クリスマスの朝のように。
こうなることが自分の運命。
ああなったのは自分の運命。
結局、いいことが起きた時には、
人は運命って言葉を使わない気がする。
「宝くじに当たったのは自分の運命だったからだろうと思います」
なんてこと言ってる人を見たことがなくて。
結婚の場で使われる、
「2人が出会ったのは運命でした」。
さて、これはどっちなのだろう。
まだ分からない未来に対して、ひとまず運命という言葉を使っている気もしてくる。
テレビでは毎日、結婚したカップル、離婚した夫婦が報道されている。
彼らにとって、運命って言ったことがどっちに転んでいるのだろう。
あぁ、結婚するのは当分先でいいや。
できるかどうか分からないけど。
話は戻るけれど、
自分の向かっている先が、
例えば全く求めていないものだとしたら、
運命って言葉を使ってはいけない気がする。
人は現実に優しいから、
仕方ないなぁって許してしまうから。
ふざんけんな!って、
言ってもいいのかも。
もし、
運命なんて言葉を一回でも使ってしまった人は、進んでる道を、ひん曲げてみてもいいのかもしれないなぁと。
それでもダメでも、ひん曲げて、ひん曲げて、ちょっと修正して、
気付いたら家族に見守られて、
いい運命だったって言って眠ったら幸せなんだろうな。
運命ってことばは、
終わりを告げることばなんだ。
使った瞬間に、ひとつのことがおわってしまうんだ。
満足いかないのに、いってるフリは疲れる。
サンタクロースのプレゼントに、
プレステがほしかったのに生物辞典だった日の朝のように。