死にたいぐらい泥臭い
小賢しい、小賢しすぎる。
人に感謝をするとき、その奥底には必ずといっていいほど、見返りを期待する自分がいる。もし、そんなものを感謝と呼ばないのなら、ぼくは「ありがとう」という言葉をほとんど言えなくなってしまう。
このことを語ってみるべきかどうか、すごく悩んだけど、みんなそうなのかぼくは知りたい。知りたくてたまらない。
銀行に掃除をしにくるおばさんがいる。週に1度、ぼくたちが汚したトイレや、床を磨き、チェック表をもらって帰っていく。
ぼくは、新人の頃、そのおばさんのチェック表を受け取る仕事をしていた。特に何があるわけじゃなく、どこを掃除したか確認するだけのもので、雑務のようなものでした。
去り際に必ず、おばさんはオフィスに向けて頭を下げ、「ありがとうございます」と言って帰っていく。その声は、キーボードをたたく音や、コピー機の排出音にかき消され、だれの耳にも届かない。
チェック表を受け取ったぼくだけが、「いつも、ありがとうございます」と挨拶をして、おばさんを従業員口へ案内していた。
ある日、こんな声が聞こえてきた。
「あのおばさんの仕事、ちょっと雑やんね」
「うん、なんか汚れてるよなぁ」
耳を塞ぎたくなるような、掃除のおばさんへの愚痴だった。オフィスのちょっとした汚れぐらい自分で掃除したらいいのに、仕事のストレスのようなものが、おばさんへ向いた。
ぼくは、すごく聞きたくなかった。
「でも、おばさんは一生懸命やってますよ」と言ってみた。
「給料払っているわけだからさぁ」と返された。
大人の意見だと思った。先輩はすごくまっとうなことを言っていると思った。たしかに、頑張っているから許すなんてことは、仕事に存在しないのかもしれない。でもなんか、「ありがとう」も言わないくせに愚痴を言ってるんじゃないよと心の中で苛立ってしまった。
それから数か月して、お客様感謝デーというのが行われた。定期預金をしてもらったら、くじびきに挑戦出来て、生活用品が当たるような企画だ。
ぼくは相変わらずのしたっぱなので、商店街で貸してもらったベルを片手に、お客さんにくじを引いてもらって当たりが出たら当選の音を鳴らす仕事していた。
「次のお客様どうぞ!」と呼びこんだ先に、掃除のおばさんがいた。支店に貼っていたチラシをみて、仕事のまえに定期預金をしにきてくれたのだ。
ぼくだけが、そのことに気づいた。職場のどの人にも、そのおばさんはただのお客様だった。
とても嬉しくなって、その日は、上司や先輩にいろいろ報告してまわった。
「掃除のおばさんが定期をしてくれましたよ!」と言いまわった。
その次の週からだ。
おばさんの小さい「ありがとうございました」の声が、オフィスに届くようになった。声の音量はそのままなのに、みんなが「いつもありがとうございます!」と言っている。おばさんは、お客様になったのだ。
ぼくは、その変わりようが怖くて怖くて、いまも掃除のおばさんが来る日の夕方が嫌だ。
でも、よく考えると、ぼくはどうして「いつもありがとうございます」とおばさんに感謝を伝えていたんだろう。汚れているところが残っていると、職場の人が言っているのに、それを伝えなかったんだろう。
別に、同情なんてしていない。
銀行の仕事は、すべての関わりあう人がお客様になるということを、ずっと考えていたからだ。つまり、お客様感謝デーにおばさんが来ることは、【感謝】という行為への見返りを求めた、ぼくの成功例のようなものだったのだ。
打算的だ。でも、そんなこと考えていなかったと言われると嘘になる。あわよくばが、頭の中にはずっとあった。
コンビニで店員さんに、「ありがとうございます」と言うときでも、信号を正しく守るときでも、いつでもそこに小賢しい自分がいる。この【感謝】や【正しい行い】が何かに繋がれば良いと頭の中で思いながら、生きてしまっている。
「お給料をもらっているんだから」とおばさんを指摘した先輩も、気にもかけなかったオフィスの人たちも。ぼくが嫌だった人たちの行動が、実はよっぽど素直に生きていることに気づいてしまった。
ぼくは、死にたいぐらい打算的だ。
今日、掃除のおばさんが来ていて、そんなことをボーッと考えてしまった。
でも、こうやってでも生きていかないとダメだとも思っている。そうしないと、仕事にならない。結果だけを求められる日々の中で、誰かに感謝することが成果につながるのなら、そんな自分にとって気が楽な方法は他にはない。
そんなぼくでも、「ごちそうさま」だけは心の底から言っている。たくさんの命と、作ってくれた人に、純粋な感謝を述べている。与えてもらったことへ対して、ただただ感謝でしかない。
「あたりで~す、おめでとうございま~す」
おばさんのくじが当たったとき、ぼくは本当にうれしかった。プレゼントを渡すとき、本心から「ありがとうございます」を言えた。現金なやつだとは思っている。思っているけど、でも素直に言えた。
ぼくのこの生き方をすこしだけ肯定するなら、泥臭いと表現したい。
ぼくは、死にたいぐらい泥臭い。
そうやって人とつながって、いつか「ごちそうさま」を言うように、感謝を伝えられる人になっていきたいと思う。もし、同じようなことを悩んでいる人がいたら、言葉にして語り合いたい。泥臭く生きていこうよと、お酒は弱いけど呑みながら話をしたい。