はなれていく、青い色のなにか。
駅のホームに、彼女はいた。
たくさんの人たちが、仕事へ向かう朝の駅。
ちょっと肩がぶつかっただけで、睨まれたり、舌打ちが出たり。
春のあたたかさが、まだ、朝のどんよりとした気分をかき消してくれるけど、
これが梅雨になると、もう最悪の一日がはじまっていく。
夏になると、ほとんどの人がハンドタオルを片手に、吊り輪をつかむ。
四季折々のサラリーマンが一年を通して行き交う駅に、
彼女はひとりベンチにいた。
ヨーグリーナがひとり、ベンチに座っている。
まだ、ひとくち飲んだぐらいで、ほとんど中身の入った彼女。
たくさんの人が殺気立つ駅に、
そこに座った誰かに、忘れ去られたヨーグリーナ。
駅の改札をぬけて、階段を上がったところで彼女をみたとき、
そこだけ時間が止まっているような感じがした。
まぁ、ほんとうに何も動いていないから、時間が止まっているんだけど。
「もったいないなぁ」って思うより先に、
なぜか、そのポツンと置かれたペットボトルに色気を感じてしまった。
それは、ヨーグルトの風味が香る飲料水だったからなのかもしれない。
たとえば、ビックルだったらちょっと違う感覚になったのかも。
ちょっとおしゃれなことを言っているが、
これが普通のおっさんがブチュって唇をつけて飲んだペットボトルだったら、
もうそれは最悪な置き土産でしかない。
できれば、きれいなお姉さんの忘れ物であってほしい。
持ち主は、いったいどこで忘れたことに気付いたんだろう。
つぎ、喉がかわいた時に、カバンの中にヨーグリーナがいない。
さっき買ったばっかりで、一口しか飲んでないのに、
どこかに忘れ去ってしまったことに気付く。
「あ、忘れてきた」
きっと、それぐらいの話で、
自販機やコンビニはそこらじゅうにあるから、
もう一本、おなじ飲み物を買うか、
生茶のあたらしいやつを買うか自由だ。
置いてけぼりになったペットボトルが、
あんなにも寂しそうに誰にも触れられず、
駅のベンチに座っていることは考えないだろうなぁ。
昨年、夏の休日。
ぼくは神戸に向かう電車を待っていた。
とってもあつ~い日だったので、つめた~いポカリを駅のホームで買った。
なんとなく、ポカリを飲んだら水分が体にいきわたる気がするから不思議だ。
小さいころ、水泳終わりにいつもアクエリアスを飲んでいたが、
母はインフルエンザになるとポカリを買ってきた。
どうして、違いがあるのか色々考えたけど、
やっぱり母も、なんとなくだと思う。
電車を待ちながら、ポカリをひとくち。
スマホをひらいて、
ツイッターでくだらんことをつぶやく。
覚えてないけど、つまらないことだけは分かる。
なぜって、つまらないことしか書いていないから。
保冷剤しか入っていない冷凍庫には、
どんなに期待して帰ってもハーゲンダッツは入っていないもんね。
新快速がついた。
休日のお昼、いちばん後ろの車両に乗る。
友だちとの約束の時間より、ちょっと早く着きそうだ。
ぼくは、動き出した電車の、いちばんうしろから景色を眺めていた。
ん、さっきまでぼくが座っていたベンチに、
青い色のなにかが置いてある。
カバンに手をやった瞬間に、
その青い何かが、ひとくちだけ飲んだポカリだったことに気付く。
気付く。気付くんだけど、電車はもう動いている。
さっき、5分ぐらい前に自販機で買ったところのポカリ。
ほとんど、からだに水分を行き渡らせることなく、
その役目を終えたポカリ。
ポカリを忘れたなんて理由で、電車は止められず。
ポカリを忘れたなんて理由で、友だちを待たすわけにもいかない。
もったいないなぁって気持ちもあったけど、
それよりも、なんだか切ない気持ちになった。
目の前に、ぼくの買った飲み物がある。
まぎれもなく、さっきまでぼくのところにあった物が、
じょじょに離れていく切なさ。
ポツンとのこされた青い色のなにかをボーっと見つめる。
やがて、駅はまったく見えなくなって、
その瞬間、ポカリはぼくの飲み物じゃなくなった。
駅のホームで、恋人を見送る。
新幹線にのって、恋人に見送られる。
東京に出ていく瞬間の気持ちって多分こんな感じなのだろう。
目の前にいるのに、離れていくもどかしさ。
飛び出して、その場所へ行きたいけど、
どんどん離れていく切なさ。
ロマンチックすぎるだろうって思いますかね。
嘘だと思って、一回やってみて下さいと言えないことが残念です。
ぼくが神戸について、
ポカリをまた買ったかと言われたら、
たぶん缶コーヒーぐらいを買ったと思うから、
とんだ偽ロマンチックなのだけど。
ん~。
ぼくの忘れたポカリに、
色気を感じた人はいたんだろうか。
いたとしたら、きっとその人は、
きれいなスポーティーなお姉さんの忘れ物だと思っているんだろうなぁ。
仕方ないよ、
人間って都合がよくてロマンチックなんだから。