得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

明るい病室

病室が嫌いだ。

入院したことはないが、病室には何度も来たことがある。テレビがあって、ベッドがあって、景色が綺麗で。一階には喫茶店があって、売店もある。そうきたら、もはやホテルなのだけど、病室とホテルの部屋は全然違う。

明るくしようという空気が、病室には流れている。

共通の認識として、矢印はマイナスのほうを向いている。だけど、50%いや1%の可能性を信じて、みんなが明るくなろうとする。悪いことじゃないし、ぼくもそうするけど、全員の頭のなかに不安は浮かぶ。



母が手術をすることになった。そのことを知ったのは、転職して、東京での生活がはじまって2週目のことで、ちょうど「入社してすぐだから、夏休みは取れへんわ」とLINEを打とうとしてた時だった。

電車に乗っていたから、かかってきた電話は取れず、「入院」「手術」という単語を読んだ。

その場で上司に連絡をしたところ、有難いことに、夏休みが生まれた。次の日には新幹線に乗り、関西に帰った。

はじめての帰省。帰省と言えるほど、東京での生活をしてないのに、頭のなかには「帰る」という動詞が強い筆圧で書かれていた。



阪急電車に乗った瞬間に、なんだかじんわりとくる。それは、母が心配だからということにしておく。センチメンタルなんて、そんなことを言えるほど、東京に染まってもいないのだ。

「実家」という存在が、際立つ。


新しい生活をはじめてから、色んな夢をみた。出てくる景色、登場人物は関西。
夢に見るほど、まだ東京のことを知らないから当然なのだけど、それがまた寂しいを助長する。



あっ、寂しいって言ってしまった。というか書いてしまった。
そうなんだよ。いや、そうやねん。

寂しいねん。

母の病気が発覚してようと、していなかろうと、夏休みはほしかったし、実家に帰りたかった。阪急電車にじんわりしたいし、「関西ええなぁ」と言いたかった。

26歳というと、もっと自立した大人だと思っていたが、自分はかなり弱いほうの大人だった。

弱いからこそ、いろんな人に支えてもらっていたのだと実感した。それが、東京で一人の夜にみる夢だった。



2度目の休みをもらって、新幹線に乗りこむ。
手術がとうとう明日に迫ってきていたからだ。

病状は分からなかった。開けてみないと、それが悪者なのか、お騒がせ者なのか、判断がつかないと先生は言う。

9時からの手術を控えたその病室は、ぼくが嫌いなあの空気に包まれていた。不安をかき消したい空気。明るく振る舞いたいけど、そうもいかない、息がつまる状態。

こんな時に面白いことを言えるような大人になりたいと、そう思いながらも、うまく言葉も出てこない。

母の友人が持ってきた、あだち充の『みゆき』を無言で読んだ。



主人公の若松真人が、血の繋がらない妹に恋をしながらも、その気持ちを必死におさえつけているその時、父の電話がなる。

予想していたよりも、1時間もはやい、手術の終了を告げるお知らせだった。

電話ではまだ、それが悪者だったのか分からない。漫画をとじて、物々しい雰囲気の部屋へいそぐ。

先生が父を呼ぶ。その間、叔母とふたりで待つ。悲しいかな、病院にいる以上、考えは常に最悪のケースを向いてしまう。

『みゆき』の続きが気になる感情が、心の奥底に浮かぶ。それを「アホか!」とハリセンで叩く。

不安な時にどうでもいいことを考えてしまうことは、許さざるを得ないことだと思う。それはなんか、自己防衛本能が働いてるんだと思う。

漫画とか、映画とか、多少のエロとか、そういうものが、人を救う瞬間ってこんな時にあるんじゃなかろうか。

つまり、エロは人を救う。というようなアプローチの企画は成立するはずだ。最後の晩餐みたいなことで、最後のAVは何を観たいかという、そんな話ができるはずだ。



手術を終えた母が戻ってきている。


おそらく、『みゆき』とか言い出したぐらいからご察ししたかもしれないが、母の手術はうまくいった。

悪者の可能性が高かったやつも、お騒がせ者だったらしい。

いま、この病室は明るい。
母から取り除かれたものと、同じぐらい、僕たちからも不安が消えた。

病室の窓から見える景色は、さっきと同じだけど、ちょっと美しくみえる。



ただ、隣の部屋ではどうだろうか。

ほとんど同じ角度で、この晴れた日を見渡しながらも、朝の僕たちとおなじ感情の人がいるだろう。朗報を聞いてエレベーターに乗ったとき、同席していた人も、不安でいっぱいかもしれない。

祖父に電話した待合室でも、それを気にして、とても小さい声で話した。なるべく淡々と。だってここは、病院だから。



いつ、またわが家に不安がやってくるかは分からない。それは、先生の言葉とおなじで「開いてみないと分からない」のだ。

いまはすこし、東京に帰りたくない。

ホッとした気持ちに隠れて、また東京で一人暮らしをすることに、ビビっている。毎日、慣れないオフィスワークに苦しんでいるのだ。営業でバンバンとまわっていたころと、仕事の仕方も、スピード感もちがう。

会社の規模も違うから、また違う緊張もある。

弱った時に逃げたい場所は、一人暮らしの家から新幹線で2時間半も離れている。



長くなった。というか、長く書ける結果になってよかった。

全5巻ある、文庫版の『みゆき』を読み終えた。
大好きな歌の、大好きな歌詞がラストシーンで出てきた。

 

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よかった。本当によかった。