得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

『たまごっち』を求めて

 

「なかむらくんは、たまごっちを知ってるん?」

 

お孫さんにねだられた任天堂のゲーム機が手に入らず、お客さんが困っていたという話をしていたら、そんな質問を上司にされた。

 

もちろんぼくは、『たまごっち』を知っているし、なんだったら持っていた。

 

 

 

f:id:heyheydodo:20180109213717p:plain

 

 

 

『たまごっち』が大流行した1997年に、ぼくはまだ4歳だった。生き物を育てることに魅力は感じず、むしろ育てられる専門だった。だから、それから数年後にリメイクされて販売された新しいやつだった。

 

 

上司は話をつづける

 

彼は大口のお客様のご機嫌をとるため、おもちゃ屋の前に徹夜で並んだ思い出を語ってくれた。

噂には聞いていたが、当時のたまごっち人気はすさまじく、どこに行っても売り切れ。『家電を買ったらプレゼント』という抱き合わせ販売が行われたり、にせものが出回ったり、社会現象になるぐらいみんな小さなたまごを探し回った。

 

 

ぼくがたまごっちを手にしたのは、12歳の冬。

その頃、中学校受験というものに挑戦していた。

 

 

私立の一貫校に受験したのではない、公立の中学校に受験した。となりの市に新しい学校ができて、『国際学科』というものが設立されたと母が聞きつけてきたのだ。

 

生徒の半分は、海外からの留学生で2年生から英語の授業が半分ぐらいあるとの話で、なんともグローバルな環境だった。

 

受験科目は、小論文と面接のみ。試験当日に、落ち込んだ顔をして帰ってきたぼくに、両親はなにも言わなかった。なにせ、倍率がすごかった。20人に1人ぐらいしか入れないぐらい、『国際学科』は人気だったのだ。

 

 

合格発表は平日に行われる。ぼくは学校があったので、たまたま休みの父が代わりに行くことになった。ダメだろうと思いながらも、内心もしかしたらで受かっているんじゃないかとドキドキしたりして、6時間目の授業を終えて家へ帰る。

 

父は、まだ帰ってこない。しばらくそわそわしていたが、気づいたらぼくはリビングで寝ていた。

 

 

物音がして、目が覚めて、ぼくの前には父が座っていて、その手にはぼくが欲しい言っていた『たまごっち』があった。

 

 

 

「これ、欲しかったやつやろう」

 

 

ぼくはその言葉で受験結果を悟り、両親からの努力賞のようなものだと思って、『たまごっち』を受け取った。リメイクされた『たまごっち』もまた人気で、どこに行っても売っていなかったので、とても嬉しかった。

 

口には出さなかったけど、小学校のともだちと同じ中学にすすめることに、ホッとしたりもしていた。

 

 

次の日、学校へ行って先生がぼくに言った。

 

 

「なかむらくん、まぁ~お父さんをせめてあげたらあかんよ」

 

 

話を聞けば、どうやらぼくは試験に通過していたようだった。でも、最終的に入学できるかを決める抽選があったようで、父がそこでハズレを引いたようだった。そこでようやく、なぜ父が昨日、『たまごっち』を買ってきたかを知った。

 

 

仕事から父が帰ってくる。ぼくは、恐る恐る聞いた。

 

「たまごっち、どこで売ってたん?」

 

目も合わせずに父は答える。

 

「あれなぁ、走り回ったわ、おまえのために」

 

 

 

小さなたまご型のキーホルダー、その中にいる妖精のような生き物を育成するおもちゃ。それが、たまごっち。

 

ある人はその可愛さに魅かれ、ある人はみんなが持っているからと欲し、またある人は女子に好感を持たれるために探し回る。

ぼくの場合は、ペットが欲しかったけど家がマンションだったから、だから『たまごっち』を育てたかった。ほしい理由はそれぞれだ。

 

 

ある上司は、大口定期預金を解約されないために徹夜を。

そしてある父親は、息子の中学校受験をじぶんのくじ運の無さで逃してしまった申し訳なさで必死に走り回ったのである。

 

 

 

お父さん、そんなこともあるよと言いたかったけど、ぼくはとりあえず、その『たまごっち』を一生懸命育てることに小学校の卒業までを費やすことにした。

 

 

あれから、10年以上たつが、いまの人生に満足している。父のくじ運のなさで、いい友達に出会えたし、たのしい毎日を送っている。

 

『たまごっち』は、電池が切れた状態で、たぶん家のどこかで眠っているだろう。いつか見つけて、あの日の走り回った父に、感謝する日も来るはずだ。