得も損もない言葉たち。

日常をひとます、休まず。

あなたのクスッとをください。

拝啓、酸素カプセルより

 

こんにちは。いま、酸素カプセルの中から、この文章を書き始めています。人生初の酸素カプセル。閉所恐怖症の気が若干あるぼくですが、大丈夫みたいです。

 

どうして、こんなところにいるのか。

 

それは、この酸素カプセルが銀行員生活で、お金を融資した、最初で最後の設備だったからです。

 

気圧の変化を、耳が感じとる。鼻をつまみ、耳抜きをしないといけない。つづきは出てからにしなければ、このままでは耳がきびしい。

 

 

 

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突然の訪問

 

インターホンを鳴らすことには慣れている。

 

なんの躊躇いもなく、ボタンを押す。そして、明るい声で挨拶をする。すると、ドアは開き、家へ招き入れてもらえる。これを繰り返して、営業をやってきた。

 

でも、今日ぼくはインターホンを鳴らすのが怖かった。はじめて営業に出た頃のような感覚で、馴染みのお客さまの家を数ヶ月ぶりに尋ねた。

 

転勤になって以降の訪問だ。有給消化の身で、やってはいけないこととは知りながら、前の店のお客さんに退職することを報告しに行った。

 

ドアは開けてもらえるのか。どんな顔をされるのか。ビクビクしながらも、でも、ちゃんと報告がしたくて懐かしい町の駅に降りる。マンションをまわる。一軒家の門をあける。

 

 

 

 

「お久しぶりです、……その、前の担当の…」

 

歯切れの悪いあいさつ。なんと言えばいいのか分からない。ぼくにはいま、申し出る身分がない。

カメラ越しにうつる顔を見てか、「あぁ〜どうしたん?」とみんながドアが開く。

 

突然現れて、退職の話を報告に来たぼくを、お客さんは迎え入れてくれた。そして、変わらず、リビングの席に座る。

 

 

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痩せると思っていた

 

 

営業で担当エリアを与えられたとき、ぼくは痩せると思った。自転車で一件ずつ家をまわる。ご飯なんて食べる時間もなく、汗水垂らして仕事をする。だから、痩せるはずだと思った。

 

2年経ったいま、ぼくはすこし太った。理由は分かっている。仕事の時間に、お菓子やらご飯を食べてまわっていたからだ。お客さんの家をまわるごとに、食べ物が出てくる。お土産がある。

 

遠慮せずにごちそうさまをしていたぼくは、いくらか重くなった。

 

 

今日、ぼくの体はすこし重い。

 

胃袋の中には、夕張メロンモナ王、そして何杯ものコーヒーが入っている。お客さんの家をまわるたびに、体が重くなった。

 

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そして、腕には時計がある。

 

会社に行かなくなって、時間に追われなくなった結果、時計をつけていなかった。それを見たお父さんが、家の奥から箱を持ってくる。

 

コレクションの腕時計から、好きなものをくれると言われた。ぼくは、物の価値がわからない。ただ、秒針として円盤をまわる飛行機がかわいくて、プレゼントにもらった。ブランドなのかどうか、それは知らない。安物でもかまわない。

 

 

 

鞄のなかには、広島カープの選手のサイン色紙がある。お客さんの店によく来ている選手のものだ。大好きなチームだとよく話をしていたので、ぼくが来たときのためにもらってくれていたそうだ。

 

そして、生ビール。顔が真っ赤になる。営業をしていた頃には、ウーロン茶をもらっていた。本日はアルコールだ。顔が真っ赤になり、心配される。お酒に弱いことは、言ってなかったみたいだ。

 

 

「あんたに相談したいことがあるねんけど」

 

もう銀行員じゃないぼくに、運用の相談をされる。酔いながら、後任の子に連絡を送る。とんでもない先輩だと思いながらも、ネタを譲る。

 

もういっか。ぼくには身分がないんだから。

 

 

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身体中に酸素が行き渡る。足取りがすこし軽い。ぼくのお金で買えたわけじゃない。頼まれたことを懸命に聞いて、なんとか融資につなげた酸素カプセルだ。

 

地域のスポーツ少年たちを支えたいと言っていた先生の話を聞いて、取り組んだものだ。

 

先生は退職について「それで良かったんじゃないかな?」と、笑いながら言った。ニヤリとしながら、お金を払おうとしたら、財布はポケットにしまわされた。

 

 

尿意がやってくる。酸素カプセルを終えた後は、トイレに行きたくなるそうだ。そんなに飲んでないのに不思議でしかたない。理由は、まだ調べていない。

 

 

ただ一つ言えるのは、次の職場で誰かが酸素カプセルの話をしたとき、「あれって、終わったらおしっこに行きたくなるらしいですね!」と笑いながら話すことだろう。

 

そうやって人と人を、話題と話題を繋いでやってきた。いろんな人の人生や、話すことをたくさん吸収して、今のぼくがある、

 

 

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「食べてかえりなさい」「持ってかえりなさい」そんなことを、たくさん言われた1日だった。そして、どこに行っても言われたことは、「がんばりなさい」だった。

 

がんばりますと言う。がんばれると思う。胃袋にたくさんのコーヒー、腕には時計、部屋にはサインがある。そして、思い出もある。

 

 

ノルマを達成したことはほとんどない。営業成績も良いわけでもなかった。

 

 

間違った銀行員だったと思う、でも、間違ってなかったとも思う。それが、大げさだけど、いまのぼくの誇りだ。