打球は、歓声ほど伸びず。
ラジオを聴いていた。
大好きなプロ野球が開幕して、
大好きな広島カープが今シーズンも好調で、
ドラフト1位、加藤投手のデビュー戦だった。
ラジコプレミアムに登録しているので、現地のRCCの実況を。
金曜日の帰り道、まだ8時過ぎの電車は比較的すいている。
これがあと1,2時間たったら顔を真っ赤にしたサラリーマンでうめつくされ、
仕事の話がそこら中から聞えてくる地獄になるのだけど、
うまく空いている電車に乗りこめた。
なんと、まだ加藤投手はノーヒットピッチングであるという。
相手に一度もヒットを打たれていないってことだ。
プロ初登板の試合で、ほとんど完璧な内容である。
すごい。
ラジオから聴こえる実況は、
家の最寄駅につくまでに徐々に変わってくる。
カープの中継ぎ陣を支えた、横山解説者が冷静なフリをして興奮してきている。
アナウンサーも、爽快感のある声で1つ1つのプレーを教えてくれる。
スポーツの実況はたいへんだと思う。
特に、ラジオの実況は忙しすぎる。
音しか情報がない中で、
野手がどんなスイングをしたか、
投手の投げたボールはどのコースに決まったか、
打球はどれぐらいの勢いで飛んでいるか、
監督はどういう表情をうかべていて、
選手の仕草、球場の雰囲気、
試合のすべてを教えてくれる。
これがテレビだったら、画面の映像をみながら、
「あ、あれはスライダーだな」とか、
「入った!これはホームランやろ」とか、
実況が話すまえに自分で判断ができるんだけど、
ラジオはそうはいかない。
加藤投手のノーヒットピッチング、
その試合を感じるためには実況の話がすべてなのです。
あとアウトが12個。
その頃には、駅についてコンビニへ。
今日の晩ごはんは、何を食べようか悩みながらラジオをきく。
生姜焼き弁当か、担担麺か。
野菜も食べないといけなから、サラダも買っておこう。
ついでにアイスもいっときたいけど、牛乳プリンも捨てがたい。
どんどん食べ物をカゴにつめこんで、レジへ並ぶ。
ぼくの前に、きれいなお姉さんが並んでいる。
おなじように今日の晩ごはんを買っていて、
弁当の温めを頼んでいる。
そのお姉さんが、お会計をさきにと店員に言われて、
財布から取り出したnanacoカードをみて驚いた。
なんと、カープ坊やのイラストが入ったカードだったのだ。
見たことがある赤いヘルメットをかぶって、バットを握った少年のイラスト。
たしかに、それは、いまぼくがラジオで聴いている球団の公式アイテムだった。
耳から聴こえてくる情報と、
目の前にうつる情報が、
まったく関係のないところでリンクする。
そして、その瞬間に加藤投手が、
ヤクルトの山田選手を三振に打ち取った。
耳から歓声がとびこんでくる。ぼくのテンションも、めちゃくちゃ上がる。
なのに、ボーっとレジに並んでいる。
思わず、この感動を共有したくて、
まえのお姉さんに声をかけそうになる。
「いま、加藤投手がすごくて、ほんとうにすごくて!
まだノーヒットなんですよ。一緒に試合を見守りません?」
って話しかけたくなる。
やましい気持ちはひとつもないし、
ナンパなんてしたことないけど、
とにかく話しかけたい気持ちになる。
ぼくだけだ独占しているラジコプレミアムの感動を、
分けてあげたくて仕方なかった。
ま、なにも起きずに、お姉さんの弁当はあったかくなって、
お会計をすませて、カープ坊やは財布にしまわれ、
どこかへ行ってしまった。
ぼくは、会社から出ている食事の補助券をつかってお会計。
弁当もしっかりあたためてもらって、
雨がやんだ帰り道を歩く。
順調だ。
加藤投手の快投はつづいて、その回もノーヒット。
解説の横山も、アナウンサーもだんだんテンションが変な感じになる。
ふたりの会話をさえぎるように、球場のファンの声が聞こえる。
楽しそうやなぁ、ぼくも応援に行きたいなぁ。
独特の緊張感をもって、みんなで野球がみたい。
できるなら、さっきのお姉さんも一緒にみたい。
やましい思いは一切ない。
歩きながら、野菜ジュースを飲む。
サラダも買ったけど、1日分の野菜を飲む。
つまり、今日の晩ごはんは1日分の野菜+サラダを摂取する。
7回の表。
あと打者9人を抑えれば試合終了だ。
できることなら、ぜんぶ抑えてほしい。
ドラフト一位のデビュー戦が、
歴史に名をのこすような華々しい試合になる、
その瞬間に立ち会いたい。
加藤投手が投げるたびに、球場の歓声がきこえる。
打球音と同時に、アナウンサーが状況をぼくに伝える。
「ショートがつかんで、一塁へ送球1アウト!」
ホッとする。
よかった、まだノーヒットだ。
ヤクルトファンの歓声か、カープファンの悲鳴か、
なにか分からないぼくにとって、
アナウンサーの声だけが頼りなのだ。
つぎのバッターは畠山選手。
ヤクルトのホームランバッターである。
そして、打球音がひびく。
さきほどよりも、大きな大きな歓声が響く。
沸きたつ球場、どうなった、どうなったんだ。
ホームランでも出たような完成だ。
アナウンサーがぼくに伝えてくれる。
「打球は、歓声ほど伸びませんライトフライでツーアウトです」
ラジオらしい解説で、すごく気に入ってしまった。
映像がないぼくにとって、
歓声ほど伸びないということが何より分かりやすくホッとする。
プロの仕事だと、ワンフレーズで思ってしまった。
試合の結果は、カープが4対1で勝利。
おしくも加藤選手はあとアウト2つで降板となったが、
見事なデビュー戦勝利であった。
スポーツニュースはそろって彼の活躍を伝え、
ぼくは、ラジオでしか聴いてなかった試合の様子を映像でみる。
たしかに、打球は歓声ほど伸びずにツーアウトであった。