得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

百貨店の地下街には、かっこいい大人がいた。

 

大学生活で、アルバイトをいくつか経験した。

 

家庭教師は向いてなかったみたいで、3か月経ったある日、「すいません、来週から夏季講習に通います」と事実上の解雇を宣言された。

 

そのあと、警備の派遣バイトをやった。時給1000円で休憩が1時間に1回あると聞いて、最高だった。はじめての現場で、運転免許も持っていないのに観光バスの誘導を命じられた時は絶望だったけど。神戸ルミナリエの警備では、お子様をかたぐるましているパパを注意する仕事をした。なでしこジャパンが、ワールドカップで優勝した年、澤選手たちをフーリガンから守る警備もあった。結局、なでしこのファンはとてもマナーがよく、ぼくは1人で誰もいない広場に立ちつづけてお金をもらった。19歳で、神戸の成人式の警備もした。自分より、確実に年上の人を注意していいという特権も貰ったにもかかわらず、そんな出番は来ず、きれいな女性の振袖姿をさがしてお金をもらった。

 

 

それからしばらくして、大学の先輩の紹介で、しっかりとシフトを出してタイムカードを押すバイトをはじめた。それが、百貨店のお肉屋さんでの接客販売だった。地下にある食品街で、透明なケースに入った高そうな牛肉、豚肉を量って販売する仕事。時給は下がったけど、とにかく忙しいお店だったから、時間が過ぎるのがとても早かった。3年間続けたことで、手の感覚は成長し、グラム誤差を5g以内で、一発で量ることができるようになった。

 

 

アルバイトをするってことは、誰かに雇われるということです。現場に行けば、たくさんの大人がいるし、百貨店の地下街も大人の社会でした。たくさんの大人に出会って、いちはやく『コンプライアンス』という言葉を耳にするような経験をしたし、煙草を吸って絶望のような顔をした人生の先輩を見てきたわけで。でも、お肉屋さんで出会った店長はとても良いひとでした。正しく言うと、2人目の店長が良い人でした。

 

 

「ちゃんと飯食ってるの?」

「光熱費払ってる?」

 

 

はじめて店長にご飯を連れて行ってもらった日は、まったく覚えていない。だけど、基本的にラストまで仕事をした日は、かならず店長とご飯に行った。もちろん、頻繁に電気が停まるような生活をしていたので、ぼくがお金を出すことは一度もなかった。実家から送られてきた、10㎏のお米を家まで持ってきてくれたり、お肉をご馳走してくれたり。金欠で、コンビニに行くお金がないとき、黒毛和牛のステーキを食べて学校へ行くような訳のわからない学生生活を過ごしました。

 

 

ぼくがコピーライターを目指していると聞いたら、百貨店のチラシの言葉を書く仕事をくれたこともあった。渾身の1行は、きれいに赤ペンでありきたりな言葉に変えられて「ありきたりじゃないと、お客さんは買わないよ」と笑われたり。大量のステーキ肉を渡されて、「これ全部売ったら、晩飯にステーキ食えばいいじゃん」なんて煽られて、晩ごはんは豪華な外食だったり。

 

 

先日、店長と2年ぶりに会った。いまは、ちがうお店に移動していらっしゃるようで、会議でこちらに来ていたそうだ。お誘いを受けた時点で、おごってもらえることは分かっていたのですが、分かっていながら喜んでいける大人って就職してからもいないなぁと思ったりしながら、大阪駅で待ち合わせ。

 

 

「ちゃんと飯食ってるの?」

「光熱費払ってる?」

 

 

会ってすぐに、あの頃とまったく同じ質問を店長はしてきた。「一応、収入はあるので…」と苦笑いしながら返すと、そりゃそうかと悪い笑いをしてはった。お寿司がいい?と聞いてきたのは、ぼくがバイト中にいつも「肉より、魚のほうが好きなんです」とぼやいていたから。相変わらず、なんでも言えるような雰囲気で、結局なんだかんだで数時間後お話をさせてもらった、もちろん、ご馳走になって。

 

 

「そういえば、マスコミ志望だったもんねぇ」

 

 

仕事の話をいろいろしていると、就活時代の話になった。岡山の放送局を受けるとき、交通費がないぼくに「岡山の友だちに会いに行くからさぁ」と車に乗せて連れてってくれたことがあって。その日の晩は、岡山の魚屋さんの店長と、店長とぼくでご飯を食べるという変な組み合わせでご馳走になった。結局、就活はぜんぜんうまくいかなくて、何か月かバイトを休んでいたが、卒業前に復活したときには、また頻繁にご馳走になった。

 

 

ノルマに追われていた店長だったけど、一度もぼくたちにそのプレッシャーは出さず、それなりに仕事をすることだけを求めてくれた。だからこそ、ステーキは全部売ろうと思ったし、雑談するのがすごい楽しかった。「それなり」という力加減を、ぼくに教えてくれたのは店長でした。頑張りすぎず、のらりくらりでも生活は続くし、それで楽しいならいいじゃないのという生き方。

 

 

いま、ぼくは、毎日ノルマに追われている。できるわけのない数字を課せられ、変なプレッシャーをかけられて仕事をしている。同期の子は、パワハラを受けて、何人も会社を辞めた。のらりくらりで、やっていけない状況の子もたくさんいるのだ。店長だって、たまにボロクソに電話で怒られている姿を見た。

 

 

「やる気あんのか?って聞かれたんだよ。あるわけないじゃんか~」

 

 

関西の人じゃないので標準語に近いイントネーションで店長は笑う。ぼくも、対等の立場(おごってもらってるけど)で話をできるようになった。バイトと店長という関係とは、また違った関係性で仕事について話す。ふだん、ぼくがどんな営業をしているのか、上司はどんな人で後輩はどんな子か話す。

 

 

 

「いっつも、誰かにごはんご馳走してもらってるじゃん」

 

 

関西の人じゃないので標準語に近いイントネーションで店長は爆笑した。たしかに、ぼくはいつも誰かにごはんを食べさせてもらっている。営業をしていても、お客さんの家でお昼ご飯をご馳走になるし、お土産があったりだってする。誰かに助けてもらって、生きていると実感する。お肉屋さんで働いていた頃と、誰かにしてもらっていることは変わらない。

 

 

「よかったんじゃないの?うちでバイトしてて」

 

 

ぼくもそう思った。たくさんの大人と接することで、嫌な思いもいっぱいしたけど、良い大人にも出会った。お肉を切る職人さんにもかわいがってもらって、卒業祝いに大量の使わなくなったネクタイをもらったし、パートの女の人には旦那さんが着なくなった服をもらった。父親が着ていますが…。人当たりが良かったら、もっと就活がはやく終わっていたはずなので、理由はよく分からないけど、運が良かっただけなのかもしれないけど。でも、コミュニケーションを大切にするということを、お肉を量りながらぼくは学んでいたのかもしれない。店長に教えてもらったのかもしれない。

 

 

 

「お前はさぁ、とにかく今の営業のことを本にして、放送作家になれよ」

 

 

二軒目に行った、落ち着いた珈琲をグイと飲み干して、店長は立ち上がった。お酒は、ぼくがあんまり得意ではないので、いつも食べ物がおいしい場所か、静かな場所に行くことが多い。店長は、転職する気はないみたいだが、ぼくにはやりたいことをやれと言った。親でもないから、言いやすいのかもしれないけど。だけど、割り切って仕事をしてプライベートを楽しめとは言わなかった。お前の夢なら、どうやって近づけるか考えたらいいし、お前は面白いからやれるんじゃないのかと、「それなり」のテンションで話をして。また遊ぼうと、言って。

 

 

 

「売り場にさぁ、友達がいないんだよ。

 バイトに波瑠に似たかわいい子がいたんだけどさぁ、

 卒業しちゃってさぁ。

 いまはシフトにうるさいはおばさんしかいないんだぁ~」

 

 

頭を抱えながら、苦笑いしながら伝票を持ってレジへ行く。もちろん、ご馳走になって。ぼくは神戸行きの電車に乗って、店長は北陸行きのサンダーバードで北陸へ帰って。

 

 

ぼくが大学時代に出会ったいちばん信用できる大人は、

かっこいい人です。

「劇場版 ぼくと夢の国」 

 

幼稚園のころに、はじめてディズニーランドへ行った。連れて行ってもらった。母に起こされたら、布団で寝たはずが、なぜか車の中にいて。「まっすぐ見ときや~」と父に言われて、高速道路をぼーっと眺めていた。どこにいるのか、なぜ車の中にいるのか、何もわからずしかも眠たい。しばらくして、ぼくの目の前に現れてきた建物が、シンデレラ城であると気づいて、驚きはしゃいだ。

 

 

「え、ディズニーランド?」と聞いたら、

「ちがうで似たような建物やで」と父は言った。

 

 

あの時は、何がなんだか分からなかったけど、きっと父も母もニヤニヤしていたに違いない。なんてたって、前日に一緒にディズニーランドの雑誌を読んでいたからだ。どんな乗り物があるかとか、ミッキーの家がどうとか。とにかく、「ディズニーランドに行きたい」と叫んだ覚えがある。しっかりと、ネタふりをした上で、布団で就寝したぼくをこっそり車に乗せて、夢の国まで運んできたのだ。あの頃の、ふたりの顔や会話を知りたくて仕方ない。ぼくが寝ているあいだ、どんな会話をしていたんだろう。そういう意味では、100点満点のリアクションをした自信がある。

 

 

 

 

 

なつやすみ、神奈川県川崎市。JR登戸駅から出るバスに乗って、となりの席に座った家族を見て、ぼくはディズニーランドにはじめて連れて行ったもらったことを思い出していた。

 

 

ドラえもんがいっぱいなんだよね!」

「これパーマンでしょ?」

「あっ、あっちはコロ助だ~」

 

 

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パーマンで統一された夢のようなバスは、たくさんの家族連れとウキウキのぼくを乗せて進む。「いまから通る橋には、ドラえもんが隠れているんですよ~」運転手さんの案内で、みんなが窓の外を見た。ぼくも、ドラえもんを探す。そして、わぁ~とみんなで言う。

 

 

10分ほどバスに揺られて、徐々に近づいてくる建物。「あっ、あれや~」ぼくが幼稚園に通っていたら、きっとはしゃいで小躍りをしているはず。つきました、兵庫県からやってきまして。

 

 

 

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川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

 

 

 

「SF…すこしふしぎな世界をお楽しみください」

運転手さんが、またぼくの心を躍らせてくる。バスを飛び降りたのは、いつぶりだろう。もう、大好きで、大好きでたまらない藤本先生のミュージアム。ずっと来たくて来たくて、ようやく念願をかなえました。

 

 

 

ちょうどいま、コロコロコミックが40周年を迎えるため、原画展をやっていました。ぼくが小学生の頃に、毎月発刊を楽しみにしていた漫画雑誌。その表紙には、いつもドラえもんがいます。劇場版ドラえもんの連載は、いつもコロコロでされていて、その原画がたっくさん飾られていました。ドラえもんの映画は、ほんと大好きで、どれがいちばんかなんて選べないぐらいで。その実際の原稿が、各作品の解説といっしょに並んでいる。

 

 

「劇場版 ぼくと夢の国」

というタイトルがついてもええんちゃうかと思うぐらいの時間。

 

懐かしい…

 

しばらく、父とはじめてふたりで観に行った映画『のび太と銀河超特急』を見つけて、その絵をずーっと眺めていました。母と映画を観に行くと、いつも感想文を書かされる変わった教育を受けていたので、父と観に行ったときはすごく気楽だったなぁと思い出したりしました。パンフレットも買ってもらったことを覚えているし、すごくワクワクした作品だったなぁ。

 

 

 

Fシアターはタイムマシン

 

 

展示を抜けると、そこにはFシアターというものがあって、小さな映画館でドラえもんたちが出てくるアニメが上映される場所があります。日曜日だから、シアターはぎっしり詰まって、夏のちびっこ上映会と言っていいような状態でした。

 

 

「だれがタヌキだぁ!」

 

「ドラえも~ん」

 

 

ドラえもんがタヌキに間違われたり、のび太君がドタバタで転んだり、小学生たちはとにかく大うけです。つられてぼくも楽しくなる。そっか、いつの間にか、ひとりでドラえもんを観ていて声を出して笑わなくなっていたんだな。小さい頃は、タヌキって言われただけで、大爆笑だったなぁ。小学生と一緒にアニメを観ていると、その時間、ぼくも同じ年になっていたみたいで、しあわせに笑いました。

 

きっと、あのシアターはタイムマシンなのです。

 

 

 

 

グルメテーブルかけ、ほしい。

 

 

ミュージアムには、もうひとつ目玉がありまして。それがカフェなんですよね。今でいうところの、SNS映えしそうなかわいいメニューがたくさんあって、開門と同時に整理券へ走ってる人もいました。ぼくはと言うと、とにかく展示が観たくて、ひとり別ルートを進んでいたので、今回は外から食べてる人たちを眺めるだけで我慢。グルメテーブルかけが欲しいもんです。

 

 

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一緒に昼寝したかった

 

 

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あ、黒べえ

 


自撮り棒、ほしい。

 

 

庭をぶらぶらして、たくさんの仲間たちを見つけて、写真を撮って。ほんとうは、一緒に写りたいけど、シャッターを押してもらう勇気もなくて、外で買ったどら焼きを食べながら川崎市の空を見上げました。と同時に、階段の下を見下げました。

 

あ…

 

 

 

 

 

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映画にも出てきた石化されたドラえもんが、ミュージアムのはじっこにありました。月の光が当たると、呪いが解けて動けるようになるはず。のび太魔界大冒険、怖かったなぁ~。これ、トラウマになった人もいたんちゃうかなぁ。

 

 

 

四次元ポケットが、ほしい。

 

 

満たされて、満たされて、最後にお土産コーナーに行きました。すべての商品が大好きなF先生の作品のグッズ。ほしいものが、ありすぎる。どうしよう。カゴがどんどん重くなってしまう。あぁ、社会人でよかった。好きなものが、買えるというしあわせを初めて感じた瞬間でした。今年の夏は、ほんとうに暑くてつらかったけど、ぜんぶ今日のためにあったんやなぁと自分に言い聞かせて、その手をとめなかった。

 

 

 

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「すいません、これは郵送できますか?」

 

「ごめんなさい、やっていないんです…」

 

 

レジに行く前に、10分悩んだものがあった。どうしよう、大きすぎる。帰りの夜行バスで、どうやって持って帰ったらいいんだろう。お菓子や雑貨はいいけど、これはさすがに買えないかも…。四次元ポケットは、ぼくには無いし…。でも、でも、どうしてもほしくて、買ってしまった。

 

 

 

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父と観に行った、はじめての映画の複製原画です。展示で思い出にひたって動けなくなった絵を買ってしまいました。とっても大きくて、重くて。物流が発展するまえの画商のような格好で、横浜観光をすることになりました。帰りのバスも、たいへんでたいへんで。

 

でも、いまぼくの部屋に置かれたこの絵が、ぼくを元気にしてくれている。あのワクワクをぼくも作ってみたい。夢を忘れないでいようと、眺めるたびに奮起できる気がしています。あの頃に帰れないけど、でも、帰れるような。それは自分の気持ち次第。これからもずっと、あの頃の映画館の自分でいようと思うんです。

 

 

 

藤本先生ありがとう。

 

 

 

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ミュージアムの中庭、あまり人が寄ってこない場所に、この像がありました。

藤本先生がじぶんの作った仲間たちと手を取り合っています。

 

 

 

ウォルトディズニーのように。

ディズニーアニメと雰囲気はちがって、

すこしふしぎな世界だけど、

おなじようにいつまでも夢をくれる。

ドキドキさせてくれる。

 

藤本先生は、いつまでもぼくの憧れで、

たくさんのキャラクターは、いつまでもぼくの友達で、

一緒にすごしてきた時間は、いつまでもぼくの思い出です。

 

 

それにしても、絵を持って旅行するのは、たいへんでした。

 

 

また行きます。

どこでもドア、ほしい。

ペットもたいせつな家族ですから

 

仕事柄、家にあがらせてもらうと、部屋にあるたくさんの物から、お客様との接点をさがそうとしてしまう。営業だからというよりは、大学の友達の家に行って、本棚にじぶんも好きな漫画があったら嬉しいという感覚。

 

家具がかわっていたり、飾ってあった絵が消えていたり、冷蔵庫が最新になっていたり、そんなこともしっかり見ている。釣り竿があったら、釣りの話をしたり。家族写真があったら、お孫さんの話をしたりする。しあわせなことばっかりならいいけど、物が無くなっていたり、妙に片付いていたりしたら、ちょっとだけ慎重になって話をきくようにしている。

 

先日、数か月ぶりに訪問させていただくお客様がいた。リビングに通していただき、前回とおなじソファに座らせてもらう。いつも出してもらう野菜ジュースが、その日も机の上にあって。夏だから、氷も入ってキンキンに冷えていて。冷蔵庫も、そのまんま。飾っている絵も、そのまんま。だけど、なんとなく雰囲気がちがう。何も変わらないようで、決定的に何か欠けているような気がする。聞きたくないけど、聞かないわけにもいかない。なんとなく答えはわかっているけど、切り出しました。

 

 

「あれ?今日はハナちゃんはどうしたんですか?」

 

 

いつも足元によって来て、スーツのズボンに大量の毛を付けてくれていた柴犬のハナちゃんがいない。しばらく足の間をうろちょろして、相手をしてくれないと分かると、おとなしく座ってくれるハナちゃんがいない。

 

 

「あの子は、先月に亡くなったのよ」

 

 

何も知らなかったけど、予想通りの答えだった。犬がいた家と、犬がいなくなった家。リビングに入った瞬間にどこか感じた寂しさの原因は、ハナちゃんが亡くなったことだった。あまりにも元気にお迎えしてくれていたので気づかなかったけど、ハナちゃんは結構な老犬だったようだ。つまり、年を感じさせない若々しさがある女の子だったのだ。

 

 

「さびしくなりましたね」

「ちょっとね」

 

 

ご主人に先立たれ、一人と一匹で暮らしていたお客さんは、一人暮らしになった。悲観的に別れを嘆くというより、生活をそのまま続けているような、何事もなかったように「ちょっとね」と言った。それから、ハナちゃんのお話はせず、いつものように定期預金の切り替えをして、世間話をした。本当は、もっとしたかった。あの子はどんな感じで最期を過ごしたのか。昔はどんな子だったのか。お客さんと、どんな毎日をすごしてきたのか。でも、ぼくにその話を切り出せる権利なんて一つもなかった。

 

 

平準払いの保険を獲得を頼む

 

 

ぼくは、その日の朝、打ち合わせでこんなことを言われていた。支店のノルマが全然できていない項目。平準払いの保険獲得を課せられていた。どんな保険かというと、毎月、数千円お金を払って、病気に備える医療保険のことです。保険会社でもないぼくにとって、売ったことのない商品だったから、どうやって推進するかすごく悩んでしまって。どの商品がよくて、どの商品がいまいちか全然わからなかったのです。ぺらぺらと、対象の商品をさがしてマニュアルをめくっているとき、ひとつの保険に目が行きました。

 

 

ペット保険

 

 

動物病院の治療費にたいして、医療費負担を軽くする保険がある。ペットも病気になるし、けがをするから、そのために備えましょうという商品。7歳未満の犬猫だけが加入できる保険で、上司に言われた平準払い。

 

これがいちばん売りやすいぞ。自分の体のことは心配するけど、ご年配のお客様ならペット保険の存在を知らないはずだ。「たいせつな家族ですから」という一言を決めて、推進すればいいんだ。そんなことを考えながら、ペットを飼っている家を思い出して、たどり着いたのがそのお客様の家だったのです。

 

 

お目当ては、野菜ジュースでもなく、定期預金の切り替えでもなく、ハナちゃん。元気よく足元を走り回る姿を眺めながら、それとなくペット保険の話を切り出す。

 

「こんなに元気でも、いつか病気になる時がきます

 そのときのために、ペットもたいせつな家族ですから」

 

ぼくの頭の中に描いていた、シミュレーションでした。でも、そこにハナちゃんはいなかった。何を求めて、ぼくは今日ここに来たんだろうか。その日は、とてつもない自己嫌悪に陥って帰ったのを覚えています。営業マンなんだから、それぐらでヘコんでどうするんだと言われそうですが、落ち込んで落ち込んで、どうしようもなかった。

 

 

ちょうどその頃、新聞広告のコンペで、捨て犬捨て猫問題について考える機会があった。コピーをたくさん書いて、命の尊さとか、人間の醜さとかを延々と紙にかきつづった。どうすれば、殺処分される犬猫たちを守れるんだろうか。何を言えば、捨てる人たちを説得できるのだろうか。たくさん調べて、書いて、消して。ハナちゃんが亡くなったと知った日も、帰って机に向かった。

 

 

ペットは家族

 

 

昨日の自分が書いていた言葉があった。「これをすこしでも多くの人に分かってもらえる表現を探すこと!」と赤ペンでメモもつけていた。情けなくて、恥ずかしくて、即座にそのページを破ってすてた。

 

保険を売るために出てきた言葉と、犬猫を救いたいと思った時に出てきた言葉が同じだったことがとても恥ずかしかった。ノルマを達成するために、苦し紛れに思いついた言葉と、犬猫を守るという大義名分をかかげて出した言葉が、まったく一緒だったのだ。きっと、ペット保険の件がなかったら、そのままコンペに対して「ペットは家族」ということを掲げて書いていたと思う。でも、そんなことはもうできない。使っちゃいけないと思った。

 

 

月曜日、別のお客さんの家へ行った。その家には猫がいて、3歳のかわいい灰色の女の子だった。ぼくがどれだけ落ち込もうと、ノルマは変わらない。平準払いの保険は、まだ1つも成約ができていなかった。

 

 

 ペット保険というのは知っていますか?

 お客様の体よりも、もっと治療費にはお金がかかりますし

 動物病院ごとに請求額はぜんぜんちがうと聞いています

 でも、治してくれる場所は限られているし、

 それに頼るしか飼い主様にはないんです

 だからこそ、備えておくのはどうでしょう

 

 

本当のことだけを話した。都合のいい言葉を決めたくなくて。成約どうこうよりも、調べて分かった、飼い主の人に知っておいてほしいことだけを伝えた。

 

 

「そうやんねぇ、この子は家族やからねぇ」

 

 

お客さんがぽつりと言った。それは、ぼくが成約につなげるために考えた言葉と同じだった。ハナちゃんが死んで、自分が都合よく関わってきた人たちを利用して、心の弱いところを逆手にとって営業をしていることに気づいたぼくにとって、その言葉をお客様から言ってもらえたことは、少しだけ救われた気がした。

 

 

「そうです、大切な家族です」

 

 

言わないことに決めた言葉を、ぼくは言った。そして、当行以外の商品ともしっかり見比べて加入を考えてもらうよう依頼した。自己満足かもしれないけれど、でも、ハナちゃんにしてしまったことを二度としたくなかったから。自分の都合ではなく、犬猫と飼い主の関係の中に、いちばん必要なものとして保険があってほしかった。

 

ぼくが獲得した保険 じゃなくて、

大切な家族のために入った保険 にしてほしかったから。

 

 

 

 

通帳返却で、もう一度お客様の家へ行った。

いつものソファで、冷えた野菜ジュースを飲みながら、定期預金のお礼を伝えたあとに、ぼくはハナちゃんの話を聞いた。どんな様子でお別れをしたのか、どうしてハナちゃんという名前なのか。犬がいない生活と、いる生活は何が違うのか。とても楽しい話を1時間ほどしていた。

 

 

ぼくのなりたいおやじ 3

 

小学生の時に、国語の授業で、

セミのオーケストラという詩を書いた。

夏になると、何年も練習した音楽を

ぼくたちへ演奏してくれるオーケストラがある。

たった一週間でなくなってしまうその音楽には、

どこか寂しさがあるということを書いたと思う。

 

 

先生にもそれなりに褒められて、

なんとなくいいことを書けたと思った。

だからこそ、いまも夏を歩くと、

セミのオーケストラを思い出す。

 

 

社会人になって、営業をして、

自転車で毎日外を走っていると、

セミのオーケストラが大演奏を続けている。

 

 

十年以上を経て、ふっと思った。

彼らはいったい、何を演奏しているのだろう。

何を演奏していると思ったら、

外を走っていて楽しく感じるだろう。

 

 

夜遅くに、地面から這い出たセミたち。

葉っぱにしがみついて、ゆっくりゆっくり羽化。

何年も地面でねむっていた気持ちを、

発散するかのように1週間を生きる。

たくさんの仲間と演奏する。

 

 

そうだ、「スリラー」だ。

マイケル・ジャクソンのスリラーを鳴らしているんだ。

歌ってんだ。

あの曲のイントロが流れている中、

土から出てきたセミたちが、

全力でスリラーを聴かせてくれているんだ。

そう思うと、なんだか気分が晴れてくる。

みなさんも良かったら、

外でセミが鳴いていたら、

スリラーを演奏していると想像してみてください。

ちょっとだけ、夏も気楽になるかも…しれません。

 

 

毎日ぼけーっと色んなことを考えてて、 

ショートショートとかも書くのがすごく好きなんですが、

好きと得意はまた違ってきて、

いいどんでん返しが思いつかないんですよねぇ。難しい。

 

 

ってわけでお願いします。

 

 

 

ぼくのなりたいおやじ

 

 

アイスを買ってみんなで食べるんだけど、

パピコを買っても奥さんと子どもが分け合って、

自分は2本食べる。

ピノは6個だから分け合えると思ってたら、

奥さんと子どもが3つずつで分け合っていて、

自分は入れてもらえない。

 

開き直って、「すげぇうめぇ!」とか言いながら、

ホームランバーをがっついている姿を見せびらかしちゃって。

で、当たりが出たりして2人に見せびらかしたら、

「よかったねぇ~」と盛大にパチパチされて、

むなしくコンビニに引き換えに行くような、

さびしいおやじにぼくはなりたい。

 

 

 

 

フリーマーケットの値付けをみんなでしていて、

ぼくが高値をつけた商品は安く売られて、

ぼくが安値をつけた商品は高く売られる。

なんでそんなことになるんだって聞いたら、

「パパはいっつも当たってないやんか」と、

家族みんなで観ている、

出張なんでも鑑定団の的中率の低さを指摘され、

ぐうの音もでずにお釣りの計算をさせられる、

かなしいおやじにぼくはなりた。

 

 

 

 

好きな女優さんを聞かれて、

永作博美が好きかなぁと写真をみせてあげる。

「パパは、アコムの人が好きなんだって!」と、

娘が奥さんにボソッと放った一言がどういうわけか飛躍して、

趣味の競馬が、とうとう度を越えてしまったんじゃないかと心配され、

急遽、家族会議が開かれてしまう。

テーマは、「パパの好きな人について」で、

恥ずかしがりながら永作博美のことを奥さんに説明する、

なさけないおやじにぼくはなりたい。

 

 

 

 

当たりつきの自販機で飲み物を買うときに、

「あんたはいつも当たらへんし」と言われ、

ボタンすら押させてもらえない。

パチンコに行って、

いつもお土産もなく帰ってくることを、

遠回しに叩かれちゃって、

しかも奥さんがジュースを当てたことに、

すっかりショックを受

ギャンブル引退を宣言するような、

いさぎよいおやじにぼくはなりたい。

 

それでも、

動物は大好きだからという絶妙な理由で、

競馬だけは続けちゃっているような

かっこわるいおやじにぼくはなりたい。

 

 

 

 

奈良県とかに行って、

入口にいある大きな金剛力士像について、

子供に教えてあげたりして。

2体の像が、口を開けているのと閉まっている姿を指さして、

阿吽の呼吸という言葉を説明するのだ。 

「言葉を交わさなくても、分かり合っていることを阿吽の呼吸っていうんだ」

って、うんちくを披露したいなぁ。

 


「パパとママみたいだね」って娘が言うから.

なんでか聞いてみたら、

「だって、いつもこわい顔してるけど2人は仲良しなんでしょ?」

と、ドキっとするようなこと言われたりして。

子供もよく自分たちのことを見ているんだなぁと、

しみじみうれしくなってしまって、

その日、いちばんはしゃいでいるようなおやじにぼくはなりたい。

 

 

 


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さて、明日もスリラーを、

セミのオーケストラに聴かせてもらいながら、

マイケルの物真似でもして、

汗だくで自転車をこいでいこかなぁ。

 

夏休みがほしいなぁ。


ひとり暮らしで、減ったもの。

 

ひとりで暮らすようになって、

減ったことがいくつかある。

 

 

 

会話が減った気がする。

減ったというか、無になったというか。

でもテレビに向かって、

ひとりでぶつぶつ言ったり、

パソコンを眺めながら、

頭をかきながら考えごとをしたり、

気持ち悪がられることもないから、

バンバン独り言が出てる。

会話は減ったけど、

家で声を発する量は増えた。

 

 

 

お醤油の塩分が減った気がする。

 

料理もとうぜん自分でするわけで、お醤油も自分で選ぶ。

健康診断がちょっとだけ怖くなってくるし、

だいすきなお刺身を食べるときに、

減塩のだし醤油をえらんでしまったりする。

意識して、塩分を減らさないと、

食生活が偏ってくるから怖いのだ。


だけど、

親がいたら絶対に買わないような、

いろんな調味料を揃えてみたりもしている。

ちょっと変な味のドレッシングや、

一風変わったお味噌とか。


お醤油は減塩になったけど、

冷蔵庫の調味料は増えた。

 

 

 

トイレにこもることが減った気がする。

 

実家にいるときは、常に誰かが自分を気にかけているような感じがして、

部屋でボーっと漫画を読むことも何となくソワソワしていた。

音楽を聴いていても、急に誰かが部屋を開けて、

「何してるん?」と言われて、「別に」と返すことが多かった。

そんな家で、いちばん落ち着ける場所がトイレだった。

家族の誰かに、便意がやってくるまで、

秘密基地のように本を持ち込んで座っていた。

今ではそんなことを気にせず、家に帰ったら腹を出して、

独り言をたくさんしながら漫画を読んでいる。

トイレにこもることは減ったけど、

部屋に散乱している本は増えた。

 

 

 

 

魚の骨がのどに刺さることが、減った気がする。

 

家ではよく焼きサバが出た。

小骨がのどに刺さって、白ご飯をかきこむ。

ぜんぜん取れなくて、何度も飲みこむ。

結局、寝ている間に骨はどこかへ消えて、

数日後、またおなじことを繰り返すしていた。

ひとり暮らしをはじめて、

焼きサバを食べることが減った。

コンビニのレンジであたためるお惣菜のサバは、

骨が最初から抜かれているので、

まったく気にすることが無い。

つまり、白ご飯をまる飲みすることも完全に無くなった。

 

「あ、骨が刺さった」

「ほら、ごはんを飲んで取りなさい」

 

こんなやりとりは、もう無い。

もし、ひとり暮らしのぼくが、

万が一、焼きサバを食べて骨がのどに刺さったら、

無言で白ご飯を飲みこむだろう。

 

「取れた?取れた?」

「ぜんぜん取れへんわ」

 

という会話はまったくなく、

ただただ無言で、

白ご飯をどんどん飲み込むのだろう。

なんとなくそれって寂しい気がする。

 

「おかわりいる?」

「あぁ、ありがとう」

 

という会話がなくなったことより、

「骨取れた?」という会話がなくなったりするのは、

もっと寂しくなる気がするな。

多分きっと、そこにはちょっとした笑いがあるからで、

「落ち着いて食べなさい!」という呆れみたいなのが、

家族の食卓にはあるからなんでしょうね。

 

 

昨日の晩ごはんは、スーパーで買ったお刺身でした。

すこしだけ贅沢をして買った、

減塩のだし醤油でわさびを溶いて食べる。

母親ならぜったいに買わないだろう

高いお醤油。

 

 

「う~ん、うまい」

 

 

独り言をもらして、

ごはんを食べながら堂々と漫画を読み、

白ご飯を一口ずつよく噛んで食べる。

お腹が痛くなった時だけトイレに行って、

「おやすみ」と天井に言って眠る。

 

眠りにつきそうな直前に、

目覚ましをセットし忘れたことに気付いて、

飛び起きる。

 

そうだ、ぼくはひとり暮らしをしているんだ。

もう、誰も起こしてくれないんだ。

 

朝目覚めて、大きな独り言。

「しんどい」をもらして、

今日もひとり暮らしをはじめている。

マネキンの格差

 

 

幸運と不運がいつも同時に存在するわけではないけど、

それでもやっぱり、「どうしてわたしが…」と思うことが多い。

同じ土俵にあがって、

いっせいのーっせ!でスタートをしているのに、

自分だけがとんでもなく不幸な境遇にいてる気がしてくる。

 

 

先日、久しぶりに服を買いに出かけた。

Tシャツがほしいなぁと思ったのと、

そのTシャツの上に着る服がほしいなぁと思ったから。

パンツがほしいなぁと思ったのと、

そのパンツの上に着るズボンがほしいなぁとも思ったから。

 

 

それなりのショッピングセンターでふらふら。

ちょうどいい感じの服をさがして歩いていると、

たくさんのマネキンとすれ違う。

彼ら彼女らは、絶妙な肘の角度で

どこか遠くを見ているようなポーズをとって、

夏を感じるような服装をして立っている。

 

 

30分ぐらいウロウロして、

ふと、気づいてきたことがあった。

マネキンの中にも、幸運なやつと、不運なやつがいるじゃないか。

 

 

50%OFFのシールをでっかく貼られたマネキンがいる。

NEW ARRIVAL!!と書かれた新商品を着れているマネキンがいる。

 

 

どちらがしあわせなのか、ぼくにはよく分からないけど、

でもやっぱり新商品を着たいんじゃないかなぁ。

似たようなポーズで、おなじ大きさで、

何ひとつ変わらない2つのマネキンが、

まったく違う境遇で仕事をしている。

 

 

ぼくはファッションに疎いので、

どこが最新で、どこが古いのかぜんぜん分からない。

なんだったら、50%OFFのほうが魅力的に思えてくる。

でもきっと、マネキンにとっては、

いまそこにある、

いちばん新しい服を着ることが、

生きがいなんだろう。

 

 

こうやって、理不尽な思いをしながら、

悔しがりながら、

ただただ立ち尽くしているマネキンがいる。

今日もきっと彼ら、彼女らは、

文句ひとつ言わずに50%OFFを背負っているのだろう。

そう思えると、なんだか、自分だけが不運だなんて悩んでいるのが、

かっこ悪くてどうしようもなくなってきて、

こういう気持ちを、

もっと大切にしなきゃいけないと、

思ったりしながらTシャツを選びました。


もちろん、50%OFFのほうを。

ぼくのなりたいおやじ 2

 

ずいぶん、昼寝をしていたみたいです。

お昼ごはんを11頃にたべて、

そこから座椅子をパタリと倒して、

目を覚ましたら晩ごはんを買いに行く時間になっていました。

 

 

スーパーをぷらぷらと歩いていると、

割引シールの貼られた海産物を見つけてカゴに放り込む。

 

 

家にかえってきて、この前ちょっと奮発して買った、

牡蠣醤油をたくさんのベビーたちにかけてみる。

おいしい。おいしすぎる。

ボイルされたベビー帆立に、牡蠣醤油の組み合わせはたまりません。

 

世界中でいちばん大好きな赤ちゃんはベビー帆立で、

世界中でいちばん大好きな若者はヤングコーンと宣言しておこうと思います。

 

 

あぁ、今日もおやじになりたくないけど、なりたいなぁ。

 

 

ぼくのなりたいおやじ

 

 

 

もずく酢が大好きで食べているのに、

薄毛対策だと家族に思われて、食卓に海藻がたくさん並びはじめる。

海へ遊びに行ったら、「お父さんの好きなものだらけやね」って、

干からびた海藻を指差され、

波にまぎれて涙を流すような哀しいおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

 

ネクタイの結び方を、ネクタイを締める仕事をしていなくたって、

息子に教える日がくることを心待ちにして練習。

ちょっと嬉しい気持ちを、たとえ親族のお葬式に参列する前だったとしても

感じられるようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

 

「小便小僧って、火を消すためにおしっこしてるんだよ」とか、

「ガーナの偉いさんにニャホニャホタマクローって人がいるよ」と、

息子に自慢気に言いたい。

ある日、YouTubeトリビアの泉に子供が出会ってしまうんだけど、

そんなことには気づかず、

次は何を言おうか予習しているような幸せなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

 

いつかバック・トゥ・ザ・フューチャーを子供に観せて、

「未来を変えるには、今しかないんだよ」みたいな

かっこいいことを言おうと決めているのだが。

いざ自分が親になったら、

技術の進歩が思ったよりもはやくて、

案外簡単にタイムトラベルできるようになってしまったりして。

心底悔しがっているようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

 

たばこを吸わないのに、

かっこいい映画に憧れて「ココアシガレット」をかじる。

ある日、子供の学校の先生に呼び出されて、

「娘さんが、お父さんと一緒にたばこを吸ってると言ってます」と注意を受ける。

顔を真っ赤にしながらお菓子をかじってることを告白。

先生も何も言えず、無言の数分があるようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

 

ジェットコースターが苦手で、

子供の身長が足りないという理由でなんとか逃れてきたが、

やがて、成長していきどうにも逃げようがない日がくる。

苦しまぎれに、奥の手であるベンチで寝るを実行。

「怖いねんであれ」って家族に笑われるようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

 

 ペーパードライバーだから、

家族を乗せて遠出をまったくしてこない。

娘に休日どこかへ行きたいと本気でせがまれて、

泣く泣く言ったセリフが、

「大きくなって恋人に連れてってもらいなさい」で、

奥さんに「私はいつ行けるの?」と言われ、

ペーパードライバー研修に渋々通うようなおやじに。

ぼくはなりたい。

 

 

 

今日も、おやじになりたい。

 

無限に出てくるなりたいおやじ。

 

 

 

とりあえず、

 

世界中でいちばん好きな赤ちゃんはベビー帆立と宣言してたのに、

いざ自分の赤ちゃんのと対面した時に、

そんな馬鹿らしいことは完璧に忘れるようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

他人のお葬式で、泣いてくれる人がいた。

 

ぼくも、他人の葬式で、泣いている人になってしまった。

 

 

銀行で営業の仕事をしていると、お客様はご高齢の人が多い。その分、今までに何度か、お葬式や線香を届けてきている。

月に1度ぐらい、お話をさせてもらっていた人が亡くなられた時、ぼくは人の死というのは、本当に突然なんだなと痛感する。

 

 

 

お客様の死は、ぼくたちの業績に直結する。

定期預金は出ていって、息子さん達が持って行く。運用をしてくれていた大きなお客様が亡くなると、来月から助けてくれる人が1人いなくなる。

 

 

相続はピンチ、相続はチャンス

 

 

すごく苦手な考え方だ。ぼくはどうして、この人のお葬式に出席しているんだろう。何を考えながら、手をあわせているんだろう。

 

きっと、ご家族から思われていることは、決まっている。

 

「お金が目当てなんでしょ」

 

人の目は、口より物を言う。

 

 

仕事上は、やっぱり本当に自分が追い込まれるし、今まで以上にピンチになるのは事実だから、相続のあとも取引をしてほしいのは本当の話。

 

 

でも、でもなぁ。

 

心の底から、感謝の気持ちを伝えたいと思っている。思っているんだよなぁ。

 

みんながそうかは分からないけど、相続が発生した瞬間に、お金が動くから、そのタイミングで保険を推進してみようと考える人もいる。

 

仕事のできる人だと思う。

相続税について、いちばん考える瞬間は、相続をする瞬間だから。

 

ピンチをチャンスに出来る人は強いと思う。

 

でも、どうしてもそれができない。

 

誰かの死をチャンスとかピンチと思いたくない。ただ、その最期の式には、故人を想う時間が流れていてほしい。ぼくが家族ならそう思う。 

 

気づけば、お給料が発生する時間に、手をあわせて泣いた。

 

 

公私混同という言葉があるが、こんな時に使うものなのだろうか。あまり良い意味で使われている印象が、ない言葉だ。

 

仕事に私情を持ち込んでいる人は、だめな人なのだろうか。まぁ、奥さんとケンカして、部下にあたる上司はだめな人だと思うけど。そんな人もいるんだけど。

 

 

 

祖父のお葬式の日、喪服で数珠を持っている参列者の中に、ひとりだけTシャツにズボンの若い男の人がいた。

 

その人は、誰よりも涙を流して、しばらく祖父の棺桶から動かなかった。

 

 母は彼の肩をたたいて強い口調で言った。

 

「〇〇さん、こんなに毎回お葬式で泣いてちゃだめ、心がもたなくなるよ」

 

ぼくもよく知っているそのお兄ちゃんは、うなずきながら泣いていた。

 

 

祖父の介護は、夜はぼくがやっていた。大学に行っている間のお昼の時間は、そのお兄ちゃんがやってくれていた。

訪問ヘルパーになってまだ数年、九州から出てきたその人は、頑固で偏屈な祖父に対して、いつも一生懸命に介護をしてくれていた。

 

 

「介護なんていらん」

 
 
 

口癖のように言う祖父に対して、やわらかい返しで、大汗をながしながら着替えや食事を手助けしてくれていた人。

 

 

「持って帰りなさい」

 

 

 

母が買ってきた果物を、祖父はいつしか、そのお兄ちゃんにあげるようになっていた。他の人が来る日は、また文句をずっと言ってしまって、申し訳ないですと謝ったこともあった。

 

 

ヘルパーさんは、ぼくよりもずっと人の死と近い場所で仕事をしているし、まっすぐに人と向かいあう仕事だ。

体力もたくさん使うし、サボることなんてできない。その人たちの助けを待っている方が、たくさんいるからだ。

 

 

他人の葬式で、泣いている人を見たのは、それが初めてだったと思う。

 

 

大学生のぼくより、ちょっとだけ年上の人が、

仕事を通り越して誰かの死を悲しんで泣いている。あんなにも、大変な思いをしながら、文句を言われていた老人の死を、誰よりも泣いている。

 

 

あんな人になりたい。

その時に、ぼんやりと思った。

いまも、その映像が頭をよぎる。

 

 

あの人はいまも、誰かのお葬式で泣いているのだろうか。

誰かとまっすぐ向き合って、仕事をしているのだろうか。

 

 

ぼくが今、他人のお葬式で泣ける人になれたのは、あの時に、一生懸命に向き合うヘルパーさんを見たからだ。

 

あのTシャツにズボンでお葬式に駆けつけ、親族から泣きすぎてお叱りを受けるような、まっすぐな人でありつづけたい。

 

 

今の仕事を辞めたとしても、人の死と遠いところで働くことになっても、それでもずっと忘れることのない、あるべき姿をぼくは持っている。

 

 

ぼくの人生の目標である普通の人は、いまも、この暑い夏を、タオルを首に巻いて自転車で走っているんだろうか。違うところにいても、まっすぐに走っているといいなぁ。

ぼくのなりたいおやじ

 

ぼくのなりたいおやじ

 

 

 

「カルピス買ってきて」と頼まれて、スーパーに行って、

原液とミネラルウォーターを買って帰ったら、

「水道水でええんやで!」と娘に説教されるようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

子どもにはエジソンの伝記とかを勧めときながら、

その隣で少年ジャンプを読んでいたい。

「パパだけ漫画を読んでるなんてずるい」と言われたら、

「努力・友情・勝利、お前はこれからたくさん学べるよ」と、

遠い目をして語れるようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

「パパは今日は疲れてるんじゃないの、インフルエンザなの!」

と奥さんが娘に言ってさ、予防接種を受けることの大切さを、

身をもって教えるような悲しいおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

公園でのほほんとしていると、

「パパってスズメに囲まれているのが似合うね」と、

平日の自分の姿を娘に言い当てられ泣きそうになるが、

それでも苦しみに立ち向かうようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

家で新聞を読むときは、

経済面よりも社会面よりも、テレビ欄に釘づけになって、

金曜ロードショーカリオストロの城にピンクのマーカーをひいて、

食卓の上に置いておくようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

昔にちょっと音楽をかじってたと嘘をついてしまって、

ある日子どもが、サンタクロースにギターを頼もうとしていることを聞き、

11月からヤマハの音楽レッスンで基礎を学び、

プレゼント代よりお金をかけてしまうようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

夏休みの宿題をしている子どもの隣で、

人生の教訓じみた言葉をいっしょになって書いていると、

調子に乗ってカーペットを汚してしまい、

そっと、娘のせいにして散歩に行くようなおやじに、ぼくはなりたい。

あとで、ちゃんと謝れるようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

寝る前に本を読んでほしいと言われて、

大好きな本を黙読してしまうようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

怒られて、今度はシンデレラを読んでほしいと言われて、

登場人物をぜんぶ関西弁にしてしまうようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

水族館に行って生きものをかわいいなぁと眺めている娘に、

この中でいちばん美味しい魚はどれかを教えて、

罰として帰りに回転ずしに連れて行かされるようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

でも、どうしよう。

 

こんなに、なりたいおやじがいっぱいなのに、

結婚願望がぼくにはない。

 

うだつの上がらない中年おやじには、ぼくはなりたくない。

美味しい匂いがする家を探せ 銀行員に潜入中

 


お昼はもっぱら、コンビニで買ったパンをちぎって、

ちかよってくるスズメにあげながら、

一言も発さず無言で食事をしています。

 


仕事をしている時に、仕事の話をするのが嫌いで、

支店の中で食べることも、会社の人と食べることもしないで、

基本的にはスズメと鳩とごはんを食べています。

 

行きたくないなぁ、座ってたいなぁ と思いながら、

重すぎる腰をあげて営業を周り、

しばらくしたらまた同じ公園に帰ってくる

帰巣本能がサラリーマンにはあるんじゃないかなぁ。

 



 

あ、門前払いは、なれっこです。

個人宅への営業はすべての人がお客様なので、一件一件インターホンを鳴らして、

「チラシだけでも受け取って下さい」と言っています。

 

 

カメラ付きのインターホンには、

とても情けない汗だくのぼくが映っているんだろうなぁと思いながらも、

なるべく笑顔で届いてくれてるのか分からない独り言を発している。

当然、「ちょうどよかった!銀行で預金したかったの!」なんて

素晴らしい出会いはほとんどない。

 


基本的にはインターホン越しに、「あっ、忙しいんで」で終了です。

そのことは、一日の訪問日誌にしっかりと記録。

たまに、ぼくは日誌を書くために仕事をしているんじゃないかと思うぐらいの、

ズタボロな一日を過ごすはめになります。

 


そりゃそうなんですけどね。

心地よい昼寝中にインターホンが鳴って、

わけのわからん営業マンだったら、

機嫌が悪くなるのも当然だし、

今日発売の好きなアーティストのCDの配達を待っていて、

来たのが汗だくのサラリーマンなら最悪ですから。

 


そういう意味では、NHKの集金の人達はすごいなぁと心の底から思います。

招かざる客として、最前線で闘っていらっしゃるのでね。

 


でもなぁ、せっかくなら何かたぐり寄せたいんですよね。

0から1を作り出したい変な欲求が働いてしまうんです。

営業の数字をあげたいというか、ドアを開けてほしいというか、

関わり合いを作り出したいなぁとぼんやりと考えるんです。

 

 

たとえば、「いま忙しんです!」と言われた人の中で、

もう一度訪問しようと決めている条件があります。

 

美味しい匂いがしてきた家

 

ここには、時間と日を変えて行くようにしてます。

なんとなく、美味しい匂いのする家は話を聞いてくれる気がするんですよね。

分からないけど、きっとしあわせな家庭なんじゃないかと思ってしまって、

ぼくはそういう人と関わり合いを持ちたいなぁと。

 

 

たとえば、唐揚げのいい匂いがしてきた家にもう一度訪問するとします。

門前払いの可能性が高いですが、たまに開けてくれる人もいる。

たぶん、前回は本当にタイミングが悪かっただけの人。

 

 

「このあいだは、すいませんでした

 唐揚げかなんかの美味しい匂いがしてて、準備で忙しい時間でしたよね」

 

 

この余分な話をできるかどうかは、

はじめましてのお客様とのやり取りですごく重要なんです。

顔をあわして話をするのは初めてでも、

そこには共通の話題がひっそりと存在している。

 

 

美味しい匂いにしあわせになったぼく

晩ごはんの準備中に邪魔をしてきた銀行員

 

 

一見、最悪な初対面に見えますけど、

何かをつかみ取るためには、

マイナスでさえも大切なヒントになってくるんです。

 


相手にとっても、無よりもボンヤリとした記憶があったほうが、

話を聞いてもらえる可能性はすごく高まるなぁと。

 

 

だから、本当に迷惑な話なのですが、

ぼくはピンポン周りをするときは、

お昼前か夕方にすることが多いんですね。

 

最初から、ダメなことを分かったうえで、

美味しい匂いを嗅ぎにまわっているんです。

なんとなく、もう一度行きたい家を探している感じで。

もはや、ヨネスケです。あんなに強引ちゃうけど。

 

 

 

ただし、美味しい匂いのする家を探す方法には注意点がありまして、

 

 

…マンションだと、構造上、匂いの錯覚が起きるんですよね。

つまり、お隣の家の匂いだったりする時があって、

「なに言ってんだこいつ?」という顔をされる時がある。

 

そんな時には、こう返すんです。

 

 

「あれ?なんか、いい匂いしてるなぁと思ってしまってて、煮物みたいな醤油の」

 

 

煮物を一度もしていない家なんて無いので、

これで大体の関係性を生むことができます。

食べ物の話をできるようになると、

もう仲良くなれた気がしてきます。

 

 

そして、

気づいたころには、その人の家でお昼ご飯をよばれたりしてるんですよね。

営業成績は上がらずとも、食費が減ったりするんです。

給料が上がらずとも、出費が減ったりするんです。

 

 

仕事変えたほうが良いのかなぁ。

どうなんでしょう。

 

 

でっかいしゃもじを持って、歩き回ろうかなぁ。

 

ぜひ、営業で悩んでいる人は参考までに。