得も損もない言葉たち。

日常をひとます、休まず。

あなたのクスッとをください。

百貨店の地下街には、かっこいい大人がいた。

 

大学生活で、アルバイトをいくつか経験した。

 

家庭教師は向いてなかったみたいで、3か月経ったある日、「すいません、来週から夏季講習に通います」と事実上の解雇を宣言された。

 

そのあと、警備の派遣バイトをやった。時給1000円で休憩が1時間に1回あると聞いて、最高だった。はじめての現場で、運転免許も持っていないのに観光バスの誘導を命じられた時は絶望だったけど。神戸ルミナリエの警備では、お子様をかたぐるましているパパを注意する仕事をした。なでしこジャパンが、ワールドカップで優勝した年、澤選手たちをフーリガンから守る警備もあった。結局、なでしこのファンはとてもマナーがよく、ぼくは1人で誰もいない広場に立ちつづけてお金をもらった。19歳で、神戸の成人式の警備もした。自分より、確実に年上の人を注意していいという特権も貰ったにもかかわらず、そんな出番は来ず、きれいな女性の振袖姿をさがしてお金をもらった。

 

 

それからしばらくして、大学の先輩の紹介で、しっかりとシフトを出してタイムカードを押すバイトをはじめた。それが、百貨店のお肉屋さんでの接客販売だった。地下にある食品街で、透明なケースに入った高そうな牛肉、豚肉を量って販売する仕事。時給は下がったけど、とにかく忙しいお店だったから、時間が過ぎるのがとても早かった。3年間続けたことで、手の感覚は成長し、グラム誤差を5g以内で、一発で量ることができるようになった。

 

 

アルバイトをするってことは、誰かに雇われるということです。現場に行けば、たくさんの大人がいるし、百貨店の地下街も大人の社会でした。たくさんの大人に出会って、いちはやく『コンプライアンス』という言葉を耳にするような経験をしたし、煙草を吸って絶望のような顔をした人生の先輩を見てきたわけで。でも、お肉屋さんで出会った店長はとても良いひとでした。正しく言うと、2人目の店長が良い人でした。

 

 

「ちゃんと飯食ってるの?」

「光熱費払ってる?」

 

 

はじめて店長にご飯を連れて行ってもらった日は、まったく覚えていない。だけど、基本的にラストまで仕事をした日は、かならず店長とご飯に行った。もちろん、頻繁に電気が停まるような生活をしていたので、ぼくがお金を出すことは一度もなかった。実家から送られてきた、10㎏のお米を家まで持ってきてくれたり、お肉をご馳走してくれたり。金欠で、コンビニに行くお金がないとき、黒毛和牛のステーキを食べて学校へ行くような訳のわからない学生生活を過ごしました。

 

 

ぼくがコピーライターを目指していると聞いたら、百貨店のチラシの言葉を書く仕事をくれたこともあった。渾身の1行は、きれいに赤ペンでありきたりな言葉に変えられて「ありきたりじゃないと、お客さんは買わないよ」と笑われたり。大量のステーキ肉を渡されて、「これ全部売ったら、晩飯にステーキ食えばいいじゃん」なんて煽られて、晩ごはんは豪華な外食だったり。

 

 

先日、店長と2年ぶりに会った。いまは、ちがうお店に移動していらっしゃるようで、会議でこちらに来ていたそうだ。お誘いを受けた時点で、おごってもらえることは分かっていたのですが、分かっていながら喜んでいける大人って就職してからもいないなぁと思ったりしながら、大阪駅で待ち合わせ。

 

 

「ちゃんと飯食ってるの?」

「光熱費払ってる?」

 

 

会ってすぐに、あの頃とまったく同じ質問を店長はしてきた。「一応、収入はあるので…」と苦笑いしながら返すと、そりゃそうかと悪い笑いをしてはった。お寿司がいい?と聞いてきたのは、ぼくがバイト中にいつも「肉より、魚のほうが好きなんです」とぼやいていたから。相変わらず、なんでも言えるような雰囲気で、結局なんだかんだで数時間後お話をさせてもらった、もちろん、ご馳走になって。

 

 

「そういえば、マスコミ志望だったもんねぇ」

 

 

仕事の話をいろいろしていると、就活時代の話になった。岡山の放送局を受けるとき、交通費がないぼくに「岡山の友だちに会いに行くからさぁ」と車に乗せて連れてってくれたことがあって。その日の晩は、岡山の魚屋さんの店長と、店長とぼくでご飯を食べるという変な組み合わせでご馳走になった。結局、就活はぜんぜんうまくいかなくて、何か月かバイトを休んでいたが、卒業前に復活したときには、また頻繁にご馳走になった。

 

 

ノルマに追われていた店長だったけど、一度もぼくたちにそのプレッシャーは出さず、それなりに仕事をすることだけを求めてくれた。だからこそ、ステーキは全部売ろうと思ったし、雑談するのがすごい楽しかった。「それなり」という力加減を、ぼくに教えてくれたのは店長でした。頑張りすぎず、のらりくらりでも生活は続くし、それで楽しいならいいじゃないのという生き方。

 

 

いま、ぼくは、毎日ノルマに追われている。できるわけのない数字を課せられ、変なプレッシャーをかけられて仕事をしている。同期の子は、パワハラを受けて、何人も会社を辞めた。のらりくらりで、やっていけない状況の子もたくさんいるのだ。店長だって、たまにボロクソに電話で怒られている姿を見た。

 

 

「やる気あんのか?って聞かれたんだよ。あるわけないじゃんか~」

 

 

関西の人じゃないので標準語に近いイントネーションで店長は笑う。ぼくも、対等の立場(おごってもらってるけど)で話をできるようになった。バイトと店長という関係とは、また違った関係性で仕事について話す。ふだん、ぼくがどんな営業をしているのか、上司はどんな人で後輩はどんな子か話す。

 

 

 

「いっつも、誰かにごはんご馳走してもらってるじゃん」

 

 

関西の人じゃないので標準語に近いイントネーションで店長は爆笑した。たしかに、ぼくはいつも誰かにごはんを食べさせてもらっている。営業をしていても、お客さんの家でお昼ご飯をご馳走になるし、お土産があったりだってする。誰かに助けてもらって、生きていると実感する。お肉屋さんで働いていた頃と、誰かにしてもらっていることは変わらない。

 

 

「よかったんじゃないの?うちでバイトしてて」

 

 

ぼくもそう思った。たくさんの大人と接することで、嫌な思いもいっぱいしたけど、良い大人にも出会った。お肉を切る職人さんにもかわいがってもらって、卒業祝いに大量の使わなくなったネクタイをもらったし、パートの女の人には旦那さんが着なくなった服をもらった。父親が着ていますが…。人当たりが良かったら、もっと就活がはやく終わっていたはずなので、理由はよく分からないけど、運が良かっただけなのかもしれないけど。でも、コミュニケーションを大切にするということを、お肉を量りながらぼくは学んでいたのかもしれない。店長に教えてもらったのかもしれない。

 

 

 

「お前はさぁ、とにかく今の営業のことを本にして、放送作家になれよ」

 

 

二軒目に行った、落ち着いた珈琲をグイと飲み干して、店長は立ち上がった。お酒は、ぼくがあんまり得意ではないので、いつも食べ物がおいしい場所か、静かな場所に行くことが多い。店長は、転職する気はないみたいだが、ぼくにはやりたいことをやれと言った。親でもないから、言いやすいのかもしれないけど。だけど、割り切って仕事をしてプライベートを楽しめとは言わなかった。お前の夢なら、どうやって近づけるか考えたらいいし、お前は面白いからやれるんじゃないのかと、「それなり」のテンションで話をして。また遊ぼうと、言って。

 

 

 

「売り場にさぁ、友達がいないんだよ。

 バイトに波瑠に似たかわいい子がいたんだけどさぁ、

 卒業しちゃってさぁ。

 いまはシフトにうるさいはおばさんしかいないんだぁ~」

 

 

頭を抱えながら、苦笑いしながら伝票を持ってレジへ行く。もちろん、ご馳走になって。ぼくは神戸行きの電車に乗って、店長は北陸行きのサンダーバードで北陸へ帰って。

 

 

ぼくが大学時代に出会ったいちばん信用できる大人は、

かっこいい人です。