ぼくは「従兄弟のお兄ちゃん」であり続けないといけないのだ。
もし、あなたの親に兄弟がいて、
その兄弟に自分より年下の息子や娘がいたら、
あなたはいとこのお兄ちゃんお姉ちゃんになるわけです。
お兄ちゃんもお姉ちゃんもいなかったので、
いとこの兄ちゃんはすごく大人に見えていて、
カードゲームやレゴブロック、ポケモン、何をやっても敵わない存在でした。
何回やっても勝てないカードゲーム。
圧倒的に強そうなマシンを組み立てるレゴブロック。
通信ケーブルを持っていることで引き連れているゲンガー、フーディン。
何をしても、その強さを見せつけられていました。
「なにをさせても、すごいなぁ~。大人だなぁ~」って、
今思うと、ゲームが強いとか、レゴがうまいとか、
なんとも簡単な理由で羨望の眼差しを向けていたものです。
数年がたって、ぼくもいとこの兄ちゃんになった。
10歳も年下の男の子とよく遊びに行った。
自転車に乗る練習を手伝ったり、水泳を教えたりした。
もちろん、カードゲームやポケモンもやった。
自転車や水泳は、圧倒的にぼくが教える側。
全くできない少年に、見本を披露して、ポイントを伝える。
これは、なんだか気持ちがいい。
ちょっとずつ上手くなっていく姿を見守ってるのが楽しい。
ただ、カードゲームやポケモンは必死だった。
偶然だったとしても、負ける可能性があるのだ。
手札がまったくダメで、ボコボコにされたり、
会心の一撃がヒットして負けてしまう可能性が潜んでいるのだ。
もし、負けてしまったら、どういう顔をしたらいいのか分からない。
「大人な、いとこのお兄ちゃん」であり続けるには、
あらゆる遊びの勝負で負けることは許されないのだ。
小学生の子に、高校生は「大人やなぁ~」って思われないといかんのだ。
…いろんなズルをした。
手札をばれないように入れ替えたりした。
負けそうになったらゲームボーイの電池が切れたフリをした。
レゴは、使いやすいブロックを最初に独占したりした。
そうやって、「大人な、いとこのお兄ちゃん」として、
立ちはだかる壁となったのだ。
社会人になって2年。
去年から、いとこにお年玉をあげるようになった。
ぽち袋を買って、親には内緒でそっと渡す。
もちろん、かわいいから渡すという理由がいちばんだけど、
「いつまでも、俺は立ちはだかる壁だぞ、
いとこのお兄ちゃんとして崇めるのだぞ 」
なんていうメッセージをこめているのです。
もうぼくは、高校生の彼にどんな勝負を挑まれても、
ズルをせずに確実に勝つ方法を見つけられないなぁ。
こうなったら、賄賂を出すしかあるまい。
お年玉ってもしかしたら、こんな感じで生まれたのじゃないのかなぁ。
違うか。
そういえば、今年の正月。
渾身のジョークを、鼻で笑われたのですが、
あいつにはまだ分からない笑いだと言い聞かせたわけで。
お年玉の金額が少なかっただなんて、
思いたくないわけです。
流石に、そりゃないなぁ。