得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

実家の良さについて。

 

実家へ立ち寄る生活がつづいている。

 

何をしているかって、車の運転だ。新しい職場では、営業エリアが何十倍にも広がり、バイクを使わないと移動ができない。さらに、上司が同行するとなると、車を使わないといけない。

 

さすがに、赤の他人に迷惑をかけるわけにもいかないので、教習所の卒検いらいに、運転席に座った。

 

隣には、父が座る。彼は、ぼくがいま沈んでいることを知っている。仕事を探していることも知っている。

 

「周りをよくみて、危険を察知して」

 

免許合宿の教官より優しく、父は話す。車庫入れの練習もしているが、本当に車が停まっていたら、ガリガリになりそうなぐらい、ぼくはセンスがない。

 

それでも父は、なんどもぼくに感覚を教える。

 

「仕事について何かアドバイスをすることはできない。分からないから。でも、運転なら何度でも付き合うよ」

 

帰り道にボソッと聞こえた。あぁ、こんな仕事に悩みながら教わるよりも、もっと楽しいことのために、父に運転を習いたかったと、そんな後悔じみたものが心をよぎる。

 

つぎに、親になにかを教えてもらうときは、もっと前向きなことで、話せたらいいなぁと、そう思う。

 

 

実家に帰ると、弁当箱が置いてあった。一人になりたい気持ちを察してか、母が晩ごはんを詰めてくれていた。ぼくは、弁当箱と父を乗せて車で一人暮らしの家へ帰る。父はひとりで帰っていく。

 

就職してから3年と数日、いままでで、いちばん実家というものに、ありがたみを感じている。

 

 

実家のお風呂は、たいていシャンプーがきれている。ポンプを何度押しても、液体は出てこない。

 

「なんでやねんっ」といつも、シャワーの後にまぎれてつぶやく。そして、キャップを開け、なかに水を注ぎ、しゃばしゃばで頭を洗う。

 

ぼくが補充するでもない。つぎに使うのは自分じゃない。

そこで気づく。

 

 

誰かと住んでいるからこそ、シャンプーがきれて文句が言えるんだ。家族みんなが、自分以外の誰かが補充してくれるって思ってるから、実家のシャンプーはいつも空っぽなんだ。

 

 

仕事がつらくて、弱っているからかもしれない。

 

 

だけど、なんだか妙にそんな理由が、人間臭くて、家族臭くていいなぁと、うれしくなってしまった。

 

 

シャンプーを補充するのがめんどくさい、靴を並べるのがめんどくさい。妹とよく喧嘩した理由は、そんなくだらない「めんどくさい」だった気がする。親に怒られたのも「めんどくさい」が根源だ。

 

 

実家に学生はもういない。妹も就職して、全員が社会人だ。それでいても、なお、シャンプーを補充することを、「めんどくさい」と思ってる人たちがここにはいる。誰かがしてくれるって思いながら、お風呂をササッと出てしまう家族がいる。

 

 

実家の良さ、それは「めんどくさい」とか「損得」みたいな感情が、許せる範囲でたくさん入り乱れていることだと思う。

 

 

「今日は来ないの?」

 

 

連絡が来る。ぼくはそれを、実家の最寄駅を通り過ぎてるから返信する。

 

 

「もう、通り過ぎたし帰るわ」

 

 

ひとりになりたい時もある、都合のいいときだけ、頼らせてくれるのが、家族だと思ってる。頼ってほしいと思えるのが、家族だと思っている。