河童は、流れたいんじゃないかな。【ことわ・ざ】
カッパは本当にいるのだろうか。そのことについて、小学生の頃からずっと考えている。
『じっぽ』というカッパと少年のお話を、小学生の時に国語の教科書で読んだ。
覚えているのは、少年がカッパのじっぽを水槽に入れてあげてキュウリをあげているシーンだ。
なんでまた、そこを覚えているかって、実家にぼくが書いたその絵が置いてあるからなのですが。
目撃論や、カッパの伝説について何も調べていないけど、ばくぜんとカッパの存在をぼくは信じています。
今日は、このことわざについて考えてみたいなぁと思います。
小学生の時に出会った気がする。
あと、同じような意味でつかわれる、「猿も木から落ちる」「弘法も筆の誤り」も教わった。
そういえば、サルスベリという木が近所に生えていたけど、あれは表面がツルツルしてるから猿も登れないということから付いた名前らしい。
だから、サルスベリを巧みに登っている子どもがいたら、それはもう、お猿さんよりも木登りがうまいってことなので誇るべきことだと思いますよ。
・・・・話がそれましたが、これらのことわざの意味はこうです。
・その道の名人でも失敗をすることがある。
木登りの名手であるサルも木から落ちるし、
字がとても上手な弘法大使でさえも失敗をすることがあるということなんですね。
カッパの場合は、泳ぐのがとても上手なのに流されてしまう。
まぁ、流されるってことは、溺れるみたいなものですねぇ。
オリンピックとかを観ていると、世界中のトップ選手たちが競い合うなかで、たまにとんでもない失敗があったりします。
そんな時に、これらのことわざは使われるんでしょうね。
なんか寛容な態度で、人の失敗を許してしまうのがいいなぁって思います。
だけど、ぼくには、もうひとつの「河童の川流れ」があります。
猿は落ちる、筆を誤るという表現がされるけど、カッパは流れる。
失敗のイメージがあんまりないんですよね。
流れるっていうのは、なんか、自分の意思で動いている気がします。
だって、夏になればみんな浮輪や、イルカのでっかいやつを持ってプールに行くじゃないですか。
何があるわけでもないので、プ~カプ~カしながら夏の日差しを浴びている。
日々のストレスを何かしらの動きで解消するんじゃなくて、水の流れに身をまかせる。
たまに、市民プールで本気で泳いでいる人とかもいたけど、あれはなんだったのだろう。
「おれは泳げるぜぇ」みたいなことを、アピールしたかったのでしょうか。
ことわざの中のカッパも、きっと流されたくて、流れている。
で、なんか「もっとさ、気楽にいこうぜぇ」って話しかけてるはずなんです。
みなさんは、疲れたら川や海を眺めたりしませんか。
あと、お風呂につかってボーッとしてみたり。
そんなときに、「河童の川流れ」を思い出してほしいんです。
おぼれている姿を想像して、笑ってくださいってことじゃないですよ、
気楽にいこうぜと話しかけてる様子を想像してほしいんです。
ハワイの海や川で流れている姿もいいですねぇ。
常夏をたんのうしながら目の前を通り過ぎていく。
あっ、カッパって、海外にはいないらしいです。
日本固有の妖怪で、世界には水の精と呼ばれるもっとかわいい生き物がいるようで。
だからたぶん、カッパもハワイ旅行に行ったんでしょうね。
海外のキュウリってすごくでっかくて、味もなんかちょっと違うけど、お気に召してくださるのだろうか。
パスポートは、ちゃんと発行したのだろうか。
海外の水は、肌に合うのだろうか。
すごくすごく気になってしまいます。
頭の中に、流れてくれるカッパがいたら、ちょっとだけ肩の力が抜けますよ。
年末になってまいりました、寒い日がつづきますね。
しんどいことばっかりですが、気楽にいきましょう。
ほら、だって河童の川流れって言うじゃないですか。
失敗したって大丈夫ですよ、
ほら、だって河童の川流れって言いますもんね。
絵の技術は小学生から上がらないなぁ。