得も損もない言葉たち。

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日常をひとます、休まず。

あなたのクスッとをください。

待ちに待って、会いたい。


街には、たくさんの顔がある。


別に、朝の静かな風景や、夜のネオン街のことを例えているわけではない。

人の顔のことである。ごはんを食べるところが口ならば、色を認識するところが目。感情を表現するところが顔なのではないかと。

 


駅を歩いていた。土曜日なのに会社に行って、休みが半分になった日の帰り道。街には、たくさんの顔があるといったが、駅にも、たくさんの顔がある。そして、土曜日の改札には、待ち合わせの顔があった。予定もなく、今日の晩ごはんに何を食べるか考えているだけのぼくには、とうていできない顔だ。



改札から出てくる人を、眺めている彼らの目は鋭い。とは言うものの、刺さるようなものではない。そりゃそうだ、かの人が来たときに、睨みつけてしまっては具合が悪い。たくさんの人の中から、待っているひとりを見つけだそうとしている。先に見つけたい気持ちなのだろう。そして、ぼくではない誰かを探し出すのである。

 


真顔という言葉があるが、それはきっと、何かの感情が生まれる前の顔だ。待ち合わせで言うところの、ひとりを探している顔。そして、真顔からしあわせが押し出されてくる。なんというか、小学生の時にあそんだ、竹でできた水鉄砲のようにギュッとその表情は、まるで魔法がかかったようにスローモーション。ぼくは、それを見るのがすごく好きだ。あぁ、この人はいま、しあわせなのだって思えるだけで、嬉しくなるから。



 

 待ちに待つ。会いたい人を待つ。会ったら、一緒に時間を過ごす。家族でも、友達でも、恋人でも。これから、恋人になりたい人でも。いつか、家族になる人でも。その人と会う時間は何よりもしあわせな時間なのではないだろうか。予定をつくることから始まり、何をしようか、どこへ行こうか考える。考えなくていい人と会うこともある。それもいい。


 

待ちに待って、会いたい

 


 しあわせが溢れ出る、その瞬間のためにぼくたちは毎日を生きている。会いたい人と、会おう。しっかり、待とう。そして、会ったらたくさん笑おう。しあわせになる人生論は、ぼくには語れない。ごめんなさい。だけど、しあわせそうな人を見ていると、すこしずつ分かってくることでもあるのかなぁと思っています。そのひとつに、この日たくさん出会いました。


休日出勤に、すこしだけ感謝しようと思いながら、まだ決まらない晩ごはんに再び悩む帰り道なのでした。