どうでもいいものから。
こんばんは。
最近、パソコンの前に座って、「さぁ!書くぞ!」とニヤニヤしながら、ここに来ることが減りました。いまも、スマホのアプリを使って、数日かけて、帰りの電車でこれを書いています。
全員がはじめましてで、道も分からない場所を、乗ったことのないバイクにまたがり、走り回る日々が続いています。営業成績を、はやくも求められ、存在意義についても言われてしまい、どうすりゃええねん…と思いながら、朝がすごく怖いです。
ぼくは、このままこうやって人生を消費するのかと思うと、ほんと、吐きそうになるんです。
最近、好きなものに触れるのが嫌になりました。たとえば、好きな音楽。大好きなアーティストの声を聴いても、なんだか前向きになれず、むしろ腹が立ってくるという現象に陥っています。
自分はこんなに苦しんでいるのに、なんでお前たちはこんなにも輝いているんだ。なんて、思ってしまうんです。
他にも、ご飯とか、テレビとか、何でもかんでも、好きなものを遠ざけたい衝動にかられます。
好きなものを遠ざけた結果、どうでもいいものに触れるようになりました。
どうでもいいものとは、好きでも嫌いでもないものです。興味がないジャンルの音楽や本、webサイト。腹が立たないからいいです。だって、どうでもいいから。
この人たちの言うこと、表現するものに同意していないから、前向きになれないことを気にしなくていいんです。
乱暴に、自分の時間を過ごすようになっているんですね。
いつも元気づけてもらっていたものを遠ざけてみる。人間というのは情けないもので、次の元気づけてくれる存在を求めます。
すると、どうでもいいものの中に、大好きになれそうなものが見つかるんです。
いまの自分が好きになれたもの、偶然出会った音楽や人に、すごく支えてもらえる。
カンフル剤のような一瞬の元気じゃなくて、前向きな力じゃなくて、生きる力をくれる。
ぼくはいま、思います。
好きの反対は、好きじゃない。だけではなく、
好きの反対は、知らない。でもあるんだと。
そう気づいたぼくのイヤホンは、この精神状況で初めて出会った音楽が流れています。
マイナスの時に出会う、もっとマイナスになる。そこで出会ったものを持って、いつかこの陥落していく地面から這いでて、明るい太陽をみたいです。
地下で出会ったものを、人はずーっと大切にするんだと、そう思います。