好きの海を遠泳したい。
多趣味とまでは言えないが、好きと言いたいものは多い。
漫画、映画、書籍なども、それなりには触れているし、スポーツを観るのも好きだからオリンピックは楽しみで仕方ない。
好きの深度について、考えていたことがある。サブカルチャー的な、これなら圧倒的に語れるジャンルのものをひとつは持ちたいと思うのだけど、広くそして浅く、好きなものを増やしている気がする。
たとえば、就職活動の合同説明会のように、たくさんの島で、とあるジャンルの猛烈なファンが語り合っている場所があったなら、ぼくは行き場をなくして会場をあとにするだろう。
好きなものって、すぐに大好きにならないとダメなのだろうか。
特別にみんなよりも『好き』の力が強いことは、必要なのでしょうか。ちょっとでも、「あぁ、ええなぁ」と思うものがあったら、それはその瞬間から、大好きなものに向かって動き出さないといけないものなのだろうか。
広く浅く好きなものを増やし続けることは、ともすればミーハーと言われてしまう世の中だ。マニアックであればあるほど、知らない知識が出てくるほど、かっこいい。でも、すぐにそんな背伸びしなくていいんじゃないだろうか。
ぼくは、好きの海は深さではなく、広さを意識するべきだと思っている。
その先に、深度は自由にあとで考えたらいいんじゃないだろうか。
これは、ぼくが広告を好きになって、なんかいいなぁと思っていたおじさんの絵です。
柳原良平さんというイラストレーターが手がけた、サントリーのトリスの広告に起用されキャラクターなのですね。
かと言って、絵を買って飾るわけでもなく、でも町を歩いていて見つけたら、ニヤリと笑う程度に好きだったおじさんでした。
営業を任されたその町には、どこかそのおじさんに似た看板がありました。
毎日、その絵を眺めては「あれって、そうだよなぁ」とか思いながら、通り過ぎる。そんな感じで1年ぐらいが過ぎたとき、とあることが判明します。
その看板は、お客さんの会社のものだったのです。
「もしかしてあれって、柳原良平さんの絵じゃないですか?」
「えっ!あなた、なんでそんなこと分かるの」
話を聞いていくと、柳原さんのお父様がこの町の発展に貢献され、幼いときに彼はここで船の絵をたくさん描いていたとのことだったのです。そして、縁あって、お客さんと仲良くなり、会社のイラストを手がけてくれた、そんな話でした。
ある日、定期預金の書き換えで自宅を訪問したとき、お客さんが通帳のほかに、1枚のポストカードを持ってきました。それは、柳原さんが親交の深かったご主人に送ってくださった、何年も前の個展の案内状でした。
「なかむらくん、柳原さんのこと好きって聞いたから、せっかくだしあげるね」
広告が好きで、でも、広告業界に就職できなくなった時点で、ぼくの世界は完全に閉ざされたものだと思っていました。
好きなものを、声をあげて好きと言えず、もう遠く離れたものにしてしまっていたぼくにとって、仕事の時間に柳原さんの絵について話ができる日がくるなんて夢のようで、うれしかったです。
あぁ、この仕事をしてなかったら、出会えなかった嬉しさだし、柳原さんの絵を好きって思ったことを大切にしていて良かったと思えました。
それから、数か月後。
ぼくは、コピーライター養成講座という広告の学校に通いました。サントリーの広告を手がけていた、西村佳也さんという素晴らしいコピーライターの先生とお話をしていたときに、柳原さんのことを聞いてみました。
船が好きだということや、営業エリアが縁のある場所だということなど。西村さんはそこからたくさんの当時の話をしてくれました。
ぼくが、好きということを大切にしていなかったら、浅くても、好きの海をひろげていなかったら、きっと西村さんに話を聞けなかったと思います。
心の中で「これが好きだなぁ」と思っていたことが、ある日とつぜん、自分の生活に繋がってくることがある。その嬉しさは、もう格別で、運命の人と出会ったときのように、一気に自分の心を満たしてくれます。
柳原さんの絵が好きだったことが、時を経て、この町が好きになるきっかけをくれ、お客さんとの交友を深めてくれ、西村さんのお話をもたらしてくれたわけです。
ほかにもですね、ぼくは広島カープの大ファンなのですが、実は毎日前を通っている中学校がある選手の母校で。お客さんの息子が同級生だったり、お父さんがお店の常連だったり、そんな偶然があったりします。
相撲を観るのも好きなのですが、実は横綱のいる部屋が、ぼくの営業エリアで大阪場所は泊まり込みで稽古をしていて、テレビの取材がいっぱい来ていたりもします。
当たり前のことかもしれませんが、言います。
好きなものが、うれしいことを運んでくる。
柳原良平さんも、広島カープも、相撲観戦も、ぜんぶ好きじゃなかったら、なにもうれしくないことだったし、気づきもしなかった話です。0か1か、その境界線は、じぶんがそれを好きかどうか。
調べてみたら、じぶんの興味のあることに関係していることは山ほどあるのです。そして、それはすごく偶然的なしあわせを運んでくれる。
目の前にある、コンビニで貰いすぎた割りばしも、捨てずにたまっている不動産のチラシも、日経新聞の中身も、ぜんぶ好きなものだったとしたら、ぼくの周りにはしあわせしかない。
そこまで極端に、すべてのことを好きになる必要はないけど、でも、みんなよりも知っているとか、みんなよりも知識が浅いとかで、興味のあるものを捨てないほうがきっといい。
ほそ~い糸も、いつかどこかで、がっちりとあなたの人生と結びつくときがくる。その嬉しさを、みんなで待ってみませんか。
ぼくは、好きの海を遠泳していたいです。
そして、本当に大好きになりたいものがあったら、ザブンと潜ってみるのもいい。息は続きます、大丈夫。それもまた、自分のたいせつな心の支えになると思います。
今日、好きなものが増えたら、
明日、いつもの景色でしあわせに気づくかもしれない。
話もあわなかった人と、仲良くなれるかもしれない。
そんなふうに思うわけです。
・・・・