得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

尼崎の話がしたい。

ぼくは、尼崎の話がしたい。
生まれ育った町について話をしたい。

そう言うと、いつも何かしらの期待をさせてしまう。それは、この町がもつ、なんともいえない未開の地のようなイメージがそうさせてる気がする。「あそこはガラが悪いから」という印象が、ぼくの育った町にはあるようだ。 

たしかに、世の中に尼崎という町が出たときの話題はそんなに良くない。セアカゴケグモ大発生や、アスベスト問題が近年では話題になっていた。 

地域の色というものが、人が暮らす以上、その町にはついてくる。大好きなダウンタウンや、中島らもさんが育った町で、ぼくもおなじ空気を吸って大人になった。工場地帯から流れてくる光化学スモッグに目がチカチカして、20分休みは外で遊べず、図書室でぼーっとしてるような昼をよく過ごした。
下校時には、不審者がよく出たから、集団下校が多かった。「春は多いからねぇ」という先生の一言は、いまもぼくがニュースを見てつぶやく常套句になっている。


町そのもののイメージが先行してかどうかは分からないけど、中学校はかなりハードモードだった。どこかの漫画の4部の人の言葉を借りると、静かに暮らしたかった。 

でも、そんなうまくもいかず、仲の良かった友達はみんな眉毛がイカつくなり、話しづらい関係性になった。友達だったから、殴られるとかそういうことは無かったけれど、毎日どこかで拳を握ってる人がいるような学校だった。 


学校の窓から、紙飛行機をとばすような青春時代をイメージしていたけど、ぼくの学校の窓から飛んでいたのは吐き出された避妊薬だった。まだ学ぶ必要のない物の存在を、その頃よく知った気がする。

卒業式の日に、不登校になった生徒が、会場に乗り込んできて「3年間を返せ!」と叫んでいた。そんな金八先生がいたら腕まくりをしそうな学校だった。

じゃあ、なぜぼくは、尼崎の話がしたいんだろうか。いま、ぼくがした話の中には、尼崎のイメージを向上させる要素が1つもない。ほとんど、世間一般が感じているイメージとおなじ方向を向いている。「そのエピソードを待ってたんだよ!」のちょっと上を行くような話が、山ほど眠っている。 

聞いている人たちの、期待に応えたいわけじゃない。たぶん、自分が生きてきたその25年間を、もっと誇りに思いたいんだ。嘘をつかず、ありのままの話を振り返って、色んなことがあったことを面白がりたいんだ。 


不良が、昔は悪だったがいまは生まれ変わった。という美談がぼくは嫌いだ。その悪のせいで、どれだけ不憫な思いをしたり、迷惑を被ってきたか、彼らにはそれが分かっていない。イジメ問題もそうだ、ニュースでイジメについて語っている人たちは、本当に全うに生きてきたのかと問いたくなるほど、あの下劣な行為は許せない。 


「イジメられたことを許す」という描写を映画や漫画で見たときに、これを考えた人はそういう経験があったのか気になる。あったのなら、ぼくはその人には一生敵わないと思う。「死ね」を挨拶がわりに言われた人の気持ちが、そんな時間なんかで解決するわけがない。ぼくには、それができなかったから。

そんな見せかけの握手を見て、人は気持ちいいんだろうかと悩んでしまうことがよくある。

戦争の話をお客さんに聞いていたら、いつも頭が下がる。尊敬しかない。
家族を失って、とてつもなく辛い思いをしてきた人たちが、戦争の話を笑って語る。きわめて明るいわけじゃなく、自分の心のなかにしまってある本を読んでくれてるかのように話す。


その後ろには、アメリカの大統領の発言について言及したニュースが流れているのに、「この人もほんまよく喋るねぇ」なんてことで笑いとばす。憎み続けるなんてことは決してせず、むしろ、もっと達観したところで戦争の話をする。

食事はこんなものがご馳走だったとか、アメリカ兵に遊んでもらった話や、防空壕のなかでの会話を聞いたりする。終戦後に、どうやってもう一度前を向いたかについて、教えてくれたりする。どれだけ大変だったかを、そのまんま語っているのに口がニヤけるほど面白い。 

彼らにとって、戦争というものは忘れられない存在だ。憎もうと思えば、一生憎み続けられる。本当は、腹の底ではずっと許せない話なのかもしれない。でも、それを出さずに、何気ない日常や、会話を笑いながら話してくれる。『この世界の片隅に』という映画が、なぜあれだけ評価されるかは、ここにあると思う。 

憎んでも、憎みきれない存在である戦争を、もっと憎い存在として表現するのではなく、観てくれた人たち、伝えたい人たちの人生として描く。映画館でたくさん泣いている人をみたけど、彼らは同時にずっと笑っていた。何気ない生活の笑いをみて、大きな声で笑い、終戦のシーンで鼻水をすすり泣いていた。 

…あぁ、何が言いたかったんだろ。


尼崎の話をぼくがしたい気持ちと、戦争の話を笑いとばしている人生の先輩たちの気持ちは少し似ていると思うんです。 

じぶんの生きてきた人生を、肯定したいから。乗り越えて進むためには、そこにはちょっとしたユーモアが必要だと思うんです。

ユーモアという言葉には、こんな意味があります。 



なにかを受け入れて進んでいくには、ユーモアが必要で、笑いとばしてしまう強さが必要なんです。 

ぼくはイジメ問題のニュースを見ていて、いつもこのことを考えます。悩みます。泣きそうになります。


今日も仕事なんてほったらかして、Yahoo!ニュースでそんな話を見たので、落ち込みました。はやく、こっちに来い!といまはこの世にいない子たちに言いたくなりました。

熱くなりました、ちょっと冷めますね。


あっ、今月のノルマえぐいなぁ。
無理だなぁ。仕事変えたいなぁしんどいなぁ。
書く仕事したいなぁ。トイレ行きたいなぁ。
腹減ったなぁ、でも、やせたいなぁ。

よし、冷めました。 


尼崎の市外局番は、06-からはじまります。大阪を基盤とした地銀に就職して、06-大阪の市外局番だったことを初めて知りました。
それは、工業地帯として発展したこの町が、大阪の会社とやり取りをするときに、少しでも便利にするために市外局番を統一させたという背景があるのですが、ちょっとショックを受けました。


なんか、それだけぼくは、尼崎で育ったことを誇りにしているんだと思います。


これからも、「なかむらくんの出身はどこですか?」と聞かれたときに、ぼくは『一筋縄じゃいかないぜ!』という気持ちを抱きながら「尼崎です」と真顔で答えると思います。

そして、「あぁ、あの尼崎かぁ」っていう反応に対して、色んな話をしてユーモアでもって、進んでいこうと思います。


いま、仕事がすごくしんどくて、もう毎日病んでるんですが、ぼくにはユーモアがある。日常を笑いとばして進む強さを持ちたい。苦しんだり、悩んだ人にだけ、ユーモアは与えられる武器なんだ。