カレンダー配りについて。
年末になると、今年も一年お世話になりましたという言葉と、来年度のカレンダーを渡す。やっぱり、優先していつも助けてくださった人のところへ行きます。お正月はどんなことをして過ごすのかや、この一年はしんどかったねぇと話をしたりします。
去年の今頃、カレンダーを配るという行為を、ぼくはどこか作業的に、ノルマのように、せっせと来年の365日が書かれた月めくりの紙を届けていました。悪い気はしません。だって、「カレンダーを届けに参りました」と言うと、誰もが「寒い中ありがとう!」と言ってくれる。インターホンを押すのに勇気がいらない仕事を、気楽に走り回ることができました。
今年も、支店にカレンダーが届く季節になったのです。寒いなぁ。
重い鞄と、重い暦をもって、また歓迎してもらおうと打算的にチラシも一緒に同封して、お客様まわりをはじめます。
「癌が再発して、年明けに手術やねん」
この二年、大変お世話になったお客様のところへ言ったときに、小さい声でその人は言いました。ぼくは、驚いてしまって、何も言うことができなかったです。カレンダーを渡して、労ってもらって、定期預金もしてもらおうなんて思っていた頭の中に、お客様の突然の告白に返す言葉はありませんでした。
「でもね、なかむらくん、君のカレンダーをなんで私が受け取ると思う?
それはねぇ、元気に生きて、ここに予定を書いてめくっていくためやで」
笑いながら、ぼくの手にあったカレンダーはお客様のキッチンに置かれました。ぼくがちょっと得意げに、気楽に配り歩いていたものは、毎日を一生懸命生きるために必要なものでした。暦を渡すということは、この一年間の生活を渡すということ。
ぼくが手渡したカレンダーを、力強くめくってくれると言ってくれた時に、ようやく返す言葉がちょっとだけ見つかり、反射的にこぼれる「よいお年を」とはちょっと違うと自分の中で強く思って言いました。
「めくりまくりましょう、で、とりあえずよいお年にしましょう
来年も渡しに来れたら来ますから(笑)」
お客さんは、ぼくにいつも、仕事はひとつじゃない。好きなことを目指したほうがいいよと声をかけてくれる人で、だからこそ、来年も必ず来ますとは言いませんでした。その意図もくみ取って、ニヤリと笑ってくれてぼくはとても嬉しかったです。
カレンダーや手帳って、未来だ。それもすごく近い未来だ。でも、そのすごく近い未来でさえ、僕たちはそこにたどり着けるのかどうか分からない。
先日、手帳売り場を歩いていると、そこにはたくさんの人がいた。みんな楽しそうに、来年の自分を書き込むものを探している。1日1日を大切に、強く生きるためにカレンダーや手帳はあるとぼくは今日教えてもらった。
明日、明後日とまだ2日ある。
ぼくはもっと、大切にカレンダーを配ろうと思い。
そして心から「来年もいい一年にしましょう!」と言いたい。
言葉を返すことに苦しさを感じられたこと、
それは、ぼくにとって営業の外で向き合えたことです。
どうしても今日書きたかったのですが、日付が変わってしまいました。
28日がはじまっています。大切に生きようと思います。