得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

転勤になってから。

 

転勤の辞令が出た。3月30日の夕方だった。

 

引き継ぎの期間は5日間。4月9日からは、もう向こうで仕事をしてもらうことになると、上司は言った。

 

銀行の異動は慌ただしい。その理由は、癒着やらなんやらで、悪いことしてる人がいるかららしい。

 

3月30日のお昼に、4月の訪問を約束していたお客様の家に、ぼくは引き継ぎとして行くことになった。

 

後任の女の子は、はじめて営業に出る。いくぶん緊張している姿は、2年前のぼくと同じだった。

 

一件、一件と家をまわると、みなさんが口を揃えて「残念だ」と言ってくれる。ありがたいことだ。でも、いまぼくの隣にいる彼女にも、おなじようにこの人たちと関わり合ってほしい。

そう思って、涙を流してくれるお客さんに「この子をよろしくお願いします」と言った。

後輩の前で泣くわけにもいかず、ぐっとこらえた。

 

お見合いの仲人を務めるように、お客さんの話と、後輩の女の子の話のあいだに入る。行ったり来たりを、お手伝いする。

ふとした瞬間に、ぼくはここにはもう要らないんだなぁと思って、一歩引く。すこし、寂しくなる。

 

 

「また会いにきてね」とみなさんが言う。

「絶対来ます」と言葉を返す。

 

 

自転車に乗りながら、聞かれる。「どこまで本気で、また会いましょう」ってみんな言ってるんでしょうね。

素直な質問だ。悪意はない。ただただ、知りたかったんだと思う。

 

「完全に本気やで」とぼくは真顔で言った。きっとまた会える。ぼくは、またこの町へ来たい。スーツを着ることも、ピンクの自転車にまたがることもないけど、ここをうろちょろしたい。

 

 

25歳のぼくの2年と、80歳のお客様の2年。これは、同じ時間の長さだけど、全然違う。ぼくは、この2年でたくさんのお客様とお別れをした。命の尊さや、人生のしんどさを目の当たりにした。

 

そういう意味では、「また会いましょう」と言うことの重みを分かっているつもりだ。軽々しく、当たり障りのないやりとりをしてるつもりはない。

 

 

営業トークはいらない。ぼくはもう、この支店の営業じゃない。

 

 

お客様の家をまわるたび、たくさんのお土産をもらって帰るぼくをみて、後輩が驚いてくれる。この1週間で、何度もこういう関係性になってねと伝えた。

 

 

「お金はもらえないんです」と断っていた人が、財布をくれた。

 

その中には、金ピカの5円玉が入っていた。ぼくはそれを返す気に、どうしてもなれなかった。この2年間で、はじめてお金をお金としてみることをやめた。すごく、気持ちいい風が、頭の中を通り抜けた感じがした。

 

 

ここで何度も書いているが、転職活動をしている。今日も面接を受けてきたが、うまくいかなかった。かっこ悪い。

転勤先は、かなり厳しい環境で仕事をすることになると聞く。正直びびっている。怖い。辛い。ほんとは、泣きたい。

 

きっと、数日後には、汗を流して怒鳴られている自分がいる。それだけは分かる。

 

 

今のぼくを支えているのは、たくさんの人が流してくれた涙と、いただいた食べ物の数だ。片方は心を、片方は胃袋を満たしてくれる。

 

誰かを感動させる仕事がしたい。でも、ぼくにはその力はない。転職活動がうまくいかないのは、そのせいかもしれない。

 

 

でも、誰かに泣いてもらえる存在になれたことは、本当に嬉しかった。

 

 

「わたしも頑張ります」と言ってくれた後輩の言葉がうれしくて、今までのぼくの3年間をすべて話してしまった。

どういう気持ちで仕事をしていたか。やりたい仕事は別にあること、今日も面接に行くこと。洗いざらい話をしてしまった。

 

すると、彼女はぼくに、両親にしか話をしたことのない夢を語ってくれた。

 

この子なら、ぼくの好きな町を、人たちを大切にしてくれるだろうと思った。

 

 

安心して引き継ぎを終えたぼくは、そこから、ひたすらにサボり場所を教えてまわった。その頃には、ぼくを見る目に尊敬の念はこもってなかったが、仕方ない。サボることに一生懸命なんだから。

 

大好きだった町を離れることになった。

 

寂しい。

 

恐ろしい支店に転勤になった。

 

辛い。泣きたい。

 

転職活動がうまくいかない。

 

どうしたらいいんや。

 

時間だけ進む。

 

いま、ぼくは沈んでいる。

でも、鞄を開くと、今日もらったたくさんのお菓子が出てくる。完全に前向きになれるわけじゃないけど、でも、ほんこすこしだけ楽になる。

 

 

大切にしたいものを、大切にできて、本当に良かったと思えた1週間だった。

 

そして、憂鬱な土日がやってくる。

 

でも、生きていくしかない。

 

ぼくの好きな町が、後輩の女の子の好きな町になるといいな。好きな人が、好きな人になるといいな。

 

あと、やっぱり、企画をしたり、書いたり、自分の夢を叶えたいな。

 

そう思いながら、今夜もじたばたしています。

 

 

調達屋になればいいんや。

 

脱獄映画で、主人公に力を貸してくれる調達屋という人物が出てきます。冤罪や、捕虜として捉われた収容所から、色んな手を使って脱走を試みる。トンネルを掘るのも、鉄格子を切るのも道具がいります。嗜好品と言われる、チョコレート。美しい女性のポスター。当然、ぜんぶ手に入りません。そこで出てくるのが調達屋です。時には、看守を買収したり、お目当ての道具の代替品になるものを見つけてきたりします。

 

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大好きな映画『大脱走』には、たくさんの登場人物が出てくる。その中でも、ジェームズ・ガーナー演じるヘンドリーが好きだ。彼の役割は、調達屋。スコップがほしければ、使えるような道具を。たばこに、チョコレート、紅茶までどこからか仕入れてくる。鼻歌まじりに、彼の物入れからたくさんの贅沢品が出てくるシーンは、見ていて楽しい。

 

今日、ぼくは調達屋としての役目を終えました。いや、なにも、ヘンドリーのように収容所に入れられていたわけじゃないですよ。でも、この1年間、ぼくは確実に調達屋だったのです。

 

昨年の今頃、お世話になっていたお客様と連絡がとれなくなり、ほとんど毎日家を訪問していました。独り身だった彼は、パーキンソン病を患っていました。大好きなマイケル・J・フォックスがなっている病気です。体がつねに痙攣しているように動き、腰が曲がっている。ヘルパーさんが毎日来ている生活で、ぼくもよく言ってお話をしてました。もちろん、営業なので、持ちつ持たれつなのですが。

 

 

彼が施設に入ったと聞き、そこからぼくは調達屋になりました。

 

 

「なにかほしい物はありますか?」と聞いて、ちょっとしたものを、こっそりと仕入れてくる。チョコレートや、アイスクリーム。ときには、本なども。手土産のように、欲しい物を調達することがぼくの役目です。

 

いつも投資信託を買っていただいたり、資産を移してもったりしていた人でした。こっちはたくさん助けてもらっているのに、ぼくは体を治すことも、ご飯を作ってあげることもできない。だったらできることって、調達ぐらいしかないんですね。

 

 

「ラジオをいじりたいから、工具がほしいなぁ」

 

「いやいや、それは完全に大脱走じゃないですか」

 

 

という会話をした日は、なんだかとても嬉しくて、帰りの自転車のスピードがあがりました。お客様も、理解をしてくれて、共有して笑えたことがすごい嬉しかった。営業としてではなく、調達屋として会えるということが、気をすこしだけ楽にしてくれた。会いに行っている理由が、「お金目当て」だけになるのが嫌で嫌で仕方なかった。

 

調達していくことは、相手をちょっと驚かせることができる。好きな本の話をしていたので、古本屋に立ち寄る。物を持っていくだけじゃなくて、話題を調達する日もある。

 

そうか、ぼくは調達を極めよう。べつに物品だけじゃない、情報を調達したり、笑いのタネを集めよう。そう思えたきっかけが、施設に通った日々でした。

 

 

 

今日、お客様は、別の施設へ移りました。

 

遠方に住んでいる親族の近くにある、自然に囲まれた自由な施設へ引っ越しをすることになったんです。しょっちゅう顔を見ることもなくなる。調達することもなくなる。お取引はつづくけど、今まで通りにはいかない。

そのことがすごく寂しくて、ご挨拶に行って、お話をしていました。好きだと言っていた、作家さんの本についての話です。あと、今の相場下落についても、もちろん。(苦笑いしてましたが)

 

 

そして、また会いましょうと言って、ぼくの調達屋の仕事は終わりました。

 

 

 

もしかしたら、自己満足だったのかもしれない。営業するのを拒否したくて、いい話を作りたかったのかもしれない。そんなモヤモヤを、吹き飛ばしてくれたのは、お客様でした。

 

 

ある日、支店に帰ると、机の上にめちゃくちゃ高そうなカステラが何箱も置かれています。箱には、のしがついていて、お礼のメッセージが書いてある。名前は、そのお客様でした。

基本的に、金品の授受は禁止されているのですが、上司は受け取った。それは、ひとりでは外に出られない彼が、遠方に住んでいる姪を呼び寄せて、ぼくのためにカステラを買いに出たという経緯を聞いたからだったそうです。

 

 

ずっしりと重く、ザラメがたっぷりとついている。スタンダードな黄色いやつと、ココア味の茶色いやつ。あれほど、おいしいカステラは初めてでした。もっと嬉しかったのは、わざわざ親族を呼び出してまで、ぼくのために駆けつけてくれた気持ちでした。

 

 

「あっ、こっちが調達されてるやん」

 

そんなことを思いながら、家で晩飯がわりにほおばったカステラの味は忘れられません。

 

 

いま、書きながら気持ちがかわってきました。そっか、調達屋は終わらないんだ。

 

 

喜んでほしい人のために、形あるもの、ないもの、関係なくいろんなことを企もう。ヘンドリーのように、素知らぬ顔して、相手を驚かせよう。職業を夢にするのは、ちょっとだけ辞めようと思っていた最近だったけど、役割は決まった。

 

調達屋になればいいんや。

嗚呼、8を止めたい。

 

トランプや、ボードゲームが嫌いな時期があった。

 

中学校ぐらいまで属ししていた水泳のクラブチームは最悪だった。力がちょっと強いやつが、カードを配って罰ゲームを決める。しっぺや、でこぴんで泣かされる子とかもいて、それをケラケラと笑っている時間、あの頃、ぼくは大富豪も七並べも、ババ抜きだって大嫌いだった。なんだったら、UNOも嫌いだったし、人生ゲームも嫌いだった。

 

 

高校生になって、とつぜん、それらのゲームが大好きになる。手札を眺めて、どうしようか悩む。そこには、勝利への願望はなく、いかにダイナミックに周りを驚かせた勝ち方をするかを企む空気があったからだ。

 

罰なんて存在しない。負けた人が、つぎのカードを配るぐらい。

 

誰かが、高校生のでこぴんをくらって泣く姿を見るために開催されるような、幼稚な遊びはもうしない。『たのしい時間』を作るために、みんなで企んでいる空気が、大人のすごす遊びなんだろう。

 

 

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『七並べ』を楽しい時間にできる人になりたいと、最近思っている。

 

 

ルールを先に説明しておきますね。

 

 

・1~13まであるトランプのカードを、人数でふりわける

・ひろばには全てのマークの7だけが置かれている

・その数字に繋げるように、みんなが順番にカードを出していく

・手札がなくなった人が勝ち

(出せるカードがなくて、パスが3回になったら負け)

 

地域ごとに違うかもしれませんが、ざっくりこのようなルールです。

 

 

七並べには、8を止めるという技がある。

 

 

7に繋がっている数字を最初に出すところからゲームは動き出す。つまり、6と8を持っている人だけが手札を減らすことができる。

9を持っている人は、8を出してくれる人がいないと、ずーっとそのカードを出すことができずに順番が回ってくる。

「誰やねん、ハートの8をとめてるやつ!」みたいなことを、中盤で誰かが言い出します。

 

 

振り返って気づいたことだけど、ぼくが一緒に何かをしていて楽しいなぁって思う人は、この8を止める技がとても上手い。

戦術としては、小学生でも思いつくこのポピュラーな技。誰かが8を止めていることはすぐに分かってくるし、ゲームが終わるころには犯人は当然ばれる。

 

 

おなじ技を使っていても、「あぁ~やっぱりお前かぁ、やりやがったな笑」と笑って言われている人と、「なんやねん、おもんないわぁ」と思われる人の2種類がある。

 

 

ぼくは、中学校の頃、8を止めている人を心底下劣な奴だと思っていた。ぼくたち弱い人が、9しか持っていないことに気づくと、罰を与えるために絶対に8を出さない。「誰だよ、出さないやつ」とか言いながら笑っている姿が、とても醜く見えていた。そんな空間がとても嫌で、つまらなかった。

 

しかし、高校生になってからというもの、8を止めることはこんなにもゲームを楽しくする技なのかと気づきはじめる。

 

 

負けても、罰がないからだ。

勝っても、報酬がないからだ。

 

じゃあ、なんのために友だちが8を止めるか。

それは、『たのしい時間』を作るため以外にない。

自己の勝利での喜びではなく、心理戦のやりとりや、悪い顔をしてふざけあう時間を一生懸命に作ろうとしているのだ。

 

 

「おまえ、ほんまに七並べ強いなぁ!」ってみんなに褒められても、そんなもの何にもならない。それよりも、「こいつと遊んでると、ゲームが面白くなるなぁ」と内心思ってもらいたいし、「あぁ楽しかったなぁ~」とみんなで共有したい。

 

 

 

空気を作れる人というのは、8を止めるのがうまい人だと思っている。

 

言葉、雰囲気、笑い方、節度、すべてのカードのきりかたがうまい。

嫌がらせにならないように、うまく8を止める。脱落する人が出ないように、ちょうどいいタイミングで8を出す。そうやって、周りを盛り上げてくれる人。そんな人は、やっぱりみんなに誘ってもらえる。

 

 

七並べをうまくなりたい。

 

うまいというのは、「たのしい時間」にすることについてであって、ゲームでの勝利のことじゃないんです。

 

 

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嫌味がある人と、一緒にいて楽しい人は、実はやってることはそんなに変わらない気がする。

 

その行為の先に何を見ているのかで、周りが感じる印象は変わる。

 

 

「自己の欲求を解消するため」にするか、「みんなで楽しい時間をつくるため」にするか。その違いが何気ない表情や、言葉に現れるのじゃないだろうか。不器用だから伝わらないとかは無い。中学生でも、七並べで察することができる話だから。ぼくたちは、もっと丁寧に、誰かといる時間を過ごさないといけない。

 

 

「今日ひま?」というお誘いが友だちから来たことが、どうして嬉しいのか。

 

 

それは、「あなたと一緒にいると、『たのしい時間』が作れる気がする」と言ってもらえているからだと、ぼくは思っている。8を止めることで、みんなを楽しませる人になれたら。普段の何気ない会話でも、いつでも、みんなで楽しもうと思っている人になれたらと、いつも思っている。

 

 

おなじように、大富豪をでも色んな戦術があるのですが、今日はここまでにしようと思う。

 

 

大人になってもトランプを一緒にできる人は、いいですよね。きっと、トランプがなくても、ずーっとくだらない話で笑いあえる仲間なんだろうなぁと、しみじみ思ったりするんです。

 

 

嗚呼、8を止めたい。

血みどろの営業をしてました。

 

数週間前に、職務質問をうけた。

 

 

人のいない海辺で、いつものように絶望に満ちた顔をしながら、胸ポケットにしのばせたWi-Fiの恩恵をうけて、オリンピックの中継を見ていたときの話だ。お巡りさんがやってきて、ぼくの自転車を見る。番号を調べて、さらには何をしていたのか聞いてくる。

 

「これは、仕事用の自転車でして」

「仕事中なんですが、その、サボっているわけでして」

「人がいないところのほうが、休みやすいので」

 

 

もろもろの質問に、なんともぎこちなく答える。お巡りさんも大変だろうが、こっちもいろいろ大変なんだ。でも、気持ちは分かる。

 

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ショッキングピンクの自転車で、こんなところに座り込んでいる人がいたら、怪しいのは当然だ。心配されてもいる気がする。ご迷惑をおかけしましたと、そう今なら言える。

 

 

さて。

 

お巡りさんにお世話になってからも、毎日の生活は変わらない。朝は営業でいちばん早く支店を飛び出し、いつもの海辺に座りに向かう。サボりにはじまり、仕事で終わる。えらそうに言うなら、ルーティンだ。情けなく言うなら、心の頼りだ。

 

 

今日も、いつもとおなじように、自転車を走らせて、いつもの場所へ向かっていた。天気がよく、日差しが暖かい。花粉がとんでいるそうだが、ぼくには関係ない。なんと、心地の良い朝なんだ。

 

う~ん、なんだか、鼻がむずがゆい。何かホコリが入ったか、ちょっとむずがゆい。手の甲で、鼻をこすると、そのかゆさは消える。と同時に、なぜか鼻水が垂れてくる。とどまることを知らないその液体は、ぼくのネクタイを真っ赤に染めた。

 

 

・・・鼻血や。

 

 

なにがどうなってかは分からないが、鼻からドボドボと血が出てくる。別に、エッチなことを考えていたわけではないのに、漫画のように流れ出る。とりあえず、鼻をティッシュでふざぎ、いつもの海辺へダッシュ。カバンを置いて、いったん落ち着く。

 

 

ボトボトボトッ!

 

 

ネジがゆるんだ水道管のように、一定のリズムで血は生成される。持っていたティッシュは、そろそろ無くなる。しかし、動くにも動けない。両手は、殺人犯のように血まみれ。顔は、不良漫画のように赤い。そして周りには、部屋の汚いA型の血液が散乱している。

 

 

どうしよう。どうすればいい。

 

 

 

今日にかぎって、アポイントが入っている。それも、あと20分。ネクタイは当然はずせるが、カッターシャツはぬげない。いまから支店に帰ったとしても、何も変わらないし、せっかく取れたアポイントを無駄にはできない。明日もサボるためには、日々の積み重ねが大切だ。

 

 

 

行こう、行くしかない。

 

 

近くのコンビニで手を洗う。しかし、落ちない。落ちてくれない。ドラマでよくある、一心不乱に人を殺してしまった犯人が、焦って手を洗うシーンを、いま自分がやっている。爪のあいだまで、ゴシゴシ洗う。もちろん、顔面もびしょびしょだ。身に染みて思う、悪いことはすぐばれる。殺人なんてするもんじゃない。

 

 

真っ赤なカッターシャツを身にまとい、10時30分。

意を決して、インターホンを鳴らしました。

 

 

「あんた、それ・・・どうしたん?」

 

お客さんは、目を丸くして言った。

 

 

 

「すいません、鼻血を出しちゃいまして」なんて、頭をポリポリかきながら話をする。洗濯をどうするか、どうやって血をとめるのか、本題を置いてそんな話ばっかりが続く。

 

 

そして、おまけのように、仕事の話をしました。すると、驚くことにその場で成約になっちゃいました。天気が良かったからか、鼻血を流してまで営業にくるぼくを不憫に思ったのか。

 

こんな簡単でいいの?って思うほどあっさりで、なんか、こんなことなら、毎日血だらけで営業するスタイルを確立してみようかなんて、文字通り血迷ったことを考えたりしました。

 

 

 

さて、問題は支店に帰ってから。

 

 

血だらけで、ボロボロになって帰ってきた営業を、窓口担当の女性陣は心配そうに見つめます。よもや、これがぼくの鼻から出たものだとは思っていないようで、なにか事件に巻き込まれたのかという憶測が飛び交う。しかも、その営業は成約をとって帰ってきていると言う。

 

ちょっとしたダイハードだ。

 

 

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血まみれになってでも、事件を解決してビルから降りてくるジョン・マクレーン警部のように、ぼくはいま仕事をしている。そう思うと、もう鼻血ってことは黙っておきたくなってしまう。テロリストと戦ってきたと言ってしまいたい。

 

 

「とりあえずさ、ワイシャツとネクタイ買っておいでよ」

 

 

上司の低いトーンでの一言に、警部は一瞬で、入社3年目の営業行員にもどる。成約よりも、まずは着替えろとのこと。おかしい、映画ならかっこいいエンドロールが流れるはずなのに。それでも営業は続くのだ。パート2ではない、まだ1の途中なのだ。

 

 

血みどろの成約よりも、見てくれが問題なのだ。

 

 

コンビニに売ってある無印良品の一式に身を通す。Tポイントが46もつく。店員さんの目線が、確実にぼくの血痕に向かっている。頼む、何も推測しないでくれ。

 

 

いつもなら、そんなに入っていないアポイントが、今日はまだある。

 

 

 

13時半、本日ふたつ目のインターホンを鳴らす。

 

 

このお客様は知らない。ぼくのカッターシャツが新品で、朝には青色だったネクタイが、ふだんは絶対に着けない赤色になっていることには気づかない。芸能人でもないのに、午前と午後で衣装をかえて、仕事をしていることにツッコミは入れてくれない。

 

 

 

「今日はあったかいですねぇ」

「せやね、でも明日は雨やで」

 

 

 

午前とは一転して、うまく営業はすすまない。話は盛り上がるが、成約にはどうやらつながりそうもない。でも、なんとなく、別日にまたお時間をもらえそうな感じで1時間ぐらい経った。

 

 

「これでも、飲んでいきなさい!」

 

 

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たっ・・・・

 

タフマン

 

 

だめだ、こんなもん飲んだら絶対にやばい。どんな効能があるのか知らんけど、もうこれ以上に鼻血を出したら倒れるに決まっている。元気がないけど、元気を出したくもない。タフになったら、死んでしまう。飲めない。絶対に飲めない。

 

普段は絶対に出してくれたものを拒まないのですが、さすがに今はパスしたい。お客さんは、不思議そうな顔をします。

 

 

「じつは、鼻血がブーでして」

 

 

大爆笑、そして大爆笑。今日の午前中の話をすればするほど笑っていました。成約はなかったですが、まぁ、鼻血のおかげでいい営業をしたと思います。

 

 

ちなみに、タフマンの効能を。

 

 

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こんなことが書いてましたが、いやぁ、飲めません。頭がなんかクラクラしてたんだから。やばいやばい。

 

 

 

今日はそんな一日で、はちゃめちゃで。つかれたなぁと思いながら夕方へ。

 

 

「・・・ちょっと待てよ」

 

帰り道、ふと思う。

 

大量の血痕を掃除していない。いつもの海辺にのこされた、殺人現場のような血を、そのままにしている。あまり人が来ない場所だけど、なんだか気分が悪い。

 

 

そして、あそこには、たまにお巡りさんが来る。

 

 

やばすぎる。事件になってしまう。DNA検査をしたら、確実に被害者はぼくだ。

誰にやられたって、完全に加害者もぼくだ。

 

 

証拠を隠滅しないといけない。完全犯罪には程遠いが、あまりにも証拠が多すぎる。どうしよう、水でも汲んでブラシでこすったらいいのだろうか。

 

 

・・・・いやちょっと落ち着こう。

さっきのお客さんの話が頭をよぎる。

 

 

「明日は雨やで」

 

!!!

 

明日は雨なのだ。そうだ。天気予報は完全に雨マーク。恵みだ。すべてを洗い流す雨だ。予報をあてにする殺人犯なんて、今までにいたのだろうか。この時点で、完全犯罪はかなり遠のいているが、ここは雨に任せよう。それでも落ちなきゃ、自分で掃除をしよう。

 

 

 

支店に戻ると、幸運がひとつ。

 

 

「今期の有給休暇を消費出来てないからさ、とってや~」

 

 

ぼくの鼻血があまりにもかわいそうだったのか、上司から思いもよらない一言が。来週には祝日があり、再来週は年度末。もはや、明日しか有休をとる日はないのです。

 

 

 

「いやぁ・・・明日ぐらいしか休める日がなくて」

 

 

気まずそうに言うぼくに、上司は即答でOKサインを出しました。

 

いやぁ、鼻血っていいもんですね。たまには、出してみるもんです。

 

 

さて明日は、何をしようかなぁ。せっかくのお休みなので、ゆっくりしたい。買い物でもいいなぁ、本屋さんとか。近くのスーパー銭湯もありだ。なにせ、のんびりしていよう。

 

 

あっ、散歩がしたいなぁ。ゆっくり歩く日にしようかなぁ。

 

 

「明日は雨やで」

 

 

そうだ、明日は雨やった。

手を繋ぐ理由について。

 

若い女性と、年配のおじさまが手をつないで歩いていると、

「あっ、この人たちはよからぬ関係なのかもしれないなぁ」

なんて心の中で2人の出会いとかを想像してしまう。

 

 

では、男性と男性が手を繋いで歩いていたらどうだろうか。

 

 

 

先日、遠足に来ていた幼稚園の子たちが隣を通り過ぎた。水族館に遊びに来ている彼らは、みんなぼくのほうを不思議そうに眺めていく。

至極当然の行いだ。彼らのパパが汗水たらして働いている時間に、遠足でやってきた楽しい場所で、スーツを着たおじさんが絶望のような顔をして座り込んでいるからだ。

 

「どうだい、これが天然のサラリーマンだよ」

 

なんてメッセージをのせて、いつも以上にしんどそうな顔を心がけてみる。すると、みんながみんな、こちらを一度見て、何だったらスマートフォンをのぞき込んだりしてくるわけです。そうなると、隊列が乱れて、幼稚園の先生方がとんでくる。「はいはい!よそ見しないの!」と注意をして、彼らをぼくから引き離す。

 

水族館よりも、こっちのほうがよっぽどリアルな生き物の日常であることは、幼稚園児には知らなくていいことなようだね。

 

 

 

 

さて。

 

 

 

幼稚園の子たちは、たいてい二列で歩く。となりの子たちと手を繋いで、お話をしながら先生の後を追う。

 

手を繋ぐってなんかいいじゃないですか。恋愛感情が、すでに生まれていたりするのかなぁとか、ちょっとした妄想をしてしまうわけですよ。悪い癖なのかもしれないけど、彼らの会話や表情とかから、それを読み解こうとしたりして。あぁ、大人になったなぁとかちょっとしみじみしながら、手を繋いでいる姿を眺めるんです。

 

彼らの並ぶ順番は、背の順なのか、名前の順なのか、それは知りません。でも、たまに男の子と男の子が手を繋いでいるときもあるんです。

 

そこに対して、何も疑問を抱かない自分にちょっと違和感がありました。

 

「おいおい、男同士で手を繋がせてるのかよ」みたいなことじゃないです。むしろ、幼稚園の子たちが同姓で手を繋いでいても、それは『仲良し』の象徴だなぁと勝手に解釈している。そこがちょっと変だなぁと、そう思ったんです。

 

もしかしたら、彼らには恋愛感情があるのかもしれない。

それを、幼稚園児という属性に基づいて、都合よく、手を繋ぐ理由を、もっと広い範囲にしていることが、違和感の元な気がしてる。

 

 

 

彼らが成長して18才になったとして、手を繋いで歩いていたら、ぼくはその理由を『仲良し』の象徴だなぁと思って見守ることができるのだろうか。

もっと浅はかに、『恋愛』という狭い範囲に、見えている二人の関係を放り込んでしまわないだろうか。

たとえば、片方の彼が、ひとりでは歩けない状態だったらどうだろう。『介護』という理由を、自分の中で作ってしまうのだろうか。

 

 

 

それってすごく、嫌なことだなぁと思ってしまった。

 

同性愛について、なにも個人的な感情はありません。愛の形はそれぞれだし、いいじゃないかと思うほうです。それでも、ふたりの手を繋ぐ理由を、勝手に『恋愛』に落とし込んだり、『仲良し』という理由でほほ笑んでいる。

 

 

 

人間観察が大好きです、どんな感情で人が動いて、日常をすごしているのかを想像して、「ふふふ」と笑えることがすごく好きです。

だから、冒頭の年齢差があるカップルが歩いていると、いろんな妄想をしてしまいます。不倫なのか、それともキャバクラの同伴出勤なのか。いろんな情報を集めようとしてしまいます。

 

 

でも、同性同士が手を繋いで歩いていることに対して、枠組みを勝手に決めても、ぼくは笑えない。「ええなぁ」と素直に思えていない。

 

もしかしたら、ぼくはまだ同性愛というものについて、自分では何とも思っていないつもりでも、すんなりと当たり前のことにできていないのかもしれません。

 

 

 

 

 

たぶん、手を繋ぐ理由は、大きい範囲で「相手のことが好き」でいい。

それ以上に、細分化して『恋愛』とか『義理』とか、そんなことまで追及をしなくてもいいのかもしれません。

 

 

その先に、なんの気兼ねもなく、「ええなぁ」と笑えるものがないのなら、理由を探求する必要は無いんじゃないかと。無理に枠組みを作ってしまうのは、よくない。それはちょっとした差別だ。

 

 

理解しきれていないけど、分かろうとはしている。そんな状態だったら、むしろ、もっと大きな枠組みで物事を捉えておくのがいい気がする。そうしないと、考えても答えは出ないし、分かったつもりで何かを言うことは、恥ずかしすぎる。

 

 

誰かと誰かが手を繋ぐ理由は、「好きだから」それだけでいい。

 

介護をしているのも、好きだから。

義理で繋いでいても、好きだからが隠れている、きっとある。

ただ、好きだから手を繋いでいる。それでいい。

 

 

そんな気がしています。

 

 

・・・・でもやっぱり、年の差でえらいお金持ちそうなおじさまが、若い女の子と手を繋いでいたら、いろいろ考えちゃうんですけどね。愛人なのかなぁとか思ってしまうんですけどね。

 

こりゃ、難しい問題ですよね。

 

 

でも、なんか今日から、考えないことで考えるということが、できそうな気がしてます。

就活に傷つくのは、もうやめよう。

 

 

就職活動をしていたとき、ぼくは会社というものが、これほどまでに平凡な人間の集いだと思ってもいなかった。ぜんぜん面接がうまくいかなくて、内定も貰うことができなかったので、よっぽど凄い人たちが仕事をしているんだろうと、そう思っていた。

 

ぼくが働いている会社が、とりわけ、平凡なのかもしれない。でも、就職活動をこれからされる人たちに言っておきたいことがある。別に、偉そうなことを語りたいんじゃなくて、自分を守ってほしいから言う。

 

何言ってんだとなったら、すいません。でも、置いておきたくて。

 

会社なんて、平凡な人間の集合体だ。

 

 

自分をふくめて、そう思う。けなしてるんじゃなくて、言葉通り平凡なのだ。

 

 

就職して最初の上司は、半年で異動になった。その転勤先は、銀行ではなく、別の会社だった。出向である。いままで30年間、銀行員として働いてきて、とつぜん全く異なる世界へ移る。それも、転職ではなく辞令でのこと。決心もくそもない。

50歳をこえる大人のしょげている背中は、とてつもなく寂しかった。

 

 

「ほんまに嫌だし、最悪やわ」と上司は本音をもらしていた。その姿をみて、「あぁ、なんや、ふつうの人間やん」と、そう思った。勝手に、社会人は転勤や出向をものともしないと思っていたけど、嫌なものは嫌なのだ。

 

 

 

社内では、いつもみんながみんな仕事のことを考えているわけじゃない。どう考えても、奥さんと喧嘩したとしか思えない人が、とてつもなく悪い空気を作ったりする。かと思えば、娘の誕生日だからとご機嫌にふるまったりもする。

ひとりの家庭状況に振り回されて、ぼくたちは背筋を伸ばしたり、声のトーンを変えたりしないといけない。上司や同僚の数だけ創意工夫が求められる。

 

今日の天気予報を確認してくるより、会社の人たちの朝の表情を見るほうが重要だ。天気がどうか、仕事がどうか。そんなことよりも、自分が無事に家に帰ることができるかを気にするべきだ。

 

もっとしょうもない理由もあると思う。パチンコで負けたとか、不倫がばれたとか、阪神タイガースが調子悪いとか、こんな理由で不機嫌に巻き込まれることが会社ではしょっちゅうある。

 

 

イジメだってある。あの人は空気が読めないとか、直接言わずに、聞こえてそうな場所で話している人もいる。若い女性社員の愚痴をきいている、その中年のおやじの顔は、とてつもなくニヤけていたりする。その人が、いろんな女性社員に毎日ラインを送っていることは、みんな知っている。愛人関係にある部下をつれて、前に働いていた支店を訪れる偉い人もいたなぁ。

 

 

 

こんな人たちが、それなりに仕事をして、お給料をもらって生活をしているのが会社です。ぼくなんか、仕事の半分はサボっていますし、昼寝のしすぎで頭痛薬を飲む時だってある。

 

 

サボりたいし、人見知りはするし、転勤はいやだし、彼氏と別れると機嫌が悪いし、自分が調子がいいと周りに明るくするし、イジメっこはいるし、エロおやじもいるし、愛人を見せびらかしたい。そんな人たちが、会社にはいっぱいいる。

 

 

 

就職活動をしていると、たくさん面接を受ける。面接官は、いわばこっちの運命を握っているわけで、この人に好印象をもってもらうかどうかに必死になる。なにか難しい顔をして、志望理由や自己PRを聞いているけど、頭の中は、息子の受験結果でいっぱいだったりする。

 

それなのに、ぼくたちはどうしても、面接官の人をとても偉い人だと思い、御社のことをとても徳の高い存在だと勘違いしてしまう。何も考えていない人とかに、ちょっと偉そうに指摘を受けたことを、真に受けて凹んでしまったり、閉じこもってしまったりする。

 

 

その面接官を、ゴリゴリにつめている上司がきっといる。

 

 

嫌味なことや、バカにされたような態度をとられたり、お高くとまった話し方をされて、結果的に落とされてしまっても気にすることはない。面接官という役をおりたら、その人たちは自分たちの部署で、やたらめったら上司に怒られている。「でへへ」なんて頭をかいて、うまいこと逃れようとしたりする。

 

何も考えていない人に限って、うまく言うことに慣れている。ぼくもたぶん、面接官をやれって言われたら、それなりにグダグダ就活生を困らせることができると思う。考えているように見せるのが、社会人はうまいのだ。そうやって、パフォーマンスをすることで、なんとかやっていく、そんなサラリーマンがほとんどだ。

 

とつぜんにチャンスタイムの音楽が鳴り、立場が逆転したとする。

 

面接官が就活生に、就活生が面接官になったとして、話している内容を比べたとすると、きっとみんな、汗を流してしどろもどろだ。下手したら、あなたのほうが、しっかりしたことを言っているかもしれない。

 

 

御社は、御社である以上、いつまでも就活生を特別扱いはしない。

 

人事部は、採用活動をすることでお金をもらい、子供を大学に通わせる。面接官は、休日出勤の手当てをもらって、翌日は競馬場へ向かう。

 

 

それぐらい、社会人は就活生が思っているよりも平平凡凡だ。みんながみんな、自分本位で動いている。人生をささげて仕事をしているのだから、当然だ。

 

 

ちょっと機嫌が悪い日だから、面接官が厳しかったりもするだろう。前の日の合コンでうまくいったから、就活生にやさしいイケメンの採用担当もいるだろう。そんなことに、一喜一憂しないでほしい。

 

 

 

消費される側に、どうかならないでほしい。

 

必死な姿を、その日の夜の話ネタにされないでほしい。

 

ぼくは何回でも言いたい。偉い人も、スマホゲームをして、部下にハートを送ったりしている。Facebookに、マラソンに参加して完走した喜びを絵文字たっぷりで報告している。スポーツ新聞の風俗欄を眺めている。娘の反抗期に、寂しさを感じていたりする。

 

 

そういう平凡な人間が、会社をやっていると思ってほしい。

 

 

むやみに傷ついたり、落ち込んだり、そんなことはしないで、いい会社と巡り合ってほしい。面接がうまくいかなかったり、偉そうなことを言われたらこう思ってほしい。

 

 

その人は今日も朝の通勤で、必死にパズドラをやっている。イヤホンから流れる音楽は、あなたも大好きな乃木坂46の表題曲で、月曜日だからコンビニでハンターハンターを立ち読みする、そんな平凡な人だ。

 

 

無理せず、就活に挑んでほしいなあ。

 

 

こうやって人には言えるけど、でも、ぼくも転職活動をしている身です。

不採用で落ち込むし、書類選考は通らないし、行きたかった会社から連絡は無いし。

 

 

自分ができないことを、人に言いたくなるのは、面接官もおなじですね。

前夜が好きだ。

 

前夜が好きだ。

何かが起こる、前の日の夜。

 

布団の中で、ああでもない、こうでもないと色んなことを考える時間。明日になったら、もうこの時間は帰ってこない。

 

 

ドラえもんの劇場版には、「前夜」が頻繁に描かれる。

 

 

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藤本先生は意図的に(たぶん)、前夜をはさむようにしている。敵と出会って、そのまま戦いに移るのではなく、「明日の朝が決戦だ!」という流れがあって、夜がやってくる。

 

 

映画を観ていても、コミックスを読んでいても、この前夜が訪れるシーンにぼくはワクワクしてしまう。ドラえもんが出した、何かしらのシェルターにみんなが泊る。明日は大変だぞって言いながら、みんなでその恐怖を乗り越えようと、明るくふるまう。好きなものをたべ、しずちゃんはシャワーを浴びる。のび太は、旅先で出会った仲間と、一緒に空を見上げる。

 

 

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それぞれが、色んな思いを抱えて、明日になるまでの時間を過ごす。その前夜は、今しかない、答えも出ない夜になる。

 

 

 

 

・前夜は、決心の時間。

 

 

約三年前の3月31日、ぼくはまぎれもなく前夜を迎えていた。明日からは、社会人になる。どうしても逃げられない朝がやってくる。人生という、とてもながい戦いを前にして、祖父の家の二階の窓から、路上に咲いている桜を眺めたことをすごく覚えている。

 

こわい、こわくて仕方ない。明日からは、お金に困ることはないだろう。でも、その分、厳しい社会が待っている。そう思うと、眠るにも眠れず、24時をすぎるまでは大学生である自分を、どうしても大切にしたくて、布団を飛び出した。

 

 

 

 

 どんな人生になるのだろう。

 そもそも、銀行員になんてなりたくなかった。

 あぁ、ここから地獄の毎日だろうなぁ。

 でも、グダグダ言ってても時間はすぎるし、

 とりあえず何とかやってみるしかないなぁ。

 陰気臭いのは嫌われるから、挨拶はちゃんとしよう。

 

 

そんなことを考えていたら、ただただ時間が過ぎる。でも心を決めないと、眠れないような気もする。眠れないと、明日からはいつもより2時間も早く起きないといけないから、自分が苦しくなる。「寝坊してもうた・・・・まぁえっか」は許されない。

 

 

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そんなことをぐるぐる考えていたときに、行きついたのが二階から桜を眺めることでした。もう充分に悩んだじゃないか。これ以上、いまの時間を怖がっていても仕方ない、そうだ、ぼーっとしよう。そう思ったことを覚えています。

 

気づけば、布団に入っていて、朝がきて、ぼくは社会人になっていました。

 

 

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いま振り返ると、社会人前夜というあの時間は、とてつもなく大切な瞬間だったと思います。

 

勇気や決意といった、避けて通ってきたものと、真っ向から対峙する。でも、結局、どうすることもできずに何とか逃げる場所を探して、外を眺める。

こうやって、ここからの人生は進んでいかないといけないんだと、気づかされた瞬間でした。それはもしかしたら、逃げてるわけじゃなくて、戦ってるってことなのかもしれない。

 

睡眠不足で、そのまんま眠ってしまっていたら、味わうことのできなかった葛藤。藤本先生が描く、のび太たちとおなじように、ぼくも前夜を過ごしていたのです。

 

 

みなさんは、どうでしょう。どんな前夜を過ごしたことがありますか。

 

 

 

 

・前夜は、ひとりじゃない。

 

のび太結婚前夜という素晴らしいエピソードをご存知ですか。のび太ドラえもんが、将来しずちゃんと結婚する未来を確かめに行くのですが、結婚式の前夜に行われるやりとりを描いた名作です。

 

その中で、しずちゃんがお父さんに結婚を辞めると切り出すシーンがあります。私が出ていくことで、いままでたくさん愛してくれたパパとママを寂しい思いにさせてしまうことが嫌だと告白するんです。

 

そこでお父さんは、こう返します。

 

 

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有名な1ページですよね。この話をみて、涙ぐまないお父さんはいないのじゃないのかと、個人的には思ってしまうぐらい、美しい。いつか、じぶんが父になったときに、娘の結婚前夜はどんな気持ちになるのか。こんな感情になれたらいいなぁと、そう思います。

 

 

ひとりにとって、とても重大な前夜は、じぶんに関わってくれた人たちにとっても、特別な前夜なんです。明日、社会人になる自分に、両親はどんな感情を抱いていたのか。それは、まぎれもなく特別な夜。

4月1日も、変わらずに仕事へいく未来が待っていても、息子の人生に自分たちが関わってきたからこそ、やってくる前夜。

 

 

 

妹がこの春、社会人になると聞いて、あの時のぼくみたいな前夜を過ごすのかなぁと思ったら、ちょっとだけ感傷的になります。

でも、自分からは何も言葉はかけません。しずちゃんが結婚する前夜、ひとりで時間をすごしていたパパのように、ぼくはボーっとしていると思います。でも、そこにはちょっと感慨深いものはある。

 

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今日も、きっと誰かの前夜が訪れて、それにかかわるたくさんの人たちが、おなじようにいろんなことを考えて、空を見上げている。それは、藤本先生がドラえもんのなかでたびたび描いていた前夜と似ていると、ぼくはそう思うんです。

 

 

 

 

もうすぐ、春がやってきます。新しいスタートを切る人がいっぱいいます。

今日、大切な前夜を過ごしている。そんな人たちがたくさんいると思うと、ぼくには何も待っていなくても、この夜がすごく好きになってしまう。

 

 

 

 

前夜は、きっと、ひとりきりじゃない。

 

 

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ひとりで布団に入るけど、何人ものじぶんの味方が一緒の夜を過ごしていること。

それがちょっとした勇気をくれるはず。だからこそ、悩みすぎず、好きなカツ丼をたべたり、シャワーを浴びたり、歌をうたったりしなくちゃ。

 

特別な夜だけど、特別にしようと思わなくたっていい。振り返ると、その夜は、かけがえのない決心の前夜になっているはず。

 

そう思っています。

 

だから、前夜が好きなんです。

夫婦

 

夫婦のあいだに、座ることがよくある。食卓を囲んで、お昼ご飯を食べたり、お茶をしているとき、ぼくはふたりのあいだにいる。営業もそこそこに、出された食べ物をもらう。いつも話の中心は、家の住人であるふたりだ。

 

そして、「あんたは、こんな旦那さんになったらあかんよ」なんて冗談めいたことを、ご主人の愚痴を言いながら奥さんが口にする。それに対して、何を返すでもなく、へいへいと笑っている。

 

 

こんなやりとりが、頻繁にある。今日も、気づけば1時間ぐらい、夫婦の会話にぼくは挟まれていた。お孫さんの話や、昔の仕事の話を、ふたりは笑いながら語り合う。

 

 

帰り道、自転車をこぎながら思う。

 

 

「ぼくが帰ったあと、ふたりはどんな会話をしているんだろうか」

 

 

あの夫婦の会話に、じぶんは必要だったのかを、ちょっと考えていたのだ。

  

どうだろう。

 

 

ぼくに結婚のことや、息子の仕事話をすることで、夫婦は昔を懐かしみ、語りだしてくれる。家族の在り方について、ずっと考えていたことを教えることで、ご主人への愚痴を笑いながら消化する。

 

これって、夫婦がふたりきりでコタツを囲んでも、できない会話なのじゃないだろうか。さんざん、人生を一緒にしてきた夫婦がそんな会話を毎日するとは思えない。3人だからこそ生まれる会話が、そこにはある。

 

 

奥さんの話をふむふむと聞いて、ご主人に話をふる。苦笑いしている返答に、「ですって!」と笑いながら振り向く。そのやり取りの中で、なるほどなぁと思ったことを、詳しく話を聞く。それが、なんだかとても心地いい。

 

 

そうだ・・・。

 

 

やめなきゃなぁと思うのだけど、自分の存在意義について考えることが多い。

 

まだそんなに慣れ親しんでいないけど、でも、これから仲良くなっていきたいと思っている人たちと会うと、いつも肩に力が入る。何気ない雑談なのに、なにか爪痕をのこそうと意気込んでしまって、誰かを傷つけたり、迷惑をかけたりする。最近、そのことについてすごく悩んでいる。

 

ずっと憧れていた場所に身を置くことができても、数少ない時間で、どうすればそこにふさわしい人間になれるのか、焦ってしまう。

 

別に、存在意義なんていらないのに。そこに、いてもいいって言ってもらっているだけで、ありのままを受け入れてもらっているはずなのに。そんなことを考える余裕が、あんまり今はない。

 

 

 

 

 

「お父さんはね、わたしとお見合いするときに、実は好きな人がおってんよ」

 

奥さんが今日、とてつもない爆弾を落とした。ご主人も、ちょっと焦りながらも笑っている。ぼくは、声には出さないけど、すげぇ!すげぇ!と話の展開に身をよせて走っていた。そして、ご主人に話をふる。

 

「どんな人だったんですか?」

 

「この人とは真逆の性格や(笑)」

 

ただの爆弾を、ちょっとだけやさしく。それぐらいが、ちょうどいいのかもしれない。そこに座らせてもらえる関係性を、作ることを大切にしたい。

 

 

 

親からたまにlineが届く。

 

「次はいつ帰ってくるん?」

 

きっと、ぼくを囲んで話をしたいんだろう。お客さん夫婦のように、みなさんのお父さんお母さんも、きっと同じようなことを求めている。ぼくの両親も。夫婦だけじゃない、ふたりきりでは話せないことも、3人なら話せることがあったりする。

ふたりは、ふたりのようで、ふたりじゃない。

 

 

 

 

その話題に自分がいなくても、自分がいなきゃ始まらない会話が在ることを、もっともっと認めていきたい。

 

そうしたら、ちょっとは、肩の力が抜けて、素直に人と話せる。そこい居れる気がする。実家じゃなくても、好きな場所なら。

 

 

そんなことを、夫婦の姿から教えてもらった。

だったら、ふたりきりがちょっとぐらい会話がなくても、別にいいよね。

お風呂型タイムマシン

 

突然だが、わが家にはタイムマシンがある。のび太の部屋には、勉強机の中に。ドクとマーティーはデロリアンが。たしか、コインランドリーの洗濯機がタイムマシンだった映画もあったと思う。

 

ぼくの持っているタイムマシン、それはお風呂の形している。だいたいそれに乗るとき、ぼくは全裸になってタイムトラベルをしている。ターミネーターがやってきたとき、彼が裸だったのは、きっと同じ物を使用したからだろう。それぐらい、お風呂型のタイムマシンは、その世界では人気なのだ。

 

 

では、どうしてお風呂型のタイムマシンが人気なのかを説明したい。

 

 

もしよろしければ、みなさんの家にも導入してもらいたい。その際は、ぼくに紹介してもらったと業者に言ってください。別に、マージンをもらっているわけじゃないよ。ちょっとしたご褒美がもらえて、みなさんがまた友達に紹介したら、またぼくにご褒美がもらえるんだ。

 

 

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・お風呂型タイムマシンとは

 

 

ぼくはいつも、お風呂で考え事をしてます。なにぶん、燻ってるもんでして。

 

いい映画を観たら、どうして自分が思いつかなかったのか悔しがったり、大好きだったアーティストが大好きな漫画の歌を作っていたら、ちょっと嫉妬してみたり。面白いCMがあったら、どうすればこんないいアイデアが生まれるのだろうか。文章を読んで、なんでこんなセリフが思いつくんだろうか羨ましくて仕方ない。

 

 

ぼくもそんな風になりたいと思いながらも、同じことをしても意味がないと自制し、でもやっぱり悔しくて、お風呂でうなり声をあげるんです。

 

とくに、インターネットという世界に飛び出して、余計にその嫉妬する回数は増えました。周りには、面白い人たちがいっぱいいるからです。同時に、お風呂に湯をはるので水道代も跳ね上がりました。

 

お風呂ってのは、そうやって「うぬうぬ」と悩んでいるあいだも、体を温めてくれます。全裸で悩んでいるので、誰にも邪魔されず、情けない自分と面と向かって対峙できます。タイムマシンに乗り込むのは、そうやって、嫉妬の湯気がじぶんを包んできたときです。

 

 

 

 

大好きな映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では、こんなシーンがありました。

 

 

主人公のマーティーが、自分がまだ生まれる前の世界で大好きなチャック・ベリーを演奏する。その音楽に感銘を受けたある男が、デビューする前のチャック・ベリーに電話をかけて、その演奏を聞かせるのです。「こんなイカした音楽知ってるか?」なんてことを言ったりする。

 

 

これは、大好きな曲は実は自分の演奏がもとになっていたという、タイムトラベルあってこそのギャグです。

 

あとは、こんなシーンも。

 

 

マーティーが、お父さんとお母さんをひっつけるため宇宙人に変装する。現在の世界にもどってきたとき、冴えないサラリーマンだったお父さんは、職業が小説家になっている。その小説のヒントは、実は彼の変装した宇宙人がもとになっている。

 

 

未来を別の世界に変えてしまう、タイムパラドックスというやつです。ドラえもんでも、たまにあるやつですね。

 

ぼくは、素晴らしい作品やアイデアに出会ったとき、それと同じことをするために、タイムマシンに乗り込みます。つまり、一種のタイムパラドックスを起こすのです。

 

 

 

そのアイデアはどこからきたのか、自分なりに仮説を立てる。笑いの構造とか、表現のもとになっているものを探す。ただ答え合わせをするために、その人のインタビューや本を読むのもいいのですが、どんな現象がヒントになっているかを作ってしまうんです。

 

そうやって、自分の頭のなかで、アイデアまで辿りつく道筋を作る。

 

 

 

ぼくが大好きな笑いを紹介します。

 

 

三谷幸喜さんと小林聡美さんがご夫婦だったころ。ふたりの飼っていた猫の名前は、『おとっつぁん』だったそうです。

「おとっつぁんが、朝起きたら冷蔵庫の中で死んでいた」

飼っていた猫の話をふたりがしていたら、隣のおばさんがすごい表情でみていた。おばさんは、会話だけを聞いて、お父さんが冷蔵庫で死んでいたのと勘違いしたという話です。

 

 

こういった、好きな笑いがあったとき、自分だったら、どんな経験があったら思いつくかを、ひたすらしつこく考えます。0から1の道を、自分で勝手につくる。

 

三谷さんが小林聡美さんと結婚する前にタイムトラベルをして、喫茶店でその作った話をするんです。

 

 

「このあいだ、アニキがようやくお手をおぼえたんよ、ほんと首輪も嫌がるし大変」

 

 

なんて飼っているペットの『アニキ』について、会話を三谷さんに聞かせるんです。

(やっぱりオリジナルが面白すぎるのですが・・・・そこはお許しを)

 

 

自分が起こしたタイムパラドックスで、お風呂をあがって観た映画ができていると思い込む。そうすれば、すんなりと、色んな好きなものについて自分なりのたどり着き方を持てるし、何かに使える気がしてくる。元ネタを知らなくても、これだったらできる気がしてきます。

 

 

自分だったら同じ構造を使ってどうボケるか。それを、タイムマシンにのって、本人より先にやった気分になって帰ってくるのです。

 

 

 

・・・・なんだか自分に言い聞かせてるだけじゃないかと、おもっていませんか。

 

そうです、その通り。言い聞かせているんです。でも、嫉妬というのは、そうやってこそ、血となり肉となる気がするんです。そうしないと、ほら、いつまでたっても憧れてばっかりじゃ、苦しくなっちゃうから。

 

大好きなものを、大好きで終わらせたくない。そんな気持ちもあるんです。

 

 

 

「ぼくが先に生まれていたら、思いついてたアイデアだった」と思うこと。

 

 

完全な敗北ですが、でも、逃げ出すよりはずっとマシなのじゃないかな。だから、今日もぼくは家に帰って、全裸になって、いま「すげぇなぁ」と思ったことを自分なりに解釈して、タイムマシンに乗り込み、教えに行くのです。

 

 

 

 

ちなみに、向こうで服を急いで買ったりするので、家は古着だらけです。安いからではないですよ、一応、当時のトレンドだったりするんですよ。

 

・・・・何言ってるんでしょうね。

とにかく、う~ん、ぼくはタイムトラベル系の映画が好きだし、お風呂で考えている時間が好きだってことです。

 

 

後出しじゃんけんで、思いつかないアイデアは、きっとない。

 

 

たいせつなのは、それを追い抜いていくことなんだろうなぁ。でも、それは、タイムマシンに乗ってもどうにもならないことなので、お布団に入って今度は、オリジナルで悩むのです。

 

 

悩み続きの毎日だなぁ。

 

 

みなさんも一家に一台どうでしょう、お風呂型タイムマシン。

ご契約の際は、なかむらの紹介だと業者に言ってくださいね。

職務経歴書が難しい。

 

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転職活動をするにあたって、職務経歴書を作っているのですが、これが難しい。仕事の実績や、どんなことを意識して取り組んでいるのかを書くのだけど、あまりにも書けることが少なくて、気分がちょっと落ちてくる。仕事を変えたいのに、仕事を変えられる自信が消えていくのです。

 

 

まわりまわって、語り口調で書いたりしたけど、しばしの沈黙があってパソコンを閉じる。

 

 

やってみます。

 

 

 

 

やぁみんな、ぼくの仕事を紹介するよ!

地方銀行の営業グループに所属、勤務経歴はもうすぐ3年。担当は個人の資産運用で、いろんな相談をうけるんだ。

 

投資信託・保険・定期預金なんでもこいなんだけど、時に、晩ご飯のレシピだったり、お孫さんの縁談について相談受けることもあるんだ。

 

なんでも相談してくださいね!って言ってるし、ちゃんと一緒に考えるんだけど、中には答えきれない質問もある。たとえば、愛人へのプレゼントだったり、うーん、夫婦仲の問題だったり、なかなか難しいんだなぁ。

 

「生きるとは?」って話もしたりするけど、人生の先輩がくれる言葉はすごいリアル。

 

 

「はじめて風邪を引いたけど、こりゃしんどいね」

 

「50年ぐらい、演歌をかけ続けて立ち飲み屋をやってるけど、本当はわたし洋楽のロックが大好きなのよ」

 

「仕事なんて、逃げるが勝ち、あんたも早く逃げなさい」

 

 

などなど、僕みたいな若造が普通に言ってたら軽く聞こえる話は、生きてきた年数があって、どしんと心にきます。

 

 

営業なんでノルマは、たっぷり!

 

毎月7000万円ぐらいの投資信託・保険の販売と、定期預金と年金と公共料金とクレジットカードと、あれとこれとこれと、山ほどあるんだぁ。

 

最近思うんだけど、投資商品よりも、自分がいいなぁと思う製品をすすめたほうが、販売実績が上がる気がしてる。お金を増やす、減らすよりも、「たのしく使う」ということを提案したいなぁ。

 

「これだけ利益が出たら、新しい冷蔵庫を買いましょう!」

 

「旅行に行く場所を決めて、5年後に向けて増やしましょう」

 

なんて話をしてる時は、ちょっと楽しかったりする。未来の話は、楽しくなくっちゃね。

 

 

年金が減ってくるとか、入院費にお金がかかるとか、それはそうなんだけど、結局、遊ぶためのお金が減ることが、人生をちょっと面白くなくさせてるってことだからさ。渡された、不安を煽るパンフレットは、その日にシュレッターしてるんだ。

 

 

あと、仲良くするために、あの手この手を使うよ。家に入ったら、カメレオンのようにそこら中を見回す。ポスターとか、本棚とか、写真とか、ありとあらゆる物でお客様と接点を探すのです。営業できてるけど、すっ飛ばして仲良くなるから、話がすごく長くなるんだぁ。

 

獲得ないのに長話してしまって、そんな時もたまにあって、最終的に支店に帰りづらくなって公園でスズメに餌をやることもある。虚しいね。

 

でも、そうやって時間をかけたお客様は、ほかの競合様には相談してないことをしてくれたり、ご家族を紹介してくれたらする。尻上がりな人間関係を目指しております。

 

 

自転車で営業していたら、そこら中から声をかけてもらえて、お昼ご飯をもらったりなんかもしてるんだけど、こりゃ、たぶん、「こち亀」の両さんにみたいな感じに近づけてるかも。

そろそろ、お孫さんのラジコン修理を頼まれそう。表札の設置は、やったことあるよ。

 

 

どうでもいいことをたくさん仕入れるようにしてる。小ネタや、新聞のすみっこ、お客さんの地元が出てたら切り抜いたりもする。

 

営業成績というより、仲良くなることを楽しんでやってるんだけど、最近気づいた、ぼく、若者の友達はすくない。笑

 

 

あっ。

 

提案して終わりとか、その場しのぎの営業で、最近、NHKで銀行の営業がすごく問題視されていたのを知ってる?元営業マンが告発したりしたんだけど、ノルマが厳しすぎて、年配の方に理解できてない商品を無理やり売ったりしてるって話。

 

あれはやっぱり、関係性の構築や、信頼を切り売りしているところに問題がある気がする。本当にいいと思える物を提案しないと、最終的に悲しい終わり方を迎えてしまうからね。あと、ノルマを達成できなくて、物を投げたりしちゃう上司さんもアウト。金属バットで打ち返したいね。

 

 

とにかく、人間関係にとことんこだわって仕事をしているんだぁ。だから、クレームは一度もなくやってこれてる。引き継ぎで、要注意と言われた人も、いまは温かく迎えてくれてることは、良かったと嬉しくなること。 

 

 

 

 

 

はい。こんなことを書いてました。

 

職務経歴書というか、仕事についてダラダラと語っているだけになっていて、でも、こうやって書かないとうまく言えないんだなぁ。

 

実績って何だろう。成約の金額なのだろうか。それだったら厳しいなぁ。

 

だって、ノルマなんて達成できたことないもん。迷走してますなぁ。