得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

他人のお葬式で、泣いてくれる人がいた。

 

ぼくも、他人の葬式で、泣いている人になってしまった。

 

 

銀行で営業の仕事をしていると、お客様はご高齢の人が多い。その分、今までに何度か、お葬式や線香を届けてきている。

月に1度ぐらい、お話をさせてもらっていた人が亡くなられた時、ぼくは人の死というのは、本当に突然なんだなと痛感する。

 

 

 

お客様の死は、ぼくたちの業績に直結する。

定期預金は出ていって、息子さん達が持って行く。運用をしてくれていた大きなお客様が亡くなると、来月から助けてくれる人が1人いなくなる。

 

 

相続はピンチ、相続はチャンス

 

 

すごく苦手な考え方だ。ぼくはどうして、この人のお葬式に出席しているんだろう。何を考えながら、手をあわせているんだろう。

 

きっと、ご家族から思われていることは、決まっている。

 

「お金が目当てなんでしょ」

 

人の目は、口より物を言う。

 

 

仕事上は、やっぱり本当に自分が追い込まれるし、今まで以上にピンチになるのは事実だから、相続のあとも取引をしてほしいのは本当の話。

 

 

でも、でもなぁ。

 

心の底から、感謝の気持ちを伝えたいと思っている。思っているんだよなぁ。

 

みんながそうかは分からないけど、相続が発生した瞬間に、お金が動くから、そのタイミングで保険を推進してみようと考える人もいる。

 

仕事のできる人だと思う。

相続税について、いちばん考える瞬間は、相続をする瞬間だから。

 

ピンチをチャンスに出来る人は強いと思う。

 

でも、どうしてもそれができない。

 

誰かの死をチャンスとかピンチと思いたくない。ただ、その最期の式には、故人を想う時間が流れていてほしい。ぼくが家族ならそう思う。 

 

気づけば、お給料が発生する時間に、手をあわせて泣いた。

 

 

公私混同という言葉があるが、こんな時に使うものなのだろうか。あまり良い意味で使われている印象が、ない言葉だ。

 

仕事に私情を持ち込んでいる人は、だめな人なのだろうか。まぁ、奥さんとケンカして、部下にあたる上司はだめな人だと思うけど。そんな人もいるんだけど。

 

 

 

祖父のお葬式の日、喪服で数珠を持っている参列者の中に、ひとりだけTシャツにズボンの若い男の人がいた。

 

その人は、誰よりも涙を流して、しばらく祖父の棺桶から動かなかった。

 

 母は彼の肩をたたいて強い口調で言った。

 

「〇〇さん、こんなに毎回お葬式で泣いてちゃだめ、心がもたなくなるよ」

 

ぼくもよく知っているそのお兄ちゃんは、うなずきながら泣いていた。

 

 

祖父の介護は、夜はぼくがやっていた。大学に行っている間のお昼の時間は、そのお兄ちゃんがやってくれていた。

訪問ヘルパーになってまだ数年、九州から出てきたその人は、頑固で偏屈な祖父に対して、いつも一生懸命に介護をしてくれていた。

 

 

「介護なんていらん」

 
 
 

口癖のように言う祖父に対して、やわらかい返しで、大汗をながしながら着替えや食事を手助けしてくれていた人。

 

 

「持って帰りなさい」

 

 

 

母が買ってきた果物を、祖父はいつしか、そのお兄ちゃんにあげるようになっていた。他の人が来る日は、また文句をずっと言ってしまって、申し訳ないですと謝ったこともあった。

 

 

ヘルパーさんは、ぼくよりもずっと人の死と近い場所で仕事をしているし、まっすぐに人と向かいあう仕事だ。

体力もたくさん使うし、サボることなんてできない。その人たちの助けを待っている方が、たくさんいるからだ。

 

 

他人の葬式で、泣いている人を見たのは、それが初めてだったと思う。

 

 

大学生のぼくより、ちょっとだけ年上の人が、

仕事を通り越して誰かの死を悲しんで泣いている。あんなにも、大変な思いをしながら、文句を言われていた老人の死を、誰よりも泣いている。

 

 

あんな人になりたい。

その時に、ぼんやりと思った。

いまも、その映像が頭をよぎる。

 

 

あの人はいまも、誰かのお葬式で泣いているのだろうか。

誰かとまっすぐ向き合って、仕事をしているのだろうか。

 

 

ぼくが今、他人のお葬式で泣ける人になれたのは、あの時に、一生懸命に向き合うヘルパーさんを見たからだ。

 

あのTシャツにズボンでお葬式に駆けつけ、親族から泣きすぎてお叱りを受けるような、まっすぐな人でありつづけたい。

 

 

今の仕事を辞めたとしても、人の死と遠いところで働くことになっても、それでもずっと忘れることのない、あるべき姿をぼくは持っている。

 

 

ぼくの人生の目標である普通の人は、いまも、この暑い夏を、タオルを首に巻いて自転車で走っているんだろうか。違うところにいても、まっすぐに走っているといいなぁ。

ぼくのなりたいおやじ

 

ぼくのなりたいおやじ

 

 

 

「カルピス買ってきて」と頼まれて、スーパーに行って、

原液とミネラルウォーターを買って帰ったら、

「水道水でええんやで!」と娘に説教されるようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

子どもにはエジソンの伝記とかを勧めときながら、

その隣で少年ジャンプを読んでいたい。

「パパだけ漫画を読んでるなんてずるい」と言われたら、

「努力・友情・勝利、お前はこれからたくさん学べるよ」と、

遠い目をして語れるようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

「パパは今日は疲れてるんじゃないの、インフルエンザなの!」

と奥さんが娘に言ってさ、予防接種を受けることの大切さを、

身をもって教えるような悲しいおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

公園でのほほんとしていると、

「パパってスズメに囲まれているのが似合うね」と、

平日の自分の姿を娘に言い当てられ泣きそうになるが、

それでも苦しみに立ち向かうようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

家で新聞を読むときは、

経済面よりも社会面よりも、テレビ欄に釘づけになって、

金曜ロードショーカリオストロの城にピンクのマーカーをひいて、

食卓の上に置いておくようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

昔にちょっと音楽をかじってたと嘘をついてしまって、

ある日子どもが、サンタクロースにギターを頼もうとしていることを聞き、

11月からヤマハの音楽レッスンで基礎を学び、

プレゼント代よりお金をかけてしまうようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

夏休みの宿題をしている子どもの隣で、

人生の教訓じみた言葉をいっしょになって書いていると、

調子に乗ってカーペットを汚してしまい、

そっと、娘のせいにして散歩に行くようなおやじに、ぼくはなりたい。

あとで、ちゃんと謝れるようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

寝る前に本を読んでほしいと言われて、

大好きな本を黙読してしまうようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

怒られて、今度はシンデレラを読んでほしいと言われて、

登場人物をぜんぶ関西弁にしてしまうようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

水族館に行って生きものをかわいいなぁと眺めている娘に、

この中でいちばん美味しい魚はどれかを教えて、

罰として帰りに回転ずしに連れて行かされるようなおやじに、

ぼくはなりたい。

 

 

 

でも、どうしよう。

 

こんなに、なりたいおやじがいっぱいなのに、

結婚願望がぼくにはない。

 

うだつの上がらない中年おやじには、ぼくはなりたくない。

美味しい匂いがする家を探せ 銀行員に潜入中

 


お昼はもっぱら、コンビニで買ったパンをちぎって、

ちかよってくるスズメにあげながら、

一言も発さず無言で食事をしています。

 


仕事をしている時に、仕事の話をするのが嫌いで、

支店の中で食べることも、会社の人と食べることもしないで、

基本的にはスズメと鳩とごはんを食べています。

 

行きたくないなぁ、座ってたいなぁ と思いながら、

重すぎる腰をあげて営業を周り、

しばらくしたらまた同じ公園に帰ってくる

帰巣本能がサラリーマンにはあるんじゃないかなぁ。

 



 

あ、門前払いは、なれっこです。

個人宅への営業はすべての人がお客様なので、一件一件インターホンを鳴らして、

「チラシだけでも受け取って下さい」と言っています。

 

 

カメラ付きのインターホンには、

とても情けない汗だくのぼくが映っているんだろうなぁと思いながらも、

なるべく笑顔で届いてくれてるのか分からない独り言を発している。

当然、「ちょうどよかった!銀行で預金したかったの!」なんて

素晴らしい出会いはほとんどない。

 


基本的にはインターホン越しに、「あっ、忙しいんで」で終了です。

そのことは、一日の訪問日誌にしっかりと記録。

たまに、ぼくは日誌を書くために仕事をしているんじゃないかと思うぐらいの、

ズタボロな一日を過ごすはめになります。

 


そりゃそうなんですけどね。

心地よい昼寝中にインターホンが鳴って、

わけのわからん営業マンだったら、

機嫌が悪くなるのも当然だし、

今日発売の好きなアーティストのCDの配達を待っていて、

来たのが汗だくのサラリーマンなら最悪ですから。

 


そういう意味では、NHKの集金の人達はすごいなぁと心の底から思います。

招かざる客として、最前線で闘っていらっしゃるのでね。

 


でもなぁ、せっかくなら何かたぐり寄せたいんですよね。

0から1を作り出したい変な欲求が働いてしまうんです。

営業の数字をあげたいというか、ドアを開けてほしいというか、

関わり合いを作り出したいなぁとぼんやりと考えるんです。

 

 

たとえば、「いま忙しんです!」と言われた人の中で、

もう一度訪問しようと決めている条件があります。

 

美味しい匂いがしてきた家

 

ここには、時間と日を変えて行くようにしてます。

なんとなく、美味しい匂いのする家は話を聞いてくれる気がするんですよね。

分からないけど、きっとしあわせな家庭なんじゃないかと思ってしまって、

ぼくはそういう人と関わり合いを持ちたいなぁと。

 

 

たとえば、唐揚げのいい匂いがしてきた家にもう一度訪問するとします。

門前払いの可能性が高いですが、たまに開けてくれる人もいる。

たぶん、前回は本当にタイミングが悪かっただけの人。

 

 

「このあいだは、すいませんでした

 唐揚げかなんかの美味しい匂いがしてて、準備で忙しい時間でしたよね」

 

 

この余分な話をできるかどうかは、

はじめましてのお客様とのやり取りですごく重要なんです。

顔をあわして話をするのは初めてでも、

そこには共通の話題がひっそりと存在している。

 

 

美味しい匂いにしあわせになったぼく

晩ごはんの準備中に邪魔をしてきた銀行員

 

 

一見、最悪な初対面に見えますけど、

何かをつかみ取るためには、

マイナスでさえも大切なヒントになってくるんです。

 


相手にとっても、無よりもボンヤリとした記憶があったほうが、

話を聞いてもらえる可能性はすごく高まるなぁと。

 

 

だから、本当に迷惑な話なのですが、

ぼくはピンポン周りをするときは、

お昼前か夕方にすることが多いんですね。

 

最初から、ダメなことを分かったうえで、

美味しい匂いを嗅ぎにまわっているんです。

なんとなく、もう一度行きたい家を探している感じで。

もはや、ヨネスケです。あんなに強引ちゃうけど。

 

 

 

ただし、美味しい匂いのする家を探す方法には注意点がありまして、

 

 

…マンションだと、構造上、匂いの錯覚が起きるんですよね。

つまり、お隣の家の匂いだったりする時があって、

「なに言ってんだこいつ?」という顔をされる時がある。

 

そんな時には、こう返すんです。

 

 

「あれ?なんか、いい匂いしてるなぁと思ってしまってて、煮物みたいな醤油の」

 

 

煮物を一度もしていない家なんて無いので、

これで大体の関係性を生むことができます。

食べ物の話をできるようになると、

もう仲良くなれた気がしてきます。

 

 

そして、

気づいたころには、その人の家でお昼ご飯をよばれたりしてるんですよね。

営業成績は上がらずとも、食費が減ったりするんです。

給料が上がらずとも、出費が減ったりするんです。

 

 

仕事変えたほうが良いのかなぁ。

どうなんでしょう。

 

 

でっかいしゃもじを持って、歩き回ろうかなぁ。

 

ぜひ、営業で悩んでいる人は参考までに。

その手が向かう先、ぼくの特茶あり。

 



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リュックサックを買った。

 


ふだんはいつも、

大好きなドラえもんの手提げかばんに、

ノートとお茶を入れて、

特に目的もなく外を散歩するのだが。

東京へ勉強しに行くことが増えた。



目的ができると荷物も多くなる。



ドラえもんのかばんも四次元ではないので、

なかなか許容量がしんどい状況になって、

この度リュックサックを導入することになったのです。

 

 

手提げかばんの好きなところは、欲しいものをすぐに取り出せるところ。

電車に乗ってても、道を歩いていても、

いつでも瞬間で読みたい本が出てくるし、飲みたいお茶が出てくる。

 

 

しかし、リュックサックはそうはいかない。


一度、肩から降ろして、チャックを開けて、中身を物色。

ようやく欲しい物を手に入れ、また背負いなおす。

 

はぁ、めんどう、めんどうだ。

 

 

おっ、ちょいと待とう。

 

 

横にポケットが付いている。両サイドにある。

なるほどね、これだよ。これ。

ペットボトルは、ここに入れたらいんだな。

180円で買った特茶の500mlが、ピッタリはまる。

 


すごい便利だ。

歩きながらでも、後ろに手をまわせば、

侍が刀を抜くように、

サラリーマンは特茶を抜ける。

コレステロールを切り捨てろ。

脂肪の吸引をお助け申す。

 

 

ちょっとだけ強くなれた気がしてきて、

背中に大きな使命を背負っているような気もしてきて、

多分それは荷物が多いだけなんだけど。

 

 

電車に乗って、リュックサックをお腹のほうにまわし、席へ座る。

となりに、おなじような体勢で、赤ちゃんを抱えた女性が座った。

 

ジーッと視線を感じる。

 

これはいかん、見つめられている。

どうしよう。どうしよう。

ぼくが見つめかえすと、怖いかもしれない。

でも、見たい。

 

 

ぼくも、ジーッとみた。たぶん、きっと、女の子だ。

 

しばらく僕をみたあと、

赤ちゃんは手を伸ばしてきた。

 

その手が向かう先、ぼくの特茶あり。



小手先で生きていく 社会人メガネ活用講座

 

人類を2つに分けるとしたら、何と何に分けますか?

 

男と女、たけのこ派ときのこ派、犬派と猫派、パンとごはん。

他にも色々あるけど、まぁこんなもんで。

 

 

 

 

で、

 

ぼくがその2つに分ける仕事を任命されたら、

なにを基準に人類をふたつに分けるかと言いますと、

 

 

メガネをかけている人とメガネをかけていない人

 

これで分けたいと思うんですね。

 

高校二年生ぐらいから着用するようになって、大学生になっても愛用。

コンタクトという選択肢は全く持たずに生活をしてきたぼくにとって、

鼻に乗せている2つのレンズは、欠かせない生活アイテムなのです。

 

それは、もちろん、視界をこの上なく良好にしてくれるわけなのですが、

メガネを使って生活をしてきて10年程。

 

ここに、社会人のうまいメガネの使い方をいくつか載せておきます。

もし、あなたが人類を2つに分けたうちの、

メガネをかけてる方なら、是非とも参考にしてください。

メガネをかけていない方なら、是非とも着用してください。

 



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1.メガネは視覚を良好にしてくれる

 

もはや、語る必要なしの機能。

目に映るすべてが美しく見えます。

ぼくなんか、メガネを外すともう何も見えないので、

無人島に持って行くならどうする?という質問に、

(メガネも含む)と条件が加えられていたら、もう悩む余地がないのです。

遠いものを見るときに、目を細めてしまうと、

この上なく険しい顔になるので、

そこは爽やかにいましょう。

 

 

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2.眠たくなったら、メガネを外そう

 

メガネを外せば、何も見えないということは、

夜眠れない時、自分を無理やり何もできなくさせることができます。

なんとなく、メガネを外してまでスマホにしがみついている自分を想像すると、

ちょっと情けなくなってきて気づいたら瞼は閉じられます。

目を覚ましたら、またすぐにメガネを探して、スマホを手に取ってしまって、

情けなくなって二度寝をしてしまうのです。

 

 

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3.しんどくなったら、メガネをずらそう

 

メガネの使い方は、着ける、外す、ずらす。この3つです。

仕事中に、ものすごくしんどい時、メガネをあえてずらしてください。

あなたの顔は、周りから見てとてもマヌケな顔になります。

大切なのは、ずらしながらも仕事をしているフリをしっかりすること。

「あいつ、メガネずらしながらも仕事やっとるな」と、

ふしぎに周囲が笑ってくれるようになります。

ポイントは、マヌケさを上手く使いこなすということです。

 

 

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4.顔は変えれないけど、メガネは変えられる

 

まぁ、メガネを変えたところで、かっこよくなれる訳じゃないんですが。

でも、気分の問題で、なんとなぁくお気軽に心機一転できる方法が、

あたらしいメガネを買うという行為には溢れていると思うのです。

ドラマで俳優さんがやっていた何かに憧れて、

全体的なファッションや髪型まですべてを真似するのは絶対にダメです。

 

悲しいかな、メガネは変えられるけど、顔は変えられないですから。

 

自分の好きなものを選びましょう。

あくまで、自分のために。ね。

 

 

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5.気づきたくないことは、見なきゃいいのだ

 

駅を降りて、会社へ向かう途中での道。

改札のところで上司が缶コーヒーを買っている。

あいさつしなきゃいけないけど、

今日はひとりでゆっくり音楽でも聴きながら歩きたい。

さぁ、メガネを外しましょう。そして、歩きながらレンズを拭きましょう。

 

メガネを外しているのだから、気づいていなくて当然。

拭いているフリをして、そっと横を通り過ぎましょう。

 微妙なラインの知り合いと、すれ違う時にもピッタリなのです。

 

 

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いちばん言いたいことは、最後に。

 

6.のび太君になろうよ

 

ぼくが、メガネをかけはじめてから、生き方を意識している人物が一人います。

 

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そうです。日本一有名な、のんびり生きてる少年。

のび太です。

 

 

決して焦ることなく、自由に、気ままに、

丸いメガネをかかて生き続けてきた人生がのび太君にはあります。

辛くて、しんどい時には、

まるいメガネをかけて下さい。

そして、のび太を憑依させるのです。

しんどい時には、しんどいと言う。

眠たい時には、眠いと言う。

嘆きまくるのです。つねに、自分にあまえて嘆くのです。

 

 

でも、現実世界にはドラえもんはいない。

押入れで寝ていて、どら焼きをあげたら悩みを叶えてくれる人はいない。

だからこそ、自分で解決をしないといけないわけです。

 

 

しんどくなったら、

「ぼくは、眠たくて仕方ないんだぁ~」と嘆いて、

思いっきり寝るのです。

 

「どうしてノルマなんかを達成しないといけないんだぁ~」

 

「暑い、暑すぎるよ。ぼくの周りだけ暑すぎるんだよ」

 

みたいに、思っていることを言葉にして、

生きるのはすごく楽しいと勝手に思っています。

 

ドラえもんの役目を果たすのも自分なので、

 

「そりゃ、君はお給料をもらっているだろ?好きな本を買ってるんだろ?」

 

「仕方ないじゃないか、夏なんだから、もっと楽しむ方法を考えなよ」

 

とか、そういう冷静な言葉をかける自分も秘めておくと、

頭の中で1コマ漫画が描かれて、なんだか気楽に生きていけるのです。

 

 

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以上が、ぼくが考えるメガネをうまく活用する方法なのですが、

どうでしたか。

 

小手先ですが、あなたの鼻の上が空いているなら、

そこにちょこんっとメガネをのせてみたら、

生活の仕方がちょっと変わるんじゃないかなぁと思ってます。

 

 

 

朝起きてメガネを探している自分は、

ものすごく情けないので、

旅行とかの際は、

ちゃんと場所を把握してお休みくださいね。

ほんものラルフローレン。

 

にせものと一緒に、少年時代をすごした。

 

 

お祭りに行って、もらった遊戯王のレアカードは、

ザラザラの印刷紙だった。

 

入手困難な状態でじいちゃんが見つけてきてくれたベイブレードは、

中央に漢字で「風」と書かれた made in china の本物の中華ゴマだった。

 

ゲームセンターで、すっごい難しい条件のUFOキャッチャーがあって、

仲間と必死に挑んで手に入れたPSPは、よく見たらPOPだった。

 

 

いつだって、にせものに気付くのは手に入れたあと。

喉から手が出るほど欲しかったものをゲットした最大限の喜びがあって、

数秒後に謎解きゲームのようにちょっとずつ真実が暴かれていく。

 

 

「あれ?このPSPはカセットを入れるところがない」

 

PSPって単三電池で動くんだったっけ?」

 

「ん?7種類のゲームが内蔵されてる?」

 

「え?ゲームウォッチ?」

 

「ちょっとまって、……P O P」

 

 

こうやって、一瞬の喜びは、永遠の絶望に変わる。

 

本当は、そのにせものを愛すればいいのだけど、

そんなわけにもいかなくて。

周りのみんなが持っている物と圧倒的に違うべつものを、

仕方なく机の引き出しにしまってしまうのでした。

 

 

大人になってから、

というか自分でお金を稼ぐようになってから。

にせものとは、随分ごぶさたの生活をしてきた。

 

 

クロックスも、ちゃんと専門店で買うようにしたし、

iPhoneだって、ちゃんと本物ですよ。当たり前ですけど。

 

唯一、にせものを好んで選んだと言えば、

 

コンビニで売っている「ほぼカニ」と「ほぼホタテ」ぐらいでしょうか。

カニカマってのは、本当によくできていて、

本物のカニをしばらく食べていないぼくにとって、

もはやカニカマこそが本物と思えるぐらいの美味しさをしているわけです。

 

カニ食べ放題ツアーに、もしぼくが参加しても、

カニカマによくにた生き物食べ放題ツアーにしか思えないかもしれません。

大げさですね。はい、大げさです。

 

ぼくに誰か、本物のカニの味を思い出させてください。

ついでに、本物のPSPもほしいです。

ベイブレードと、遊戯王カードはいりません。

 

 

という訳で、自分で物を買えるようになってからは、

ひとりで満足できる食べ物いがいは、

にせものを選ぶことはなくなっていたのです。

 

 

意外に人はそういうところを見ているし、

にせもののブランドを持つぐらいなら、

ふつうの物を持ち歩くほうがええに決まってるんじゃないかと。

 

 

だからこそ、無地のシャツとか、

どこのメーカーか分かっても分からなくても、

なんとなくいい感じの絵が書かれた服を探し出すことをしてました。

 

 

そんなぼくが、

ラルフローレンを履くようになった。

 

 

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こんなやつです。

おっさんが馬にのって、掃除機を振り回しているマークのやつです。

コンセントが伸びていないので充電式だと思われます。

 

 

…まぁ、あんまり変なことを言うもんじゃないと思うのでこれぐらいにして。

 

 

ラルフローレンの靴下を履いて仕事に行く日ができました。

 

あんまりファッションとかよく分からないぼくでも、

たぶんいい物だってことぐらいは何となく理解できます。

 

 

オシャレは足下からという話も聞いたことがあるし、

それはそれで何かぼくも生まれ変わったかのような気分になるのかなぁとか、

わけのわからない理由で高揚感を得たりしていて。

 

 

どうして、そんな急に、

ラルフローレンを身に付けるようになったかと言いますと。

 

実は、お客様がぼくにくれた靴下だったんですね。

 

 

「営業さんは、靴下とか消耗品やろ?これ買っといたから使いなさい」

 

 

ある日の帰り際に、そっと渡してくれたのがこの靴下でした。

 

夏になると、お茶を出してくれたり、スイカを食べさせてくれたり、

そうめんが湯がかれていたり、ハンドタオルをプレゼントしてくれたり、

いろんなものたくさんのお客様からもらうのですが、

その1つがこのラルフローレンでした。

 

 

 

「こんないいもの、もらえませんよ…」

 

 

ぼくは、さすがに気が引けてしまった。

 

 

「ええよええよ、こんなん安物だから!」

 

 

お客様の金銭感覚と、ぼくの金銭感覚の圧倒的格差。

でも、ありがたく気持ちを受け取ることにして、

そっと靴下を鞄にしまって帰りました。

 

 

なにより嬉しかったのは、

営業の大変さを気遣ってもらえたということ。

 

 

銀行員をしていて、何より考えていることは、

相手の気持ちをどれだけくみ取ってあげられるか。

納得したお金のありかたを見つけ出せるか。

 

 

理不尽なことばっかりだけど、

その一点を見つめて仕事をしてきたことを、

認めてもらえて嬉しかった。

 

 

そして、翌日から、

ぼくの靴下ローテーションには、

紺色の生地に赤いロゴのラルフローレンが追加されたわけです。

 

 

 

 

 

余談ですがこの靴下、

数回履いただけで全体的に色がはげてきました。

 


いい靴下のはずなのに、

かかとがすぐにダメになってきて、

それはぼくが営業を頑張っているからじゃなくて、

あきらかに生地の問題だと分かるような劣化の仕方をしていて。

 

 

あれ?おかしい。

 

 

そんな弱いわけがないぞ、

だってラルフローレンやぞ。

 

 

掃除機をふりまわした馬に乗ったおっさんやぞ。

 

 

 

…ん?

 

 

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あれ?

 

 

掃除機じゃない。

 

このおじさんが振り回しているのは…

確実に投げ縄だ。


そもそも、馬の向きも違う。


これは、そうだ、

これは、カウボーイだ。

 

 

 

靴下のどこを探しても、

ブランド名は書かれていない。

 

 


次の日に、営業エリアの100均ローソンの靴下売り場に、

ぼくのものと同じラルフローレンがあった時に、

お客様の言っていた「安物」という言葉が、

本当だったことに気付いた。

 

 

ぼくは、見てはいけないものを、見つけてしまったんだろうか。

本物の高い靴下をもらったと思って、

ありがた~く大切に履きつづけていたほうがよかったんだろうか。

 

 

 

たぶん、そんなことは関係ない。

 

 

お客様の気持ちが嬉しかったのだ。

いいものをもらったから嬉しいとか、

そういうことじゃなくて、

ぼくのためを思ってくれたその事実こそが最大の贈り物だったのだ。

 

 

 

 

今日も、ぼくはラルフローレンを履いて仕事に行った。

 

若干、限界が近づいている。

 

靴下のゴムは伸びてきているし、

足の先も、そろそろ穴が開きそうだ。

 

 

しっかり履きつぶそうと思っている。




 

 

 

わが家にある、

ちょっといいものは、

にせものラルフローレンです。

 


でもこれは、

ぼくにとって、

ちょっといい、

ほんものラルフローレンでもあるのです。

 

 

営業をしていたら、

靴がむれて、足が臭くなる。

 

 

今日も、たくさん歩いて、

順調に足が臭くなったので、

お風呂に入って叫ぼうと思います。

 

 

 

 

つかれた~~~~~~~~~

想いは、せめて、ふんわりと。

 

嘆くことが多い。

特に、日曜日の晩はつらい。

 

SNSを覗けば、サザエさんを上手く使って、

社会人の心の叫びが言語化されている。

 

ぼくも書きたい。

 

でもなぁ、なんだかそれやと、

当たり前すぎるし、気分がどんどん滅入ってくる。

 

そうだ。

 

想いは、せめて、ふんわりと伝えよう。

卵でふんわりとやさしく伝えよう。

重くるしい言葉ほど、やさしく言ってみたらどうなるんだろう。

 

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やってみました。

 

 

まずは、今のぼくの、精いっぱいの嘆きをどうぞ。

 

 

 

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ま、1日家でこもってたんですが。

 

 

 

 

つづいて、四字熟語で。

 

 

 

 

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金曜日まで耐えきれるのかしら。

あぁしんどい。

 

 

 

 

でもやっぱり、

 

 

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普通がいちばん美味しいと思ったり。

 

 

 

 

四字熟語で、いちばんケチャップたっぷりなのは、

 

 

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なんだか本筋からそれてきたけど、まぁええか。

 

 

 

 

スープは、…ないけど。

 

 

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あ、あかん、食べる気が失せていく。

 

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ダイエットに効く…わきゃないか。

 

 

 

 

固めでも、言い聞かせる催眠食事。

 

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洋食屋さん、使ってください。

 

 

 

 

オムライスの力を使えば、

 

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あんなに恐ろしい人も、

ほら、やさしく取り立てしてくれそうでしょ。

 

 

 

 

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美しい女性は、さらに、やさしく。

そうでない女性も、ちょっと、やさしく。

 

 

 

 

 

 

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あれ、洋食屋さんのお話でしたっけ。

 

 

 

 

途中から、もうなんだか分からないことになってますが、

オムライスの上に言葉を乗せると、

やさしく聞こえるし、

愚痴もすこしだけ聞いてて悪くないでしょ。

 

 

さいごに、

最近ぼくが気づいたことをどうぞ。

 

 

 

 

 

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暑い日が続きます。

眠い日も続きます。

 

 

書いてるだけで、お腹いっぱいになりました。

もう、素麺が食べたいな。



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洋食屋さんですよね。

 

 

鬼の声が聞こえる。【ことわ・ざ】

 

気づけば6月も折り返しちかく。

きっと、もうそろそろ、

【 今年も半分終了 】

みたいな言葉がみなさんのタイムラインに見えてくる季節です。

今年も半分終了したって、暑い夏はまだまだこれからだし、

これと言って何もないのが本音ですよね。

 

 

 

だけど、なんでか分からないけど、

みんな今年を区切りたがるわけで。

ぼくも、そろそろ今年の上半期を反省しないといかんなぁと思ったり。

下半期、さらには来年のことを考えて動かないといけないなぁと感じています。

 

「 へへへ ふふふ 」

 

ん、なにかが笑っている。

 

 

 

 

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てなもんで、本日はこちらのことわざについて、

勝手に自由に考えていこうかなぁと思います。

 

どうして鬼に笑われないといけないんだろう。

どうして来年のことを言うとやつらは笑うんだろう。

鬼ってやっぱり、シマシマのパンツを履いてるんだろうか。

角が1本の鬼と、角が2本の鬼はどっちが身分が上なんだろうか。

健康志向の鬼は、牛乳よりも豆乳を好むんだろうか。

もはや、鬼じゃなくても豆を投げつけられたら嫌だろうに。

めっちゃくちゃ怖い鬼のことを、鬼鬼怖いというんだろうか。

 

 

 

…考えれば考えるほど、疑問はとまらないのですが答えは出ないものばかり。

 

 

どうでもいいですよね。うん、ごめんなさい。

 

 

先日、インターネットの質問板で、見つけた書き込みです。

 

ーーーーーーーーーー

 

ぼくは小学校です。

 

生きることに興味がなくなってしまいました。

 

自殺したいと思っています。

 

どうしたらいいでしょう。

 

ーーーーーーーーーー

 

こんな感じのことだったと思います。

それを読んで、ぼくが小学校の頃は、どんなことを考えていたか振り返りました。

 
生きることに興味があったかって言われたら、そうでもなかったかもしれん。

 

ともだちと学校で遊ぶのは楽しかったし、

家に帰って木曜日の夜はポケモンのアニメを楽しみにしていた。

だけど、そう、そんなに「生きる」ということには興味が無かった。

 

「生きる」という行為自体が、あまりにも当然のことだったし、

義務教育を受けているだけで日々が過ぎていく。

将来のことなんて何も考えておらず、

3.2.1.ゴーシューッ!とさけんで、ベイブレードをまわしていた。

 

 

あの時のぼくは、もっとほかに興味のあることがたくさんあった。

 

 

【どうしてぼくは生きているんだ】という、

つまらないテーマの小説を読むぐらいなら、

ズッコケ三人組を読んでいたかったし、

ゾロリの最新刊を楽しみに待っていたかった。

 

 

質問主の少年にはたくさんの答えが寄せられていて、

もっと気楽に考えて生活をしていこうよという提案から、

命の大切さを教えてくれるような話、

なかには、病院への診察をすすめるコメントもあった。

 

どれも正しい、人生の先輩からの助言だと思った。

 

 

「 へへへ、ふふふ 」

 

あ、何かの笑い声が聞こえる。

 

鬼だ。鬼が少年を笑っている。

 

 

 

 

【来年のことを言うと、鬼が笑う】

・これから先の分からないことを、あれこれ言っても仕方ないという意味

 

 

 

ぼくも、いてもたってもいられずコメントを書いた。

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

明日、とつぜん死んでしまうかもしれないし、

明日、最高に面白いものに出会えるかもしれない。

生きることに興味がどんどん湧いてくるかもしれない。

 

これからの人生どうなるかなんて、全く分からないんだから、

自分でわざわざ命を落とす必要なんてないんじゃないだろうか。

 

趣味が「面白いもの探し」って言えたら、なんか、ほら、かっこいいじゃないですか。

 

ーーーーーーーーーー

 

 

正しいことを言えたなんて思わないけど、

なんとなく書いてしまった。

 

ひとりの少年の命の話なのに、

かっこいいかどうかなんて話をしてしまった。

 

だけど、なんか、

鬼が笑っているような気がしたんです。

 

 

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嘲笑のように馬鹿にした笑いじゃなくて、

「何言ってやがんだ、この若造は」と顔に出た笑い。

 

ぼくも、まだ24年そこそこの人生で何も言えない立場だけど、

なんとなく鬼がそうぼくに書かせた。

 

 

生きることを考えるより、

明日がどうなるかもっとワクワクしようよ。

 

 

来年のことを言うと、鬼が笑う。

 

この言葉の意味と、ぼくの解釈が正しいかどうかは知りません。

テストで書いたら×されるかもしれないので、気を付けてくださいね。

 

 

でも、ほら、あれじゃないですか。

人に対して使う言葉は、

良い方向に何かを動かす力があるほうがいいじゃないですか。

 

 

銀行の仕事で、毎日たくさんの人生の先輩方とお話をするんですが。

 

どの先輩も、先のことよりも、毎日を必死に生きてきたと言っていた。

必死に生きるというのは、一生懸命楽しむってこと。

 

 

しんどいことのほうが多いけど、

楽しいことが見つかった時に、

人生はとっても素敵に見えてくるのよ。

 

ぼくが、この前、お客さんからもらった金言です。

 

 

 

 

 

 

 

 

あぁ~不安だ。人生が不安だ。

 

今やっている仕事が、ずっと続けられるか分からないし、

勉強していることが、夢に繋がっているのか分からない。

 

なりたいよ、なりたいよ、なりたい人になりたいよ。

 

あぁ~~~~~

 

 

 

…でも、鬼に呆れられる前に、明日をもっとワクワクしよう。

 

 

 

 

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父の日は、パパの日。【ショートショート】

 

 

子どもから贈られるプレゼントは、一生物だ。

それが食べる物なら、包装紙だけでも置いておきたい。

手紙なんかが入っていたら、ファイルにしまって何度も読みたい。

たとえば、娘が大きくなって、反抗期になって、

いっしょにいたくないって言われても、

そんなときは、もらった手紙を読みかえす。

そうすれば、あの頃の娘がそこにいて、

反抗期だっていつか終わるときがくるし、

気づけばドラマのように結婚式で泣きじゃくるのだろうなぁ。


娘が幼稚園に通いだして、最初の父の日前夜。

はじめて父の日というものを教えてもらって、

なにかをパパにプレゼントしようと先生は娘に言うだろう。

言ってくれるにちがいない。


だって、ほら母の日には、

しっかりきれいなお花を作って帰ってきたではないか。

誕生日よりも、わくわくしてしまうのは、

「パパおめでとう」よりも、「パパありがとう」と言われたいからだ。


 感謝されたいわけじゃないけど、

「ありがとう」と娘に言ってもらえる期間は限られているはずだ。

もしかしたら、うちの娘の反抗期だけ来年くるかもしれない。

 

 

 

男は、すごくその一日をソワソワしていた。

 

 

 

仕事を終えて、家にとんでかえる。

娘が寝てからじゃダメだ。

父の日は、今日しかないのだ。

何度も言いたくなるのは、

もしかしたら、うちの娘の反抗期だけ来年にくるかもしれないという不安である。

 

 

「パパおかえり~」

 

 

いつものように、娘が言ってくれる。

いつものように、ぼくは娘に言う。

 

 

「まな~ただいま~」

 

 

いつもなら、妻にもおなじように言葉をかけるのだが、

今日はすこし焦っているのだ。

ネクタイを外して、カッターシャツを脱いで、部屋着になって、

おとなしくすんなりと定位置に座る。

普段なら、もうちょっとダラダラと動くのだが、

今日は2倍速である。

そして聞えてくるあの言葉。

 

 

「パパいつもありがとう」

 

 

娘の手には、一枚の紙があった。

あぁ、オヤジよ。田舎のオヤジよ。

ぼくは、こんなにしあわせな瞬間がくるなんて思ってもいなかったよ。

普段の仕事でのストレスなんて、もう忘却のどこかへ、そう、彼方へ消えたよ。

 

妻も、ほほえましく娘とぼくのやりとりを見つめている。

あぁ、妻よ。愛する妻よ。

今日だけは、普段以上にぼくのしあわせに同感してくれたまえ。

ぼくのフィギュア収集の趣味には無関心の君も、

父親としてのしあわせには全面的に同感してくれたまえ。

 

 

「なんだい?」

細く細くなった目で、ぼくはニヤけながら娘に聞いた。

 

 

「今日は、父の日だから。はい!パパにプレゼント!」

 

 

「なになに?え~っと…」

 

 

娘に渡された紙には、こう書かれていた。

 

 

 

くらぶ まな

でんわばんごう 06-××××ー〇〇〇〇

ぱぱだいすきだよ♡また来てね♡

 

 

「パパがおへやでだいじにしてるやつ、まなもあげるね。パパいつもありがとう」

 

 

 

それは、まぎれもなく、

幼稚園児がかいたキャバクラの名刺だったのである。

 

 

 

「…まなちゃん、そろそろオヤスミしよっか」

 

 

妻が、空間を切る。

 

 

「もうちょっと、夜更かしもいいじゃないか」

 

 

ぼくの言葉は、弱く弱くこぼれた。

 

 

その日の会議は、

ながくながくリビングで続いた。

「死ね」って言われても、死なないよ。

 

「死ね」と言われて、どんな顔をしたらいいのでしょうか。

なんと答えたら、いいのでしょうか。

 

 

『いじめ』について、真剣に考えている。大学生になって、会社に入って、心底思うことが、いじめがない空間が、どれだけ素晴らしいことなのかってことだ。それだけで、ものすごい幸福感を得て生活をしている。

 

たくさんの友達や、先輩後輩にかこまれて、毎日すんごいしんどいくせに幸福を感じれていられるのは、『いじめ』がそこには一切ないから。それに尽きると思うのです。

 

 

 

中学生のころに、水泳をやっていました。

 

話はとつぜんに。

 

毎日、練習に行って、まわりの人たちに「死ね」と言われ続ける数年をすごしました。そいつらの中で、内部分裂が起きたりもしていて、居場所をなくした人間が、ぼくに話しかけてくる日もありました。

数日したら、また仲直りしたのか、一瞬のともだちは「死ね」を言ってくる人間になりました。

 

 

ぼくは、泳ぐのが下手でした。まわりの人達より、タイムも遅くて。そして、太り気味だったのでからかわれて。いつのまにか、それが「死ね」にかわっていて。

スヌーピーとプーさんに似ているから、スヌープーと言われていたこともあるし、長州小力が流行っていたので、小力と言われていた時期もあります。

 

 

余談ですが。

 

流行り廃りがあるなぁと思うのが、長州小力という悪口が、いまはサブいですよね。

でも、スヌーピーとかプーさんは普遍的な存在だから、いまも使える悪口なんだと思います。

 

余談でした。

 

 

ぼくは、2005年のM-1グランプリが大好きです。その年に優勝したのはブラックマヨネーズなのですが、入場してくるシーンがものすごくかっこよかったんですよね。

 

『 モテない男たちの逆襲 ブラックマヨネーズ 』

 

こんなキャッチフレーズだったのですが、別にモテたいとかそんな感情があったわけではなくて。ハゲとブツブツというコンプレックスを前面に引き出したVTR。どうせ、コンプレックスだけを笑いにしているんだろうなぁと、当時のぼくは思っていました。

 

 

だって、その頃のぼくには、スヌープーと言われても、小力と言われても、ヘラヘラするしか方法が無かったから。

ここで、小力のモノマネでもしようもんなら、周りは爆笑だったのだろうけど、悪口として言われたことを受け入れてしまうことはどうしてもできなかった。

だから、親が与えてくれたスヌーピーのタオル入れも破いて捨てたりしてました。

 

 

でも、ブラックマヨネーズはちがった。見ていて、もう爆笑した。4分ぐらいのネタが、ずっと笑いっぱなし。オチにすこしだけコンプレックスを混ぜ込んでいたけど、そんなのどうでもいいくらいに圧倒的に面白かった。

 

お腹が痛いぐらいわらって、観終わった感想は、「おもろい」よりも「かっこいい」が大きかったのを覚えています。ビデオに録画していたから、何度も何度も再生した。

 

 

「そうだ、面白いことは、かっこいいんだ」

 

 

水泳のタイムがはやいのがどうした。くそったれが。

そんなことよりも、面白い人間のほうがよっぽどかっこいいわ。

毎日「死ね」と言われることが当たり前の日常を、その漫才は否定してくれた。

どうして、ものさしを1つしかぼくは持てなかったんだろうか。

それから、世界は大きく開いていったことを覚えています。

 

 

 

お笑いがもっと大好きになったし、ラジオを聴くようにもなった。今まで、単純に笑うためだけに見ていたガキの使いトークを、笑いの勉強のために見るようになった。

 

スポーツをやっていたり、勉強を頑張っていたりすると、それができない人に対して嘲笑の目が向けられる空間があったりしますよね。スクールカーストとかそういうやつは、もっとひどくて、外見とか「なんとなく」とかそんな感じだったりする。

 

「死ね」と言われる理由を考えているとき、ぼくは自分が泳ぐのが遅いからだと勝手に解釈をしていました。あとは、すこし太っていたから。

 

でも、なんでそんなことでイジめられないといけないんだろうか。

 

おもろい=かっこいい という、ものさしを持てた瞬間、「死ね」としか悪口が言えない相手が、すごくレベルの低い人間に思えて仕方なくなってきたりしました。肩パンという行為で、人の腕にあざを作ることしかできない人間は終わっていると思えるようになりました。

 

それから、1年ぐらいでぼくは水泳を辞めたんです。

山口百恵のように、ゴーグルをプールサイドに置くことはしませんでした。

だいたい、みんながもらったりする色紙は、ぼくにはありませんでした。

 
どうでもよかった。
 
あのプールサイドは時間がとまっている。

 

きっとぼくがいなくなっても、また同じように、くだらないものさしで人を判断して誰かが「死ね」と言われていくだけなんだ。そんな場所に、いる必要なんて、ひとつもなかった。

 

高校生になって、大学生になって、社会人になって、「死ね」と言われなくなっている。生きていることを肯定もされないが、否定されることもなくなった。ぼくは、プールサイドを抜け出して心底よかったと思っている。

 

 

生きていることを否定されないということは、本当にしあわせだ。

誰かと会って「死ね」と言われないことは、本当に最高だ。

 

 

もし、あの頃のぼくと同じようにプールサイドにとどまっている人がいたら、今すぐにでもゴーグルを置いて抜け出してほしい。百恵ちゃんのように華やかな終わりかたなんかしなくていい。かっこ悪くたってかまわないし、周りになにを言われようが関係ない。

 

 

そういえば、大学生の頃に、

知人に「〇〇って、スヌーピーにちょっと似てるよね」と言われた。

 

「ほんまに?まぁ、たしかに似てるかもしれへんなぁ」

と答えて、話はスヌーピーの話題で盛り上がった。

 

ふしぎだ、あの頃と全然違う。

でも分かる、分かるんだ。悪口かどうかなんて、すぐ分かる。

ぼくはその時に、心の底から、いまいる場所が幸福なんだと気づけました。

 

 

2005年のM-1グランプリが、ぼくの人生を変えたように、

人それぞれに人生を変える何かがあるんやないかと思うんです。

だから、ぼくも何かを生み出せるような仕事がしたいんだなって思うんです。

 

 

…あぁこれを就活で言えば、人生変わってたかもなぁ。

なんてね。

 

 

 

 

最後に、本当にいちばん言いたいことを。

 

人は、「死ね」と言われた人間の顔を一生覚えている。

 

いまでも、夢でその顔が浮かぶことがあります。

周りの人から、そいつらの話を聞くことがあります。

ただただ願うことは、そいつらの人生が失敗すればいいということだけです。

いまのとこ、誰一人オリンピック選手になっていないことが、最高にうれしいです。

 

 

あれ、そんなことを言ってしまったら、

さっきまでのやさしい感じが台無しじゃんって思ったりしますか?

 

 

それだけ、『いじめる』という行為は酷いものだということを、分かってほしくて。

 

 

気分を害してしまったらごめんなさい。

 

 

あぁ、どうしよう。

 

 

そうだ。

 

 

ブラックマヨネーズの漫才をみて、

笑ってください。

 

 

youtu.be

 

 

 

 

笑いの趣味は人それぞれなので、

ハマらなかったらごめんなさいね。