メガネのスーパースター
ファンが選ぶプロ野球選手1位を決める番組が放送されている。
ちょうど先日、お客さんの家でそんな話をしていた。
「どこの球団のファンなんですか?」
野球中継が写っているテレビを指さして聞いた。
「好きな球団というか、わたしは長嶋茂雄のファンなの」
長嶋選手のプレー、人柄に惚れて、若いころからずーっと彼のファンだと照れながらお客さんは言った。そして、いろいろな長嶋選手のエピソードを聞かせてもらった。
「あなたはどうなの?」
聞き返されたときに、ぼくは球団じゃなくて選手の名前を言った。
「古田です、古田敦也が大好きです!」
スポーツ選手が、子どもに夢を与える仕事だとしたら、ぼくがいちばん最初に夢をもらったのは確実に古田だ。
尼崎の市民球場に、プロ野球選手がテレビ番組のイベントで来る日があった。当時、小学3年生ぐらいだったぼくは、野球はやっていなかったけど観戦するのはすごく好きで、父とグローブ片手に観に行った。球場には、野球少年がたくさんいて、みんなボールとマジックペンをもって「サインください!」と叫びまわっていた。
普段の試合とは違って、選手もリラックスしていて楽しそう。キャッチャーとしてプロ野球で活躍するメガネのその人は、ピッチング練習をしていた。
古田がいる。なぜかサイドスローで、キャッチャーを座らせて遊んでいる。そのことに気づいているのは、ぼくと父しかいない。
「ふるたせんしゅ~がんばってくださ~い!」
精一杯おおきい声で古田に話しかけたら、彼はちょっとだけこっちを向いて手を振ってくれた。それが嬉しくて、なんどもなんどもおなじことを古田に伝えた。
「ピッチャー代わりまして、古田、古田」
アナウンス嬢の声がきこえて古田が練習をやめる。そして、マウンドへ向かう途中で、ぼくを指さしてボールを投げてくれた。かくじつに目が合って、優しいトスをあげた。
だけど、ぼくは取れなかった。とつぜん現れた野球少年のグローブが、そのボールを持って行ってしまった。とてもショックだったのを覚えている。
しばらくして試合が終わり、父と球場の裏口へ走った。
選手がバスに乗り込むその通路には、たくさんのファンがサインを求めてかけつけていた。たくさんの興奮した野球少年にまぎれて、一緒になって手を伸ばした。
そして、古田が来た。
この日、いちばん大きい声で古田の名前を呼んだ。古田、古田さんと叫んだ。すると、ぼくの顔をみて、彼は寄ってきてくれた。力強い握手をして、着ていたTシャツにサインをしてくれた。
周りのおじさんが言っていたけど、その日、古田がサインをしたのは、ぼく一人だけだったとのこと。ほかのファンには、みんな握手だけをして「ごめんね」と伝えていたと教えてくれた。
彼が覚えてくれていたのかは、今思うと分からない。でも、あの頃のぼくは、古田が自分のことを分かって来てくれた気がしていた。かっこいい、かっこよすぎる。じぶんのなかで、メガネのスーパースターが生まれた瞬間だった。
いま、彼はコメンテーターとしてニュース番組や、元プロ野球選手としてバラエティ番組に出ている。そんな姿をもちろん応援しているし、古田の引退試合はテレビで観て、涙をした。本当に大好きなだ。野球選手としても、人としても。
ファンとしてひとつだけ申し訳ないことがある。
じつは、ぼくは広島カープのファンなのである。古田がいたヤクルトスワローズには、何の思い入れもないのだ。