他人のお葬式で、泣いてくれる人がいた。
ぼくも、他人の葬式で、泣いている人になってしまった。
銀行で営業の仕事をしていると、お客様はご高齢の人が多い。その分、今までに何度か、お葬式や線香を届けてきている。
月に1度ぐらい、お話をさせてもらっていた人が亡くなられた時、ぼくは人の死というのは、本当に突然なんだなと痛感する。
お客様の死は、ぼくたちの業績に直結する。
定期預金は出ていって、息子さん達が持って行く。運用をしてくれていた大きなお客様が亡くなると、来月から助けてくれる人が1人いなくなる。
相続はピンチ、相続はチャンス
すごく苦手な考え方だ。ぼくはどうして、この人のお葬式に出席しているんだろう。何を考えながら、手をあわせているんだろう。
きっと、ご家族から思われていることは、決まっている。
「お金が目当てなんでしょ」
人の目は、口より物を言う。
仕事上は、やっぱり本当に自分が追い込まれるし、今まで以上にピンチになるのは事実だから、相続のあとも取引をしてほしいのは本当の話。
でも、でもなぁ。
心の底から、感謝の気持ちを伝えたいと思っている。思っているんだよなぁ。
みんながそうかは分からないけど、相続が発生した瞬間に、お金が動くから、そのタイミングで保険を推進してみようと考える人もいる。
仕事のできる人だと思う。
相続税について、いちばん考える瞬間は、相続をする瞬間だから。
ピンチをチャンスに出来る人は強いと思う。
でも、どうしてもそれができない。
誰かの死をチャンスとかピンチと思いたくない。ただ、その最期の式には、故人を想う時間が流れていてほしい。ぼくが家族ならそう思う。
気づけば、お給料が発生する時間に、手をあわせて泣いた。
公私混同という言葉があるが、こんな時に使うものなのだろうか。あまり良い意味で使われている印象が、ない言葉だ。
仕事に私情を持ち込んでいる人は、だめな人なのだろうか。まぁ、奥さんとケンカして、部下にあたる上司はだめな人だと思うけど。そんな人もいるんだけど。
祖父のお葬式の日、喪服で数珠を持っている参列者の中に、ひとりだけTシャツにズボンの若い男の人がいた。
その人は、誰よりも涙を流して、しばらく祖父の棺桶から動かなかった。
母は彼の肩をたたいて強い口調で言った。
「〇〇さん、こんなに毎回お葬式で泣いてちゃだめ、心がもたなくなるよ」
ぼくもよく知っているそのお兄ちゃんは、うなずきながら泣いていた。
祖父の介護は、夜はぼくがやっていた。大学に行っている間のお昼の時間は、そのお兄ちゃんがやってくれていた。
訪問ヘルパーになってまだ数年、九州から出てきたその人は、頑固で偏屈な祖父に対して、いつも一生懸命に介護をしてくれていた。
「介護なんていらん」
口癖のように言う祖父に対して、やわらかい返しで、大汗をながしながら着替えや食事を手助けしてくれていた人。
「持って帰りなさい」
母が買ってきた果物を、祖父はいつしか、そのお兄ちゃんにあげるようになっていた。他の人が来る日は、また文句をずっと言ってしまって、申し訳ないですと謝ったこともあった。
ヘルパーさんは、ぼくよりもずっと人の死と近い場所で仕事をしているし、まっすぐに人と向かいあう仕事だ。
体力もたくさん使うし、サボることなんてできない。その人たちの助けを待っている方が、たくさんいるからだ。
他人の葬式で、泣いている人を見たのは、それが初めてだったと思う。
大学生のぼくより、ちょっとだけ年上の人が、
仕事を通り越して誰かの死を悲しんで泣いている。あんなにも、大変な思いをしながら、文句を言われていた老人の死を、誰よりも泣いている。
あんな人になりたい。
その時に、ぼんやりと思った。
いまも、その映像が頭をよぎる。
あの人はいまも、誰かのお葬式で泣いているのだろうか。
誰かとまっすぐ向き合って、仕事をしているのだろうか。
ぼくが今、他人のお葬式で泣ける人になれたのは、あの時に、一生懸命に向き合うヘルパーさんを見たからだ。
あのTシャツにズボンでお葬式に駆けつけ、親族から泣きすぎてお叱りを受けるような、まっすぐな人でありつづけたい。
今の仕事を辞めたとしても、人の死と遠いところで働くことになっても、それでもずっと忘れることのない、あるべき姿をぼくは持っている。
ぼくの人生の目標である普通の人は、いまも、この暑い夏を、タオルを首に巻いて自転車で走っているんだろうか。違うところにいても、まっすぐに走っているといいなぁ。