得も損もない言葉たち。

日常をひとます、休まず。

あなたのクスッとをください。

汚い字だが、見せたい字なので。

冷蔵庫の話を。正確には、冷蔵庫に貼ってある紙の話を。

 

何を貼ってるかって、小さい紙なのですが。書いてあることは、

 

 

 素麺だし 

 水300㎜ℓ

 みりん2

 さとう2

 醤油 5

 

以上。

 

素麺だしのレシピです。水300㎜ℓに対しての、調味料の配分が書いてあります。

 

ぼくは、おじいちゃんっ子でした。おじいちゃんっ子になる前は、おばあちゃんっ子でもありました。おじいちゃん、おばあちゃんっ子であったわけです。いまは、2人とも他界しているのですが。

 

どの家にも、忘れられない味があると思います。ぼくにとって、素麺だしこそ、忘れられない味。

 

作りかたを最初に、文字におこしたのは、おばあちゃんだったんだろうと思います。水の量に対しての、醤油や砂糖の配分を自分が忘れないように。

 

次に、文字におこしたのは、おじいちゃんだったんだろうと思います。だって、字を見た瞬間に書いた人の顔を、すぐ思い出せたから。

 

しかし、このレシピには決定的に欠けている項目があります。それは、“干しエビ”です。

 

ぼくの食べていた素麺だしの底には、干しエビが沈んでいました。甘辛い出汁がたっぷり染み込んだ、エビ。それを食べながら、素麺をすすると、もうそれは本当に絶品だったのです。

 

おばあちゃんが死んでから、おじいちゃんがぼくにいつも、素麺だしを作ってくれていました。もちろん、その底には干しエビが沈んでいました。

 

夏になり、冷蔵庫を開くと、そこにはいつも水筒のような入れ物に素麺だしがあって、それだけで、はやくお昼ご飯にしたくなるような気持ちになってしまい、秋になっても、冬になっても、素麺をすすっている生活をしていました。

 

 

大学2年生のときに、祖父は他界しました。高校を卒業してから、一緒に生活をしていたぼくにとって、祖父のいない家はすごく大きな一軒家でした。二人でも、使わない部屋があるのに、一人になると、もう広すぎる。

 

食事を作ることも、一人になるとめんどくさくなる。自分の分だけになると、コンビニでいいやって思うようになる。

 

そんな時に、冷蔵庫の側面に見つけたのが、この小さな紙でした。

 

 

 

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“素麺だし”見た瞬間に、あの味を思い出しました。そして、もう一度食べたいという気持ちになりました。

 

でも、干しエビがない。干しエビの配分が無いのです。エビから出る出汁が、あの絶妙な味を作っていることは、明確でした。このレシピのまま作っても、ぼくの思い出の味にはならないのです。

 

いまだに、ぼくはその味に辿りつけることができていません。だけど、祖父母の味を受け継ぎたい。だから、このレシピに干しエビの配分を書き足すのが、今のぼくの目標です。

 

 

レシピって、手紙なのかもしれない。

 

 

祖父の字を思い出したのは、手書きのレシピでした。一緒に食べた時間を思い出したのも、手書きのレシピでした。

きっと、レシピって手紙なんだろうって思います。

 

相手への気持ちとか、自分の近況とか、伝えたいことはいっぱいあるけど、それは料理が語ってくれる。

 

愛情とか、もはや愛とか、そういう優しいものを、温度を低い状態で伝えてくれるものなんだろうと思うのです。

だから、恥ずかしげもなく、ぼくはいまも、冷蔵庫に堂々とレシピを貼っている。

 

なにが言いたいかといいますと。

 

 

お母さんからのラブレターは、冷蔵庫に貼れないけれど、お母さんの味のつくりかたは、いつまでも冷蔵庫に貼っていたい。

 

手書きのレシピには、味を受け継ぐだけじゃなく、そっと、そっと気持ちを伝える、ちょうどいい手紙なんじゃないかということです。

 

さて、休日も、あと数時間。

 

今日は、何を作りましょう。

 

ぼくは、今日はコンビニですが。許して下さい。めんどくさいのです。