ありがとう、ムサンバニ。
平昌オリンピック、観てます。
毎日、家に帰ったらテレビを観る。仕事をサボって、Wi-Fiのある場所へ逃げ込んでスマホで観る。時差がちょっとほしい。いつもなら、朝方まで競技にくぎ付けになるような生活になるのですが、韓国と日本はとても近い。仕方ないので、サボってオリンピックを観るしかないのです。
先日、羽生結弦選手の演技がはじまる直前、お客様を訪問するアポイントがあった。なんともタイミングが悪いと思いきや、その場所は町の電気屋さん。ご主人は、お店でいちばん大きなテレビの電源を入れてくれる。大画面で眺める羽生選手の演技、仕事なんてそっちのけだ。
思えば、この世に生まれ出てから25年。けっこうぼくはオリンピックを観ている。いつのまにか、テレビでずーっとオリンピックを眺めることが大好きになった。どの競技が観たいとか、特別なものはない。知らない競技も含めて、世界のトップクラスの技をみて、ルールを覚え、ちょっとだけ知ったかぶりして喜ぶのがすごく楽しい。
競技特有の技を覚えると、何気ない選手たちの動きに、すべて意味があることに気づく。そして、試合が終わった後に垣間見る、ふつうの人としての素顔を見るのもいい。
気づけば、オリンピック選手も多くが、同い年、もしくは年下になってしまった。それが、なんだか寂しい。この寂しさは、なんだろう。ぼくはまだ、オリンピックに出たいと思っているのだろうか。
「夢はオリンピックに出ることです」
小学校6年生の卒業文集に、ぼくはデカデカと夢を書いた。水泳帽にゴーグルを着用して、大きくガッツポーズをとっている自分の姿は、いま見ると溺れたいぐらい恥ずかしい。ただ、あのときのぼくの夢は、たしかにオリンピックだった。
野球をやっている子は、プロ野球選手。サッカーをやっている人は、Jリーガー。みんながみんな、その時にやっていたスポーツの格好をして、夢を語る。あのときのぼくたちにとって、アイデンティティとは一生懸命にやっているスポーツがそれだった。
そこからわずか3年、ぼくは水泳をやめた。しんどい思いをして泳ぐことから逃げ出した。オリンピックに出るという夢は、とうてい無茶なことだと判断し、惰性で泳いでいた数年は辛くて仕方なかった。
毎日、朝と夜に練習をしてもタイムは伸びない。正直言って、泳げば泳ぐほど、オリンピックは遠ざかっていき、そして消えていった。
中学校の卒業文集で、ぼくは何を書いたか覚えていない。ただひとつ言えることは、夢みたいなものを書かなかったことだけだ。「水泳」という心の頼りを捨てたいま、ぼくに誇れるものは何も残っていなかった。高校は、それこそなにもなく、モブキャラそのものだった。たぶん、ぼくのことを覚えていないクラスメイトもいっぱいいる。
エリック・ムサンバニという選手を知っていますか。
シドニーオリンピックの競泳、男子100m自由形。赤道ギニアからはじめての出場となったムサンバニは、わずか8か月の水泳経験で、オリンピックの舞台に立った。
第一組、出場者のなかで最も遅い人たちが、3人並んでスタート台に並んだ。しかし、運命のいたずらか、となりの選手たちはフライングをしてしまう。その結果、たった1人で、ムサンバニは泳ぐことになった。
観客の目は、彼だけにそそがれる。実は、当時の彼は50mプールで泳いだことは一度もなかった。つまり、未経験でとてつもなく長い水路へ、ひとり飛び込んでいったのだ。
メダル争いをしている選手たちのように、立派な水着もきていない。ゴーグルも、小学生のプール通いのようなもの。フォームはばらばらで、今にも足がついてしまいそうな泳ぎ方。それでも彼は、手をまわし、足を動かし続けました。観客は大きな声で彼に声援をおくります。
折り返しの50mはもはや、溺れているのに近い状態。だけど、彼は泳ぎきる。タイムは、1分57秒72。ムサンバニは、赤道ギニアの国内記録保持者となった。そりゃそうだ。今まで、こうやって水泳に挑戦した人が、その国にはいなかったから。だから泳ぎきった彼は、それだけで記録者なのだ。
ムサンバニのことを初めて知った時、ぼくは小学生だった。
当時の映像を観て、話を聞いて、「一生懸命やるって素晴らしいなぁ」と感動したことを覚えている。そして、ぼくも頑張らなやきゃと勇気づけられました。水泳をする環境がそろっていない国の人が、一生懸命に100mを泳ぎきったこと。それが、「あぁいい話」だなぁと。
あの頃、ぼくはまだオリンピックを目指していた。叶わない夢と知らず、ムサンバニをすこし上から目線で眺めて、「頑張っている」と評価して感化されていた。だって、ぼくのベストタイムのほうが彼よりも50秒以上早かったから。
今日、ふと思い出して、ムサンバニの競技をもう一度観てみた。すると、あの頃にぼくが彼に感じていた「頑張っている」というちょっと上から目線の感情は、生まれてこなかった。
「かっこいい」と思ってしまった。
国の事情は別として、彼自身はみんなに注目されたくて泳いでいるわけじゃない。「ムサンバニも頑張っているんだから」と引き合いに出されたいという気持ちも、きっとない。そこには、ただがむしゃらに、50mのプールを行って帰ってくる。どんなに苦しくたって、ゴールをする。赤道ギニアの競泳としての第一歩を踏み出す。そういった決意のようなものが、ぐちゃぐちゃのフォームから、はじけとぶ水しぶきから伝わってきたのだ。
どうしてそんなことを分かるかというと、4年後、彼のベストタイムは1分をきっていたと聞く。人気者になって、それで終わりではなく、競泳を、チャレンジをムサンバニは続けていたのだ。
挑戦する人を、憧れるようになってしまった。
オリンピックを諦めたその時から、ぼくには卒業文集に書ける夢がない。いま、たとえば何かを卒業するとして、そのテーマが「わたしの夢」だったとしたら、頭が痛くなってしまう。小学校の頃の水泳みたいな、自分を誇れるものが見つからない。がむしゃらにでも、ムサンバニのように泳ぎ出すことができたら、どれだけ楽しいのだろうか。
ただ、夢や憧れの舞台に立つためにする努力が、どれだけ暗いトンネルであるか、ぼくは知ってしまっている。一度、夢を諦めたことが、広かった道に屋根を作り、暗闇を作り上げてしまった。
どうしてオリンピック観ていて、同い年の選手がいると切なくなるのか。それは別に、もうオリンピックに出られないことを寂しく思っているわけじゃない。ぼくは、このまま人生に大舞台もなく生きていくのだろうかという漠然とした虚しさを感じているのだ。
いつのまにか、挑戦する人たちを観て、憧れを抱いたり、かっこいいと思ってしまうようになった。それは、いいことなのだろうか。悪いことではないと思うが、それでいいのだろうか。
テレビでは今日も、オリンピックが流れている。暗いトンネルを抜け、辿り着いた選手たちの頑張りはやっぱり美しい。かっこいい。
負けたくない。同い年や、もっと年下であんなに輝いている人たちの姿をみて、ただただ拍手をしているだけは絶対に嫌だ。嫌なんです。かといって、じゃあ何をしたらいいのかも、それも分かっていないのですが、でも泳いではいたい。ムサンバニみたいにがむしゃらでもいいから、かっこよくありたい。
ありがとう、ムサンバニ。
あなたはぼくの、憧れのスイマーです。
負けないぞ、ムサンバニ。
あなたはぼくの、ライバルのスポーツ選手です。