得も損もない言葉たち。

日常をひとます、休まず。

あなたのクスッとをください。

通勤電車と似ていること。

 

通勤時間は1時間と30分。

 

乗り込むとき、一瞬の駆け引きがある。空いている席をどこまで追うか。

すこし遠いその席を求める。隣の扉から入ってきた誰かが座る。そうなると、もう最悪です。

 

行きどころを失ったお尻は、悲しくもそのまま。立ち位置も、なんだか不安定な、人と人の間になるのです。もしこれが、ある程度遠い時点で、座ることに見切りをつけていたら。

みなさんの体は、開かない扉にもたれることができるでしょう。

 

通勤電車の駆け引きは、まだ続く。つぎは、一駅ごとの話です。誰が降りるのかを、敏感に察知する。

 

スマホの画面を消した。本を閉じた。新聞を折りたたんだ。チラッと窓の外を見た。イヤホンの片耳を外し、アナウンスを聞いた。

 

上級コースになると、「ため息が漏れた」というのがあるのですが、これはけっこう難しい。常時漏れている、ぼくみたいな人もいるのです。

 

そんな人を見つけたら、何食わぬ顔でその付近に行けるかどうかルートを確認。無理そうなら、降りるかどうかのくだらない賭けを1人で楽しむのです。

 

 

微妙な観察眼、判断力だけがどんどん成長する通勤の時間は、果たしてぼくの役に立っているのか。そんな虚しさを感じながら、ひとりでプロ仕様の通勤を楽しんで生きてきたのですが、先日、「あっ、これ通勤やん!」と思うことがありました。

 

 

車の運転です。

 

 

新しい職場で車に乗ることになりました。さすがに、デビュー戦を上司の入院日にするわけにもいかないので、隣に父を乗せて練習です。

 

免許をとって四年ぶりに運転席に座りました。

 

 

「周りの情報を、常に観察しときや」

 

父のアドバイスを聞く。

たとえば、2台前にバスが走っていたら、バス停で止まるから、前の車はブレーキを踏む可能性がある。ブレーキを踏んでいないけど、速度がゆっくり落ちている車は、もしかした曲がりたいのかもしれない。歩行者信号が点滅しているので、あの信号はもう遠いし諦める。

 

こんな具合に、見えている情報から起こりうる可能性を想定すると、事故は減るそうです。

 

 

すごく、ぼくの朝と似ている。

 

スマホを閉じたから、席が空くかもしれない。

新聞を折りたたんだから、席が空くかもしれない。

ため息を漏らしたから、疲れているだけかもしれない。

 

 

こういう、情報から可能性をあぶり出し、即座に判断する。何気ない観察が、事故を減らしたり、お尻の安住の地を見つけ出したりするだと思いました。

 

 

ちなみに、ため息で、当たった時の快感はすごいです。人は、すこし遠いヒントで当てたほうが、嬉しいみたいです。うちの父も言ってたことが当たると、信号待ち、ドヤ顔で助手席から話しかけてきます。

 

何かを想定することは、すべて「楽しい」に繋がるのかもしれません。いまは、ギリギリの精神力で、慣れない公道を走っていますが、日が経つにつれ、周りの情報から探るのが楽しくなってくる予感がしました。

 

となると、すべては通勤電車に似ているのかもしれません。

 

 

 

「慣れてきたころに、事故は起こるからな」

 

 

だんだんと愉快になってきて、Bluetoothを繋ぎ、大好きな星野源の『日常』を流し、口ずさみはじめたぼくに、カーナビの音声のようなタイミングのいいアドバイスが、助手席から飛んできました。