得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

日経平均と、「小さい言葉」。

 

昨日、きづいたことがあって。

 

「書くこと」を仕事にしている人たちといる時、いつも自分は、日経平均株価を確認している。

 

金曜日の終わり値なんて、当日の15時に分かってるし、投信の価格も確認済なのですが。とっくに分かってるものを、ごく自然に確認する行為をしてる。なんだったら、日経新聞を開いたりしようとしてる時もある。

 

どうしてこんなことを、してしまうんだろう。

 

 

会社の研修の昼休みには、絶対にそんなことはしない。むしろ、真逆で。日経新聞を読まないときもある。周りはみんな相場の話や、上司のグチを吐いてて。時には、「あいつは使えへん」と同期の友だちのことをエラそうに批判したりしてる。

 

その時に、ぼくは糸井さんの「小さい言葉」が載っている本を開く。周りの流れに乗りたくなくて、必死に耳を塞いで、言葉を読む。そしたらなんか泣けてくるときがあって。

 

「なに読んでるん?」

 

先日、そんな感じで研修で本を読んでたら、偉いさんが声をかけてきて。エッセイですと答えたら、本をひっくり返して。しばらく沈黙して、そのまま去っていった。財務の本を読んでいたらよかったのだろうか。

 

 

最初の日経平均の話と、いまの「小さい言葉」の話は、真逆のように思えるけど、やってることは同じだ。

 

ぼくは、いつも逃げてしまっている。所在がない感じがして、その時に、周りのみんなが知らないものに逃げ込んでしまっている。だから、日経平均を確認するし、電車で何回も読んだ「小さい言葉」を見返してるんだと思う。

 

現実から目を背けてるというか、壁を自分で作ってるんじゃないかと、昨日気づいた。せっかく、憧れの場所にいれるのに、どうしてぼくは日経平均を気にしてしまうんだと、すごく落ち込んだ。

 

「銀行員です」というものに、なんの意味もないのに、そこに必死にすがろうとしてる自分がすごくすごく情けなく感じてしまった。

 

それでも、気がつけば相場のページを開こうとしていて、手を叩きたくなったりする。

 


 

状況を変えたら、良いことでもあるのかもしれない。自分を守るために、自分だけが知ってるものに逃げ込むというのは、よくあることなのかもしれない。ぼくの場合は、それが日経平均であり、「小さい言葉」で。

 

イヤホンをつけてないけど、イヤホンをつけているような感覚で。VRを見てないけど、装着しているような感覚で。

 

それに救われてるときもある。研修の休み時間は、本当につらいから。だからぼくは、逃げ込んでるんだと思う。

 

でも、憧れの場所にいるのに、同じようなことをしている自分は、本当に嫌いで。帰り道にひどい自己嫌悪になる。


 

怖いところに行くとき、カバンに好きな本を入れてしまうのは、そういうことなんだと思います。

 

支えにもなるし、ただの逃げ道にもなるのが、自分だけが知ってるものなのかもしれないなぁと、思っていて。


ごちゃごちゃした話になりましたが、絶対に次は日経平均を見ないで、好きな場所にいたいです。