得も損もない言葉たち。

日常をひとます、休まず。

あなたのクスッとをください。

ペットもたいせつな家族ですから

 

仕事柄、家にあがらせてもらうと、部屋にあるたくさんの物から、お客様との接点をさがそうとしてしまう。営業だからというよりは、大学の友達の家に行って、本棚にじぶんも好きな漫画があったら嬉しいという感覚。

 

家具がかわっていたり、飾ってあった絵が消えていたり、冷蔵庫が最新になっていたり、そんなこともしっかり見ている。釣り竿があったら、釣りの話をしたり。家族写真があったら、お孫さんの話をしたりする。しあわせなことばっかりならいいけど、物が無くなっていたり、妙に片付いていたりしたら、ちょっとだけ慎重になって話をきくようにしている。

 

先日、数か月ぶりに訪問させていただくお客様がいた。リビングに通していただき、前回とおなじソファに座らせてもらう。いつも出してもらう野菜ジュースが、その日も机の上にあって。夏だから、氷も入ってキンキンに冷えていて。冷蔵庫も、そのまんま。飾っている絵も、そのまんま。だけど、なんとなく雰囲気がちがう。何も変わらないようで、決定的に何か欠けているような気がする。聞きたくないけど、聞かないわけにもいかない。なんとなく答えはわかっているけど、切り出しました。

 

 

「あれ?今日はハナちゃんはどうしたんですか?」

 

 

いつも足元によって来て、スーツのズボンに大量の毛を付けてくれていた柴犬のハナちゃんがいない。しばらく足の間をうろちょろして、相手をしてくれないと分かると、おとなしく座ってくれるハナちゃんがいない。

 

 

「あの子は、先月に亡くなったのよ」

 

 

何も知らなかったけど、予想通りの答えだった。犬がいた家と、犬がいなくなった家。リビングに入った瞬間にどこか感じた寂しさの原因は、ハナちゃんが亡くなったことだった。あまりにも元気にお迎えしてくれていたので気づかなかったけど、ハナちゃんは結構な老犬だったようだ。つまり、年を感じさせない若々しさがある女の子だったのだ。

 

 

「さびしくなりましたね」

「ちょっとね」

 

 

ご主人に先立たれ、一人と一匹で暮らしていたお客さんは、一人暮らしになった。悲観的に別れを嘆くというより、生活をそのまま続けているような、何事もなかったように「ちょっとね」と言った。それから、ハナちゃんのお話はせず、いつものように定期預金の切り替えをして、世間話をした。本当は、もっとしたかった。あの子はどんな感じで最期を過ごしたのか。昔はどんな子だったのか。お客さんと、どんな毎日をすごしてきたのか。でも、ぼくにその話を切り出せる権利なんて一つもなかった。

 

 

平準払いの保険を獲得を頼む

 

 

ぼくは、その日の朝、打ち合わせでこんなことを言われていた。支店のノルマが全然できていない項目。平準払いの保険獲得を課せられていた。どんな保険かというと、毎月、数千円お金を払って、病気に備える医療保険のことです。保険会社でもないぼくにとって、売ったことのない商品だったから、どうやって推進するかすごく悩んでしまって。どの商品がよくて、どの商品がいまいちか全然わからなかったのです。ぺらぺらと、対象の商品をさがしてマニュアルをめくっているとき、ひとつの保険に目が行きました。

 

 

ペット保険

 

 

動物病院の治療費にたいして、医療費負担を軽くする保険がある。ペットも病気になるし、けがをするから、そのために備えましょうという商品。7歳未満の犬猫だけが加入できる保険で、上司に言われた平準払い。

 

これがいちばん売りやすいぞ。自分の体のことは心配するけど、ご年配のお客様ならペット保険の存在を知らないはずだ。「たいせつな家族ですから」という一言を決めて、推進すればいいんだ。そんなことを考えながら、ペットを飼っている家を思い出して、たどり着いたのがそのお客様の家だったのです。

 

 

お目当ては、野菜ジュースでもなく、定期預金の切り替えでもなく、ハナちゃん。元気よく足元を走り回る姿を眺めながら、それとなくペット保険の話を切り出す。

 

「こんなに元気でも、いつか病気になる時がきます

 そのときのために、ペットもたいせつな家族ですから」

 

ぼくの頭の中に描いていた、シミュレーションでした。でも、そこにハナちゃんはいなかった。何を求めて、ぼくは今日ここに来たんだろうか。その日は、とてつもない自己嫌悪に陥って帰ったのを覚えています。営業マンなんだから、それぐらでヘコんでどうするんだと言われそうですが、落ち込んで落ち込んで、どうしようもなかった。

 

 

ちょうどその頃、新聞広告のコンペで、捨て犬捨て猫問題について考える機会があった。コピーをたくさん書いて、命の尊さとか、人間の醜さとかを延々と紙にかきつづった。どうすれば、殺処分される犬猫たちを守れるんだろうか。何を言えば、捨てる人たちを説得できるのだろうか。たくさん調べて、書いて、消して。ハナちゃんが亡くなったと知った日も、帰って机に向かった。

 

 

ペットは家族

 

 

昨日の自分が書いていた言葉があった。「これをすこしでも多くの人に分かってもらえる表現を探すこと!」と赤ペンでメモもつけていた。情けなくて、恥ずかしくて、即座にそのページを破ってすてた。

 

保険を売るために出てきた言葉と、犬猫を救いたいと思った時に出てきた言葉が同じだったことがとても恥ずかしかった。ノルマを達成するために、苦し紛れに思いついた言葉と、犬猫を守るという大義名分をかかげて出した言葉が、まったく一緒だったのだ。きっと、ペット保険の件がなかったら、そのままコンペに対して「ペットは家族」ということを掲げて書いていたと思う。でも、そんなことはもうできない。使っちゃいけないと思った。

 

 

月曜日、別のお客さんの家へ行った。その家には猫がいて、3歳のかわいい灰色の女の子だった。ぼくがどれだけ落ち込もうと、ノルマは変わらない。平準払いの保険は、まだ1つも成約ができていなかった。

 

 

 ペット保険というのは知っていますか?

 お客様の体よりも、もっと治療費にはお金がかかりますし

 動物病院ごとに請求額はぜんぜんちがうと聞いています

 でも、治してくれる場所は限られているし、

 それに頼るしか飼い主様にはないんです

 だからこそ、備えておくのはどうでしょう

 

 

本当のことだけを話した。都合のいい言葉を決めたくなくて。成約どうこうよりも、調べて分かった、飼い主の人に知っておいてほしいことだけを伝えた。

 

 

「そうやんねぇ、この子は家族やからねぇ」

 

 

お客さんがぽつりと言った。それは、ぼくが成約につなげるために考えた言葉と同じだった。ハナちゃんが死んで、自分が都合よく関わってきた人たちを利用して、心の弱いところを逆手にとって営業をしていることに気づいたぼくにとって、その言葉をお客様から言ってもらえたことは、少しだけ救われた気がした。

 

 

「そうです、大切な家族です」

 

 

言わないことに決めた言葉を、ぼくは言った。そして、当行以外の商品ともしっかり見比べて加入を考えてもらうよう依頼した。自己満足かもしれないけれど、でも、ハナちゃんにしてしまったことを二度としたくなかったから。自分の都合ではなく、犬猫と飼い主の関係の中に、いちばん必要なものとして保険があってほしかった。

 

ぼくが獲得した保険 じゃなくて、

大切な家族のために入った保険 にしてほしかったから。

 

 

 

 

通帳返却で、もう一度お客様の家へ行った。

いつものソファで、冷えた野菜ジュースを飲みながら、定期預金のお礼を伝えたあとに、ぼくはハナちゃんの話を聞いた。どんな様子でお別れをしたのか、どうしてハナちゃんという名前なのか。犬がいない生活と、いる生活は何が違うのか。とても楽しい話を1時間ほどしていた。