得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

スーツを買いに行った日のこと。

 

土曜日、日曜日ともに快晴だった。

 

予定もなく、予定を入れる気力もなく。ただただ、実家のリビングに寝転がり、吉本新喜劇を観ていた。父親のTシャツを着て、誰のものか分からないスウェットをはいて、誰もいないのに、誰かの生活感がある場所で生活をしていた。

 

ひとつだけ、どうにか体を外へ連れ出さないといけない用事はあった。野暮用なんだけど、スーツを買いに行かないと、完全に着回しができない状態まで追い込まれていたのだ。

 

汗だくになって、自転車やバイクに座ったり、歩き回ったりするのでスーツの消耗がはげしい。摩耗した生地は、穴をあける。空いた穴からは、パンツが見える。てなもんで、この4年で、けっこうなお金をスーツに費やしている。

 

服を買いに行くのは、好きなほうではない。できれば、時間を短くしたい。おしゃれでありたい気持ちはあるけど、店員さんに一定の距離を保ちながら、声をかけられないようにお気に入りのシャツを探すのは、めっぽう疲れるのだ。

 

Tシャツ一枚を買うのにも、そんな感じなのに、スーツを買いに行くことなんて、めんどうの最上級だ。好きでもない仕事のために、高いお金を払う。Tシャツを選ぶのとは違い、店員さんに話を聞かないとピッタリのサイズも分からない。毎回、清算の時に誓うのは、つぎにここへ来るときは、好きな仕事をしていようってこと。もしくは、スーツのいらない仕事になっておこうってこと。

 

青い看板のお店に入るたびに、ぼくは前回から何も変わらず、お尻に穴をあけた理由でここへ来た自分を情けなく感じる。そして、何万円もするお代金を、クレジットカードで2回払いをお願いするのだ。そうなるのが嫌で、なかなかスーツを買いに行けないのである。

 

 

土曜日の夕方、ふと気づく。

「あっ、もうすぐ面接があるやん」

やばい、着ていくスーツが1着しかない。それも、けっこう消耗してきている。もし、当日、なにかの拍子でお尻に穴が開いたら、ぼくは会社を訪問してからずっと、パンツが見えていないかを気にして、人生をかけた面接に挑まないといけない。

 

スーツの仕立てに1週間かかるとして、面接があるのは再来週の火曜日。今日行っとかないと、どうしても間に合わないじゃないか。

 

というわけで、妹に借りた自転車で近くのスーツ屋さんへ走ることにした。ちなみに服装は、父親のTシャツに誰のものか分からないスウェット。コンビニでギリギリセーフのような格好で、とりあえずスーツを求めて走った。

 

【新生活!】というフレッシュな空気が漂う建物へ、一日中、ごろ寝をしていた服装のまま入店する。即座に、お兄さんが寄ってくる。その格好は、ビシッと決まった鮮やかな青色のスーツ。ネクタイは赤色に光っている。

 

どんなものを探しているか聞かれる。スーツが欲しいと答える。ほかに何か希望はあるかと聞かれる。お尻に穴が開きづらいものと答える。ツーパンツの商品を探してもらう。ウエストを測ってもらい、案内される。

 

見るからに接客がうまそうなお兄さんは、明るくぼくに話しかけてくれる。

 

「お仕事は何をされているんですか?」

「あっ、銀行員をやっています」

「へぇ~、大変って聞きますよねぇ」

 

続けざまに、銀行の話をたくさん聞いてくれる。その間も手は動き、スーツの試着を準備している。無駄な動きはひとつもない。やり手だなぁと思いながら、適当に返事をしていたら、会話の内容もしっかり把握していて、ちょっとしたことに食いついてくる。

 

うかうかしてられないと、こっちまで仕事を思い出す。営業と営業のぶつかり合いのような会話が始まる。あぁ、ぼくは早くスーツを決めて家に帰りたい。できることなら、無言でいたい。そんなことを思いながら、なんとか試着室までたどりつく。ここまで来れば、あとはこっちのもの。ズボンをはいて、カーテンを開けて、採寸をしてもらって、「じゃあこれで!」で終了だ。

 

靴を脱いで、カーテンを閉める。ようやく一息つく。

スウェットを脱いだ瞬間に、お兄さんの声が聞こえてくる。

 

 

「あの・・・ぼく〇〇の株を買ったんですけどね、あれ相場的にどうなんですかねぇ」

 

「・・・う~ん、トランプ氏の貿易摩擦懸念が影響してるんじゃないですかぁ」

 

 

カーテン一枚をはさんで、なぜかぼくは運用相談を受けていた。それも、下はパンツだ。いろんなことを聞かれる。そんなことよりも、ぼくはこのズボンが自分にフィットしているかを知りたい。なのに、続く質問。試着はとっくに済んでいるのに、カーテンを開けるのに結構な時間を使った。

 

試着室での営業を終えて、攻守がかわる。今度はぼくがお客さんになる。ズボンの丈を測ってもらうのだが、一瞬で終了する。そして、2着目の試着へうつり、カーテンを閉める。

 

 

「で、さっきの話なんですけどねぇ」

 

「えぇ」

 

お兄さんの金融知識がどんどん満たされていくなか、ぼくは鏡に映る自分を、ぼーっと眺めながらカーテンの向こうにアドバイスを送った。あぁ、いつもこんな顔して話をしているんだなぁと、ちょっと勉強になったりもした。

 

 

「さすが、銀行の営業さんですねぇ、頑張ってください!」

 

お会計を終えて、出口まで歩く途中に、お兄さんが言った。

 

 

・・・あれ、ぼく銀行の営業を頑張るためにスーツを買いに来たんとちゃうぞ。転職活動のためにスーツ買いに来たんやぞ。何がどうなって、こんな終わり方をしたんやろか。

 

気づけば、自転車にまたがって、お兄さんにすすめられたネクタイとYシャツのセットを持って、実家への道を走っていた。なんともいえない敗北感に浸りながら、かといって、そこまで悪い気もせず、これが上手い営業なのだろうなぁと、お兄さんを称えながら。

 

 

ただ一つだけ宣言したいことは、次にここへスーツを買いに来るとき、ぼくは「銀行員やってます」なんて答えは絶対にしないぞということだ。

 

 

面接が近い。東京へ向かう日が近づいている。それを言いたかっただけなのである。

黒い三角形。

 

数値のマイナスを示す▲。

 

そのうしろに、0がいくつも付いた投資信託の運用成績を持って現れる。そんな冴えない営業を迎え入れてくれる人たちの、笑顔の理由が分からなかった。

 

運用商品を買ってもらって、数ヶ月後にマーケットの大きな下落。見たくもない状態の数字を受け入れてなお、コーヒーやお昼ごはんを出してくれるの何故だろう。

 

 

「金持ちだから」

 

 

最初の頃、ひとつ思いついた理由です。かなり乱暴で、自分勝手な解釈だと、いまは思います。

 

激動のなかで、一生懸命に貯めたお金の価値は、総資産に比例して変わるもんではない。1円は1円。100万円は100万円。

 

「頑張ってきた」「苦しい思いに耐えた」そういうものが1円単位で並んでいるのが、通帳の残高じゃないだろうか。

 

 

 

酒に酔った父が、鳥貴族でぼくに語り出した。

 

「お前と年に一回だけ会うとしたら、お父さんたちが会える回数は、あと多くて25回ぐらいなんや」

 

続けて父が言う。

 

「同じ計算をすると、お父さんがばあちゃん、つまり、おかんと会えるのなんて10回もない」

 

目も合わせられず、ひたすらにチャンジャのお皿にのこった、大葉の葉脈を眺めた。BGMは、「ドドドドドドドド」とドラえもんが聴こえてくる。

 

 

家族とは、永遠だと思っていた節がある。小学校、中学校、高校、大学。いろんなものから卒業してきたが、家族を卒業したことはない。

 

よく考えたら、親と年齢が並ぶことはない。一緒に卒業のタイミングをむかえる同級生は、会おうと思えば、この先、50年以上も付き合える。年に一度あっても、50回会える。

 

親の倍だ。

 

 

毎日会えていた関係性だからこそ、年に一度しか会わないことを、考えたこともなかった。

会えるけど、会わないことは、ただの毎日の選択のように見えて、時間をどんどんと進める行為なのかもしれない。

 

 

 

ぼくは、マーケットを読み解く力がない。為替相場や、いまの政権が目指す先に、どんな国の成長が待ってるか、よく分かってない。

 

給料泥棒と言われたら、返す言葉がない。

お客さんに、どうしてくれんねん!と言われたら、頭を下げるしかない。

 

 

ただ、彼らがどうしてぼくに、暴言を投げず、カツカレーを出してくれるのだろう。

 

 

年に一度しか会えなくなった家族と、同じだけの愛情を、かわりにくれているんじゃないかとそう思えてきた。

 

 

子どもの代わりにはならないけど、でも、会える回数は同級生より、家族より、多かったりする。持ってくるのはチラシや、▲のついた運用報告なのに、会ってくれる。

 

 

そう思いたいなぁと、そう思った。

これもまた、自分勝手なのかもしれないけれど。

 

 

酔っぱらいのおじさんが、鳥貴族でもらした言葉は、おそらく本音だ。

 

自分の母と、あと何回会えるかを考えたら、つぎは自分の子どもと、あと何回会えるかを考えたんだと思うんです。

 

 

遠く離れている場所で、頑張っている友だちも家族も、あと何回会えるのかをもっと考えたい。逆算してどうとかじゃなくて、時間は進んでいること、1日1日の選択を大切にしたいってこと。

 

 

営業を受け入れてくれるお客様は、きっと、ずーっと続く関係性だと思っているから、やさしいんだなぁと。

逆に、その関係性が、一瞬にしてなくなるから、転勤になったときに、涙を流してくれたんだなぁと。

 

 

家族や、人との時間を大切にしないとなぁと思いながら、酔った父にご馳走になりました。

 

基本的に、何も言わずに頷き続けました。

 

思い出って。

 

すこし特殊な一人暮らしをしている。

 

25歳、独身。一軒家に住んでいる。祖父とふたりで暮らしていた家が、ひとりになって、それから何となく、生活が続いている。

 

おしゃれな部屋づくりなんて、していない。DIYで作った家具なんてない。カーテンは、ヘビースモーカーだった祖父の影響で、黄ばんでいる。仏壇のある部屋で寝ているから、見上げると、会ったこともない曽祖父の写真がかざってある。

 

家の中にあるものは、祖父が生きていた頃と何も変わらない。冷蔵庫の整理もしていないから、ぼくが買った覚えのない、冷凍のお肉が出てきたりする。

 

6年ぐらい経つ。

 

祖父との生活がのこるわが家に、彼がいないことが当たり前になっているなぁと、感じることがある。

 

いつも座っていた椅子に、捨てそびれている電子レンジが置いてあったり、育てていた植木が枯れていたり。

 

曽祖父のとなりに飾られた、祖父の写真を、風景として捉えている自分に、なんだか冷たい人間なのかなぁとか思ったりする。

 

 

先月の末は、祖父の七回忌でした。

 

家じゃなくて、お寺の一室を借りて行われたお経をあげてもらう時間に、やってきたのはいつものお坊さんじゃなかった。

息子さんなのだろう、50歳ぐらいの若めの男性がやってきて、ゆっくりと読みはじめる。

 

 

お客さんと接することについて、転勤の辞令が出てから、ひどく落ち込んでいたぼくは、

 

「どうせ、このお坊さんにとっては、収入の一部なんだよね」

 

とか罰当たりなことを思っていた。

 

 

一通り終わり、いわゆるお説教がはじまる。

 

先に言うと、ぼくはそのお説教で、ボロボロに泣きじゃくり、鼻水を流すことになる。

 

内容が感動的だったわけじゃない。

 

 

ただ、ぼくが罰当たりな目線でみていたその若いお坊さんは、祖父との思い出を語り始めたのです。

 

 

家のどこにいつも座っていたとか、病気になってからのことや、短気なところ、家族のことをいつも話していたこと。

 

そのどれもが、ぼくが忘れかけていた祖父を、あまりにもそのまま、あまりにも綺麗に表現してくれていて、目の前に突然に、あの頃が思い出されました。

 

 

お坊さんにとって、何百もいる人の1人なのに、6年も時が経っているのに、それでも、あんなに明確に家族の前で思い出を語れる。その姿を、泣いて泣いて、見つめていました。母から妹へ、妹からぼくへ、ハンカチがバトンパスでまわってきて、受け取る。

 

 

 

 

思い出って何だろう。

 

忘れたら思い出じゃないのだろうか。思い出って、忘れたら思い出せないのだろうか。なにかをきっかけに、思い出せたらそれでいいんだろうか。

 

みんなが少しずつ、覚えていたら、それでいいのかもしれない。それが家族じゃなくて、お坊さんでも。近所の人でもいいのかもしれない。

 

いつかぼくが、捨てられなかった電子レンジをゴミに出して、現れた祖父の椅子に腰かけて、ふと思い出すことも、思い出なんじゃないやろか。

 

 

実家に帰ると、玄関に祖父の写真が置いてある。毎日眺めている、風景になった遺影の写真とはちがい、従兄弟の子を抱いた祖父の写真だ。

 

そっか。祖父は生きていたし、ぼくと生活をしていんだった。そんなことを再認識して、涙ぐんでしまった週末の金曜日です。思い出って何か、すごく考えてしまう日になりました。

 

 

 

どうしよう。また、なりたい人が増えてしまった。

 

あのお坊さんのように、いつかのことを、飾らなく、美しく語れる人になりたいなぁ。

 

 

思い出って、忘れても消えない、思い出せる。

消滅したり、死んだり、決してしないんだろうね。

ふわふわと、まわりで浮いているんだろうなぁ。

 

 

 

 

 

スースーしていた。

 

朝、駅のトイレで便座にかけようとしたら、スーツの股が破れていた。仕事が憂鬱すぎて謎の腹痛と、股やぶけのダブルパンチ。憂鬱すぎる月曜日がはじまったわけです。

 

 

今日、新入生がやってきた。

 

初めて営業店研修へ向かったのが四年前。あの日、ぼくはハンカチを忘れた。

 

たくさんの初対面挨拶をすませて、緊張したぼくは、胸ポケットにしまったメガネ拭きで、汗だくの顔をぬぐったことを覚えている。

そうなると、メガネ拭きで顔を、ティッシュでメガネを拭くという、なんともよく分からない配置換えがポケットの道具たちの中で行われていた。

 

 

あの日のぼくのように、緊張した顔もちで、新入生が支店をうろちょろとしている。話しかけたらいいものの、ぼくも、この店に来てまだ2週間と経たない。

 

 

お昼ご飯を買ってきてない彼を、食事に連れていく使命を与えられた。「営業のことで、分からんことあったら、この人に聞きなぁ」と背中を押される。いやいや、ぼくは、いま転職活動をしている、辞める寸前の人間だぞと思いながら、そんなことは言えず、近所のそば屋で対面に座る。

 

 

いろんなことを聞かれました。上司との付き合い、残業・ノルマについて、最初の1年間について。どれも、ぼくが答えるに適していないことは分かっていながらも、返していく。

 

 

いま、本当に逃げ出したいし、ほかにやりたいことがあるんだけど、でもそんなことは言えない。目の前にいる、一生懸命に社会へ飛び込もうとしてる彼を、否定することだけは絶対にしたくなかった。

 

 

「営業はしんどいですか?」

 

ずばり、聞かれました。当然、ぼくは頷きました。何回も。

 

「でも」

 

接続詞をおいて、気づけば、前の店でたくさんのお客さんにしてもらったことを話しました。

 

お昼ごはんを食べきれないぐらい出してもらったこと、靴下を何足もプレゼントしてもらったこと、いろんな人生経験に触れてきたこと。

 

転職活動の面接をされているようでした。

 

 

新入生の彼が、この話を聞いてどう思ったかは分かりません。ただ、お客さんと触れた経験が、仕事を辞めると決めたぼくに、「でも」を言わせてくれたんだと思います。たった30分の会談で、それを伝えることは、あまりにも難しい使命でした。

 

 

自分が初めて営業店へ見学に行ったとき、名前も知らない先輩から「あいさつが元気でいいね」と肩をポンっと叩かれたことを覚えています。

 

メガネ拭きで汗をぬぐう謎の新入生に、声をかけてくれた先輩のように、ぼくは接することができてるのだろうか。そんなことを思いながら、出てきた蕎麦をすすりました。

 

 

「あの…スーツって何着ぐらい買って、やりくりしてますか?みなさん、ピシッとしているし」

 

最後に、仕事というか、すごく一般的な質問をされた。

 

「うーん、まぁ、スーツも消耗品だからなぁ」

 

そう言ったぼくのズボンの股は、確実に裂けていて、机の下をのぞくと、太ももの肌色が見えていて、スースーしていた。

 

帰りの電車、いま、ぼくの股はスースーしている。

 

 

実家の良さについて。

 

実家へ立ち寄る生活がつづいている。

 

何をしているかって、車の運転だ。新しい職場では、営業エリアが何十倍にも広がり、バイクを使わないと移動ができない。さらに、上司が同行するとなると、車を使わないといけない。

 

さすがに、赤の他人に迷惑をかけるわけにもいかないので、教習所の卒検いらいに、運転席に座った。

 

隣には、父が座る。彼は、ぼくがいま沈んでいることを知っている。仕事を探していることも知っている。

 

「周りをよくみて、危険を察知して」

 

免許合宿の教官より優しく、父は話す。車庫入れの練習もしているが、本当に車が停まっていたら、ガリガリになりそうなぐらい、ぼくはセンスがない。

 

それでも父は、なんどもぼくに感覚を教える。

 

「仕事について何かアドバイスをすることはできない。分からないから。でも、運転なら何度でも付き合うよ」

 

帰り道にボソッと聞こえた。あぁ、こんな仕事に悩みながら教わるよりも、もっと楽しいことのために、父に運転を習いたかったと、そんな後悔じみたものが心をよぎる。

 

つぎに、親になにかを教えてもらうときは、もっと前向きなことで、話せたらいいなぁと、そう思う。

 

 

実家に帰ると、弁当箱が置いてあった。一人になりたい気持ちを察してか、母が晩ごはんを詰めてくれていた。ぼくは、弁当箱と父を乗せて車で一人暮らしの家へ帰る。父はひとりで帰っていく。

 

就職してから3年と数日、いままでで、いちばん実家というものに、ありがたみを感じている。

 

 

実家のお風呂は、たいていシャンプーがきれている。ポンプを何度押しても、液体は出てこない。

 

「なんでやねんっ」といつも、シャワーの後にまぎれてつぶやく。そして、キャップを開け、なかに水を注ぎ、しゃばしゃばで頭を洗う。

 

ぼくが補充するでもない。つぎに使うのは自分じゃない。

そこで気づく。

 

 

誰かと住んでいるからこそ、シャンプーがきれて文句が言えるんだ。家族みんなが、自分以外の誰かが補充してくれるって思ってるから、実家のシャンプーはいつも空っぽなんだ。

 

 

仕事がつらくて、弱っているからかもしれない。

 

 

だけど、なんだか妙にそんな理由が、人間臭くて、家族臭くていいなぁと、うれしくなってしまった。

 

 

シャンプーを補充するのがめんどくさい、靴を並べるのがめんどくさい。妹とよく喧嘩した理由は、そんなくだらない「めんどくさい」だった気がする。親に怒られたのも「めんどくさい」が根源だ。

 

 

実家に学生はもういない。妹も就職して、全員が社会人だ。それでいても、なお、シャンプーを補充することを、「めんどくさい」と思ってる人たちがここにはいる。誰かがしてくれるって思いながら、お風呂をササッと出てしまう家族がいる。

 

 

実家の良さ、それは「めんどくさい」とか「損得」みたいな感情が、許せる範囲でたくさん入り乱れていることだと思う。

 

 

「今日は来ないの?」

 

 

連絡が来る。ぼくはそれを、実家の最寄駅を通り過ぎてるから返信する。

 

 

「もう、通り過ぎたし帰るわ」

 

 

ひとりになりたい時もある、都合のいいときだけ、頼らせてくれるのが、家族だと思ってる。頼ってほしいと思えるのが、家族だと思っている。

どうでもいいものから。

 

こんばんは。

 

最近、パソコンの前に座って、「さぁ!書くぞ!」とニヤニヤしながら、ここに来ることが減りました。いまも、スマホのアプリを使って、数日かけて、帰りの電車でこれを書いています。

 

全員がはじめましてで、道も分からない場所を、乗ったことのないバイクにまたがり、走り回る日々が続いています。営業成績を、はやくも求められ、存在意義についても言われてしまい、どうすりゃええねん…と思いながら、朝がすごく怖いです。

 

ぼくは、このままこうやって人生を消費するのかと思うと、ほんと、吐きそうになるんです。

 

 

最近、好きなものに触れるのが嫌になりました。たとえば、好きな音楽。大好きなアーティストの声を聴いても、なんだか前向きになれず、むしろ腹が立ってくるという現象に陥っています。

 

自分はこんなに苦しんでいるのに、なんでお前たちはこんなにも輝いているんだ。なんて、思ってしまうんです。

 

他にも、ご飯とか、テレビとか、何でもかんでも、好きなものを遠ざけたい衝動にかられます。

 

 

好きなものを遠ざけた結果、どうでもいいものに触れるようになりました。

 

どうでもいいものとは、好きでも嫌いでもないものです。興味がないジャンルの音楽や本、webサイト。腹が立たないからいいです。だって、どうでもいいから。

 

この人たちの言うこと、表現するものに同意していないから、前向きになれないことを気にしなくていいんです。

乱暴に、自分の時間を過ごすようになっているんですね。

 

 

いつも元気づけてもらっていたものを遠ざけてみる。人間というのは情けないもので、次の元気づけてくれる存在を求めます。

 

 

すると、どうでもいいものの中に、大好きになれそうなものが見つかるんです。

いまの自分が好きになれたもの、偶然出会った音楽や人に、すごく支えてもらえる。

 

カンフル剤のような一瞬の元気じゃなくて、前向きな力じゃなくて、生きる力をくれる。

 

ぼくはいま、思います。

 

好きの反対は、好きじゃない。だけではなく、

好きの反対は、知らない。でもあるんだと。

 

 

そう気づいたぼくのイヤホンは、この精神状況で初めて出会った音楽が流れています。

 

マイナスの時に出会う、もっとマイナスになる。そこで出会ったものを持って、いつかこの陥落していく地面から這いでて、明るい太陽をみたいです。

 

地下で出会ったものを、人はずーっと大切にするんだと、そう思います。

転勤になってから。

 

転勤の辞令が出た。3月30日の夕方だった。

 

引き継ぎの期間は5日間。4月9日からは、もう向こうで仕事をしてもらうことになると、上司は言った。

 

銀行の異動は慌ただしい。その理由は、癒着やらなんやらで、悪いことしてる人がいるかららしい。

 

3月30日のお昼に、4月の訪問を約束していたお客様の家に、ぼくは引き継ぎとして行くことになった。

 

後任の女の子は、はじめて営業に出る。いくぶん緊張している姿は、2年前のぼくと同じだった。

 

一件、一件と家をまわると、みなさんが口を揃えて「残念だ」と言ってくれる。ありがたいことだ。でも、いまぼくの隣にいる彼女にも、おなじようにこの人たちと関わり合ってほしい。

そう思って、涙を流してくれるお客さんに「この子をよろしくお願いします」と言った。

後輩の前で泣くわけにもいかず、ぐっとこらえた。

 

お見合いの仲人を務めるように、お客さんの話と、後輩の女の子の話のあいだに入る。行ったり来たりを、お手伝いする。

ふとした瞬間に、ぼくはここにはもう要らないんだなぁと思って、一歩引く。すこし、寂しくなる。

 

 

「また会いにきてね」とみなさんが言う。

「絶対来ます」と言葉を返す。

 

 

自転車に乗りながら、聞かれる。「どこまで本気で、また会いましょう」ってみんな言ってるんでしょうね。

素直な質問だ。悪意はない。ただただ、知りたかったんだと思う。

 

「完全に本気やで」とぼくは真顔で言った。きっとまた会える。ぼくは、またこの町へ来たい。スーツを着ることも、ピンクの自転車にまたがることもないけど、ここをうろちょろしたい。

 

 

25歳のぼくの2年と、80歳のお客様の2年。これは、同じ時間の長さだけど、全然違う。ぼくは、この2年でたくさんのお客様とお別れをした。命の尊さや、人生のしんどさを目の当たりにした。

 

そういう意味では、「また会いましょう」と言うことの重みを分かっているつもりだ。軽々しく、当たり障りのないやりとりをしてるつもりはない。

 

 

営業トークはいらない。ぼくはもう、この支店の営業じゃない。

 

 

お客様の家をまわるたび、たくさんのお土産をもらって帰るぼくをみて、後輩が驚いてくれる。この1週間で、何度もこういう関係性になってねと伝えた。

 

 

「お金はもらえないんです」と断っていた人が、財布をくれた。

 

その中には、金ピカの5円玉が入っていた。ぼくはそれを返す気に、どうしてもなれなかった。この2年間で、はじめてお金をお金としてみることをやめた。すごく、気持ちいい風が、頭の中を通り抜けた感じがした。

 

 

ここで何度も書いているが、転職活動をしている。今日も面接を受けてきたが、うまくいかなかった。かっこ悪い。

転勤先は、かなり厳しい環境で仕事をすることになると聞く。正直びびっている。怖い。辛い。ほんとは、泣きたい。

 

きっと、数日後には、汗を流して怒鳴られている自分がいる。それだけは分かる。

 

 

今のぼくを支えているのは、たくさんの人が流してくれた涙と、いただいた食べ物の数だ。片方は心を、片方は胃袋を満たしてくれる。

 

誰かを感動させる仕事がしたい。でも、ぼくにはその力はない。転職活動がうまくいかないのは、そのせいかもしれない。

 

 

でも、誰かに泣いてもらえる存在になれたことは、本当に嬉しかった。

 

 

「わたしも頑張ります」と言ってくれた後輩の言葉がうれしくて、今までのぼくの3年間をすべて話してしまった。

どういう気持ちで仕事をしていたか。やりたい仕事は別にあること、今日も面接に行くこと。洗いざらい話をしてしまった。

 

すると、彼女はぼくに、両親にしか話をしたことのない夢を語ってくれた。

 

この子なら、ぼくの好きな町を、人たちを大切にしてくれるだろうと思った。

 

 

安心して引き継ぎを終えたぼくは、そこから、ひたすらにサボり場所を教えてまわった。その頃には、ぼくを見る目に尊敬の念はこもってなかったが、仕方ない。サボることに一生懸命なんだから。

 

大好きだった町を離れることになった。

 

寂しい。

 

恐ろしい支店に転勤になった。

 

辛い。泣きたい。

 

転職活動がうまくいかない。

 

どうしたらいいんや。

 

時間だけ進む。

 

いま、ぼくは沈んでいる。

でも、鞄を開くと、今日もらったたくさんのお菓子が出てくる。完全に前向きになれるわけじゃないけど、でも、ほんこすこしだけ楽になる。

 

 

大切にしたいものを、大切にできて、本当に良かったと思えた1週間だった。

 

そして、憂鬱な土日がやってくる。

 

でも、生きていくしかない。

 

ぼくの好きな町が、後輩の女の子の好きな町になるといいな。好きな人が、好きな人になるといいな。

 

あと、やっぱり、企画をしたり、書いたり、自分の夢を叶えたいな。

 

そう思いながら、今夜もじたばたしています。

 

 

調達屋になればいいんや。

 

脱獄映画で、主人公に力を貸してくれる調達屋という人物が出てきます。冤罪や、捕虜として捉われた収容所から、色んな手を使って脱走を試みる。トンネルを掘るのも、鉄格子を切るのも道具がいります。嗜好品と言われる、チョコレート。美しい女性のポスター。当然、ぜんぶ手に入りません。そこで出てくるのが調達屋です。時には、看守を買収したり、お目当ての道具の代替品になるものを見つけてきたりします。

 

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大好きな映画『大脱走』には、たくさんの登場人物が出てくる。その中でも、ジェームズ・ガーナー演じるヘンドリーが好きだ。彼の役割は、調達屋。スコップがほしければ、使えるような道具を。たばこに、チョコレート、紅茶までどこからか仕入れてくる。鼻歌まじりに、彼の物入れからたくさんの贅沢品が出てくるシーンは、見ていて楽しい。

 

今日、ぼくは調達屋としての役目を終えました。いや、なにも、ヘンドリーのように収容所に入れられていたわけじゃないですよ。でも、この1年間、ぼくは確実に調達屋だったのです。

 

昨年の今頃、お世話になっていたお客様と連絡がとれなくなり、ほとんど毎日家を訪問していました。独り身だった彼は、パーキンソン病を患っていました。大好きなマイケル・J・フォックスがなっている病気です。体がつねに痙攣しているように動き、腰が曲がっている。ヘルパーさんが毎日来ている生活で、ぼくもよく言ってお話をしてました。もちろん、営業なので、持ちつ持たれつなのですが。

 

 

彼が施設に入ったと聞き、そこからぼくは調達屋になりました。

 

 

「なにかほしい物はありますか?」と聞いて、ちょっとしたものを、こっそりと仕入れてくる。チョコレートや、アイスクリーム。ときには、本なども。手土産のように、欲しい物を調達することがぼくの役目です。

 

いつも投資信託を買っていただいたり、資産を移してもったりしていた人でした。こっちはたくさん助けてもらっているのに、ぼくは体を治すことも、ご飯を作ってあげることもできない。だったらできることって、調達ぐらいしかないんですね。

 

 

「ラジオをいじりたいから、工具がほしいなぁ」

 

「いやいや、それは完全に大脱走じゃないですか」

 

 

という会話をした日は、なんだかとても嬉しくて、帰りの自転車のスピードがあがりました。お客様も、理解をしてくれて、共有して笑えたことがすごい嬉しかった。営業としてではなく、調達屋として会えるということが、気をすこしだけ楽にしてくれた。会いに行っている理由が、「お金目当て」だけになるのが嫌で嫌で仕方なかった。

 

調達していくことは、相手をちょっと驚かせることができる。好きな本の話をしていたので、古本屋に立ち寄る。物を持っていくだけじゃなくて、話題を調達する日もある。

 

そうか、ぼくは調達を極めよう。べつに物品だけじゃない、情報を調達したり、笑いのタネを集めよう。そう思えたきっかけが、施設に通った日々でした。

 

 

 

今日、お客様は、別の施設へ移りました。

 

遠方に住んでいる親族の近くにある、自然に囲まれた自由な施設へ引っ越しをすることになったんです。しょっちゅう顔を見ることもなくなる。調達することもなくなる。お取引はつづくけど、今まで通りにはいかない。

そのことがすごく寂しくて、ご挨拶に行って、お話をしていました。好きだと言っていた、作家さんの本についての話です。あと、今の相場下落についても、もちろん。(苦笑いしてましたが)

 

 

そして、また会いましょうと言って、ぼくの調達屋の仕事は終わりました。

 

 

 

もしかしたら、自己満足だったのかもしれない。営業するのを拒否したくて、いい話を作りたかったのかもしれない。そんなモヤモヤを、吹き飛ばしてくれたのは、お客様でした。

 

 

ある日、支店に帰ると、机の上にめちゃくちゃ高そうなカステラが何箱も置かれています。箱には、のしがついていて、お礼のメッセージが書いてある。名前は、そのお客様でした。

基本的に、金品の授受は禁止されているのですが、上司は受け取った。それは、ひとりでは外に出られない彼が、遠方に住んでいる姪を呼び寄せて、ぼくのためにカステラを買いに出たという経緯を聞いたからだったそうです。

 

 

ずっしりと重く、ザラメがたっぷりとついている。スタンダードな黄色いやつと、ココア味の茶色いやつ。あれほど、おいしいカステラは初めてでした。もっと嬉しかったのは、わざわざ親族を呼び出してまで、ぼくのために駆けつけてくれた気持ちでした。

 

 

「あっ、こっちが調達されてるやん」

 

そんなことを思いながら、家で晩飯がわりにほおばったカステラの味は忘れられません。

 

 

いま、書きながら気持ちがかわってきました。そっか、調達屋は終わらないんだ。

 

 

喜んでほしい人のために、形あるもの、ないもの、関係なくいろんなことを企もう。ヘンドリーのように、素知らぬ顔して、相手を驚かせよう。職業を夢にするのは、ちょっとだけ辞めようと思っていた最近だったけど、役割は決まった。

 

調達屋になればいいんや。

嗚呼、8を止めたい。

 

トランプや、ボードゲームが嫌いな時期があった。

 

中学校ぐらいまで属ししていた水泳のクラブチームは最悪だった。力がちょっと強いやつが、カードを配って罰ゲームを決める。しっぺや、でこぴんで泣かされる子とかもいて、それをケラケラと笑っている時間、あの頃、ぼくは大富豪も七並べも、ババ抜きだって大嫌いだった。なんだったら、UNOも嫌いだったし、人生ゲームも嫌いだった。

 

 

高校生になって、とつぜん、それらのゲームが大好きになる。手札を眺めて、どうしようか悩む。そこには、勝利への願望はなく、いかにダイナミックに周りを驚かせた勝ち方をするかを企む空気があったからだ。

 

罰なんて存在しない。負けた人が、つぎのカードを配るぐらい。

 

誰かが、高校生のでこぴんをくらって泣く姿を見るために開催されるような、幼稚な遊びはもうしない。『たのしい時間』を作るために、みんなで企んでいる空気が、大人のすごす遊びなんだろう。

 

 

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『七並べ』を楽しい時間にできる人になりたいと、最近思っている。

 

 

ルールを先に説明しておきますね。

 

 

・1~13まであるトランプのカードを、人数でふりわける

・ひろばには全てのマークの7だけが置かれている

・その数字に繋げるように、みんなが順番にカードを出していく

・手札がなくなった人が勝ち

(出せるカードがなくて、パスが3回になったら負け)

 

地域ごとに違うかもしれませんが、ざっくりこのようなルールです。

 

 

七並べには、8を止めるという技がある。

 

 

7に繋がっている数字を最初に出すところからゲームは動き出す。つまり、6と8を持っている人だけが手札を減らすことができる。

9を持っている人は、8を出してくれる人がいないと、ずーっとそのカードを出すことができずに順番が回ってくる。

「誰やねん、ハートの8をとめてるやつ!」みたいなことを、中盤で誰かが言い出します。

 

 

振り返って気づいたことだけど、ぼくが一緒に何かをしていて楽しいなぁって思う人は、この8を止める技がとても上手い。

戦術としては、小学生でも思いつくこのポピュラーな技。誰かが8を止めていることはすぐに分かってくるし、ゲームが終わるころには犯人は当然ばれる。

 

 

おなじ技を使っていても、「あぁ~やっぱりお前かぁ、やりやがったな笑」と笑って言われている人と、「なんやねん、おもんないわぁ」と思われる人の2種類がある。

 

 

ぼくは、中学校の頃、8を止めている人を心底下劣な奴だと思っていた。ぼくたち弱い人が、9しか持っていないことに気づくと、罰を与えるために絶対に8を出さない。「誰だよ、出さないやつ」とか言いながら笑っている姿が、とても醜く見えていた。そんな空間がとても嫌で、つまらなかった。

 

しかし、高校生になってからというもの、8を止めることはこんなにもゲームを楽しくする技なのかと気づきはじめる。

 

 

負けても、罰がないからだ。

勝っても、報酬がないからだ。

 

じゃあ、なんのために友だちが8を止めるか。

それは、『たのしい時間』を作るため以外にない。

自己の勝利での喜びではなく、心理戦のやりとりや、悪い顔をしてふざけあう時間を一生懸命に作ろうとしているのだ。

 

 

「おまえ、ほんまに七並べ強いなぁ!」ってみんなに褒められても、そんなもの何にもならない。それよりも、「こいつと遊んでると、ゲームが面白くなるなぁ」と内心思ってもらいたいし、「あぁ楽しかったなぁ~」とみんなで共有したい。

 

 

 

空気を作れる人というのは、8を止めるのがうまい人だと思っている。

 

言葉、雰囲気、笑い方、節度、すべてのカードのきりかたがうまい。

嫌がらせにならないように、うまく8を止める。脱落する人が出ないように、ちょうどいいタイミングで8を出す。そうやって、周りを盛り上げてくれる人。そんな人は、やっぱりみんなに誘ってもらえる。

 

 

七並べをうまくなりたい。

 

うまいというのは、「たのしい時間」にすることについてであって、ゲームでの勝利のことじゃないんです。

 

 

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嫌味がある人と、一緒にいて楽しい人は、実はやってることはそんなに変わらない気がする。

 

その行為の先に何を見ているのかで、周りが感じる印象は変わる。

 

 

「自己の欲求を解消するため」にするか、「みんなで楽しい時間をつくるため」にするか。その違いが何気ない表情や、言葉に現れるのじゃないだろうか。不器用だから伝わらないとかは無い。中学生でも、七並べで察することができる話だから。ぼくたちは、もっと丁寧に、誰かといる時間を過ごさないといけない。

 

 

「今日ひま?」というお誘いが友だちから来たことが、どうして嬉しいのか。

 

 

それは、「あなたと一緒にいると、『たのしい時間』が作れる気がする」と言ってもらえているからだと、ぼくは思っている。8を止めることで、みんなを楽しませる人になれたら。普段の何気ない会話でも、いつでも、みんなで楽しもうと思っている人になれたらと、いつも思っている。

 

 

おなじように、大富豪をでも色んな戦術があるのですが、今日はここまでにしようと思う。

 

 

大人になってもトランプを一緒にできる人は、いいですよね。きっと、トランプがなくても、ずーっとくだらない話で笑いあえる仲間なんだろうなぁと、しみじみ思ったりするんです。

 

 

嗚呼、8を止めたい。

血みどろの営業をしてました。

 

数週間前に、職務質問をうけた。

 

 

人のいない海辺で、いつものように絶望に満ちた顔をしながら、胸ポケットにしのばせたWi-Fiの恩恵をうけて、オリンピックの中継を見ていたときの話だ。お巡りさんがやってきて、ぼくの自転車を見る。番号を調べて、さらには何をしていたのか聞いてくる。

 

「これは、仕事用の自転車でして」

「仕事中なんですが、その、サボっているわけでして」

「人がいないところのほうが、休みやすいので」

 

 

もろもろの質問に、なんともぎこちなく答える。お巡りさんも大変だろうが、こっちもいろいろ大変なんだ。でも、気持ちは分かる。

 

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ショッキングピンクの自転車で、こんなところに座り込んでいる人がいたら、怪しいのは当然だ。心配されてもいる気がする。ご迷惑をおかけしましたと、そう今なら言える。

 

 

さて。

 

お巡りさんにお世話になってからも、毎日の生活は変わらない。朝は営業でいちばん早く支店を飛び出し、いつもの海辺に座りに向かう。サボりにはじまり、仕事で終わる。えらそうに言うなら、ルーティンだ。情けなく言うなら、心の頼りだ。

 

 

今日も、いつもとおなじように、自転車を走らせて、いつもの場所へ向かっていた。天気がよく、日差しが暖かい。花粉がとんでいるそうだが、ぼくには関係ない。なんと、心地の良い朝なんだ。

 

う~ん、なんだか、鼻がむずがゆい。何かホコリが入ったか、ちょっとむずがゆい。手の甲で、鼻をこすると、そのかゆさは消える。と同時に、なぜか鼻水が垂れてくる。とどまることを知らないその液体は、ぼくのネクタイを真っ赤に染めた。

 

 

・・・鼻血や。

 

 

なにがどうなってかは分からないが、鼻からドボドボと血が出てくる。別に、エッチなことを考えていたわけではないのに、漫画のように流れ出る。とりあえず、鼻をティッシュでふざぎ、いつもの海辺へダッシュ。カバンを置いて、いったん落ち着く。

 

 

ボトボトボトッ!

 

 

ネジがゆるんだ水道管のように、一定のリズムで血は生成される。持っていたティッシュは、そろそろ無くなる。しかし、動くにも動けない。両手は、殺人犯のように血まみれ。顔は、不良漫画のように赤い。そして周りには、部屋の汚いA型の血液が散乱している。

 

 

どうしよう。どうすればいい。

 

 

 

今日にかぎって、アポイントが入っている。それも、あと20分。ネクタイは当然はずせるが、カッターシャツはぬげない。いまから支店に帰ったとしても、何も変わらないし、せっかく取れたアポイントを無駄にはできない。明日もサボるためには、日々の積み重ねが大切だ。

 

 

 

行こう、行くしかない。

 

 

近くのコンビニで手を洗う。しかし、落ちない。落ちてくれない。ドラマでよくある、一心不乱に人を殺してしまった犯人が、焦って手を洗うシーンを、いま自分がやっている。爪のあいだまで、ゴシゴシ洗う。もちろん、顔面もびしょびしょだ。身に染みて思う、悪いことはすぐばれる。殺人なんてするもんじゃない。

 

 

真っ赤なカッターシャツを身にまとい、10時30分。

意を決して、インターホンを鳴らしました。

 

 

「あんた、それ・・・どうしたん?」

 

お客さんは、目を丸くして言った。

 

 

 

「すいません、鼻血を出しちゃいまして」なんて、頭をポリポリかきながら話をする。洗濯をどうするか、どうやって血をとめるのか、本題を置いてそんな話ばっかりが続く。

 

 

そして、おまけのように、仕事の話をしました。すると、驚くことにその場で成約になっちゃいました。天気が良かったからか、鼻血を流してまで営業にくるぼくを不憫に思ったのか。

 

こんな簡単でいいの?って思うほどあっさりで、なんか、こんなことなら、毎日血だらけで営業するスタイルを確立してみようかなんて、文字通り血迷ったことを考えたりしました。

 

 

 

さて、問題は支店に帰ってから。

 

 

血だらけで、ボロボロになって帰ってきた営業を、窓口担当の女性陣は心配そうに見つめます。よもや、これがぼくの鼻から出たものだとは思っていないようで、なにか事件に巻き込まれたのかという憶測が飛び交う。しかも、その営業は成約をとって帰ってきていると言う。

 

ちょっとしたダイハードだ。

 

 

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血まみれになってでも、事件を解決してビルから降りてくるジョン・マクレーン警部のように、ぼくはいま仕事をしている。そう思うと、もう鼻血ってことは黙っておきたくなってしまう。テロリストと戦ってきたと言ってしまいたい。

 

 

「とりあえずさ、ワイシャツとネクタイ買っておいでよ」

 

 

上司の低いトーンでの一言に、警部は一瞬で、入社3年目の営業行員にもどる。成約よりも、まずは着替えろとのこと。おかしい、映画ならかっこいいエンドロールが流れるはずなのに。それでも営業は続くのだ。パート2ではない、まだ1の途中なのだ。

 

 

血みどろの成約よりも、見てくれが問題なのだ。

 

 

コンビニに売ってある無印良品の一式に身を通す。Tポイントが46もつく。店員さんの目線が、確実にぼくの血痕に向かっている。頼む、何も推測しないでくれ。

 

 

いつもなら、そんなに入っていないアポイントが、今日はまだある。

 

 

 

13時半、本日ふたつ目のインターホンを鳴らす。

 

 

このお客様は知らない。ぼくのカッターシャツが新品で、朝には青色だったネクタイが、ふだんは絶対に着けない赤色になっていることには気づかない。芸能人でもないのに、午前と午後で衣装をかえて、仕事をしていることにツッコミは入れてくれない。

 

 

 

「今日はあったかいですねぇ」

「せやね、でも明日は雨やで」

 

 

 

午前とは一転して、うまく営業はすすまない。話は盛り上がるが、成約にはどうやらつながりそうもない。でも、なんとなく、別日にまたお時間をもらえそうな感じで1時間ぐらい経った。

 

 

「これでも、飲んでいきなさい!」

 

 

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たっ・・・・

 

タフマン

 

 

だめだ、こんなもん飲んだら絶対にやばい。どんな効能があるのか知らんけど、もうこれ以上に鼻血を出したら倒れるに決まっている。元気がないけど、元気を出したくもない。タフになったら、死んでしまう。飲めない。絶対に飲めない。

 

普段は絶対に出してくれたものを拒まないのですが、さすがに今はパスしたい。お客さんは、不思議そうな顔をします。

 

 

「じつは、鼻血がブーでして」

 

 

大爆笑、そして大爆笑。今日の午前中の話をすればするほど笑っていました。成約はなかったですが、まぁ、鼻血のおかげでいい営業をしたと思います。

 

 

ちなみに、タフマンの効能を。

 

 

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こんなことが書いてましたが、いやぁ、飲めません。頭がなんかクラクラしてたんだから。やばいやばい。

 

 

 

今日はそんな一日で、はちゃめちゃで。つかれたなぁと思いながら夕方へ。

 

 

「・・・ちょっと待てよ」

 

帰り道、ふと思う。

 

大量の血痕を掃除していない。いつもの海辺にのこされた、殺人現場のような血を、そのままにしている。あまり人が来ない場所だけど、なんだか気分が悪い。

 

 

そして、あそこには、たまにお巡りさんが来る。

 

 

やばすぎる。事件になってしまう。DNA検査をしたら、確実に被害者はぼくだ。

誰にやられたって、完全に加害者もぼくだ。

 

 

証拠を隠滅しないといけない。完全犯罪には程遠いが、あまりにも証拠が多すぎる。どうしよう、水でも汲んでブラシでこすったらいいのだろうか。

 

 

・・・・いやちょっと落ち着こう。

さっきのお客さんの話が頭をよぎる。

 

 

「明日は雨やで」

 

!!!

 

明日は雨なのだ。そうだ。天気予報は完全に雨マーク。恵みだ。すべてを洗い流す雨だ。予報をあてにする殺人犯なんて、今までにいたのだろうか。この時点で、完全犯罪はかなり遠のいているが、ここは雨に任せよう。それでも落ちなきゃ、自分で掃除をしよう。

 

 

 

支店に戻ると、幸運がひとつ。

 

 

「今期の有給休暇を消費出来てないからさ、とってや~」

 

 

ぼくの鼻血があまりにもかわいそうだったのか、上司から思いもよらない一言が。来週には祝日があり、再来週は年度末。もはや、明日しか有休をとる日はないのです。

 

 

 

「いやぁ・・・明日ぐらいしか休める日がなくて」

 

 

気まずそうに言うぼくに、上司は即答でOKサインを出しました。

 

いやぁ、鼻血っていいもんですね。たまには、出してみるもんです。

 

 

さて明日は、何をしようかなぁ。せっかくのお休みなので、ゆっくりしたい。買い物でもいいなぁ、本屋さんとか。近くのスーパー銭湯もありだ。なにせ、のんびりしていよう。

 

 

あっ、散歩がしたいなぁ。ゆっくり歩く日にしようかなぁ。

 

 

「明日は雨やで」

 

 

そうだ、明日は雨やった。