あだ名って、ええもんやなぁ。
小学校と中学校は、おなじあだ名で呼ばれていて、
高校生になると、あだ名はなくなった。
大学生になると、また別のあだ名で呼ばれて、
会社に入ると、また、あだ名はなくなった。
会社では、呼び捨てをする上司はいない(現在のところ)。
高校の同級生だけが、ぼくのことを現状呼び捨てにする。
大学生の友達だけが、ぼくのことをその頃のあだ名で呼ぶ。
会社の人と、すこしだけ遠い友達が、
ぼくのことを〇〇くんと呼ぶ。
友だちと会って、
ひさしぶりに大学の話とかになると、誰かの名前が出てくる。
あだ名って、広辞苑をひいても出てこない言葉の並びだったりするから、
口が久しぶりにその言葉を発するから、頭がすごいまわる。
そういえば、こんなあだ名の人もいたなぁとか、
△△といえばこんな話があったよねぇとか。
ほつれたセーターの糸のように、するすると口がうごく、頭がまわる。
そういや、あだ名って言葉も久しぶりに使ってる気がする。
小学校の4年生ぐらいで、
たしか5時間目とかだったかなぁ。
給食食べて、昼休み遊んでからの授業。
学級会が開かれた日があった。
議題は、「あだ名」について。
先生がこの議題を挙げた理由は、
バカ松とか、アホ村とか、
そんな名前で呼ばれていた生徒が他のクラスにいたって話がきっかけだった。
どうして、あだ名で友達は呼び合うのか。
あだ名があれば、なにが良いのか。
どんなあだ名で呼ばれたら、みんな嬉しいのか。
ひとりひとりが手を挙げて、
思ったことを言っていた。
あだ名で呼ばれる幸せは、
さっきちょっとだけ書いたけど、
広辞苑ではひけない言葉が、自分を指しているということじゃないかと思う。
その人にとって、唯一の音の並びがぼくを示している。
好きだった女の子には、あだ名で呼ばれたら嬉しい。
下の名前で呼ばれるよりも、ぼくは嬉しかった。
授業のおわりに、先生が言った。
今日の授業以降、それぞれが呼んでほしいあだ名を言いなさい。
みんなは、これからそのあだ名で呼び合うこと。
ひとりひとりが立ち上がって、
ぼくの名前は〇〇〇〇です
呼んでほしいあだ名は、〇っちと、〇~〇~です。
と宣言をしていく。
なんともいえない昼下がりの時間だった。
クラスの人気者は、堂々といまのあだ名を言っていた。
あだ名のない子は、悩んで、下の名前を呼び捨てでと言った。
それぞれが、普段どんなことを考えていたのか、
なんとなく分かって、ぼくはすごく勉強になった。
あぁ、こいつはこの呼ばれ方を好んでいたんだなぁ。
あっ、嫌な呼び方をしてしまってたんやなぁ。
名前について、いちばん考えた授業だったと思う。
そのやり方が、正しいのかは別として。
ぼくの順番がまわってきた。
頭の中で、いろんなことを考える。
〇〇がいいな、でも△△とも呼ばれてるし、
う~ん、でもやっぱりたくさん呼ばれているやつにしようかな。
〇〇って呼んでください。あと、〇ベエでもいいです。
勝負をかけた提案でした。
当時からぼくは、ズッコケ三人組にハマっていて、
主人公の1人である八谷良平のハチベエというあだ名にすごく憧れていたのです。
なんとなく「ベエ」というのが、
江戸時代の人のような風格があるし親近感もある。
ドラえもんの、「えもん」のところみたいな。
一度でいいから、そんなあだ名で呼ばれたい。
だったら今しかない。
そんなこんなで、突然現れた、〇ベエだったのです。
当然、教室はシーンとしたまま。
そのまま何も先生は言わず、授業は終わりました。
あれから、10年以上。
ぼくが〇ベエと呼ばれたことは一度もありません。
誰も、何も触れることなく、
もちろん広辞苑にのることもなく。
でも、当時から友達に呼ばれていたあだ名は、
いまも生きています。
道で、その言葉の並びを聞くと、もれなく振り返る。
それが女性の声なら、もうたまらないのだけど、
野太い男の声なんですよね。
でもまぁ、それはそれでいいんだけど。
普段は、名字でしか呼ばれないのに、
みんなに会うとあだ名に戻れる自分がいる。
それがすごく嬉しいのです。
あぁ~でもやっぱり~
女性にも呼ばれたいなぁ~