得も損もない言葉たち。

日常をひとます、休まず。

あなたのクスッとをください。

銀行員じゃなかったら。

 

「誰かに背中を押されないと進めない夢なら、諦めたほうがいいです」

 

これは、去年の春ごろに、とある人にぼくがかけられた言葉です。やさしい文面の中に紛れ込んだ、この言葉を読んで、その日から、「誰かのおかげで」とか「あの日のあれがあったから」とか、強く意識しすぎないようにやってきました。

 

 

それでも、いま思うと、有難い経験をくれた人や場所に感謝しかありません。

 

 

なぜ、いまこんな気持ちになっているかというと、この度、転職することになったからです。銀行員でいる時間はあと半月ほど。ようやく、スタートラインに立つことができました。

 

 

 

もし、銀行員じゃなかったら、いま自分はどこにいるのだろうか。そんなことを、最近よく考えています。なぜなら、この3年間、ぼくはこの肩書きに随分と救われてきたからです。

 

 

「どうして、銀行で勤めてるような人がここに?」

 

 

コピーライター養成講座や、ほぼ日の塾、そして転職活動の場においても、まず最初に聞かれるのはそれでした。

 

そしてぼくは、すこし得意そうに「いや…実は…」と、この道を選んだ話をする。目にとまるという意味で、ぼくはいいように銀行員を使いました。

 

 

今年の正月に、かなり凹んだことがあります。

 

「仕事変えたい…って嘆くことが趣味みたいになってきてる」

 

このままじゃ、ずっと、なにか一時的な物に喜んで、銀行員という肩書きの意外性で、みんなの反応を伺って、気づけば30歳になってるに違いない。休日にしてることが、ぜんぶ趣味なのだとしたら、ぼくの3年間は、ほとんどが「仕事を変えたい」だったのです。

 

 

なんて、情けないのだろうか。

 

毎年、初詣で祈ることが思いつかない自分が、なんだかすごく嫌になって、自分で自分の背中を無理やり押していこうと決めました。「ちょっとまってよ、いま仕事が忙しくてさ」とか言う自分を、無視して押しました。

 

 

アコヤガイって知ってますか?

真珠がとれる貝です。

 

真珠の作り方は、アコヤガイの中に石ころなんかを入れておくんです。そして、じっくりと時間をかけて、それはピカピカにかわる。何か、決定的な魔法がかかって、光りだすわけじゃないんです。

 

誰かにピンポイントで感謝を伝えるというよりも、この3年間そのものに、もっと感謝しなきゃいけないと、今はそう思っています。

 

なぜなら、すべての経験が、少しづつだけど繋がって、人生経験になっていると感じているからです。アコヤガイが真珠を作ってくれるように、ぼくの中に転がっていた石ころが、時間をかけて変わっていった。例えるなら、そういう話です。

 

 

どんな石ころだったのか。それはきっと、「悔しさ」とか「もどかしさ」とか、そういったドロドロの尖った石ころだったと思う。だからこそ、楽しそうにしてる人を見ると、お腹の中の石が弾けてチクチクと痛かった。「銀行員から、コピーライターを目指してるんだ!」と発言する瞬間は、その痛さを忘れたけど、じきにまた元どおり。

 

更新するように、なにかのセミナーに行ったり、講座に通うようになった。

 

 

 

でも、ある日以降、石ころの角が取れたんじゃないかと、そう思えるようになってきました。

 

 

それは、ほぼ日の塾に通った日です。

 

すべてを洗いざらいに書いて、「銀行員だから」ではなく、「銀行員だけど」という思いでエントリーシートを書きました。お金の話をするより、やっぱり、旅行・食べ物・趣味、いろんな話をぼくはしたい。

そんな感じのことを書いたと思います。

 

 

たくさんの同期の人たちと、並んで同じようにコンテンツを作る。周りの人たちは、みんなぼくが憧れていた業界で働いている。「やったるぞ」と意気込んで、書くこと、考えることに挑みました。

 

結果は、御察しの通り、悔しいものです。

 

 

でも、今回の「悔しい」は、自分を痛めつけるようなものではありませんでした。銀行員という肩書きを捨てて、塾生という同じ場所で学ばせてもらった。厳しい言葉をもらえた。

 

「銀行員だから」と強く言うのはやめようと、その時に思いました。

 

 

転職の面接では、やはり現職の話をたくさん聞かれました。以前のぼくなら、ここぞとばかりに「銀行員ならではっ」みたいな話を持ち出していたと思います。

 

 

でも、あの日のぼくは、肩の力がやけに抜けていて。出てきたのは、3年間でのお客様への感謝。たくさんの人生と関わりあってきたことの、すこしだけの誇り。あとは、しんどいところで、頑張ってやってきたという事実ぐらいでした。

 

 

名前の由来を面接官の人に聞かれたとき、ぼくはすんなりと答えることができました。それは、仕事でよく、お子様の名前について語り合ってたことがきっかけです。自分の名前について、よく「いい名前やな」と言ってもらったことを思い出しながら話をしました。

 

銀行員じゃなかったら、どうなってたか分からないけど、でも、銀行員でよかったと、今ならそう思えます。(退職願を書いた後だからこそ言えるけど)

 

 

 

自分の背中を自分で押したと、さっき書きましたが、結局ぼくは、たくさんのものに背中を押してもらってたのだと思います。

 

それは、このブログもそう。読んでくれる人がいる。何かコメントをしてくれる人がいる。そういった、毎日の時間の経過が、じんわりとぼくのお腹の中で石ころを光らせた。

 

 

次は、出来上がった真珠で、何かを作っていこうと思います。大切にしてきたこと、たどりつけた想い、繋がったたくさんの人たち。特定の誰かに「背中を押してもらった」と責任をなすりつけるわけじゃなく、時間の流れに感謝します。

 

取り急ぎ、ブログにこのことを書こうと思っていたのですが、うまく言葉にできず、時間がかかりました。

 

 

新しい仕事については、ちょうどいい言葉がありません。ふわふわしてるけど、たくさんの人たちをワクワクさせるものを考えていける場所だと思います。

 

 

これからも、ここで、色んなことを書いていこうと思います。なぜなら、また新しい石ころが生まれたとき、光らせてくれる時間の中に、ブログを書くことが含まれているからです。

 

長々と、ありがとうございました。

 

 

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