有馬記念は、いや、競馬はたのしい。
2017年12月24日、午前の6時半。
目覚ましをセットしていないのにも関わらず、ぼくは目を覚ました。いまスーツを着て、ネクタイを締めたら、ギリギリで会社に間に合う時間だ。一瞬あせったが、なぁに、今日は日曜日である。
もう一度、ふふふと笑いながら眠りにつこうと思ったが、あることに気づいてバッチリと目が覚めてしまった。
あっ、今日は有馬記念がある。
有馬記念とは、競馬のレースの名前です。一年を通して、日本中で行われるたくさんのレースの中でも注目度が高い。それは、きっとこのレースの出場馬が、人気投票で決まっていることだと思います。
今年、たくさんの競馬ファンを魅了した馬が、その脚を競う。千葉県の中山競馬場で開催される、そのオールスターのレースに、人はみんな夢や欲望や、ときに人生をのせたりするのです。
そんなこんなで、ぼくも行ってきました。有馬記念。
行くと言っても、千葉県まで行くわけではありません。家から電車をちょっと乗り継いで、兵庫県の阪神競馬場へ。すでに車両の中は、スポーツ新聞を入念に読み込む人たちであふれています。大学の先輩に教えてもらったのですが、車両の前から2両目ぐらいが、ちょうど競馬場に行きやすい位置に停まるそうで、もしかしたら、そのせいで人がいっぱいだったのかもしれません。
さて、キョロキョロします。
クリスマスイブに、競馬場へやってくるのはどんな人だろうか。家族連れに、カップルに、友達同士に、あとは・・・・勝負師に。たくさんの人間関係を形成した人々が、馬を応援しています。その片手には、定期券ぐらいのサイズの馬券があります。彼らは、自分たちで選んだ馬に賭けたその1枚の紙に、楽しみをのせているのです。
1分ちょっとのレースが終わると、みんなの感情はどちらかに分かれます。
ガッツポーズをみせるおじさん。何も言わずに馬券をゴミ箱に捨てるお父さん。
ともだちとキャッキャと騒ぐ女の子。何も言わずに馬券をゴミ箱に捨てるお母さん。
予想を外した人々は、何かに吸い寄せられるように、次のレースの予想へ向かい、的中した人は笑顔で配当金がいくらになったかを待つのです。その何とも言えない、明暗の分かれ方がすばらしく面白い。
次のレースの予想は、パドックという場所で行われます。
パドックとはランウェイのようなもので、そこを馬たちが歩いています。人々、いや勝負師たちは、そこに集い、馬の姿を眺めるのです。歩き方や、体の艶、息の荒さなど、その判断基準はそれぞれで色んな声が聞こえてきます。
「あいつは、汗かいてるからあかんで」
「あの歩き方はちょっと気になるなぁ」
「ちょっと太すぎひん?」
馬たちは言葉を話せません。だからこそ、目に見えるヒントを必死に探すわけです。
「今日はちょっと彼女にふられたから調子悪いわ」なんてことは教えてくれないのです。
ちなみにぼくは、パドックに迷い込んだ鳩に対して、やさしく避けるように歩く馬は応援します。
知人にそれを言ったら、「鳩にビビってるような馬はあかん」と言われましたが。
発想の時間がきて、馬たちが走り出し、明暗が分かれ、そしてまたパドックに集う。この繰り返しが、競馬場では行われています。
そうこうしていると、お腹がすきます。競馬場にはたくさんの食べ物が売っていて、日によっては出店なんかもあります。カツカレーのようなゲン担ぎをする人もいれば、そんなに酔っぱらって大丈夫かってぐらいビールを飲んでる人もいる。
あと、𠮷野家があるんですが、なぜか大盛しか置いてなかったりします。たぶん、それでも売れちゃうのでしょう。
勝負事をしている、その緊張が解けるのと同時に腹は空き、財布のひもは緩むのです。バンバン食べ物が売れています。ご飯を食べているときも、もちろんみんな勝負師です。赤ペンを片手に、馬を眺めながら牛丼を食べます。
馬刺しがないのが唯一の救いです。
さて、大人が馬を眺め、勝負事に燃えているあいだ、子どもは何をしているのでしょう。競馬場には、けっこう家族連れがいます。幼稚園や小学生ぐらいのお子様が、走り回っているのです。彼らは、じぶんで馬券を買うお金を持っていません。たぶん、お金を賭けるというギャンブルを楽しめる年齢でもありません。
じつは、競馬場には公園があるのです。
ひろびろとした芝生があって、競走馬としては活躍できなかったけど性格が温厚な馬が、やさしい眼差しでエサを食べていたりするので、子どもたちはそこで遊んでいます。遊具なんかもあったりして、もはや動物公園みたいなものですね。
中には、ちびっこ勝負師もいます。
ぼくが初めて競馬場へ行ったときに驚いたのは、小学生ぐらいの姉妹がスポーツ新聞を広げて、赤いペンを持ち、必死に予想をしている姿を見たときでした。きっと、お父さんに連れられて来たんだと思います。
「あのさぁ、お馬さんがいる公園に行こっか?」なんてお声かけをして、奥さんに言い訳をして出かけたんだろうなぁと思う家族もいます。まるで「カラオケのある休めるところ行こっか?」とラブホテルに誘う手口のように、じぶんの子どもを競馬場に連れてきた結果、予想外にハマってしまって困っている顔が目に浮かびます。
まぁそれはそれで、家族団らんで楽しそうです。
15時を過ぎた頃から、競馬場は緊張感を増していきます。
有馬記念が近づくのです。
みんなが馬券売り場に並び、今日いちばんの願いをこめてお金を投入します。どの馬にするのか、どの騎手に運命を託すのか。ぼくも、それなり予想をして、ちょっと背伸びをした金額を投入しました。
大きなビジョンに、中継が映し出されます。ファンファーレが鳴り響き、みんなが新聞紙を叩きます。手拍子のようなものですね。
その音はどんどん大きくなり、なんとなく鼓動もはやくなる。たかが、1分ちょっとの時間に、どんどん期待が生まれるのです。
そして、そこにいる全員がそれぞれの祈りのようなものを、不確定な未来へと届けるのです。その一体感は、とてつもないエネルギー。
パーン!
一斉のスタートで、揺れるような歓声が響き渡ります。言葉遣いは、人それぞれなのですが、丁寧な口調はちょっと少ない。
「福永~~~~」
「武~~~~~」
「いかんかい!」
それぞれの買った馬を応援するのですが、出てくる声援は、みんな騎手の名前を叫びます。これがすこし、興味深いこと。
馬の名前で馬券を買うのに、さいごに叫ぶのは乗っている人の名前なのです。結局、人は人に言葉をかけるしかないのです。負けても、あまり馬を責めている人はいません。
馬を信じ、人に頼る。
これが競馬をしている人の本音なのだと思います。馬と話せたら、これはまた別の話なのですが。
「いけぇぇぇ!武!!!おれたちの夢をのせてはしれぇぇえ!」
絶叫しているおじさんがいます。やめてくれ、勝手におれたちの夢にしないでくれ。おれの夢を勝手に馬にのせないでくれ。
「た~~~~~け~~~~~~~~~~」
おじさんは絶叫を続けます。まだ第一コーナーを曲がったところなのに、彼の喉は大丈夫なのだろうか。そんな心配も吹き飛ばすような、叫び。
周りの人たちも、声の大きさは別として、それぞれの声援をおくります。ぼくも、恥ずかしながら応援している騎手の名前を声にしました。
レースは、一瞬。
今日一日のクライマックスは、一番人気の馬が予想通りの優勝をとげました。あのおじさんが叫んでいた、武豊騎手の馬です。
おじさんが、倒れこんでいます。倒れこんだまま、叫び続けます。
「たけ~~~~~ありがとう~~~~~~」
笑わずにはいれませんでした。周りの人たちも笑っていました。人生を賭けた勝負をしていたのでしょうか。
その隣で、女子大生と思われる人が、小さくガッツポーズしていて、そのテンションの違いは最高でした。
ちょっと歩くと、ひざから崩れ落ちているおじさんがいたり、なんとも微妙な機嫌になったお父さんもいました。
そして、また明暗がわかれ、人々は動き始めるのです。
キタサンブラックという優勝した馬は、演歌歌手の北島三郎が馬主です。優勝すると、サブちゃんは『まつり』を歌います。その曲が、栄光のBGMになった人と、蛍の光のような帰りのBGMになるのか、それは人それぞれなのです。
競馬場には色んな人がいます。人生をかけている人と、遊び感覚でやっている人、イチャイチャしている人。そのいろんな人たちが作り出す、スポーツを観るのは、なんかジャングルを歩いているような感覚で、歩けば歩くほど楽しい場所です。
ちなみに、ぼくの成果はどうだったのかと言うと、こうやって楽しんだので、まぁそれはどうでもいいじゃないですか。
はぁ・・・・蛯名・・・・。