無力で悔しくて、泣きながら自転車に乗った金曜。
ぼくがいちばんお世話になったお客さんが施設に入った。
運用商品のお話を熱心に聞いてくれて、いつも助けてくれたお客さんだった。
もとより、いつも訪問したら一緒に部屋の片づけをしたり、アイスを買っていって食べたり、そんなことをしていた。
昨年の12月30日、ぼくは一年の最後、そのお客さんの家へ行った。
体調がとても悪そうだった。風邪なのか持病なのか分からない。
ぼくにできることは、正月が明けて4日からのデイサービスまでの食料品を買ってきてあげることと、いざという時のために病院の電話番号を大きく書いてあげることぐらいだった。
結婚をしていないので、家族はいない。
親族はいるが、普段は連絡がなく、
お金が必要になったらせびりにくると聞いていた。
お正月が明けて、いちばんにそのお客さんの家へ行った。
やっぱり親族は誰も連絡すらなかったようだった。
その日は、家を掃除して帰った。
数日後から、突然、電話が繋がらなくなった。
毎日通ったが、いつも留守。
そして、今週の月曜日、
お客さんの姪から電話が入った。
「おじが施設に入ったので、お金のことを相談したい」
支店長と一緒に施設へ行った。
とても豪華な施設で、毎日おいしい手作りの料理が出るような場所。
よかったなぁってちょっと思った。
ここなら、生活はとても快適だって思った。
「で、遺言のことでお聞きしたいのですが」
姪の口から、そんな言葉が飛び出たことにぼくはビックリした。
本人の口からではなく、相続人の口から出てきた言葉に、
ぼくはとにかくビックリした。
お客さんは、一切顔をあげてくれなかった。
ただただ、病人あつかいされて体をかかえられて、
「おっちゃん、おっちゃん」と声をかけられていた。
そこから、毎日電話がかかってきた。
もちろん、本人からではなく、相続予定人から。
「おじは、施設からもう出れないので貸金庫に通帳を預けたい」
「鍵とかは、貴重品なので私たちが預かる」
何を言ってるんだと思った。
ようやく元気に生活できるようになりそうな人に、
遺言の話を持ちだし、資産は貸金庫に封印する。
すべてを取り上げて、もはや軟禁状態にされてしまうわけで。
本人の口から、運用の話をされたが、ほとんど無視だった。
許せなかった。
だから、上司にたくさん相談した。
なにか、お客さんと繋がっていられる方法は無いか考えた。
ぼくにできることは何もなかった。
自分の身を守るためには、
ここは言うことを聞かないといけないと言われた。
怒涛のように毎日かかってくる電話。
手続きについての問い合わせ。
今日、お客様の貸金庫の手続きが完了した。
なぜか分からないけど、
手続きに全く関係のない姪の旦那や、娘まで来た。
バタバタと押しかけて、金庫に全てをしまって帰って行った。
印鑑を金庫にしまうと、鍵をなくした時に再発行が大変だということを本人に伝えた。
これがぼくができる唯一の、お客さんを守る方法だった。
もちろん、ぼくみたいな下っ端の発言は流されて、金庫に印鑑はしまわれた。
姪の旦那が、こっそり言ったことが忘れられない。
「印鑑だけあっても、銀行員も何にもできんからええんちゃう?」
悔しくて、久しぶりに泣いた。
久しぶりというか、初めてかもしれない。
結局ぼくは、なにもできず、いちばんお世話になったお客様を施設に帰らせてしまった。
机をひっくり返せなかった。
指さして、「おまえらな」って言えなかった。
一生忘れない悔しいになったと思う。
お金の話をすると、
嫌なことばっかりだ。
つらくてつらくて、嫌になって、
それでもノルマがあるから他のお客さんの家を訪問した。
帰り際に、
「これ息子に買ったついでに、
あなたにって買ってきたわ。営業は靴下が消耗品でしょ?」
三足の靴下をもらった。
救ってもらった気がした。
ほんとうは、ここに書くかすごく悩んだ。
でも、やっぱり、こうやって書かないとどうしても消化できない自分がいて。
明日から、また、つらいけど自転車にまたがります。