得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

1月2日のひと。

 

今年の1月2日は、家族とすごした。

とても久しぶりのことだ。

 

 

昨年度まで、ぼくにはお決まりのコースがあった。

 

大学で属した部活の先輩と、同期のともだちとみんなで集い、神戸の生田神社へ初詣に行き、そのあと、しゃぶしゃぶの食べ放題に行くという黄金の方程式だった。そのコースに、毎年ちがったアレンジが加わる。クレーンゲームでひとりの女性の先輩に贈り物を全力で獲得したり、船に乗ってたそがれてみたり、ぼくの家へきてテレビを眺めたりしていた。

 

 

ぼくにとって、1月2日は毎年の楽しみで、そして、その会の中心には、いつも、ひとりの先輩がいた。

 

 

 

ぼくが大学生の頃にやっていた精肉店のアルバイトは、その先輩の紹介だった。部活でも、バイトでも、先輩はとてもやさしく、いっしょに遊びながら大学生活をすごしていた。誰かの誕生日になれば、ムービーを作成したり。バイトになると、どっちがニアピンで豚ミンチを量れるかや、ゴミ捨ておさぼりタイムを奪い合ったりした。

 

 

先輩はぼくよりも、ずっと人柄がよくて、みんなに愛されている。いまも、大学生活の話をするときは、その話題になる。

みんなにあだ名で呼ばれて、困ったときは頼りにされて、どんな場にも順応して、後輩からも先輩からも必要とされている人だった。

 

 


 

 

ある冬の夜、バイト終わりに先輩に誘われた。

 

 

ルミナリエ観に行かへん?」

 

 

先に言っておきますが、先輩は男性であり、ぼくも男性で、どっちもそういう感情は存在していません。ただ、神戸の百貨店でバイトをしていたぼくたちにとって、散歩をするのには丁度いい場所だったのです。

 

 

バイトで疲れた体に、冬の風がしみました。でも、ぼくはとても温かい気持ちになっていました。先輩に、散歩に誘われたことがすごく嬉しかったのです。

散歩に誘ってもらえるということは、空腹だからとかではなく、ちょっと一緒に話をしたいということです。ぼくと、一緒に歩きたいと言ってくれたあの日の夜を忘れません。

 

 

ルミナリエは、ぼくたちが行った頃には終わっていました。

 

ついさっきまで、冬の神戸を照らしていた美しい光は消え、その余韻だけが公園にある。カップルや家族連れは、みんな家へ帰るため駅へ向かっており、それを逆行するように先輩と進みました。

 

 

たしか、和牛のホルモン炒めだったと思います。さっきまで肉屋で働いていたのに、ぼくたちは半額になったそのグルメを食べました。お酒なんかも買っていたと思います。二人で、公園のはじっこに座って爪楊枝をにぎっていました。

 

 

先輩は、しばらく固くなったホルモンをかみ砕いたあと話をしてくれました。それは、いま思うとくだらないことだったかもしれないのですが、恋愛相談のようなもの。まだ彼女もいたことがなかったぼくに、恋人の浮気がらみの悩みでした。

 

 

何を答えたかは覚えていません。話を聞いていただけかもしれない。でも、先輩には悪いけど、ぼくはその時間を楽しんでいました。恋愛相談なんて初めてされたし、ぼくを信頼して話をしてくれたことが、ただただ嬉しかったからです。

 

 

その日以降、ぼくは先輩にいろんなことを話せるようになりました。先輩も、いろんなことを話してくれました。二人で行った、真っ暗のルミナリエは忘れられません。

 

 

先輩の真似かもしれませんが、ぼくも、誰かに心をひらくときは、いつも散歩をしているときにしようと決めています。川辺を歩いたり、公園のベンチで語ったり、そこで本音で話すのが大好きです。

 

 

 


 

 

 

2018年1月2日、今年はしゃぶしゃぶを囲めませんでした。

 

いつも中心になって、みんなを集めてくれる先輩が帰ってきていなかったからです。

 

 

一昨年ぐらいから、先輩は、仕事かプライベートか理由は分からないけど精神的に弱ってしまって、人と会えなくなってしまっています。電話では、いつも元気な声を聞かせてくれて、軽快な冗談をまじえてくれるのですが、家族でさえもあまり会いたくない状況だそうです。

 

 

事情も分からず、無理やり会うこともできない。でもぼくたちは繋がっていたい。そんなことを、いつも思いながら、部活のみんなは先輩の話をして電話をしたりしています。

 

 

何かぼくたちにできることはないだろうか。でも、変に焦らせてしまったら、先輩を追い詰めてしまうことになるかもしれない。もしかしたら、こうやって書いてることも先輩を傷つけてしまうかもしれない。でも、何かをしたくて、思いを伝えたくて、思い出をすこしだけ引き出しています。

 

 

どうすれば、また前みたいにみんなでしゃぶしゃぶを囲めたり、真っ暗のルミナリエでくだらない恋愛話をしてた頃に戻れるのか、ぼくは病院の先生じゃないので分からないです。

 

でも、これからも、1月2日はスケジュールを開け続けます。母親から、「1日だけじゃなくて、2日も実家におったらいいやん!」と小言をこぼされても、2日は絶対にしゃぶしゃぶです。しゃぶしゃぶしたり、散歩したりしないと、一年がはじまらないのです。

 

 

 

写真フォルダや、SNSで日付をたどると、いつもそこには1月2日の思い出があります。ほかにもたくさんあるんですけどね。

 

 

人はいつも近くにいる友達や恋人、家族と、「ほんなら、また!」もしくは、標準語で「では、また!」と言って分かれます。

1月2日にお決まりで会えていたぼくは、絶対にまた会えるという関係性をとても嬉しく思い、そうやって分かれてきました。

 

 

でも、人と人のこれからに、絶対なんてない。1分先の未来もわからない私たちに、絶対なんてものは存在しないのです。

先輩とこのような理由で会えなくなるなんて、あの日のぼくは思いもしなかった。

 

 

 

だからこそ、お決まりに頼ることなく、ぼくたちはみんな、いまの時間を大切にして向き合っていかないといけない。

こんなことを言うと、とても重いかもしれないが、ぼくはそう思って、人と全力で楽しんでいこうと思います。

 

 

 

そして、ひっくり返すかもしれないですが、ぼくたちは絶対にまた会える。

理由なんてないけど、会えるに決まっている。

 

 

出会ってもう7年ぐらいになっている。きっと超えられる壁だと信じている。

もし、なにか背中を押せることがあるなら、ぼくは喜んで全力を出したい。

 

 

1月2日のひと、その生還は、もうすぐそこだと思っています。

 

カミングスーンってやつですね。