得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

転勤になってから。

 

転勤の辞令が出た。3月30日の夕方だった。

 

引き継ぎの期間は5日間。4月9日からは、もう向こうで仕事をしてもらうことになると、上司は言った。

 

銀行の異動は慌ただしい。その理由は、癒着やらなんやらで、悪いことしてる人がいるかららしい。

 

3月30日のお昼に、4月の訪問を約束していたお客様の家に、ぼくは引き継ぎとして行くことになった。

 

後任の女の子は、はじめて営業に出る。いくぶん緊張している姿は、2年前のぼくと同じだった。

 

一件、一件と家をまわると、みなさんが口を揃えて「残念だ」と言ってくれる。ありがたいことだ。でも、いまぼくの隣にいる彼女にも、おなじようにこの人たちと関わり合ってほしい。

そう思って、涙を流してくれるお客さんに「この子をよろしくお願いします」と言った。

後輩の前で泣くわけにもいかず、ぐっとこらえた。

 

お見合いの仲人を務めるように、お客さんの話と、後輩の女の子の話のあいだに入る。行ったり来たりを、お手伝いする。

ふとした瞬間に、ぼくはここにはもう要らないんだなぁと思って、一歩引く。すこし、寂しくなる。

 

 

「また会いにきてね」とみなさんが言う。

「絶対来ます」と言葉を返す。

 

 

自転車に乗りながら、聞かれる。「どこまで本気で、また会いましょう」ってみんな言ってるんでしょうね。

素直な質問だ。悪意はない。ただただ、知りたかったんだと思う。

 

「完全に本気やで」とぼくは真顔で言った。きっとまた会える。ぼくは、またこの町へ来たい。スーツを着ることも、ピンクの自転車にまたがることもないけど、ここをうろちょろしたい。

 

 

25歳のぼくの2年と、80歳のお客様の2年。これは、同じ時間の長さだけど、全然違う。ぼくは、この2年でたくさんのお客様とお別れをした。命の尊さや、人生のしんどさを目の当たりにした。

 

そういう意味では、「また会いましょう」と言うことの重みを分かっているつもりだ。軽々しく、当たり障りのないやりとりをしてるつもりはない。

 

 

営業トークはいらない。ぼくはもう、この支店の営業じゃない。

 

 

お客様の家をまわるたび、たくさんのお土産をもらって帰るぼくをみて、後輩が驚いてくれる。この1週間で、何度もこういう関係性になってねと伝えた。

 

 

「お金はもらえないんです」と断っていた人が、財布をくれた。

 

その中には、金ピカの5円玉が入っていた。ぼくはそれを返す気に、どうしてもなれなかった。この2年間で、はじめてお金をお金としてみることをやめた。すごく、気持ちいい風が、頭の中を通り抜けた感じがした。

 

 

ここで何度も書いているが、転職活動をしている。今日も面接を受けてきたが、うまくいかなかった。かっこ悪い。

転勤先は、かなり厳しい環境で仕事をすることになると聞く。正直びびっている。怖い。辛い。ほんとは、泣きたい。

 

きっと、数日後には、汗を流して怒鳴られている自分がいる。それだけは分かる。

 

 

今のぼくを支えているのは、たくさんの人が流してくれた涙と、いただいた食べ物の数だ。片方は心を、片方は胃袋を満たしてくれる。

 

誰かを感動させる仕事がしたい。でも、ぼくにはその力はない。転職活動がうまくいかないのは、そのせいかもしれない。

 

 

でも、誰かに泣いてもらえる存在になれたことは、本当に嬉しかった。

 

 

「わたしも頑張ります」と言ってくれた後輩の言葉がうれしくて、今までのぼくの3年間をすべて話してしまった。

どういう気持ちで仕事をしていたか。やりたい仕事は別にあること、今日も面接に行くこと。洗いざらい話をしてしまった。

 

すると、彼女はぼくに、両親にしか話をしたことのない夢を語ってくれた。

 

この子なら、ぼくの好きな町を、人たちを大切にしてくれるだろうと思った。

 

 

安心して引き継ぎを終えたぼくは、そこから、ひたすらにサボり場所を教えてまわった。その頃には、ぼくを見る目に尊敬の念はこもってなかったが、仕方ない。サボることに一生懸命なんだから。

 

大好きだった町を離れることになった。

 

寂しい。

 

恐ろしい支店に転勤になった。

 

辛い。泣きたい。

 

転職活動がうまくいかない。

 

どうしたらいいんや。

 

時間だけ進む。

 

いま、ぼくは沈んでいる。

でも、鞄を開くと、今日もらったたくさんのお菓子が出てくる。完全に前向きになれるわけじゃないけど、でも、ほんこすこしだけ楽になる。

 

 

大切にしたいものを、大切にできて、本当に良かったと思えた1週間だった。

 

そして、憂鬱な土日がやってくる。

 

でも、生きていくしかない。

 

ぼくの好きな町が、後輩の女の子の好きな町になるといいな。好きな人が、好きな人になるといいな。

 

あと、やっぱり、企画をしたり、書いたり、自分の夢を叶えたいな。

 

そう思いながら、今夜もじたばたしています。