさ。

 

 

 そして、最後にすべてを持っていく、イジワルな兄貴のちょっといいとこ。

 

 

 

 

 観終わったあとの、ぼくの感想は、

 はらたつ~でした。

 いや、ほんと毎回面白いことに対して、はらたつ~なのです。

 

 何度見ても面白いし、見れば見るほど面白い。

 

 1つ1つのシーンが、ぜ~んぶ物語のクライマックスにつなっがってて、

 イケイケ!やったれ!とか、

 いっぽんとられたぁ、くぅ~って笑顔になる映画が出来上がる。

 

 

 

 この映画を、面白いという人がぼくは好きだ。

 もっと言うと、

 眠い目をこすってでも、

 夜中の1時半まで起きてホームアローン2を観て、

 

 「あぁ~面白かった~、ほんとう、いい映画やなぁ~」

 

 って、鑑賞に浸って寝れてない人が大好きだ。

 

 

 

 そういう意味で、ぼくが訳する  I Like Youは、

 

 「今宵のホームアローンも、最高でしたね」

 

 になるわけです。

 

 

 

 クリスマスが近いです。

 寒いので厚着をして、ホームアローンを借りに行きましょう。

 1~5までありますよ。けっこう満たされますねぇ。

 

 

 そんなぼくは、家でアローンでこうやって日記を書いています。

 

 

 さぁ、not aloneで、ホームアローンを。

 

 

 

 

毎日には、自分をなぐさめたいことが、ありすぎる。

 

 今日、ぼくは詐欺師を見る目を、向けられた。

 

 

 

 

 向けられました。言われてました。

 

 

 いつもお世話になっているお客様の家へ行く。

 出金がしたいとのことで、現金のお届け。

 お身体が不自由な方なので、ぼくが伝票を預かって出金を。

 

 デイサービスから帰ってくる時間は、15時半。

 すこし遅めに、15時40分に家へ行く。

 今日は、帰ってくるのがすこし遅かったみたいで、

 送り迎えのワゴンと鉢合わせ。

 

 お宅にあがらせてもらって、お渡ししていた時に来客。

 

 ヘルパーさんだ。

 

 

 「今日も、いるんですか?」

 

 

 かけられた言葉は、文章では伝わらないが、

 冷たい目線と同時にぼくに届きました。

 

 

 「現金のお届けだけなので!」

 

 

 ヘラヘラしながら、頭をかいた。

 

 

 手続きをしている数分の間に、電話が鳴る。

 

 お客さんの取った受話器から、声がもれて聞こえてくる。

 さっきのデイサービスの人だ。

 

 

 ・銀行員はまだいるのか。

 ・あの人たちが言う、うまい話には裏があるので、気をつけてください。

 ・あんまり、そういった人の話は聞かない方がいい。

 

 

 ぼくの心は、ずたぼろでした。

 もう、なんでしょう。

 仕事で、泣きたくなったのは初めてでした。

 

 

 

 職場で怒られるより、失敗するより、数字ができないより、

 もっと辛い気持ち。  

 

 

 

 どうして、泣きたくなったか。

 お客様のためを思ってしていることさえも、

 まるで詐欺師のような目で見られているということに悲しくなったのです。

 

 

 

 

 でも、デイサービスの人の気持ちも、ヘルパーさんの気持ちも、

 痛いほど分かります。

 自分の祖父や、知っている人が、銀行員が頻繁に来て、

 運用の話をしている姿は心配になるからです。

 

 

 ・・・

 

 

 

 誰かが人を想う気持ちで、

 自分が傷つくという経験でした。

 

 やりようのない悲しい気持ちを引きずって、

 充電の切れた電動自転車を押して帰りました。

 

 

 

 投資の商品を、そのお客様が買っているのは事実。

 でも、ぼくは今まで、たった数ヶ月ですが、

 お客様がすこしでも喜んでもらえることをやってきたつもりでした。

 

 

 ただ、周りから見たら、ちゃんちゃらおかしい言い分のなのでしょう。

 

 

 そうですよね。そこにはノルマという数字があっての行動だからです。

 

 

 先月の末から、そのお客様に相談されていることもあって、

 ぼくたちは資産のおまとめを協力しています。

 車に乗せて、自分ではいけない銀行に残ってしまったお金を、

 うちの口座に移す作業です。

 

 

 これも、数字があってのことです。

 移したお金で、投資商品を買ってもらうと、うちの支店の数字になります。

 

 

 

 でも、お客様にとっても手の届く場所にお金がある。

 喜んでもらえることだと思っています。

 というか、思うしかないのです。

 

 

 

 

 

 

 ぼくたちは、本音と建前で仕事をしています。

 営業という仕事は、いつもその悩みとの戦いです。

 

 

 

 大学生の時に、祖父を在宅介護をしていたぼくは、

 そのお客さんの生活のお手伝いもします。

 それは、職場の日記にはのこさない仕事。

 

 銀行員の仕事では決してない仕事です。

 ヘルパーさんよりも、お手伝いをしている気もします。

 

 

 

 でも、もしも、お客さんの口座の残高が0だった時に、

 ぼくは今までどおりにお手伝いをできるのだろうか。

 

 そう思うと、自分がすこし嫌になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 0円の仕事がしたい。

 ぼくの大好きな箭内道彦さんが、本でそのようなことを書いていました。

 

 極端な話ではありますが、ぼくもそう思っています。

 

 報酬を貰わないと責任を放棄していることと同じだという意見もありますが。

 

 

 

 

 建前を捨てたい。

 

 

 

 大好きな広告で、本音で応援をしたい。つよく、つよく、力になりたい。

 そのために、全力で走りたい。

 

 ぼくが、広告の仕事への夢を諦めない理由が分かりました。

 箭内さんが語っていたことも分かりました。

 

 まだまだ、ここから走らないといけません。

 

 

 昼は、お客様のため。

 夜は、夢のため。

 そして、休日は友達や家族のため。

 

 

 建前じゃなく、本音で走ることを、考えました。

 

 

 

 

 ただ、

 ただ、

 

 

 たぶん、今日は、お酒を飲んだら泣いてしまうぐらい、つらい一日でした。

 

 

 

 今もまだ、つらく、明日もまた悲しいでしょう。

 

 

 夜に書いたら、この有様でした。

 

 

 おはようございます。

たべざかり

 

 衣替え、全国ではじまる。

 あまり、ファッションへの興味関心は深くない。

 季節が変わるたびに、どこかへ閉まった服を引っぱりだして、

 その数か月を過ごすワケです。

 

 で、季節も冬へ近づき、あったかい物がほしくなる気温。

 

 自販機で買うものは、

 ポカリスエットから、コーンポタージュに。

 

 晩ごはんは、

 つめたいうどんから、あったかいそばになる。

 もちろん、

 つめたいそばから、あったかいうどんにもなる。

 

 朝起きて、もれる言葉は、

 相変わらず「しんどいぃ」なのは変わらないけれど。

 

 空に打ち上がる花火をながめていた目は、

 街で光るイルミネーションに向けられる。

 

 

 

 そして、ぼくも今日タンスの引き出しを開けたわけです。

 

 「たしか、去年買ったニットがあったはずだ!」

 

 みつけて、ひっぱり出す。

 

 ?

 

 指が、とおる。

 指が、ニットの外側から中に入る。

 そんな穴が3つ4つ。

 

 

 

 むしくい

 

 それは、はじめての経験。

 いままで、自分の服が虫に食われたことなんて一回もなかった。

 それが、去年すこしばかり、高い服を買ってタンスに入れた途端、

 穴が3つ4つ。

 

 

 そりゃそうだ。

 

 考えてみりゃ当然だ。

 

 虫からすると、やっすい服しか入ってこない家に、

 突然現れたご馳走だ。

 

 

 食べ盛りの年頃、

 家に帰ってきて、リビングにピザが並んでいたら、ぼくは我慢できただろうか。

 

 虫もそうなんだろう。

 

 せめるつもりは全然ない。

 おいしくいただいてもらえたのなら、それも受け入れよう。

 

 

 

 

 母は、ぼくの目の届かないところに、

 もらってきたお菓子を隠した。

 

 これからは、良い服を買ったら、

 ハンガーにかけて見えるところにかけよう。

 

 で、タンスの虫の目が届かない場所に置いとこう。

 

 

 

 

 

 ・・・ゴン買おう。

10月11月は、やのごっとし。

 

 三週間ぶりに、ここへ生存を報告します。

 

 さて、何をしていたのかというと、

 当然のように自転車にまたがって毎日仕事をしていました。

 

 そして、宣伝会議賞にうちこむ毎日だったのですが、

 走り回って帰ってきたら、それだけでヘロヘロなのですね。

 

 座椅子に吸い込まれるように、気づけば朝という毎日をずっと過ごしていました。

 当然、コピーは思うように書けず。

 現状を変えたいという気持ちから、必死に机に向うも、

 自分の弱さに起きたときに凹むばかりの毎日でした。

 

 最終的に900個ぐらいの応募に終わった、今回の宣伝会議賞

 去年と、おんなじくらいでした。

 

 

 ぼくも、そろそろ有休とって、授賞式に行きたいです。

 

 キャッチコピーを書いたり、CM案を考える時間は、

 ぼくにとっては何よりも楽しい時間です。

 

 嘘です。もっと楽しいのは、友達と飲みに行ったり、遊んでいる時間です。

 

 休日は、ほとんどコンビニにしか行かなかった、この二か月。

 

 ただただ、笑ってる3月がほしいです。

 

 きっと、仕事の期末で自転車にまたがって、ヒィヒィ言ってるでしょうが。

 

 

 

二度寝

 

 朝、すこし待ってよ。

 夜、すこしだけ、青くなってる。

 起きてるあいだ、生きていて、

 寝ているあいだ、死んでいる。

 

 半死の顔で、探した眼鏡。

 寝ている指で、止めてる時計。

 もうすこし、もうすこし、我慢して。

 鳴るのを待ってよ、止まった時計。

 

 ほんのちょっとの、しずか。

 おろす、重いまぶた。

 

 もうしばらくは、寝ていよう。

 飽きたら生きるよ。現世の僕よ。

 

 

 起きると、そこは今日のはじまり。

 ちょっとの間の、仮死旅行。

 

 

テーマについて。

 

 好きな物を分解することに、はまっている。

 

 好きな歌手は、なぜあんなにも心に残る歌詞を書くのか。

 好きな作家は、なぜあんなにもワクワクする話を書けるのか。

 

 分解だ。なぜ、なぜ、なぜ。

 なぜのスパナを持って、どうしてのドライバーを握って、

 好きな物をどんどん分解している。

 

 

 嫉妬できる程、心を魅かれる人を分解すると、

 自分がどういうことに反応するのかが少しだけ分かる。

 気がする。

 

 

 タダで、CDを買わんぞ。

 タダで、本を買わんぞ。

 

 あなた達の、良いところから学ばせてもらうぞ。

 

 そうやって分解していくと、

 組み立て方も分かってくる。

 

 

 でも、それだけじゃ足りない。

 

 分解して、組み立てたって、そのままでしかない。

 制作者はその人で、再現者は僕だ。

 

 ぼくは、制作者になりたい。

 

 

 だからこそ、分解して、中身を知って、

 すこしだけ影響を受けて、

 新しい何かを探している。

 

 

 

 言葉に出して、声に出して、

 逃げ道をなくす。

 

 

 失敗しても、いつものように、

 頭をかきながらデヘヘって言う。

 

 

 人生のテーマだ。

 

 

 恥ずかしいことを、受け入れる。

 

 かっこ悪いことを、受け入れる。

 

 

 

 このテーマも、

 分解したときに、見つかった大切なパーツなのです。

 

 

銀行員に潜入。10マス目

 

 お久しぶりです。

 営業の上期の末のドタバタの何かにやられてしまい、

 先週末は泥のような毎日を送っていました。

 

 

 仕事から帰ってきたら、宣伝会議賞のコピーを考えて、

 書いたり、考えたりして、座椅子でそのまま寝てしまったり。

 その影響か何か知りませんが、朝に謎の頭痛がつづいたり。

 

 

 でも、こうやって机に向かっている時間は、

 なによりも、自分がやりたいことをやっているので、

 満足しているのです。

 

 

 もちろん、銀行員もつづいています。

 

 

 そんなこんなで、今月に入って、

 すこしだけ落ち着きながら自転車をこいでいる毎日です。

 

 

 

 お客様は、ほとんどが人生の先輩。

 というか、大先輩です。

 ぼくよりも70歳ほど年上の方でも、大変お元気。

 一度話し出すと、とまりません。

 

 でも、ぼくもぼくで、それが楽しいのです。

 

 なぜなら、そこで得られる話は、ぼくの24年の人生では、

 絶対に経験できない話だからです。

 

 

 たとえば、

 阪神淡路大震災のリアルな話。

 戦時中の生活の話。

 皇居に勤めていたご家族の話。

 人生でドンの底から這いあがった話。

 

 

 

 本を読むことも大好きですが、

 そうやって、たくさんの人のすべらない話を聞けるのは、

 この仕事のいいところ。

 

 

 

 ただ。

 

 ただですね。

 

 

 あまりに鉄板の話があると、

 お客様はもう来るたびに、その話をされるんですね。

 

 もはや、ぼくもその話の細部まで話せるようになるほど。

 それも、まぁ大長編なので1時間弱ぐらいはあるのです。

 

 

 

 落語のように、きれいに物語は進みます。

 さしづめ、ぼくの営業トークは枕のようなものです。

 

 

 ・ご資産の形成の話 (ぼく)

  ↓

 ・ご家族の話    (お客様)

 

 

 になるので、ごく自然に流れていきます。

 気づけば、ぼくがお客様になっているのです。

 話を聞きながら、出された団子を頬張る。

 今日も、今日とて、収穫は糖分のみでした。

 それは、それでいいのですけど。ほんと。ね。

 

 

 

 ただ、たまに、ぼくも時間に追われているときもあるのです。

 たまにじゃダメなのでしょうが。

 

 

 そんなときに、お客様に気付かれず、

 現在の時刻を確認する手段を、たくさん身に付けてきました

 

 たとえば、

 カバンを見るフリして、時計を見たりするような技術です。

 

 

 

 今回、実践した方法は、

 

 『テレビ番組の進行具合から、時刻を読み取る』 です。

 

 

 

 行程は2つ。

 ・お客様の自宅で、つけっぱなしになっているテレビを最初に見ておく

 ・入った時間だけは、確認しておく

 それだけしておけば大丈夫。

 

 

  

 

 具体的なお話をしますと、

 お客様の自宅に入った時刻が13時過ぎ。

 

 テレビがついている。

 

 よくやっているような、温泉殺人事件。

 シリーズ物なので、恐らく、1時間のドラマだろう。

 

 営業をはじめて、10分。

 温泉街で人が殺される。

 そこで、ぼくの営業トークも終わる。

 

 

 ここからは、お客様のお話。

 

 

 後ろのテレビでは、たまたま泊まりに来ていた刑事が、

 事件を解決するために奮闘している。

 

 『恐らくまだ、13時半ぐらいだ』

 

 

 

 そこから、過去のお仕事の話を聞いていると、

 興味津々になる話題が出てきたので、

 ぼくも時間を忘れて、長話をしてしまう。

 

 

 

 大丈夫、まだテレビのドラマは解決していない。

 

 

 

 

 たまに、お客様のうしろにあるテレビに目をやり、時間を確認。

 とうとう、犯人が嘆きながら、殺人の動機を語っている。

 きっと、そろそろ13時50分だな。

 

 

 

 「そろそろ失礼いたします」

 話を切り上げて、お客様の家をあとにする。

 

 

 

 腕に付けた時計を眺めた。

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 時計の針がさしていたのは、14時45分だった。

 

 

 

  ・・・

 

 

 

 

 2時間ドラマだった。

 

 

 




 

 

 銀行員は、つづく。

 

 

 

 

とびこむ営業は、おもらしの連続だ。

 

 なにも、情報漏えいのお話ではありません。

 ぼくは銀行の営業をしていますが、

 マネーロンダリングのお話でも、

 インサイダー取引の話でもありません。

 

 例えのお話なのです。

 

 銀行員の営業は、とびこみ営業のようなものです。

 インターホンを鳴らして、自分の会社の名前で扉をあけてもらう。

 それは、すごく難しいこと。

 だけど、もっと難しいのは、実際の数字を獲得すること。

 

 

 これが、例えば、おいしい食べ物だったら、

 もっと良い顔をしてオススメできるのですが。

 ぼくが売るのは、運用商品。保険や、投資信託

 お客様のお金を減らす可能性があるものなのです。

 

 

 

 さて、漏らす話なのですが。

 

 

 最近、おなかの調子がすこぶる悪くてですね。 

 自転車で営業をまわっていたら、

 もう、限界がやってきたわけです。

 近くの商業施設のトイレに飛び込むと、

 個室の扉が1つだけオープン。

 ギリのギリで、助かったわけです。

 

 

 ただ、みなさんも知ってのとおり、腹痛には波がある。

 そして、その波を人は察知する能力を身に付けています。

 ぼくも、第二波、第三波の予感がしたので便器でステイしました。

 

 狙い通りの、第二波。

 これが、またまた、大きな波。

 

 苦しんでいるときに、その音は鳴りました。

 

 

 コンコン コンコン コンコン

 

 

 それは、外から便器への扉を叩く、SOS。

 そのテンポの速さから、外にいる彼の限界は容易に感じ取れる。

 だが、ぼくだって闘っているのだ。限界なのだ。

 

 

 こんな状態で、外で困っている人のために、

 自分が出しているものを止めてまで便座を譲る人がどこにいるだろう。

 全てを出しきって、お尻を拭いているタイミングならば、

 すこし急いでズボンをはいてあげることは、可能なのかもしれないけれども。

 

 

 洋式の便座に座りながら、苦しんでいる自分を、

 すこしだけ俯瞰で見たときに、気づいたことがあった。

 

 

 「ぼくの仕事って、トイレの扉をノックするのと同じだ!」

 

 

 お金を使わないっていう人はそうそういない。

 増やしたいけれど、減らしたい人なんていない。

 みんながほしい物を買いたい。おいしい物を食べたい。

 そんな願望を抱いている。

 

 

 そこへ、突然現れたぼくが、お金を減らすかもしれない投資を提案する。

 減らしはしないけれど、貯金をしませんかと提案してくる。

 

 

 ・・・だれが、協力してくれるのだろうか。

 

 

 トイレで言うならば、うんちを出したい時に、

 突然、コンコンとノックをされて誰が出てくれるのだろうか。

 ぼくには、そんなことは到底できない。

 たとえ、相手が限界ギリギリだったとしても、

 泣く泣く、知らないフリをするしかないのだ。

 

 

 

 

 毎月、毎月、ノルマに追われている。

 投資信託を何千万売りなさいとか、保険をいくら成約しなさいとか。

 

 

 なんだかんだで、乗り越えてきた。

 

 

 それはなぜか。

 もしかしたら、お尻を拭いているタイミングで、

 ぼくがノックをしたから協力してくれたのかもしれない。

 これは、運である。運。

 

 

 もうひとつの要因はこうだ。

 

 

 お客様の中には、自分がうんちをしたいのを我慢してまで、

 ぼくに力を貸してくれるひとがいるということだ。

 

 

 「仕方ないなぁ」

 って顔をして、ぼくの提案を聞いてくれる人がいるのだ。

 

 

 そう思うと、この仕事は人に感謝しっぱなしだなぁと改めて感じた。

 

 

 そして、うんちを出し終わっても、

 ずっとスマホをいじっている人を、

 いかにしてトイレから出すかを考えることが、

 ぼくの今後の営業成績をあげるんじゃないかと思ったのである。

 

 

 

 

 

 

 ということを考えていたら、いつのまにか第三波も通り過ぎていたのだ。

 外の彼のノックもいつのまにか止んでいた。

 

 どうやら、助かったようだ。

 よかったよかった。

 

 

 あ。

 

 

 解放感に浸りながら、そのあと、何軒もまわった営業は、

 おもらしの連続でしたとさ。

 

 

 

瞬間移動は奇妙である。

 

 今週は、2日も平日が休みだった。

 銀行で働いているので、休みはしっかりもらえる。

 もはや、それこそが最大の利点とも言えるのだが、

 今日は、そんなことを言いたいわけではない。

 

 

 火曜日だったろうか。

 台風が通過したあとの大阪駅は、人であふれていた。

 電車が遅れている。30分ぐらいの遅延だ。

 

 

 まぁよくあることなので、イヤホンを耳につけて、

 歌詞のない音楽を耳にしながら、本を読んでいた。

 読書に音楽は、集中できないようにみえて、意外にできる。

 駅の雑音を耳にしていると嫌になるのだ。

 

 

 

 イライラしている人たちの仕草に目がいく。

 持っている傘を地面にトントントントントントントントン。

 待ちきれずに、電車を待っている途中で、缶チューハイを開ける。

 上司と帰っている部下は、いつもよりたくさん人生論を聞かされる。

 自分の父親ぐらいの人が、もっと年上の人にヘラヘラしてるのは、

 本当はあまり見たくないものです。

 

 

 そんなこんなで、耳は音楽、目は活字に預けていると、

 電車が申し訳なさそうな顔をしてやってきた。

 結局、遅延はのびにのびて、45分となっていた。

 

 

 駅のホームに溢れかえった人々が、

 乗車率100%を超える車両を、つぎつぎと生み出す。

 

 もれなく、ぼくの車両も乗車率は100%オーバーである。

 なにを100%の基準にするかというと、

 まぁ、ぼくが本を開くことができるかどうかにしておく。

 

 

 なんとか掴んだつり革。

 

 

 耳は相変わらず、音楽に任せているので安心だが、問題は、目である。

 どこを見ておこうか。横の人があり得ない体制でスマホを触っている。

 ぼくも、あり得ない体制で、そのスマホを覗こうか。

 いや、それは趣味が悪い。

 

 悩んだ末に、目は機関として、前のものを認識するだけに徹することになった。

 あくまで、目の前を認識し、判断を下すためのもの。

 

 

 つまり、前に立っている学生のような男性を、ボーっと眺めていたということです。

 

 

 服の色は青色の中でも、ネイビーだなぁ。

 Tシャツの文字はあれどういう意味だろう。

 この時間に私服で電車に乗っているってことは大学生かなぁ。

 ってことは、ぼくより年下かなぁ。

 いや、3浪していたら年上だぞ。

 

 

 といった具合に、

 必死につり革を掴んでいる、おなじく満員電車と戦う彼を見ていた。

 

 揺れる。

 揺れる。

 電車は揺れる。

 

 

 乗っていた電車は、新快速でした。

 大阪駅を出ると、次は尼崎駅に止まる。

 その数分間、ぼくはネイビーの彼を認識しつづけていた。

 

 

 そして、尼崎についた。

 たくさんの人が降りる。

 

 

 「どけ!どかんかい!」

 

 こんな声をあげているのと変わらないような、タックルをかましてくるおじさん。

 あれは、もう本当、やさしくない。傷つく。

 まぁ、イライラしてるのも分かるけど、もうちょっとで外じゃないか。

 この日もタックルをくらった。

 

 

 で、ここでタイトルの話ですが。

 瞬間移動のことです。

 

 

 

 というのも、ぼくの目の前に、瞬間移動してきた人がいるんです。

 

 

 その人は、

 メガネをかけていて、

 グレーのシャツをきていて、

 リュックサックを背負っていて、

 おそらく大学生であろう風貌で立っていたんです。

 

 

 「このメガネの彼はいったい誰なんだ!」

 

 ぼくの脳がパニックを起こしました。

 

 

 

 ?って頭に浮かんだかた、いらっしゃいますか。

 電車で知らない人をみて、この人が誰だか知らないことにパニックを起こしている。

 どう考えてもおかしいですよね。

 

 

 

 だけど、ここで、ぼくの目が得た情報をもうひとつ付け足します。

 

 

 

 その人は、ぼくがこの数分間ずっと見ていた、

 ネイビーの彼と笑いながら話をしていたのです。

 

 

 ずっと一人だと思っていた人物の横に、

 突然として友達があらわれた。

 そのことに、ぼくの脳は混乱したのです。

 

 

 誰もいなかった空間に突然として、人が現れたかのような感覚。

 瞬間移動です。

 

 

 思わず、ぼくはイヤホンを外しました。

 そして、2人の会話に耳をかたむけました。

 

 気づけば、ぼくの耳も目も、もう完全にその2人にまかせっきり。

 

 

 わかったことは、彼らが友達でどこかの帰り道だったこと。

 普段はゆったりと話しながら帰るのに、

 満員電車ではぐれていしまい、駅で人がたくさん降りたことで、

 やっと合流できたこと。

 

 

 

 情報を耳に入れてようやく、頭が理解した。

 このメガネの彼も、最初からこの空間にいたんだな。

 だけど、ぼくの中で知らない人に対する情報量の差を生んでいた。

 

 

 ネイビーの彼も、メガネの彼も、

 どちらもまったく知らない人。

 ある程度の認識をしていた人と、ぜんぜん認識してなかった人

 突然、関係性を持ったとき、

 脳が、ここに瞬間移動してきたと勘違いを起こしたのだ。きっと。

 

 

 

 いるのに、いないと思わせることが瞬間移動の秘密なのではないだろうか。

 

 つまり、自分が移動していなくても、

 相手に、ここに居ないと思わせることで瞬間移動は完成する。

 

 

 その一つの手段として、

 見るがわの、認識レベルの差が使えることをぼくは満員電車で学んだのである。

 

 

 

 気づけば、最寄駅についた。

 台風はすぎさって、涼しい風が吹いていた。

 

 あっ。

 

 晩ごはんを何にするか全然考えてなかったことに気づく。

 

 

 結局いつもの、コンビニへ足を向けるのであった。