得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

想いは、せめて、ふんわりと。

 

嘆くことが多い。

特に、日曜日の晩はつらい。

 

SNSを覗けば、サザエさんを上手く使って、

社会人の心の叫びが言語化されている。

 

ぼくも書きたい。

 

でもなぁ、なんだかそれやと、

当たり前すぎるし、気分がどんどん滅入ってくる。

 

そうだ。

 

想いは、せめて、ふんわりと伝えよう。

卵でふんわりとやさしく伝えよう。

重くるしい言葉ほど、やさしく言ってみたらどうなるんだろう。

 

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やってみました。

 

 

まずは、今のぼくの、精いっぱいの嘆きをどうぞ。

 

 

 

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ま、1日家でこもってたんですが。

 

 

 

 

つづいて、四字熟語で。

 

 

 

 

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金曜日まで耐えきれるのかしら。

あぁしんどい。

 

 

 

 

でもやっぱり、

 

 

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普通がいちばん美味しいと思ったり。

 

 

 

 

四字熟語で、いちばんケチャップたっぷりなのは、

 

 

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なんだか本筋からそれてきたけど、まぁええか。

 

 

 

 

スープは、…ないけど。

 

 

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あ、あかん、食べる気が失せていく。

 

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ダイエットに効く…わきゃないか。

 

 

 

 

固めでも、言い聞かせる催眠食事。

 

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洋食屋さん、使ってください。

 

 

 

 

オムライスの力を使えば、

 

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あんなに恐ろしい人も、

ほら、やさしく取り立てしてくれそうでしょ。

 

 

 

 

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美しい女性は、さらに、やさしく。

そうでない女性も、ちょっと、やさしく。

 

 

 

 

 

 

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あれ、洋食屋さんのお話でしたっけ。

 

 

 

 

途中から、もうなんだか分からないことになってますが、

オムライスの上に言葉を乗せると、

やさしく聞こえるし、

愚痴もすこしだけ聞いてて悪くないでしょ。

 

 

さいごに、

最近ぼくが気づいたことをどうぞ。

 

 

 

 

 

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暑い日が続きます。

眠い日も続きます。

 

 

書いてるだけで、お腹いっぱいになりました。

もう、素麺が食べたいな。



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洋食屋さんですよね。

 

 

鬼の声が聞こえる。【ことわ・ざ】

 

気づけば6月も折り返しちかく。

きっと、もうそろそろ、

【 今年も半分終了 】

みたいな言葉がみなさんのタイムラインに見えてくる季節です。

今年も半分終了したって、暑い夏はまだまだこれからだし、

これと言って何もないのが本音ですよね。

 

 

 

だけど、なんでか分からないけど、

みんな今年を区切りたがるわけで。

ぼくも、そろそろ今年の上半期を反省しないといかんなぁと思ったり。

下半期、さらには来年のことを考えて動かないといけないなぁと感じています。

 

「 へへへ ふふふ 」

 

ん、なにかが笑っている。

 

 

 

 

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てなもんで、本日はこちらのことわざについて、

勝手に自由に考えていこうかなぁと思います。

 

どうして鬼に笑われないといけないんだろう。

どうして来年のことを言うとやつらは笑うんだろう。

鬼ってやっぱり、シマシマのパンツを履いてるんだろうか。

角が1本の鬼と、角が2本の鬼はどっちが身分が上なんだろうか。

健康志向の鬼は、牛乳よりも豆乳を好むんだろうか。

もはや、鬼じゃなくても豆を投げつけられたら嫌だろうに。

めっちゃくちゃ怖い鬼のことを、鬼鬼怖いというんだろうか。

 

 

 

…考えれば考えるほど、疑問はとまらないのですが答えは出ないものばかり。

 

 

どうでもいいですよね。うん、ごめんなさい。

 

 

先日、インターネットの質問板で、見つけた書き込みです。

 

ーーーーーーーーーー

 

ぼくは小学校です。

 

生きることに興味がなくなってしまいました。

 

自殺したいと思っています。

 

どうしたらいいでしょう。

 

ーーーーーーーーーー

 

こんな感じのことだったと思います。

それを読んで、ぼくが小学校の頃は、どんなことを考えていたか振り返りました。

 
生きることに興味があったかって言われたら、そうでもなかったかもしれん。

 

ともだちと学校で遊ぶのは楽しかったし、

家に帰って木曜日の夜はポケモンのアニメを楽しみにしていた。

だけど、そう、そんなに「生きる」ということには興味が無かった。

 

「生きる」という行為自体が、あまりにも当然のことだったし、

義務教育を受けているだけで日々が過ぎていく。

将来のことなんて何も考えておらず、

3.2.1.ゴーシューッ!とさけんで、ベイブレードをまわしていた。

 

 

あの時のぼくは、もっとほかに興味のあることがたくさんあった。

 

 

【どうしてぼくは生きているんだ】という、

つまらないテーマの小説を読むぐらいなら、

ズッコケ三人組を読んでいたかったし、

ゾロリの最新刊を楽しみに待っていたかった。

 

 

質問主の少年にはたくさんの答えが寄せられていて、

もっと気楽に考えて生活をしていこうよという提案から、

命の大切さを教えてくれるような話、

なかには、病院への診察をすすめるコメントもあった。

 

どれも正しい、人生の先輩からの助言だと思った。

 

 

「 へへへ、ふふふ 」

 

あ、何かの笑い声が聞こえる。

 

鬼だ。鬼が少年を笑っている。

 

 

 

 

【来年のことを言うと、鬼が笑う】

・これから先の分からないことを、あれこれ言っても仕方ないという意味

 

 

 

ぼくも、いてもたってもいられずコメントを書いた。

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

明日、とつぜん死んでしまうかもしれないし、

明日、最高に面白いものに出会えるかもしれない。

生きることに興味がどんどん湧いてくるかもしれない。

 

これからの人生どうなるかなんて、全く分からないんだから、

自分でわざわざ命を落とす必要なんてないんじゃないだろうか。

 

趣味が「面白いもの探し」って言えたら、なんか、ほら、かっこいいじゃないですか。

 

ーーーーーーーーーー

 

 

正しいことを言えたなんて思わないけど、

なんとなく書いてしまった。

 

ひとりの少年の命の話なのに、

かっこいいかどうかなんて話をしてしまった。

 

だけど、なんか、

鬼が笑っているような気がしたんです。

 

 

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嘲笑のように馬鹿にした笑いじゃなくて、

「何言ってやがんだ、この若造は」と顔に出た笑い。

 

ぼくも、まだ24年そこそこの人生で何も言えない立場だけど、

なんとなく鬼がそうぼくに書かせた。

 

 

生きることを考えるより、

明日がどうなるかもっとワクワクしようよ。

 

 

来年のことを言うと、鬼が笑う。

 

この言葉の意味と、ぼくの解釈が正しいかどうかは知りません。

テストで書いたら×されるかもしれないので、気を付けてくださいね。

 

 

でも、ほら、あれじゃないですか。

人に対して使う言葉は、

良い方向に何かを動かす力があるほうがいいじゃないですか。

 

 

銀行の仕事で、毎日たくさんの人生の先輩方とお話をするんですが。

 

どの先輩も、先のことよりも、毎日を必死に生きてきたと言っていた。

必死に生きるというのは、一生懸命楽しむってこと。

 

 

しんどいことのほうが多いけど、

楽しいことが見つかった時に、

人生はとっても素敵に見えてくるのよ。

 

ぼくが、この前、お客さんからもらった金言です。

 

 

 

 

 

 

 

 

あぁ~不安だ。人生が不安だ。

 

今やっている仕事が、ずっと続けられるか分からないし、

勉強していることが、夢に繋がっているのか分からない。

 

なりたいよ、なりたいよ、なりたい人になりたいよ。

 

あぁ~~~~~

 

 

 

…でも、鬼に呆れられる前に、明日をもっとワクワクしよう。

 

 

 

 

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父の日は、パパの日。【ショートショート】

 

 

子どもから贈られるプレゼントは、一生物だ。

それが食べる物なら、包装紙だけでも置いておきたい。

手紙なんかが入っていたら、ファイルにしまって何度も読みたい。

たとえば、娘が大きくなって、反抗期になって、

いっしょにいたくないって言われても、

そんなときは、もらった手紙を読みかえす。

そうすれば、あの頃の娘がそこにいて、

反抗期だっていつか終わるときがくるし、

気づけばドラマのように結婚式で泣きじゃくるのだろうなぁ。


娘が幼稚園に通いだして、最初の父の日前夜。

はじめて父の日というものを教えてもらって、

なにかをパパにプレゼントしようと先生は娘に言うだろう。

言ってくれるにちがいない。


だって、ほら母の日には、

しっかりきれいなお花を作って帰ってきたではないか。

誕生日よりも、わくわくしてしまうのは、

「パパおめでとう」よりも、「パパありがとう」と言われたいからだ。


 感謝されたいわけじゃないけど、

「ありがとう」と娘に言ってもらえる期間は限られているはずだ。

もしかしたら、うちの娘の反抗期だけ来年くるかもしれない。

 

 

 

男は、すごくその一日をソワソワしていた。

 

 

 

仕事を終えて、家にとんでかえる。

娘が寝てからじゃダメだ。

父の日は、今日しかないのだ。

何度も言いたくなるのは、

もしかしたら、うちの娘の反抗期だけ来年にくるかもしれないという不安である。

 

 

「パパおかえり~」

 

 

いつものように、娘が言ってくれる。

いつものように、ぼくは娘に言う。

 

 

「まな~ただいま~」

 

 

いつもなら、妻にもおなじように言葉をかけるのだが、

今日はすこし焦っているのだ。

ネクタイを外して、カッターシャツを脱いで、部屋着になって、

おとなしくすんなりと定位置に座る。

普段なら、もうちょっとダラダラと動くのだが、

今日は2倍速である。

そして聞えてくるあの言葉。

 

 

「パパいつもありがとう」

 

 

娘の手には、一枚の紙があった。

あぁ、オヤジよ。田舎のオヤジよ。

ぼくは、こんなにしあわせな瞬間がくるなんて思ってもいなかったよ。

普段の仕事でのストレスなんて、もう忘却のどこかへ、そう、彼方へ消えたよ。

 

妻も、ほほえましく娘とぼくのやりとりを見つめている。

あぁ、妻よ。愛する妻よ。

今日だけは、普段以上にぼくのしあわせに同感してくれたまえ。

ぼくのフィギュア収集の趣味には無関心の君も、

父親としてのしあわせには全面的に同感してくれたまえ。

 

 

「なんだい?」

細く細くなった目で、ぼくはニヤけながら娘に聞いた。

 

 

「今日は、父の日だから。はい!パパにプレゼント!」

 

 

「なになに?え~っと…」

 

 

娘に渡された紙には、こう書かれていた。

 

 

 

くらぶ まな

でんわばんごう 06-××××ー〇〇〇〇

ぱぱだいすきだよ♡また来てね♡

 

 

「パパがおへやでだいじにしてるやつ、まなもあげるね。パパいつもありがとう」

 

 

 

それは、まぎれもなく、

幼稚園児がかいたキャバクラの名刺だったのである。

 

 

 

「…まなちゃん、そろそろオヤスミしよっか」

 

 

妻が、空間を切る。

 

 

「もうちょっと、夜更かしもいいじゃないか」

 

 

ぼくの言葉は、弱く弱くこぼれた。

 

 

その日の会議は、

ながくながくリビングで続いた。

「死ね」って言われても、死なないよ。

 

「死ね」と言われて、どんな顔をしたらいいのでしょうか。

なんと答えたら、いいのでしょうか。

 

 

『いじめ』について、真剣に考えている。大学生になって、会社に入って、心底思うことが、いじめがない空間が、どれだけ素晴らしいことなのかってことだ。それだけで、ものすごい幸福感を得て生活をしている。

 

たくさんの友達や、先輩後輩にかこまれて、毎日すんごいしんどいくせに幸福を感じれていられるのは、『いじめ』がそこには一切ないから。それに尽きると思うのです。

 

 

 

中学生のころに、水泳をやっていました。

 

話はとつぜんに。

 

毎日、練習に行って、まわりの人たちに「死ね」と言われ続ける数年をすごしました。そいつらの中で、内部分裂が起きたりもしていて、居場所をなくした人間が、ぼくに話しかけてくる日もありました。

数日したら、また仲直りしたのか、一瞬のともだちは「死ね」を言ってくる人間になりました。

 

 

ぼくは、泳ぐのが下手でした。まわりの人達より、タイムも遅くて。そして、太り気味だったのでからかわれて。いつのまにか、それが「死ね」にかわっていて。

スヌーピーとプーさんに似ているから、スヌープーと言われていたこともあるし、長州小力が流行っていたので、小力と言われていた時期もあります。

 

 

余談ですが。

 

流行り廃りがあるなぁと思うのが、長州小力という悪口が、いまはサブいですよね。

でも、スヌーピーとかプーさんは普遍的な存在だから、いまも使える悪口なんだと思います。

 

余談でした。

 

 

ぼくは、2005年のM-1グランプリが大好きです。その年に優勝したのはブラックマヨネーズなのですが、入場してくるシーンがものすごくかっこよかったんですよね。

 

『 モテない男たちの逆襲 ブラックマヨネーズ 』

 

こんなキャッチフレーズだったのですが、別にモテたいとかそんな感情があったわけではなくて。ハゲとブツブツというコンプレックスを前面に引き出したVTR。どうせ、コンプレックスだけを笑いにしているんだろうなぁと、当時のぼくは思っていました。

 

 

だって、その頃のぼくには、スヌープーと言われても、小力と言われても、ヘラヘラするしか方法が無かったから。

ここで、小力のモノマネでもしようもんなら、周りは爆笑だったのだろうけど、悪口として言われたことを受け入れてしまうことはどうしてもできなかった。

だから、親が与えてくれたスヌーピーのタオル入れも破いて捨てたりしてました。

 

 

でも、ブラックマヨネーズはちがった。見ていて、もう爆笑した。4分ぐらいのネタが、ずっと笑いっぱなし。オチにすこしだけコンプレックスを混ぜ込んでいたけど、そんなのどうでもいいくらいに圧倒的に面白かった。

 

お腹が痛いぐらいわらって、観終わった感想は、「おもろい」よりも「かっこいい」が大きかったのを覚えています。ビデオに録画していたから、何度も何度も再生した。

 

 

「そうだ、面白いことは、かっこいいんだ」

 

 

水泳のタイムがはやいのがどうした。くそったれが。

そんなことよりも、面白い人間のほうがよっぽどかっこいいわ。

毎日「死ね」と言われることが当たり前の日常を、その漫才は否定してくれた。

どうして、ものさしを1つしかぼくは持てなかったんだろうか。

それから、世界は大きく開いていったことを覚えています。

 

 

 

お笑いがもっと大好きになったし、ラジオを聴くようにもなった。今まで、単純に笑うためだけに見ていたガキの使いトークを、笑いの勉強のために見るようになった。

 

スポーツをやっていたり、勉強を頑張っていたりすると、それができない人に対して嘲笑の目が向けられる空間があったりしますよね。スクールカーストとかそういうやつは、もっとひどくて、外見とか「なんとなく」とかそんな感じだったりする。

 

「死ね」と言われる理由を考えているとき、ぼくは自分が泳ぐのが遅いからだと勝手に解釈をしていました。あとは、すこし太っていたから。

 

でも、なんでそんなことでイジめられないといけないんだろうか。

 

おもろい=かっこいい という、ものさしを持てた瞬間、「死ね」としか悪口が言えない相手が、すごくレベルの低い人間に思えて仕方なくなってきたりしました。肩パンという行為で、人の腕にあざを作ることしかできない人間は終わっていると思えるようになりました。

 

それから、1年ぐらいでぼくは水泳を辞めたんです。

山口百恵のように、ゴーグルをプールサイドに置くことはしませんでした。

だいたい、みんながもらったりする色紙は、ぼくにはありませんでした。

 
どうでもよかった。
 
あのプールサイドは時間がとまっている。

 

きっとぼくがいなくなっても、また同じように、くだらないものさしで人を判断して誰かが「死ね」と言われていくだけなんだ。そんな場所に、いる必要なんて、ひとつもなかった。

 

高校生になって、大学生になって、社会人になって、「死ね」と言われなくなっている。生きていることを肯定もされないが、否定されることもなくなった。ぼくは、プールサイドを抜け出して心底よかったと思っている。

 

 

生きていることを否定されないということは、本当にしあわせだ。

誰かと会って「死ね」と言われないことは、本当に最高だ。

 

 

もし、あの頃のぼくと同じようにプールサイドにとどまっている人がいたら、今すぐにでもゴーグルを置いて抜け出してほしい。百恵ちゃんのように華やかな終わりかたなんかしなくていい。かっこ悪くたってかまわないし、周りになにを言われようが関係ない。

 

 

そういえば、大学生の頃に、

知人に「〇〇って、スヌーピーにちょっと似てるよね」と言われた。

 

「ほんまに?まぁ、たしかに似てるかもしれへんなぁ」

と答えて、話はスヌーピーの話題で盛り上がった。

 

ふしぎだ、あの頃と全然違う。

でも分かる、分かるんだ。悪口かどうかなんて、すぐ分かる。

ぼくはその時に、心の底から、いまいる場所が幸福なんだと気づけました。

 

 

2005年のM-1グランプリが、ぼくの人生を変えたように、

人それぞれに人生を変える何かがあるんやないかと思うんです。

だから、ぼくも何かを生み出せるような仕事がしたいんだなって思うんです。

 

 

…あぁこれを就活で言えば、人生変わってたかもなぁ。

なんてね。

 

 

 

 

最後に、本当にいちばん言いたいことを。

 

人は、「死ね」と言われた人間の顔を一生覚えている。

 

いまでも、夢でその顔が浮かぶことがあります。

周りの人から、そいつらの話を聞くことがあります。

ただただ願うことは、そいつらの人生が失敗すればいいということだけです。

いまのとこ、誰一人オリンピック選手になっていないことが、最高にうれしいです。

 

 

あれ、そんなことを言ってしまったら、

さっきまでのやさしい感じが台無しじゃんって思ったりしますか?

 

 

それだけ、『いじめる』という行為は酷いものだということを、分かってほしくて。

 

 

気分を害してしまったらごめんなさい。

 

 

あぁ、どうしよう。

 

 

そうだ。

 

 

ブラックマヨネーズの漫才をみて、

笑ってください。

 

 

youtu.be

 

 

 

 

笑いの趣味は人それぞれなので、

ハマらなかったらごめんなさいね。

黒の、わ3。

 

和食をいただきに、靴をぬぐ。

その日は、けっこう人が来ていて、

あいてる靴箱を探すことからはじまった。

 

新幹線の指定席とはちがって、

靴箱は自由席です。

 

おなかの調子も、そんなに良くなかったので、

やさしい味付けの御膳をたべたいなぁって思ったりしながら。

 

そんなことより、靴箱靴箱。

 

あ1 ひ2

ひらがなと数字を追っていく。

 

 

ようやく見つけた。

黒の、わ3。



https://www.instagram.com/p/BU5MmPxgjOD/




あ、なんだか、

クロワッサンが食べたい気分。

とか言いながら、

和食を食べた夜がありました。

 

『帰りたくて、家』

 

電車がしんどい。

人がたくさん乗っていれば、乗っているだけしんどいね。

まわりの人たちも、おんなじことを思っているだろうね。

 

ぼくも、満員電車のひとり。

だれかが掴みたいつり革を、必死に手放さないで揺れている。

 

電車がおくれると、

たくさんの人たちイライラしてくる。

なんとなぁく、ホームが居心地の悪い感じになって、

イヤホンをして音楽を聴いていても晴れない。

 

 

おっさんがキレている。

駅員さんをつかまえて、ストレスを思い切り発散させている。

ぼくのイヤホンを通りこして聞こえてくる怒声。

 

会社でうまくいってないのか、

夫婦仲がいまいちなのか知らないけど、

キレたおっさんほど、周りの気分をわるくする生物はいない。

 

1位 キレたおっさん

2位 頭の上をグルグルまわる虫

 3位は、う~ん。家で出くわす何かしらの虫にしておこう。

 

 

その日の遅延は、沿線火災だった。

線路の近くで、火事があったから電車は一時停止。

火がおさまるまで、足止めをくらったというわけで。

 

もちろん、沿線火災なので、

ほかの電車は動いている。

振替輸送もあるから、別ルートで帰宅だってできるのだ。

 

 

なのに、おっさんはキレることをやめない。

ただひたすらに、駅員さんに何かを語っているのだ。

 

 

どうして、おっさんはこんなに怒っているのだろうか。

 

仕事が終わって、ヘトヘトなのに電車が来ない。

だから怒っているんだろう。たぶん。

 

その先に待っているものは、晩酌やテレビ、風呂といった時間だろうな。

おおまかに言うと、家に帰りたくて仕方ないのだ。たぶん。

 

つまり、おっさんはホームシックなのである。

お家に帰りたくて、帰りたくて仕方ないから、

駅員さんにその辛さをぶつけているのである。

 

 

 

野球中継がみたくて、焼酎をのみたくて、風呂に入りたくて、

俺の叫びを聴いてくれ! 『帰りたくて、家』

 

 

イヤホンをつけて、音楽を聴いているから、

本当のことは分からないけど、

とりあえず大体の人がキレている理由なんてこんなもんだ。

 

あとはちょっとの、

仕事がうまくいかないとか夫婦仲がいまいちとか、

そういうスパイスが効いているそれだけなんだ。

 

 

いい年した大人が、

ホームシックで駄々をこねている。

 

そう思ったら、なんだかおかしく見えてくる。

むかしやってた水泳の合宿で、

家に帰りたいと泣いていた少年とほとんど同じだ。

 

 

それからしばらく、

おっさんの『帰りたくて、家』を聴いていたと。

というより観ていた。

 

 

電車はようやく到着して、新快速は動きだした。

もうそれはそれはギュウギュウである。

 

いつもの駅に到着したら、

ホームにはこれまた沢山の帰宅人がいた。

ぼくの乗ってきた電車を待ちにまった人たち。

 

 

降りた人が作ったスペースに、

これでもかと乗る人がなだれ込む。

 

 

もう乗れないだろって状態のところへ、

タックルのように乗り込んだおっさんがいた。

そして、そのタックルを思い切りくらったおっさんがいた。

 

あまりの勢いに、カチンときたのか、

タックルをくらったおっさんは、

相手をつかんでホームへ投げた。

 

くびねっこを掴んで、

柔道でいうとこの大外刈りをきめていた。

 

 

ケンカである。

 

 

『帰りたくて、家』が脳内に流れてくる。

ぼくのプレイリストにそんな曲はないけど、もう何度目のリピートだろうか。

 

 

とっくみあいの二人をホームにのこして、

満員の電車はゆっくりと出発をした。

 

 

 

改札へ向かうぼくの横を、

猛ダッシュで駅員さんがすれ違っていく。

 

 

駅員さんだって、

はやく家に帰りたいんやろなぁとか思ったりする。

 

人間は、すごく単純なことで怒っていると仮定すると、

おバカに見えてくるから面白い。

 

これからは駅でキレているおっさんは、

ホームシックであると定義づけしてみてください。

『帰りたくて、家』が聴こえてきますよ。

 

 

Ca va ?

 

文学部の大学生だった。

特に、やりたいことが明確にあったわけではなく、

なんとなく本を読んだりするのが好きだから選んだ。

 

 

社会学を専攻していたので、

フジロックの映像を眺める授業があったり、

ディアハンターというロバー・デニーロ主演の名作を、

息をのみながら鑑賞する授業があったりした。

 

テストは基本的に論述だけど、

世の中の事象を、

その授業なりの解釈で書けばよくて簡単だった。

 

 

そんな大学生活で、いちばん苦労したのは第二外国語の授業だった。

 

 

ぼくの大学で第二外国語は、4つ選択肢があった。

 

韓国、中国、ドイツ、フランス

この4か国の中から学生は選択して、2年間ぐらい授業を受ける。

 

 

どうしよう、どれも勉強したくない。

英語はちょっとだけ喋れるようになりたいけど、

そのちょっとだけ喋れるようになれるまでに、

ほかの言語を勉強する余裕があるわけがない。

 

 

ともだちと色々相談して、

いちばん単位取得がかんたんなものを選ぶことにした。

 

希望順位を提出させられるということは、

希望どうりにいかない人も出るということ。

 

 

韓国 中国 ドイツ フランス

 

この順番で提出をした。

ドイツ語とフランス語は、

男性名詞、女性名詞とかがあって非常にややこしいと聞いたからだ。

 

 

勉強したくない科目なんだから、

簡単に取得できるものに限る。

 

希望理由は、用紙にみっちり書いた。

なぜ韓国語を学びたいのか、そこで学んだことをどう活かすのか。

けっこうな時間を割いて、書いたのを覚えている。

 

 

 

 

そして、数日後。

 

ぼくは、フランス語の教室にひとりで座っていた。

フランス語で自己紹介を、ぼっちでしていた。

 

仕方ない、ぼくの書いた希望理由がダメだったのだ。

ともだちは、白紙で出したのに韓国語のクラスにいた。

 

文句は言いたくない。

ぼくに運がなかったのだから仕方ない。

そんな気持ちで、ひとり座っていた。

 

ただひとつ、たったひとつ。

どうしても消化しきれていないことがある。

 

 

 

それは何かって、

 

 

ぼくが受講していたフランス語の先生が、

なんでか分からないけど、

韓国の人だったということなんですよね。



複雑な心境だった。


学びたい言語を、教えてくれるはずの先生がぼくにフランス語を教えている。


 

複雑に入りくんでて、

男性名詞、女性名詞どころじゃない心持でした。

 

 

 

 

Ca va ?


 

みなさんお元気ですか?


それでは、いい休日を。


唯一、覚えてるフランス語でした。

ミルクココアが飲みたくて。

 

「うぅ~」

 

トイレで、ぼくは死にそうな声をもらした。

 

 

会社に行くまでに、乗り換えが何度かあって、

そのたびに改札を出たり、階段を降りたり、人と肩がぶつかったりしている。

 

朝起きて、もうれつに喉が渇いている時は、お茶をがぶ飲みするが、

そうじゃないときは歯を磨いておわり。

 

なにも飲まずに家を出るから、

途中で何かを飲みたくなって自動販売機を利用する。

 

 

健康診断をうけ、先生に注意を受けてから、

特保のお茶を買うように意識しているが、

どうしても冷たいミルクココアが飲みたい朝だった。

 

コカコーラの自販機には、ない。

アサヒの自販機にも、ない。

 

 

「あぁ、いっそのことミロでもいい!」

って思ったけどミロはもっと見つからない。

 

コンビニじゃだめなんだ。

キンキンに冷えたミルクココアを飲み干したいんだ。

 

 

喉の渇きとは違う。

たぶんぼくは今、ココアゾンビだ。

出勤前のココアゾンビ。

 

 

 

いつもの駅の端の端。

なんのメーカーの自販機か分からないところに、

ミルクココアをみつけた。

 

 

なんとも、絶妙な茶色のパッケージの缶。

飲みたかったものが、そこにはあった。

 

 

ぼくが本当のゾンビなら、

自販機を押し倒して中身をとりだし、

おなかがたぷたぷになるまで飲み干すのだが。

 

あいにく、ココアゾンビである前に、

いっぱしのサラリーマンなのだから仕方ない。

 

財布から500円玉を取り出して、

130円の1本をいただくことにする。

 

 

投入

 

 

・・・あれ・・・ボタンが光らない。

 

 

購入の権利を行使するためにある、自販機のボタンが光らない。

その代わり、10円と書かれたランプが光っている。

 

悲劇だ。10円のお釣りが切れている。

10円のお釣りが無いということは、

ぼくの500円ではミルクココアが買えないのだ。

 

 

「金ならある、ココアをくれ!」

 

祈るような思いで、再度お金を投入するも同じこと。

ぼくの財布には、1000円札と500円玉と、あと1円が数枚しかない。

 

 

買えない。

 

ミルクココアが買えない。

 

目の前にあるのに買えない。

 

お金があるのに買えない。

 

 

「いっそ、値上げしてくれ!150円にしてくれ!」

 

あの時のぼくは、ココアの相場を変えてしまうぐらいの思想を持っていた。

それぐらい、目の真にある茶色のパッケージは輝いて見えたのだ。

 

どんなにあがいても、ココアは出てこない。

 

後ろ髪を引かれる思い(最近髪を切った)で、会社へ向かう。

その日は、もう、頭のなかは悔しさでいっぱいだった。

30円を持ち合わせていない自分に悔しさを感じながら、特保のお茶を飲んだ。

 

 

 

帰り道。

ぼくは、朝とおなじ自販機の前にいた。

 

 

光っている。

10円のランプが光っている。

 

なんということだ、12時間労働の間に、

お釣りは一切チャージされていないという。

 

 

業者のお兄ちゃんよ、頼むよ。

ぼくにミルクココアを飲ませてくれよ。

お願いよ。

 

その日は、結局、いっさいミルクもココアも喉を通らなかった。

特保のお茶は、しっかり通った。

 

 

 

お風呂に入りながら考えていた。

 

 

半日経って、10円のお釣りが切れたままということは…、

つまりその間に、誰一人その自販機で飲み物を買っていないということじゃないか。

 

 

とんでもなく、不人気な自販機なんじゃないだろうか。

 

それとも、ぼくのように志半ばで会社へ向かったゾンビがたくさんいたんだろうか。

どっちなんだろう。

 

 

 

そして、今日の朝、

ぼくは財布に1000円札と3枚の十円を入れて、

満を持していつもの自販機に挑んだのです。

 

 

 

 

それでも、

 

それでも、

 

10円のランプは光っていました。

 

 

あんなに飲みたかったキンキンに冷えたミルクココアは、

とうぜん、キンキンに冷えたミルクココアでしたが、

なんだか複雑な気分でぼくは生き返りました。

 

 

そして、お腹をひやして、

トイレに駆け込んだのです。

 

 

「うぅ~」


冷えすぎや。

 


昨日から、今朝までの話です。

 

5人乗りのちいさな社会。

 

 

先日、エレベーターに乗っていたら、

緩衝材のパネルにこんな絵が描いてあった。

 

 

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おっきな、ドラゴンボールベジータだ。

 

 

低レベルな下ネタが、やまもりに落書きされたパネルに、

でかでかと書かれたベジータは、

せまいエレベーターでかなりの迫力を見せつけている。

 

 

そして、まわりにはたくさんの、

うまい! すげえ! といったコメントが書き込まれている。

 

 

きっと、「うんこ」とか書いていた少年たちが、

そのベジータを見て率直な感想を書いたんだと思う。

 

 

この狭いエレベータのなかに、

何人もの少年たちがいて、

実際に目をあわせることなく会話をしている。

 

 

すごく居心地のいい空間だった。

 

 

何日かに一回、

お客様の家へいくときに乗り込むのが楽しみでしかたない。

 

その絵に対する、コメントが増えていたりするからだ。

 

 

インターネットで何かを発信したいぼくの気持ちは、

きっとここにベジータを描きたい気持ちに似ている。

 

 

何かを誰かにみてほしくて、

ちょっとだけ評価もしてほしくて、

できたら「いいね!」と言ってもらいたくて。

 

どうや!って気持ちで書いているけど、

本当は誰も見ないかもしれないことに怯えていたりする。

 

 

「誰にも見てもらえなくたっていい、自分が楽しければそれでいい」

 

そんなことを言いたくなるけど、

たぶん、それを言ったら嘘になる。

 

 

「好きなことをして、誰かにみてもらいたい」

 

 

それを自由に何度だって、

やりたいだけトライできるのがインターネットのいいとこなんじゃなかろうか。

 

エレベーターで、誰かがその絵を見ているように、

このブログも誰かが見てくれている。

 

 

もちろん、そんな中身がないから、

有名な人が書く文章にはとうてい及ばない。

 

 

一日に10人ぐらいが、ぼくの日記をチラ見して行って下さる。

それでも、たまにコメントをもらったりすると、すごく嬉しい。

嬉しくて、小躍りできるぐらいだ。しないけど。

 

 

 

昨日、いつものようにエレベーターに乗り込んだ。

 

パネルは貼りかえられていて、

ベジータはどこかへ消えてしまったみたいだ。

 

そして、

 

 

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そこには、でっかい孫悟空がいた。

スーパーサイヤ人3の孫悟空だ。

 

 

ひとりの少年が開墾した、

エレベーターにドラゴンボールの絵を書くという畑に、

べつの少年が乗りこんできたみたいだ。

 

 

だが、そこに前回あったような勢いはない。

 

うまい! すごい! の言葉は書き込まれず、

完全にスルーされてしまっている。

 

 

 

 

「あ、これはぼくだ」

 

 

 

 

ぼくには、ここに孫悟空を書いた少年の気持ちがすごく分かった。

 

どういう気持ちでここに書いたか、

どんな気持ちで反応を待っていて、

毎日ずーっと過ごしているかが痛いほどに分かる。

 

分かりすぎる。

 

 

きっと、誰かに何かを発信したくて、見てもらいたくて仕方なかったんだ。

 

ベジータに贈られたコメントを、

自分もほしくてほしくて、

なにを書いたらいいか分からなくて、

結局、孫悟空を書いたに違いない。

 

 

毎日、学校から帰ってきて、

友だちの家に遊びにいくときや、

塾帰りにそのエレベーターに乗るのをすごく楽しみにしているはずだ。

 

 

一向に増えないコメントに、

じぶんの書いた孫悟空を見るのが恥ずかしかったりしてないだろうか。

 

 

同情でもなく、うまいと思ったし、何かを発信したい気持ちがよく分かって、

「いいね!」と書き込みたい気分になった。

 

 

でも、そうだ。そうなんだ。

きっと、エレベーターに孫悟空を書きこんでちゃダメなんだ。

 

 

誰かが開墾した畑で、

おなじように反応がほしくて、

何かをやっても仕方ない。

 

その思惑は悲しいかな、5人乗りのちいさな社会でも伝わってしまう。

 

 

誰かが、きっとどこかで見ている。

 

たくさん読んでほしいとか、

たくさん広まってほしいとか、

そこを目的にしちゃいけないはず。

 

何を伝えたくて書いているかだけを考えないといけない気がした。

 

ざんねんだけど、

ベジータの時に感じた勢いが、

孫悟空にはなかった。

 

 

身が引き締まる思いだ。

 

どうすれば、たくさんの人に読んでもらえるかじゃなくて。

どうすれば、たくさんの人に自分の思ったことを伝えられるかを考えなきゃ。

 

 

今日、ここで書いていることも、

「はぁ?何を言ってるんだ」

って思われるかもしれないし、

 

そもそも、ほとんどの人の目にとまることなく、

眠ってしまうかもしれない。

 

それはそれで仕方ない。

 

 

だけどきっと、誰かが見ていると思うのです。

 

 

レビューを書いたり、

ランキングを作ったりすると、

ブログの閲覧数が上がるのかって考えたこともある。

 

でも、そんな簡単なものじゃない。

 

その記事に込められた熱量は、

ぼくがどうしても書きたかった5人乗りの社会についての話とおなじ。

 

本当に大好きなものを紹介したいと思っている熱がこもっている。

 

だからこそ、人の心を動かしているに違いない。

そりゃ、かなわない。

 

 

だから、孫悟空を書くより、

もし、

あなたが俳句が好きならそれを、

なぞなぞが好きならそれを、

書いたほうがずっといいんだろうって思った。

 

 

エスカレーターやら、エレベーターやら、

駅の待合室やら、海辺のベンチやら。

 

 

なんだろうなぁ、

ちいさい社会を見るのが好きなんだろうなぁ。



 

 

 

孫悟空の少年の、

次回作が気になるなぁ。

 

壁をこえてほしいなぁと、

ぼんやりと考えていました。

 

 

 

あ、もし、

ベジータを書いた少年と同一人物やったらどうしようか。

 

うーむむ。

 

 

 

それはそれで、

社会は厳しいってことやなぁ。

 

 

どんなにデビュー作が売れた歌手でも、

2曲目も売れるかって言われたら、

それはそれで難しいもんなぁ。

 

P.S. ぼくも、転職サイトに登録しました。

 

銀行の内定が出るのは、異常なほどに早い。

 

どれくらい早いかって、

ぼくが就職活動をしていたときは4月が面接解禁で、

1日から3日間つづけて面接をして内定をとった知人もいる。

 

ぼくは、内定辞退した人の空枠にすべりこんだので、

採用通知は10月にもらった。

 

周りの同期が、銀行員になることを決めた6か月後に、

ようやく内定をもらったことになる。

 

 

だから、はじめて研修に行ったときには、

みんなはすごく仲良くて、

「誰やこいつ」って感じの目でみられている気がした。

 

友だちは当然いない。

 

そもそも、やりたいことじゃないから、

どうしてこんなに周りがキラキラと研修を受けているのかも分からない。

 

休憩時間は、ひたすらに本を読んでいたことを覚えている。

 

 

お泊り研修とかもあったけど、

もう本当にはやくはやく家に帰りたくてしかたなかった。

 

 

同期は大切にしたほうがいいよ

と上司はぼくに言う。

 

きっと、入社当時のぼくなら、

「は?ともだちがいないんだよ、こっちは」

と叫んでしまうほどの心持ちだった気がする。

 

 

3回目の研修ぐらいで、

とつぜん声をかけられて、

「あっ!人違いやったごめん!」

と言われて立ち去られたこともあったんだから仕方ない。

 

 

だけど、

いまは確かに同期は大切だと思う。

 

正しく言うと、

気をつかわなくていい同期は大切だと思う。

 

なんて書きながら、

同期の子と飲みにいってしっぽり仕事の話をするなんてことをしたことが無い。

 

仕事の話をするのが嫌で嫌で、もうどうしようもないのだ。

 

んなことで、

研修の休み時間は本を読んでるし、

みんながお札を数えている時間に、

コピーライター養成講座のキャッチコピーを書いていた。

 

 

朝のスピーチみたいなのが、何日かに一回まわってきたりした。

 

 

ブログに書いてるような、

どうでもいいようなつぶやきを喋るようにして、

なんとなくそれはそれで楽しんでいた。

 

たしか、

配属が憂鬱すぎて上司に怒られる夢をみたことを、

けっこうな偉い人がいた場所で話した気がする。

 

 

 

なのに、

 

そんなぼくに、

声をかけてくれる人が何人かいた。

 

ありがたい。

ありがたいのに、すぐにひとりになりたくて、本を読む。

でも、心の中ではすごく嬉しかった。

だからと言って、仕事の愚痴を吐くことはしたくもないけど。

 

 

その結果、ぼくは相手の話を聞かせてもらう立場になった。

 

 

支店に配属されてからも、

何回も研修があったから、

何回も休憩があって、

そのたびに本を読んで、

ともだちの愚痴をきいた。

 

 

 

キラキラしていた同期の目が、

どんどん曇っていく姿は、

あまり見たくなかった。

 

ぼくは、もとから曇っていたから、

ぎゃくに追いこされたようで悔しい気持ちもあった。

でも、それ以上に、

入社して頑張ろうと意気込んでいた光みたいなのが、

どんどん消えていくのを見ているのは寂しさがあった。

 

 

きっと、みんなは最初に仕事の話をしすぎたんじゃないだろうか。

 

ひとりで本を読んでいるぼくに、

ボソッと「しんどいなぁ」とこぼす人がいた。

 

 

「そりゃ、くそダルいもんやって仕事なんてさ」

 

はげますことなんて、

ぼくにはできないから、

ひたすら話を聞いた。

 

どんなに話を聞いても最後は、

 

「そりゃ、くそダルいもんやって仕事なんてさ」

で終わった。

 

 

気づいたら、夢の話をしたりしてた。

 

どんなことを将来したいって思っているのか。

もちろん、銀行でじゃなくて、

もっと大きな世界での話をした。

 

 

ぼくは、やりたいことが決まっていた。

コピーライターになりたいから講座にも通っていたし、

コンペにも応募しないといけないから銀行のことなんて考えている暇がない。

 

 

でも、今の仕事がすべてでやってきた同期は、

目の前にあるしんどさこそが全て。

 

そこから、どうやって逃げたらいいかが分からなかったみたいだった。

 

 

研修にいくたびに、

何人かの子とそんな話をしていた。

 

その子がいない間は、本を読んでいた。

 

 

 

毎月、社内報がまわってくる。

その最後の頁のすみに、

退職者のリストが出ている。

 

 

知っている名前が出てくる。

 

知っているだけの名前が出てくると、

あぁ辞めたんだぁって思って終わり。

 

だけど、

夢を知っている名前が出てくると、

どうしようもなく寂しい気持ちになる。

 

 

研修の時に、

どうしようもなく陰気なぼくに話しかけてくれた同期の子が、

悩んで悩んで選んだ道を、

ぼくは応援しないといけないはず。

 

 

連絡先さえ交換していないのに、

その人の夢を知っていたりするわけで。

そうなると、もう二度と会うことのない別れでもあって。

 

 

あと、

 

「先を、越しやがって」

と、悔しい気持ちがあったりするわけです。

 

 

 

一生懸命すすめすすめ。

 

 

ムリに連絡先を探したりしなくて、

道で出くわしたりしないかなって思ったりして。

 

 

ただひとつ、

曇ってしまった2つの目玉が、

きもちよく晴れわたるような道。

 

その道を、進んでいることを祈るばかりなのです。

 

 

 

 

あっ、どうしよう。

ぼくが、すごく仕事してない人みたいに聞こえるな。

 

ま、事実だから仕方ない。

 

 

「そりゃ、くそダルいもんやって仕事なんてさ」

 

 

 

 

明日は、金曜日。

がんばるぞ、がんばるぞ!

できないノルマを撫でるのだ。

 

 

 

 

P.S. ぼくも、転職サイトに登録しました。

 

 

達者でね。